第3話
起きてすぐの私はパニックに陥っていたが、今は盲目の女性、水瀬小雪さんの手助けもあってか少しだけ落ち着きを取り戻し始めていた。
伝えておくべきか迷ったが、ひとまず拳銃のことは伏せたまま、私はあらかた起こった事を彼女の手の平に書いて伝える。片仮名で伝えなきゃいけないため時々ミスもあり、
「真白さん、ツタイとは何ですか?」
「シタイデス」
「あぁ、死体……なるほど、この異臭の正体は 死体の匂いだったのですね」
そんなこんなで一通り伝え終わると、水瀬さんは顎に手をやり、小首を傾げてウーンと何かを考え始めた。
私はこの間に音を立てないように気を付けながら、拳銃を学生鞄の中にそっとしまう。
「つまり真白さんは眠っていて、目を覚ましたら身に覚えの無い死体があったという事ですか」
私は彼女の小指を摘んで肯定した。
「なるほど、それは大変でしたね……。ひとまず、今は他の乗客の方や車掌さんと合流しましょうか」
水瀬さんがそう提案すると同時に私の後方、先頭車両側の車両間を分ける扉が開く音が鳴った。
振り向くと車掌の格好をした中年男性が立っていた。クセの強いもじゃもじゃのパーマヘアに眼鏡を掛けており、入ると同時に異臭を嗅ぎ取ったのか顔をしかめた。
「うわっなんだこの匂い。あっ、乗客の方ですか。すみませんね、急停車しちゃって……」
車掌の視線が立っていた私達から床に倒れた男性へと移り、言葉が止まる。
私はこの状況を何とか伝えなくてはとパントマイムの様に手を動かすも、車掌の目は死体の男性に釘付けで、驚きからか徐々に大きく開かれていく。
「えっ……これ……死体?」
「どうやらそのようですね」
車掌が振り絞って出した言葉に水瀬さんが返事する。
車掌はドタンッと腰を抜かして尻餅をつくと、震える手でポケットから通信機のような物を取り、
「こっ、小林ィ、緊急事態発生だぁ、乗客を集めろぉ!」
震える声で連絡をして、通信機をしまった。
どうやら他の乗客も集めて死体について調べるみたいだと私が思っていると
「今、後方車両の車掌にも連絡したから、にっ、逃げんじゃねぇぞ!」
そう言っていきなり車掌は私に向かって指差しをしてきた。
一瞬何の事か分からなかったが、どうやら私が犯人だと疑われているらしい。
私は手と首を左右に振って必死に否定するも、車掌は気に留める様子は無く、私を犯人と決めつけ、指差ししたままこちらを睨んでくる。
助けを求めようと水瀬さんの方を見ると、水瀬さんは小さな口を開き、
「車掌さん、1つ質問してもよろしいですか?」と凛とした表情で言い放った。
「はっ、はい……何でしょうか?」
尻餅をついた時にずれ落ちたのか、くいっと眼鏡を直しながら、呆気に取られたような声で車掌は答える。
「死体を見ていきなり真白さんを犯人だと決めつけたという事は、車掌さんがやって来た先頭車両からこの車両まで他の乗客の方はいらっしゃらなかったという事でしょうか?」
「えっ……あっはい。そうですね」
「という事は車掌さんご自身もまた途中で誰にも見られる事なく、この車両に来て殺人を実行する事は可能じゃないですか?」
「なっ……アンタ、俺を疑ってるのか!?」
車掌が私への指差しを止めて、水瀬さんの言葉に対して驚きと疑問と怒りが混じった反論をした。
「可能ですよね、といった話です。ここに居る真白さんや他の乗客の方にしろ、車掌さんにしろ、殺人は実行出来るという事です。それを憶測だけで真白さんを犯人と決め付けるのは良くないと私は思っただけです」
顔を真っ赤にして水瀬さんと私を睨む車掌だったが、言葉に詰まったのか
「とっ、とにかく俺はお前が怪しいと思ってるからな!」と捨て台詞のような言葉を置いて、床に伏した死体を慎重に跨ぎながら私と水瀬さんを横切り、後方車両側へと向かって行った。
「真白さん、大丈夫でしたか?」と私を心配してくれたのか水瀬さんが言ってくれる。
私は彼女の小さな手を取って、感謝の言葉を掌に記した。読み取れたのか、彼女の顔が優しく微笑む。
「さて、ここにずっと居るのも今みたいに怪しまれてしまいます。ひとまずは車掌さんや他の乗客の方達と合流しましょうか」
私は彼女の小指を摘み、提案に賛同した。
彼女の左手を取りながら私はゆっくりと歩き始める。彼女が私の口になって喋ってくれている代わりに、せめて私が彼女の目の代わりになってサポートしなくてはと思ったからだ。
そうして、当初死体があった車両から1つ後方の車両へと一緒に移動する。そこには既に別の乗客達と後方車両担当であろう、もう一人の車掌が集まっていた。
座席で貧乏ゆすりしながら腰掛けるスーツ姿の男性、小さな女の子とその母親と思われる女性、車椅子の老婆とそれを補助する若めの男性、そして先程見かけたもじゃもじゃ眼鏡の車掌と、それより少し若い女性の車掌、そして私と水瀬さんを含めた9人がそこに集まった。
一先ず、皆さん座って楽な姿勢をお取り下さい、と女性の車掌が言い、車掌の2人以外が皆座席に腰掛けた。
「皆様、電車が急停車して大変混乱しているかと思いますが、只今別の緊急事態が発生しており、もうしばらく皆様にはご迷惑をお掛けすると思います」
もう1人の年若い女性車掌がまだ混乱している男性車掌に代わって、乗客全員に対して説明する様に冷静且つ丁寧な口調で述べていく。男性車掌の方は横目で女性車掌を見ながら、近くの座席によろよろと腰掛けた。
「だからその緊急事態ってのは、いつ対処出来るんだよ?」
スーツ姿で50代くらいの男性がイラついた様子でそう言った。
「現在本社と警察に連絡していますが、この降雪の影響で連絡が通じず、対応には少々時間が掛かるかと思われます」
凄む男性に怯むことなく淡々と女性車掌は言葉を返した。
「警察って、事故の他に何かあったんですか?」
まだ小さな女の子をよしよしと宥めながら、その子のお母さんが尋ねた。
「それは……」
「この列車内で殺人がありました」
女性車掌の言葉を遮りながら、水瀬さんが包み隠すことなく簡潔に言う。その言葉の意味が場に浸透するまで少し時間がかかった。
「殺人って本当なのかい?」
車椅子の老婆を補助する年若い男性が水瀬さんに聞いた。
「はい。そしてこれはまだ不確定ですが、犯人はこの中に居るかもしれません」
暖房の効いた車内が凍りつくかのように、水瀬さんは更に冷徹に言った。
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