第2話
きっかけはよくある話だ。
私は特に身に覚えもないまま、クラスの中でも人気の女の子グループの標的にされ、憂さ晴らしとばかりに陰湿な嫌がらせを受け続けた。
手を差し伸べてくれるクラスメイトや教師なんて1人も居なくて、家族にも心配をかけたくない思いから誰にも相談出来ず、私はただ一人で抱え込んで学校から帰宅する度に声を押し殺して自室で泣いていた。
そんなある日だった。突然、声が出なくなった。
喋り方を忘れてしまったかの様で、頭の中で予め言葉を決めているのに、いざその言葉を喉の奥から掴んで取り出そうとすると、砂の様に隙間から溢れて消えていくのだ。
医者はストレスからの失声症だと私と家族に説明した。実際、喉や声帯自体には何の問題も無いらしく、薬で治るものでも無いから、どのくらいの期間声が出ないままなのかも分からないとの事だった。
私が学校に再び通い始めると、既に私の病気については知れ渡り、これまで見て見ぬフリをしていたクラスメイトが私に話しかけて来た。
クラスの学級委員はまるで私の世話係の様に接して来て、教員達も私の事を気遣っていた。大事にならなくて良かったなとでも言いたげに。
そんな風に生活が再び戻り始めた最近だった。放課後になり帰ろうかなといった時、言葉が話せなくなってから持ち歩く様になった手帳サイズの小さなノートが気付くと手元から消えていた。
彼女達だ、と何故か分かった。私を虐めてきた彼女達なら私が苦しむ様を見たがるに決まっている。
私は彼女達が嫌がらせとして隠しそうな場所を徹底的に探し始めた。新しく買えば良いとも思ったけれど、筆談を交わしてくれたクラスメイトの言葉、心配してくれる家族の言葉、そういったものがアレには詰まっていた。そして何より私が紡いだ言葉もある。それらまで彼女達に消されたくなかった。
最終下校時刻も迫り、教室や廊下も消灯し始めた頃、それはやっと見つかった。トイレの洗面台脇に置かれた小さなゴミ箱に入っていた。濡れて字は霞み、所々破けてはいたけれど、私は丁重に鞄へと仕舞って学校を出た。
日は完全に落ちきって辺りは真っ暗になり、雪がちらほらと降り始めていた。
朝のニュース番組で連日発生している殺人事件の後に、そういえば今夜は初雪で、かなり降り積もることも言っていたなと思い出す。頬を刺すような寒さが身に染み、私は駅まで白い息を吐きながら走って向かい、電車へと駆け乗った。
電車内は帰宅と下校のピークを過ぎた為か閑散としており、空いていた座席の端に座れたかと思うと、心身共に疲弊していたのか、冷えた身体を温める暖房と心地良い振動によって気付かない内に私は夢の中へと誘われ、ついさっき起きて今に至る。
回想終了。今、私の目の前の小柄な女性は真っ直ぐな視線でこちらを向けてはいるけれど、彼女の言動や姿からおそらく私の姿は見えていないのだろう。
さて、どうしよう?
私は話せないし、彼女は目が見えない。筆談で会話は行えないが、このまま黙ったままでは死体と拳銃が別の誰かに見つかって真っ先に私が殺人犯だと疑われてしまう。
と私が悶々と考えていると
「……もし誰か居るのであれば、音を2回たてられますか?」
静まり返った車内に彼女の声が広がった。
そうだ、ひとまずは自分がいるという事を彼女にしっかりと伝える必要があるのだ、と改めて私は思った。
私は慎重に、彼女を驚かせないよう大きな音にならない程度に、足先で床を2回コツコツと鳴らした。
「よかった……どなたかいらっしゃるのですね」と柔らかな表情で女性は微笑んだ。
一旦冷静になって考えてみれば、目が見えないというのはそれだけでも十分過ぎる恐怖だ。その上で列車が事故を起こし、支えになる人が居ないというのは不安で仕方ないだろうと私は彼女の気持ちを察した。
私は足音を意識してたてながら女性の方へとゆっくり近付く。音が近付いてきている事を理解した女性の身体が強張った。それでも、多少強引でも私は彼女とコミュニケーションを取りたかった。このまま弁明の余地無く疑われる事がただただ恐怖で、誰かにこの不安を吐露したかった。
女性まで残り数メートルまで近付くと、女性は意を決したかの様に右手でポーチと白杖を持ち、空いた左の手の平を私に向かって止まれといった形で広げて突き出した。
近寄り過ぎてしまったと思い、私は一歩下がった。けれども女性は、
「そこにいる貴方が、私の声は聞こえても話せない事は分かりました。なのでこの手に文字を書いてお話し出来ませんか?」と優しげな声色で言った。
私がそうしたがっていた様に、彼女もまた私とコミュニケーションを取ろうとしてくれたのだ。
私はその事が嬉しくて、彼女の白くて小さな手をそっと取り、そこにこれまで起こった出来事を頑張って文字として伝えた。
緊張とパニックから指先が震え、上手く文字が書けない私を優しく慰めるように、その人は暖かく受け入れてくれた。
その過程でいくつかのルールが設けられた。
まず、基本的に書く文字は片仮名となった。漢字より画数が少なく、平仮名の曲線や丸を含まないので分かり易いと彼女からのアドバイスで決まった。
もう一つは、はいといいえについてだ。彼女の小指を私が摘むとYesを意味するものとなり、親指を摘むとNoを意味する。これらを2人の間のルールとして決め合った。
そしてようやくあらかたの状況を伝え終わると彼女から
「1つ質問してもいいですか?」と聞かれた。
私が彼女の小指を摘んで肯定すると
「お名前を伺ってもいいですか?」と彼女から問われた。
私は自分の佐藤真白という名前を片仮名で彼女の手の平へと書き記す。
「サトウマシロさん……私は水瀬小雪といいます。お互い大変ですけど、よろしくお願いしますね」
こんな状況で彼女の方が大変なのに、それでも私の事を気遣ってくれる彼女の優しさが身に染みた。
そんな私達を置いたまま、車窓の外で雪は激しさを増し、徐々に夜の街を銀色へと染め始めていた。
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