スノーバレット

刻谷治(コクヤ オサム)

第1話

 あれ、私寝てた……?

 暖房の効いた電車内。座席の端に腰掛けていた私は時折揺れる僅かな振動が心地良く、いつの間にか壁にもたれかかって眠ってしまっていた。

 やっば、降りる駅過ぎちゃったかも……あれ、なんだろこれ?

 ふと、手に違和感を感じた。私はいつもの癖で手を組んで眠っていたようなのだが、今はその手で優しく包み込むように何かを握らされていた。私自身はこんなものを握って眠った記憶なんて無いのに。

 何これ……?

 眠りから覚めたばかりでまだ脳が覚醒しきっていなかった私は、重たい瞼を擦って目を凝らし、妙に手に馴染むその物体を良く見てみた。

 全体的に黒く、見た目以上にずっしりとした重さを持つそれは、角ばったL字に細い円柱状の筒がくっ付いたようなデザインをしていた。

 直角に曲がった部分の内側は数学で90度を表す時に使う様な小さな四角形が付いており、更にその四角の中に曲がった棒が付いていた。

 丁度手で握ると、人差し指が四角形の中を通り、曲がった棒が指の第1関節に引っかかる様に出来ている。

 えっ、これってもしかして……銃?

 銃口に当たる先端の部分に筒状のものが付いていた為すぐには分からなかったが、引き金や撃鉄といった形状がドラマやアニメなどに出てくる拳銃そのままだった。

 頭の中がパニックになって真っ白に霞んでいく。背筋に冷や汗が流れ、そのまま凍らされていくような寒気が全身を襲った。タチの悪いイタズラといった考えが頭の中で浮かんでは、質感や重量といった銃が持つ異質なリアリティによって掻き消されていった。

 反射的に私は悪いことをしているような気になって、視界を手元から上昇させ、辺りを見渡す。

 電車内は閑散としており、私の他に乗客は目の前の座席に座って眠る男性だけで、車内は物静かだった。その対面の男性はとても膨よかな体型をしており、今は腕を前に組んで大きなリュックを抱えながら、頭をそれに埋めるような前傾の態勢で眠っていて、表情は見えなかった。

 どうやら誰も私が銃を持っている事に気付いていないと一瞬ホッとした為か、私はあるアイデアが浮かんだ。そうだ、この拳銃を男性が起きないうちにこっそりと置いてしまおう。

 ガタンゴトンと揺れ動く電車の中で立ち上がり、フラフラした足取りで対面の男性の元までゆっくり慎重に歩く。

 よくわからない状況と寝起きでの頭で、夢か現実か混乱しながらも、私はこの禍々しい塊を所持し続けることの方が何故だかよっぽど怖くて恐ろしかった。

 列車もなんだかいつもより激しく揺れる中で、私はなんとか男性の前まで行き、後は拳銃を男性の側に置くだけとなった時、ガギィィンッといった轟音と共に電車が急減速し、車体が大きく揺れる。

 私は咄嗟に吊り革を掴んで、倒れそうになった姿勢を何とか支え、立て直る。

 ふぅとひと息して男性の方に目を向けると、そこに男性の姿は無く、どうやら男性は今の衝撃で座席から崩れ落ち、そのまま私の足元の床へと倒れてしまっている様だ。眠っているだけなら起きそうなものだが、男性はそれでも目を覚まさない。

 何かヤバイ空気だと察した。何で男性が目を覚まさないのか薄々気付いている自分がいる。

 先程まで男性が座っていた座席だけが私の目に映る。男性の身体に隠れて見えていなかったシートや壁が赤黒い何かで汚れている。

 頭の中でアラームのような警告音が鳴り響いていた。見るな、と全身が拒絶反応を起こしていた。でも、目は逸らせなかった。指が細かく震えて、足が棒のように動かない。さっきまで暖かかった車内が急激に寒く感じる。息が気付かないうちに早くなり、耳元に心臓があるかの様に鼓動が早鐘を立てていた。

 私は目を細ばめながらゆっくりと視線を下げ、床に倒れた男性を見つめてみる。

 私の足元で仰向けに倒れた男性の背中は赤黒く、まるで銃弾が何発も撃ち込まれたかのように、幾つもの穴が空いていた。

 死んでいる。

 視界が眩み、足がぐらりともつれ、そのまま私は腰を抜かして尻餅をついてしまった。

 死体なんて今までドラマや漫画の世界の物で、現実ではろくに見た事も無いけれど、はっきりとこの男性が死んでいるという事だけが伝わってくるのが不気味で、ただただ恐ろしかった。

 まだこれが本当は夢の中で、私はまだ目覚めていないと思いたかったが、尻餅をついた腰がジンジンと痛み、これが夢では無く現実だと伝えてくる。

 とにかく誰かにこの状況を言わなきゃと思った。痛む腰をさすりながら立ち上がると、車内アナウンスが流れ出した。降雪の影響で電車が線路上で脱輪を起こしてしまい、急停止した。しばらくはこのまま停車するとの事だった。

 そうだ、車掌さんがいる。車掌さんにこの事を伝えよう。

 そう思い立ち、私が先頭車両側へと向いたその時、バタンと後ろで音が鳴った。

 振り返るとそこには後方の車両から来たのか、1人の女性が私と死体の居る車両と後方車両を隔てている車両間のドアを開け始めていた。

 マズイ!!どうしよう!?

 この状況をどうやって説明すべきだろうか?

 そもそも私がやってないと信じてもらえるだろうか?

 溢れる思考で頭がパニックになり、私は慌てふためくも女性は一向に気にする様子もなく、ゆっくりと私がいる車両側へとやって来た。

 目と目が合う。女性の凛とした視線が真っ直ぐに私を捕らえている。

 言え!!言うんだ!!

 そう頭の中ではそう思っていても、言葉が喉の奥でつっかえて中々出て来ない。まるで言葉の出し方を忘れてしまったかの様に、私は口をパクパクさせるしかなかった。

 このままでは誰がどう見たって拳銃という凶器を所持した私が一番怪しくて犯人として疑われる、その時だった。女性の小さな口がゆっくりと動き

「……そこに誰かいらっしゃるのですか?」と言った。

 もしかしてと思って私は女性の全身像を改めてしっかりと見た。

 私より少し背の低い彼女は長めの黒髪で、淡い水色を基調としたロングコートに身を包み、小さめのポーチバックと共に白色の杖を手に持っていた。

 白杖ってことはこの人、目が見えていないんだ……。

 そう認識するのには少し時間がかかった。

 そして私は更に困った。だって私は今みたいに話せない人なのだ。しばらく前から喋れない病気に罹り、言葉を発せられないのだ。だから大抵の人とは筆談を行なっている。

 では彼女とはどうやってコミュニケーションを取ればいい?

 彼女は目が見えない。そして私は喋れない。

 死体のある列車で私達2人、固まってしまっていた。

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