時子さん 第14話




 気づくと、俺は見覚えのない道ばたに座り込んで、何らかの店舗のシャッターに背中を預けるようにして蹲っていた。


「……あ?」


 意識を取り戻したかのようにハッと目覚めると、周囲に視線を彷徨わせる。


 俺がどこにいるのか知ろうとするも、やはりここは知らない場所であった。


 歩道橋がかかっているほどの大通りにある十字路の一角なのであろうが、見覚えが全くない。


 どこをどう歩いてここまで来たのか、さっぱり記憶がなく、酔いが回りすぎて前後不覚に陥ってしまっていたのかと思ってしまったほどだ。


 しかし、アルコールの残香は身体には全然ない。


 それどころか頭がすっきりとしていて、今日何をしていたのかさえ記憶がおぼろげだ。


「なんで俺はこんなところにいるんだ?」


 今日は、居酒屋でメンバー達と打ち合わせだったはずだ。


 それなのに、俺はどうしてこんな場所に佇んでいるのだろう?


 そこからいつ俺はここまで移動してきたのだろう?


「おおい!! 誠!!」


 唐突に名前を大声で呼ばれて、周りを確認して俺は狼狽えた。


 桜田伊央の声はすれど、その姿が視界の範囲内には桜田の姿が見つけることができなかったからだ。


「おい!! こっちだよ、こっち!!」


 声は上から降り注いでいるように聞こえた。


 顔を上げると、大通りにかかっている歩道橋の上に桜田がいて、俺の事をにやにやしながら見下ろしているのが見えた。


 そんな桜田の下卑た笑顔を見て、肩の力がすっと抜けたのを感じた。


「……おう」


 桜田には聞こえないであろう小声を絞り出しながら、右手を挙げて、聞こえていますよとアピールした。


 すると、桜田はにやりと俗物的に微笑んだ後、右手を挙げて、これが返事だとばかりに返してくる。


「待ってろ! そっちに行くからよ!!」


 桜田がそう叫んでから早足で歩道橋を降りてきて、俺の所まで駆け寄ってきた。


「はぁ……はぁ……。探したぞ。奇声を上げて居酒屋を出て行ったからな。みんな心配していたんだぜ」


 肩で息をする桜田。


 その様子から察するに、どうやら本当に俺の事を探していたようだ。


 奇声を上げて出ていった?


 俺がか?


「……すまん」


 俺は一応謝っておいた。


 居酒屋での記憶を掘り起こそうと試みるも、脳に何かフィルターがかかっていて、居酒屋にいってから今までどうしていたのか思い出せないでいる。


「時子さんの都市伝説だったか? あれの演出か何かか? そうだとしたら、良い演出家になれるな」


「……時子さん あ、ああ……」


 その名前を聞いて、俺の脳にかかっていたフィルターが引きはがされたかのように消失していく。


 そうだ。


 そうだった。


 三宮彩音、そして、春日部保奈美。


 そして……あの白装束の女。


「ふふっ……」


 思い出してはいけない記憶を強引に掘り起こすかのように、どこからともなく女の嬌声とも思える笑い声が耳に届いた。


 空耳かと思ったものの、鼓膜に残り続けているかのようにその笑い声が耳の中で何度も何度も反響し続ける。


 耳を押さえて聞こえなくしようと考えるも無駄だと悟った。


 耳の中で囁かれているようだったからだ。


「どうした?」


 俺の態度があからさまにおかしいからか、桜田が心配そうな表情をして、俺の顔をのぞき込むようにして見つめてきた。


「い、いや……」


 桜田の視線から逃げるように目を反らすように歩道橋を流し見る。


 歩道橋から空へと向かわせる。


 瞬間、視界に何か違和感が会ったような気がしたので、歩道橋へと戻すと、そこにはさきほどまでいなかったはずの白装束の人影があった。


 顔の辺りに黒い霧のような物がかかっていて、自分達を見ているのか、それとも、自分達に背中を向けているのかさえ明瞭ではなかった。


 俺はその白装束の何者かの正体を知ろうと目を懲らした。


「何か見えるのか?」


 桜田の不審そうな言葉が耳元でしたと思った時、歩道橋の真下辺りで何やら赤い光が明滅した。


 パッと赤く光った数瞬後には、盛大な火花が爆発音と共に立ち上り、歩道橋は煙に包まれて、もう見る事が困難になり出していた。


 衝撃波のような風を顔に受けた。


 実際にはそのようなものは発生してはいなかったかもしれないが、風が俺の傍を横切った。


 そして、俺はその光に目を奪われた。


 光の発生源はトラックと軽自動車が正面衝突による炎上だった。


「……事故か」


 俺は炎に魅入られていた。


 そのままずっと眺めていたかった。


 黒煙が上がり、煙の臭いが俺の嗅覚を刺激して止まない。


 その刺激の中に何やら鉄分のような、粘膜にこびりつくような、ざらつくような臭いが混じっていた。


 それがあまりにも不愉快だったので、俺は同意を求めようと傍にいる桜田に苦笑を向けようとする。


「……桜田?」


 そこには、桜田の顔がなかった。


「……おい、桜田?」


 桜田の身体はそこにはあった。


 だが、顔がない。


 いや、顔ではなく桜田の頭がない。


 首の一部はあるも、断面がくっきりとしていて、血が心臓の動きにでも合わせたかのように首の断面から噴き出してきている。


「おい、桜田。頭はどうした?」


 返事はなかったものの、桜田の身体が支えを失ったかのようにぐにゃりと曲がったかのように後ろに倒れていった。


 桜田の身体の先に、桜田の頭らしきものが転がっていた。


 さらにその先に車の鉄板が地面に突き刺さっているのが見える。


「……桜田?」


 俺は転がっている頭に応対を求めた。


 車の正面衝突という非現実を目の当たりにしたせいか、俺は現実を見てはいなかった。


 桜田の頭がない事も非現実として受け止め、それを現実とは思えなかった。


 首から上がなくなっている桜田がリアルだと悟った俺は電源が切れたように意識を失った。




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