時子さん 第9話



 その場に俺は立ち尽くしていた。


 どれほどの時間が経ったのかははっきりとは分からなかった。


 ほんの数秒であったのかもしれないし、数分であったかもしれない。


 だが、俺には時間がしばらく停止してしまったかのように目の前が真っ暗になって何も感じる事ができなくなっていた。


「ど、ど……どんな感じなんだ? みっ……見せてくれよ」


 目の前に広がっていた暗闇がようやく晴れて視界が切り開かれてきたので、俺は勇気を振り絞り、桜田伊央にそう言っていた。


 その言葉を絞り出そうとする瞬間、動悸が激しくなり、上手く言葉を出せないのではないかと思えたが、そうではなかったのが救いだった。


「すげえよな、これ! これ、どうやっているんだ? SNSの不具合か何かに可を利用しているのか?」


 桜田はスマートフォンを手に取り、その画面を見せつける。


 それは大勢の人が利用している、日々のよしなしごとを140字以内で呟く有名なSNSであった。


 桜田本人をフォローしているアカウントが表示されているもので、そこに『時子さん』というアカウントがフォロワーしているのが一番上に表示されていた。


「ッ?!」


 俺はそのアカウントを見て、思わず息を飲み込んだ。


 自己紹介の欄が黒く塗りつぶされていて、自己紹介文で何が書いてあるのか読み取る事ができないのだ。


 それだけならまだしも、プロフィール画像が見ているだけで吸い込まれそうになるほどの深淵の闇であった。


 背景が黒いのではなく、この世にあってはならない闇がそこにあるかのようであった。


 黒と言うべきか、闇と言うべきか、そんな表示欄の中で赤い文字で書かれた『時子さん』というアカウント名が浮き上がれるようにして存在していた。


 見ているだけで魂そのものが吸い込まれそうな、そんな雰囲気が画面に表示されている闇にはあった。


「どうやったんだ、これ? 設定をいじってもこうはならないんだけどよ」


「もう仕掛けているなんて聞いてないけど、これは凄いわよね」


「手が込んでいるよな、これは」


「俺にはできないな」


 そんな声が聞こえてくる。


 だが、俺はそれどころではなかった。


 俺はまだ何一つ工作をしてはいない。


 時子さんなんていうアカウントをまだ作成してはいない。


 桜田をフォローなんてしてはいない。


 それに、あんなアカウント作成の仕方を俺は知りもしないのだ。


「ほ、本格的だろ?」


 俺は引きつった笑いを浮かべている事だろう。


 それを見られたくなくて、咄嗟に皆に背中を向けて、


「……トイレだ」


 俺は逃げるようにしてその場を離れて、男子トイレに駆け込んだ。


 鍵をかけたのを確認してからスマホを取り出して、検索にアクセスする。


 もちろん、検索するのは『三宮彩音』という名前だ。



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