第17話 石田と真樹
「待て、待ってくれ」
秋月塔が、薄くなりつつある髪を掻き分ける。その下の顔には、単に年齢のみで刻まれたわけではない、苦悶による皺が寄っている。
「誰なんだ、その景という子は」
「だから、おれが五年前に探していた子どもです」
石田鉄は正直に答える。いまさら、隠すことではない。というより、真樹に真実を話すためには、保護者である秋月に事情を明かしていたほうがやりやすい。
「依頼者は、鈴木蘭子……、真樹くんが母親と呼ぶ女性です」
そう告げれば、かつて幼い真樹の様子から、僅かな事情を汲み取っただけの秋月にも、ある程度の状況は汲み取れたのだろう。
つまりは、鈴木蘭子、真樹が蘭と呼ぶ女性にとっての優先順位は、真樹よりも、景という名の娘のほうが高かったということ。
そして五年前に蘭が真樹の前から失踪したのは、景のもとへ行くためだったということ。
「おおよその事情はわかった」
呼吸を落ち着けるだけの間を置いてから、秋月塔は言った。言うとおりに声は落ち着いていて、しかし表情は平静なそれではなかった。動揺しているというよりは、怒りに燃えているように見えた。
「鈴木蘭子という女性が、継母に奪われた娘さんを取り戻すために、きみに依頼をした。きみはその子を見つけた。それを彼女に伝えた。彼女は娘さんに会いに行った。それは、わかる。理解できるよ。
だがなぜそこに真樹が関わらなければならん」
「真樹くんが最初にいた施設の人間の話では、真樹くんが蘭子さんに引き取られたのは四歳くらいの頃ということでした。彼女が景さんを奪われてから、一年程が経った頃です。
おれは、実際に彼に会うまで、真樹くんの存在を知りませんでした。というのは、彼女が何も言わなかったからです。この職業は依頼主から嘘を吐かれる場合があるため、依頼を受けるかどうかを依頼主を調べたうえで検討する場合があります。しかし彼女の場合は支払いの意思があり、また事情が事情だったため、信用していました。それで、真樹くんのことは五年前まで、ついぞ知らないままでした。」
語りながら、石田は己の言葉がすべて言い訳にしか過ぎないことを自覚していた。おれは知らなかったのです。だから仕方がないのです、と。
秋月は無言で首肯し、先を急かせた。
「だから、なぜ彼女が真樹くんを育てようとしていたのかは知りません。でも理由を想像するならば、ひとつは単に寂しかったからでしょう」
「そんな理由で子どもを引き取るか。育てられるか」
「夫を亡くしてすぐに娘を奪われたわけですから、まぁ、喪失感があったんじゃないでしょうか」
「それなら、それで、引き取った真樹をそのまま育てれば良かったんだ。そうしてやれば良かった。なのになぜ、奪われた子を取り返そうとしていたんだ。最初から真樹のことを引き取らなければいいだろう」
「もうひとつ推測するなら、彼がいることが便利だったからではないかと思います」
「便利?」
「このご時勢、子どもを探すというのは容易ではありません。というのも、個人情報が厳重になったからです。特に子どものものは、十数年前までなら、たとえば学校の連絡網だとか、学生名簿だとか、そういうものが外部の人間にも簡単に手に入りましたが、最近はそうもいきません。
蘭さんは、おれの勤めている探偵社に訪ねてくる以前から、自分の足で子どもの行方を探っている、と言っていました」
「だから、何度も引越しをしていたと?」
「そうでしょう。彼女は子どもの立ち寄りそうな場所、たとえば学校だとか、小児科のある病院だとかを、自分の足で探して調べました。時には真樹くんを利用して」
秋月は大きく溜め息を吐いた。
「なんてことだ。真樹は、自分が利用されていただなんてことは知らないのに………」
果たして、本当にそうだろうか?
神野清花と出会い、彼女と話をしたとき、石田は直感的に思った。真樹は蘭に似ている、と。
似ているというのは見た目だとか性格の話ではない。関係性だ。景と蘭と真樹の関係は、蘭と真樹と清花のそれに似ていた。誰もが一方向だけを見ていて、相手のほうを見ていない。自分を好いてくれている人間のことを利用している。
真樹とて、そうなのだ。蘭と同じなのだ。彼は知らず知らずのうちに、蘭と同じ軌跡を歩んできたからだ。ひとりの人間を探そうとした。人手を割くために探偵を雇おうとした。己も行動をした。その人物が所属しそうなコミュニティに分け入っていった。好いてくれている便利な存在を利用した。
だから、彼も気付いているのかもしれない。蘭が己を利用していたに過ぎないことに。
(あの子は、なぜ彼女に会いたいのだろう)
親だった。だから当たり前だ。
石田にはそんなふうには思えない。
今日、真樹が部活で行っている病院には、未だ景がいる。景の病状が重く、それが理由で、結局継母ほとんど捨てられるようにして病院に預けられたことを、彼女の居場所を探り当てた探偵である石田は知っている。彼女の病は、そう簡単に治るものではない。入院を続けているはずで、ならば蘭もそこに居るに違いないのだ。
真樹は景に出会うだろう。もう話でもしたかもしれない。それだけでは彼女の正体に気付かないかもしれないが、蘭に会えば何もかもを知ることになるだろう。
出会って、真樹はいったいどうするつもりなのだろう。石田はそれがわからず、だから真樹を蘭に会わせたくなかったのだ。
今や、もう遅い。投げられた槍は、突き刺さるまで止まらない。
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