第13話 真樹と清花

 かんかんと喚きながら遮断機が線路への歩みを止めた。この先は危険だ、行くべきではない、と言いたいのだ。なるほど遮断機をというものは目の前の線路というものをよくわかっているのだろう。棒を一跨ぎに越えて佇めば、電車に撥ねられることは間違いないのだ。

 しかし撥ねられるより先に早く遮断機の向こう側に辿り着けるのかもしれず、少なくともこうして電車が通り過ぎるのを待っている状況ならば、向こう側まで駆けるのには何の問題も無いように見える。

 そうは思いながらも真樹が遮断機をくぐらなかったのは、隣に神野清花がいるからだ。


 いつもは殆ど彼女がひとりで喋っているくらいなのに、今日は珍しいくらい神野清花は静かだった。

 言葉の代わりにと、ちらちら視線を向けてくるからには、何か言い難いことがあるのだろうな、と真樹は想像した。さて、なんだろう。真樹は今日、彼女に起こった出来事について想像しようとした。

 今日、真樹は午前中に喫茶店でのアルバイトを終えたあと、蘭の捜索を始めた。といっても今回の場合は直接、己の足を使って捜し回ったわけではない。既に休日の午後を使って行けるような範囲は、既に捜してしまったのだ。


 では何処へ行ったのかといえば、真樹が向かったのは探偵社であった。アルバイトをして貯めた金が一定量になったので、それで人を雇い、蘭を捜索することにしたのだ。近場や部活で行ける範囲は限られており、学生である以上は長時間ひとところから離れられないので、人を雇うことは以前から検討をしていたのだが、実際に依頼するとなると苦労した。仕方が無いことだ。真樹は学生だ。信頼も無いし、金銭的な信用も無い。人の捜索となると最終的な費用が幾ら掛かるかわからないのだから、そこを信用させるのが大変だった。纏まった金が必要だった。養父母の手は頼りたくは無く、おかげで時間がかかった。

 電車が通り過ぎ、ようやく五月蝿い警戒音が止むとともに遮断機の通せんぼが収まった。線路を渡ると運動公園を囲う道路が左右に伸びる。運動公園の外周の塀は白のカンバスになっており、近隣の小学生や有志の市民による絵が描かれている。

 市が提供した場所だけあり、治安の悪い町の陸橋下の落書きとは違って歩くたびに新たな絵が見えるが描かれているのは花だの動物だの漫画のキャラクターだのと平和的だ。真樹は描いたことが無いが、清花は参加したことがあるらしい。一体何を描いたのだろう。


(訊いてみようか)

 何度か考えた。何でもよいから、話題を作るべきなのではないか、と。

 だが言葉が出てこなかった。

「ただいま」

 清花の裡を探ることができないまま彼女の家まで送り届け、帰宅すれば、養父母のふたりが出迎えてくれた。

 ふたりは真樹が蘭を探していることは知らない。アルバイトをしているのは、単に自由になる金が欲しいからだと思っているだろうし、今日の午後は清花とデートでもしてきたとでも思っているのだろう。

 そういう意味で、清花は真樹にとっては便利な存在であった。塔も佐織も清花のことは気に入っており、であれば清花との仲も公認だった。何でも、清花を言い訳に使えば良かった。


『真樹くん、電話してくるの、珍しいね』

 己の部屋に戻ってから清花に電話をかけてみれば、返ってきたのはそんな言葉だった。少し声が上擦っていた。言われてみればその通りで、何か用が無い限りは真樹から電話をすることはなかった。清花のほうから電話をしてくることは珍しくないので、何か喋りたいことがあればそこで事足りる。こちらから打診したい用件があったとしても、たいてい学校やバイトの行き帰りは一緒なので道中で用足りる。結果としてはやはり真樹から電話をすることはなかった。


「今日、何かあったのかと思って」

 真樹と比べるまでもなく、人当たりが良く、仕事の呑み込みも早いのが清花である。だから同じ期間だけアルバイトをしていても、清花が何か失敗するなどということは稀であった。だが稀なればこそ、その機会に落ち込んでいるのではなかろうかと、つまりは仕事で何か失敗があったのだろうと、真樹はそう当たりをつけた。

『帰るときに訊いてくれれば良かったのに』

 清花の返答は反抗的ですらあった。真樹が悪い、とでも言いたげで、しかし彼女の反応としては珍しいものではなかった。清花は真樹に対して従順ではあったが、会話のうえではいつも上位に立ちたがっていた。

「考え事をしていたから」

『なんの?』

「午後に、探偵のところに行っていたから、それが上手くいくかな、とか」


 しばらくの間、沈黙があった。一分か、二分か。いや、そんなに長いはずがない。十秒、いや、二秒三秒といった僅かな間だったかもしれない。しかし確かに沈黙の間があった。

『蘭さんを探す依頼をしたんだね』

 ようやく返ってきた返答は、確かめるような一言であった。

「お金が貯まってきたから」

『おじさんたちには、相談したの?』

 真樹は返答に詰まった。相談はしていない。できるはずがない。言えるはずがない。未だ、以前の親を探し続けているなどとは。


 塔や佐織のことを、お父さん、お母さん、と呼んだほうが良いのかと考えたことがあって、塔に実践してみたことがある。すると、「さん付けはやめろ」と言われた。最初、何を言っているのか理解できなかったが、冗談で誤魔化されたのだと遅れて気付いた。

 真樹が蘭を探し続けていることを、ふたりが知っているのかどうかは知らない。

 だがふたりは、真樹が蘭への想いを持ち続けることを認めてくれてる。

『真樹くん、まだ蘭さんに会いたいの?』

「会いたいよ」

『もし塔さんや佐織さんや……わたしに会えなくなっても?』

「会いたいよ」真樹は言った。「蘭に、会いたい」

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