第二投 記録なし

第8話 清花と人魚

 海が紫から緑のグラデーションとなって、帯状に並んでいた。砂浜に手を触れればざらざらとした質感があり、砂粒が手指に突き刺さる。周りを取り囲む町の装飾は簡素で、四角い土台に屋根を模した薄板が乗っているだけだが、遠目から見れば古風な港町に見えることだろう。

 砂浜から一本だけ道が伸びていて、そこから長い階段が続く。登頂すれば朱色の鳥居があって、その先には神社がある。といっても、その社はほかの家々と同じく、直方体の土台に屋根が乗っているだけだ。違いといえば手前に置かれた賽銭箱くらいのもの。それにしたって、細かな装飾があるわけでもない。

 それでも、いちおうの港町は再現できているだろうと思った。思いたかった。砂浜と港町、階段と神社。それらは上から見下ろせば、小さな港町はミニチュアだった。最小限の規模で作られたその港町は、旅行用のトランクの中に作られているのだ。

 この町を作った人物は、いまはミニチュアから離れた窓際の椅子に座っていた。


「やっぱり、合わないかな」

 と、彼が言葉を発する。一度顔を上げてこちらを見て、すぐに俯く。恥ずかしがっているというわけではなかろう。作業中なのだ。黒い瞳の先には、人魚の姿がある。

「綺麗じゃない? 運んでいる間に壊れないかだけが心配だけど」

「そうじゃなくて……お話がさ」

 と、彼は短く答えた。

 どういう意味かと視線で問いかければ、「なんとなく、相応しくないような気がして」という説明が返ってきた。「だって、なんか悲しい話じゃない?」

 早ければ雪がちらつくこともある十一月。県立長須高校のボランティア部の部室。一年生の神野清花と秋月あきづき真樹の会話だった。


 長須高校には基本的に、廃部という概念が無い。一度発足した部活動は、部員がいなくなれば勿論活動が行われなくなるが、部活動そのものは存続し続ける。

 もちろん教室の数は有限であるため、新しい部活動が発足されて教室が足りなくなるとなれば部室は明け渡されるわけだが、部員がいなくなったばかりならば、部室や備品は残されたままになる。また部員が加入すれば、いつでも再開できるように。

 ボランティア部は、そうした一度は部員がいなくなった部のひとつだった。脊髄のように南北に伸びる校舎の最北端から西側に突き出た棟は、周囲には天文部や地学部といったマイナーな部活動しかなく、授業で使われる教室も無いため、人が殆ど入らないような場所だ。おかげで、ほかの部員がいなかったニ年間の間、新たな部活動に部屋を奪われないで済んだのだ。

 一年前にボランティア部を再会させた部長に言わせれば、「自分の城が欲しかったから」ということだが、浮ついた動機に反して活動はあくまで真面目で、毎月一、二度各地の病院や孤児院、教会などに行ってボランティア活動を行っている。いま清花と真樹が作っていたミニチュアもそのための小道具で、今月末に訪れる病院の小児科病棟で人形劇を行うためのものなのだ。


「人形劇で人魚ものっていうのは、韻を踏んでて良いんじゃない? 院内だけに」

「子どもは韻とか気にしないと思う」

「子どもって駄洒落とか好きじゃん」

「清花ちゃんほどじゃない」

 と言いながら、真樹は手元の作業に戻る。人形劇で使う人形を縫っているのだ。人形劇の元となっているのは、大正から昭和初期にかけて活躍した童話作家の作品だった。親切な老夫婦に拾われた人魚だったが、いつしか欲に駆られるようになった夫妻に使い捨てられてしまう、というような話である。人魚は、主役だ。子どもに見せる人形劇のための人形であるからには、藍色の髪の人魚はデフォルメされた可愛らしい形で繕われており、人形というよりはむしろ縫いぐるみだ。


 次の人形劇で行う題目について、この人魚の話を提案したのは真樹である。というのは、真樹が積極的だったというわけではなく、題目の決定はボランティア部の部員三人で毎回ローテーションさせており、今回の決定権を持つのが真樹だったというだけなのだ。自分が決めてしまったことだけに、これで良かったのかと心配になっているのだろう。

「良いことをした人には良いことがあって、悪いことした人には天罰があって、っていうのは、子どもに聞かせる勧善懲悪ものとしてはリーズナブルじゃない?」

 と清花は言ってやる。

「まぁ、そうだけど……あんまり光明というか、救いが無い話だし」

「救いって無いと駄目なの?」

「そういうものじゃない?」

「相手は幼稚園児ばかりってわけじゃないでしょ? 小学生だったら、ある程度捻くれた話も好きだろうし、多少明るくなくても許してくれるんじゃないかな。暗い話というよりは、悲しい話だし」清花は握り拳を作る。「あんまりうじうじ言ってると、この辺のやつ全部ぶっ壊すよ」

「いや……まぁ、ごめん」

 真樹はまた裁縫に戻り、黙った。


 清花は座って作業をしている彼の背後につつと近寄る。中学の後半から彼は随分と背が伸びた一方、清花の上背はろくろく成長してくれなかったので、彼と並ぶといつも見下ろされてばかりだった。こうして旋毛が見える位置関係というのは、なかなかに嬉しく、楽しい。

 出会ってから五年。真樹はだいぶん変わった。

 まず上背が伸びた。昔は清花より小さくて可愛らしかったのに、随分と逞しくなったように見えるのは、部活動で力仕事をすることもあるからだろう。声が低くなって、指が長くなった。苗字が変わった。

(あと、かっこよくなった)

 うん、かっこよくなったな、とひとり頷きながら、真樹を眺める。

 だが本質的なところは何も変わっていないように見える。


 たとえばそれは、彼がボランティア部などという部活に入ったことからも伺える。現部長がその部活を再開させたのは自分の部活が欲しかったからであり、清花が入部したのは真樹がいたからだが、真樹は確固とした入部の目的を持っていた。

「蘭を探すのに便利だから」

 問われれば、こう答えるだろう。彼の中には、未だ蘭という、母親だった女性の姿しかない。

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