fragment:15 とある楽園について

 楽園という言葉がある。

 エリュシオンとか、パラダイスとか、その他もろもろ呼び名はあるにしろ、大体意味するところは同じだ。

 苦痛のない世界、死後に報われる世界、喜びに満ち溢れ平安で穏やかな世界。多分そのようなところだと思う。

 その点、この場所は楽園と呼べるのかもしれない。もしかしたら。

 ここにやってきたモノたちは、おそらく未来永劫安らかに暮らせるはずだ。この奇妙な博物館ヴンダーカンマーがそっぽを向かない限りは。

 各展示室のあいだはスムーズに行き来ができるようになっている。ただし、それはあくまで構造上の話だ。段差がないとか、余計な扉がないとかそういう意味だ。場所によっては、その演出の異なるためにまったく別の空間に入ってしまったのではないかと誤解することがある。先ほどまでは格調高い、いわゆるホワイトボックスと呼ばれるような典型的な展示室だったのが、一転してほとんどお化け屋敷みたいな薄暗い部屋に放り込まれる。ここで立ちすくむ来館者も大勢見た。そのたびに、怖くないから入ってみてくださいと背中を押してきた。

 やってくるからにはそれなりに体験をしてもらわないといけない、というのが私の上司、二人の一等博物士たちの主張だ。ただモノさえあれば良いというのではない。モノを内包した空間、ヴンダーカンマーというひとつの、彼らの言葉を借りれば「生命体」にこそ価値がある。

 というわけで、来館者たちはいわば、ヴンダーカンマーの肺臓から胃袋へ移動するような奇想天外な体験をここへやってくるたびに毎回味わう。出ていくときの彼らの顔色は様々だ。船酔いでもしたみたいに真っ青げっそり、という人もいれば、明らかに肌つやの良くなった顔にいっぱいの笑みを浮かべて足音も高く帰っていく人もいる。

 私はここを住処とし日々過ごしている、言ってみれば内臓の隅っこに宿を借りている身だ。四六時中ここにいると、やはりなんとなく「機嫌」のようなものを感じることがある。今日は気分が良さそうだなとか、なんだかいらついているようだとか、雰囲気のようなものでしかないけれど、それでも毎日ヴンダーカンマーのコンディションは違う。毎日黙ってヒトとモノを受け入れ続けている従順な箱ではなく、何かしらの意志をもって生きている存在のように感じる。

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