元少年

佐野心眼

元少年

 ある夫婦が夕飯を食べていると、テレビで7時のニュースが始まった。


“13年前に東京都内某所でAさんを殺害したとして、元少年B30歳が逮捕されました。”


 妻は目を丸くして夫に言った。

「ねえ、ちょっとあんた、今の聞いた?」

 口をもごもごさせながら夫は応じた。

「殺人犯が捕まったんだろ?良かったじゃないか。」

 妻は茶碗と箸をテーブルに置いた。

「そうじゃないわよ。30歳のいい大人が、何で『元少年』なのよ。」

 夫は箸と口を止めて、ななめ上を見上げて考え込んだ。

「…う〜ん、だって、間違ってないだろ。」

「大人に向かって一々『元少年』って言う?お隣の鈴木さんのご主人に道端でばったり会ったら、『あら、こんにちは、お隣の元少年の鈴木さん』って言う?」

「…言わないなあ。」

「でしょ〜⁈お向かいの佐藤さんに会ったら、あたしを指しながら『元カノです』ってあんた言うの?」

「言わないよ。」

「でしょでしょ⁉︎『うちの妻です』って言うでしょ!何で『元』を付けるのかしら?」

「何でって、…そりゃ、あれだろ。犯行の時点で少年だったけれども、捕まった時点では少年じゃなくなった。そういうことじゃないのか?」

「そうかしら?そうだとしたらよ、犯行のときは中年で捕まったとき老人だったら、『元中年』になるわよ。」

 とうとう夫も、茶碗と箸をテーブルに置いた。

「言われてみりゃ、そうだよなぁ。目の前にあるこの鮭の塩焼、『元鮭』って言わないよなぁ。」

「馬鹿ねえ、あんた。これは『元鮭』じゃなくて『元イクラ』よ!」

「ああ、そうか!鮭は元々イクラだもんなぁ。…ってことは、『元』が付くと元々は何かだったけど、今は違うってことだな。」

「あんた頭いいわねえ、さすがだわ。きっとそうよ。『元』が付くと、今は違うのよ。『元プロ野球選手』は、今はプロ野球選手じゃないもの。元々プロ野球選手だものねぇ。大体監督とかコーチとかになってるものねぇ。じゃあ、横浜にある『元町』って、今は何なのかしら?」

「…えっ⁈」

「だから、元々町だったから『元町』っていうんでしょ?今は何?」

「元々町だったけど、…今も町。」

「おかしいじゃない。元々町で今も町なら、何も変わってないじゃない。以前と今が違うから『元』が付くんでしょ?」

「例外もあるんじゃないのか?それより早く食べようよ。せっかくの料理が冷めちまう。」

「納得できないわよ。悩みが深くて食事も喉を通らないわ。ねえ、あんた、何とかしてよ。何とかしないと『元妻』になるわよ。」

「分かった分かった、そう脅かすなよ、今考えるから。………う〜ん、これはあれだな、そこは元々『元々町』っていう地名だったのが、時代が下って縮まって『元町』に変わったんだな。」

「さすがねえ、あんた!きっとそうよ。『元々町』は長いから『元町』にして、『元々少年』じゃ長いから『元少年』にしたのよ。は〜、すっきりした。これでご飯もおいしく食べられるわ。」

 夫はほっとした表情で、妻は清々しい表情で茶碗と箸を手に取り、また食べ始めた。

 しばらくすると、また妻の顔が曇ってきた。やがて、妻は茶碗と箸をテーブルに置いた。

「ねえ、あんた。あたしが未成年の頃のことで捕まったら、何て言われるのかしら?」

「ん?『元少年』かな?」

「だってあたし女よ。女は少女じゃないの?」

「じゃあ『元少女』じゃないか?」

「ねえ、あんた。あたしが『元少女』なら、あんたは何?」

「俺か?俺は『元少年』だよ。」

「ねえ、あんた。いい大人のあんたが『元少年』っておかしくない?」

 夫はうんざりして応えた。

「元も子もない…」

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元少年 佐野心眼 @shingan-sano

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