第三十話 戦ったその先に


 ドラムスのソロ演奏がスピーカーを介し会場内に降り注ぐ。

 はじめに叩いた音は覚えていない。

 愛花はひたすらに無我夢中で、鼓面を叩き続けていた。



 愛花の意識は徐々にはっきりし始める―――。

 リズムを刻んで。

 決められた構成、曲の冒頭を形成する。

 それがドラムから始まるロックナンバーだということに気付く、YAM7やむななの面々。



 愛花は、真弓と初めて出会ったあの日を回想する―――。

 二人で話していた、あの時。




 ―――――――




 真弓は鋭い目つきを、その日は柔和にくずして笑んでいた。


「あんたはいいよな」


 友達がいて―――夢呼と、仲がいいんだな。

 理解してくれる、そんな人がいるんだな。

 笑いながらそう言う彼女―――笑っているようでもあったし、悲しげ、寂しげでもあった。



 膝を抱えて座っている真弓は。

 長身ゆえの人目を引く要素が、その時は失われていた。

 日暮れで薄暗いショッピングセンターの外灯の光が当たっていて、身体中擦り傷だらけだったことが見て取れた―――昔のことだけれど、それははっきり覚えている。

 自分にはないものを持っている、と真弓が呟く。



「仲がいい?う~ん、ビミョー。夢呼は面白いものを、持ってくる人、呼んでくる人だよ。

 あと、そんなことするのか、マジかよこの女……ってなって、ドン引きすることもある」



 …………。



 真弓は無表情で聞いている、聞いてくれている。

 私は、なんだか陰口みたいなことを言ってしまった。

 ……少し、後悔?



 いや、でも伝えたいことはそれだけじゃなくて。

 私はでも、夢呼のことを。

 それだけの人間だとは―――思っていない。

 伝えたいことがあるんだ、たくさん。

 それでさ、



「それで……それでね? うわぁ、そういう事するんだあ……めちゃくちゃな人だな~って、なって、頭がおかしい人で……って思った後に」


 ―――思った後に……?



 その時だった、夢呼が走ってきて話が中断になった。

 本当に間が悪いというか、滅茶苦茶をしてくれるよ、夢呼。

 ……いい話をしようとしていたんだよ?

 中途半端になっちゃったけどね、真弓に、言いたいことは伝えたいことはまだあったんだよ。



 夢呼のこと。

 自慢したいんだ。

 そこまでやるんだ、こんな滅茶苦茶をやる人がいるんだ、近くに、隣に……って思うと、なんだかね……湧いてくるものがある。

 チカラが、湧いてくる。

 エネルギーが湧いてくる。




 ――――――――




 歯を食いしばり、元から大きな目をくわっと見開き、声を張り上げるドラムス。


「―――夢呼ぉおお!」


 呼ばれたボーカルはごくりと白い首を鳴らして、見つめる。

 声を張り上げた愛花を。

 だが、ドラムの音が会場中に響いているので、ひどく聞き取りづらい。

 観客の暴動者も、天井を見上げながら唸り声を返している。



「夢呼おおおおお! マイク 取って!」



 大きな声で喚いているらしい―――体の動き、声の振り絞り方は必死で、懸命だ。

 愛花が指示を出した。

 マイク……?

 マイク。

 夢呼は呆然としながらも、照明を受けて光っているそれに目を向ける。

 もうマイクの周りに―――転がって寂しそうにしているマイクの周りには誰もいない、障害がないことに気付く。

 立ち上がる。



 それまで執拗に服を掴んでいた七海の腕が滑り落ちた。

 そのベーシストにもわかる、知っている曲だ。



 これはYAM7やむななの―――曲だ。

 あたしたちの、曲だ。

 夢呼にはわかった。

 この入りの後イントロのあと、歌い出す者が必要だということを。




 ――――



「―――しッ!」


 真弓は再び、戦う。

 右の蹴りを元警官の脇腹に入れた。

 元警官は蹴られてから気づいたようだ―――やはりもう何も聞こえていない。



 愛花のソロの音だけが脳内にガンガン喚いているはずだ。

 楽器の中でも特に喧しいからな、ドラムは。

 うるさいから倉庫でしかやらないんだ、と電子ドラムに乗り換える前のあいつは言っていたな。




 反対、左の回し蹴りが側頭部に入った。

 直撃と同時に鈍い痛み。

 今のは軽すぎる。

 床から跳ねる勢いがまるで無しだ―――これではビンタでもした方が、まだマシか、威力があるだろう。

 あの変色した肌に指で触れるのは御免被りたいがねぇ。



 元警官はそれでも、攻撃を受けて足の踏み場を忘れたのか、ふらついて観客側に二、三歩後退―――向かう。

 やれる、暴動者になると、目がほとんど見えないという仮説は、ほぼ間違いないだろう。

 時間が経ったら―――症状が進行するとより濃くなる。

 敵は今―――私を完全に見失っている。

 だが。



「―――はあっ はあっ」



 だが、蹴った私の方が痛い。

 それでも―――今だ。

 もう一度やるんだ、今もう一度!一押しすれば何とかなるはずだ。

 今やるんだ。

 やらないともう、誰も。



 蹴った瞬間は良かった。

 しかし、まだだ―――右の足首が痺れて次の動きを阻害する。

 電流が流れたり治まったり、そんな痛みが続く。

 格好悪く息が上がり、少しも力が入らない。

 目の前の敵は―――なんとか対処できるはずだ。

 いまも私のことが見えていない様子だ。



 本当に、何やってんだろう私は。

 昔から。

 稽古に振り回され、その後は音楽に振り回され。

 親父と夢呼に振り回されて終わったような十代だった。

 振り回されていると―――感じて。

 そうはなるまいと意志では歯向かい続けた日々。

 今日は今日で、これか。



 いつの間にか背景は消えていた。

 何も聞こえず。

 駆けだせばすぐに蹴れる距離に、敵は見えているのに。



 ―――十分にやったよ。 戦って、意味があるの?



「私が……戦うしか……!」



 ―――繰り返すの?



 幸い、敵は、元警官は素早く襲い掛かっては来れないようだ。

 足の回復を待つ十秒かそこら、両膝に手を乗せ、疲れ切った姿勢でタイミングを、その時を待つ。



 ―――マズいね、どうするの真弓。ひとりで?やるの?



「……ああ、私がやるのが一番なんだ、一番早い」



 ―――早く……やらないの?



「うるさいな、やるよ、でも、ハーフタイムだ……足が痛いんだよほっといてくれ」


 愛花……助かるよ。

 元警官の動きが止まった。

 ヤバかったが、これでなんとかなる。

 何とかする、私がやってやるよ。

 足首の麻痺は完全には取れないだろうが、それでも時間さえあればよい方に向かう。



 ―――そんなになってまで―――誰のために?

 ここはもう、逃げ場なんてないんじゃなかったっけ?

 逃げ場はあっても、このステージに釘付けで、動いちゃあいけない。



「……戦わないといけない……何がどうだろうと」


 やることに変わりはない。

 そして私は気づく。

 ああ、これは夢だ。

 現実離れ、そう思う、それだけは確かだ。

 だが


「さっきから、うるさいな」



 背後を振り返る。

 幼女がいた。

 長い黒髪の---誰だろう。

 肌の色つやは年相応に初々しく、私の腰くらいの背たけ。

 そこから睨め付ける目つきは鋭かった。

 なんとも気が強そうな児童である。



「誰……? 知り合いの子が夢にでてきた?だとすれば―――」



 幼女は直立不動で問いかける。



 ―――誰もついてこれない。

 誰からも認めてもらえないよ。

 誰のためにやっているの。

 誰の役に立つっていうの。

 みんなは、……変だ、って思うよ。

 他の誰かって、そうだよ。



「……っ、」



 ―――知っているんじゃないの?

 戦って―――誰とも、自分のお父さんとも結局わかりあえない。

 戦っても、なりたかった自分にはなれないし近づけない。



「……」


 ―――男に勝ったって別にいいことなんてなかったでしょう?

 びっくりするぐらい疲れる上に、別に、何も……。

 何も変わらなかった。

 あなたのなにも、わかってもらえなくて。

 傷だらけで反抗して、終わり。

 なんにもない。



「あん、た……」



 ―――ねえ。

 あなたはこれでいいの?

 別に強くなっても、そうやって戦っても、何が残るの?



 その不愉快な幼女の声を、私はちゃんと聞かないといけないような、そんな気がした。

 この声は、いやに耳に残る……。



 ―――ねえ。

 あなたはこれでいいと思ったの?満足したの?

 ―――私が欲しかったものは、手に入れてくれた?真弓。


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