第三十一話 戦ったその先に 2


 黒髪の幼女。

 普通の日本人の女の子に見える。

 髪をポニーテールにまとめている。



 ―――それ。空手、役に立ったんだね。

 お父さんと一緒に稽古してよかったね。

 あなたの馬鹿みたいな強さは。

 あれ、役に立つときがあるんだ。

 足を引っ張りながら終わると思ってた……。



「……ああ、私は強いから、こうして今ステージにいるんだよ、悪いかい」



 格闘技経験者。

 そうじゃないと、もう―――助からなかっただろう。

 あの親父に、あの庭で教わったものが役立っているということを考えると瞳が細まる。

 何とも不愉快な思いだ。

 あの日々が役立つとは。


 ――――悪くはないよ。


 本当にそう思っているのか?

 私は。

 私は―――


「複雑な気持ちだよ。何だろうな、本当に……」


 口が重くなった。

 幼女とどう接すればいいかわからない。


 ―――弱い人たち、運動神経が良くない人たちを見下しながら蹴り続けるのはさぞかし痛快だろうね?


「別に、そんなの―――」


 見下す暇なんか、別にない。

 何を言っているんだか。

 一歩間違ったら、一蹴り間違ったら。

 私も観客席にいる暴動者の仲間入りだ。仲間入りだった。

 余裕などない。



 幼女は私が上手く答えられないのを待つでもなく、ステージを見回した。

 夢呼、愛花、七海。

 見回す。



 ―――友達は今、いるようね、あの頃はいなかった人だ。あなたにしてはやるじゃない、三人?



 幼女の目つきは壊滅的に悪い。

 何かに憎しみを向けているのか、純粋に暗い性格なのか。

 口も悪い―――確実に男から距離を置かれるタイプだ。

 私にはわかる。

 ものすごくわかる。

 さらに言えば私も距離を置きたい。



「欲しかったものは手に入れてくれたか、だったな……『ふつー』には、なれてないよ」

 かなり離れてしまった。



 ―――そうなの……。


 やっと可愛らしく見えたのは、その幼女が目を伏せて寂しそうにしたためだ。

 弱そうな女の子だ。



「頭のおかしな連中と音楽を始めて、あまり可愛くない曲も弾いて、よくわからないままに飲まれて、結構でかいステージにたどり着いた。―――作詞やってるクレイジーな奴がいてさ。流石にそれはないだろっていうワードが、いくつもあってマネからリテイク喰らってた」



 ―――ふうん。

 音楽か、楽しそうだね。

 今は、良くなったんだね

 あの頃みたいに、変じゃあないんだね。



「よくわからない恐ろしい事件に巻き込まれて、たくさんの暴力に包囲されて、よくわからないが十人?ぐらいと戦った。今は警察官と一対一で戦う羽目になっているよ、これからそいつを倒すし、倒すだけじゃなくてステージから引きずり降ろさなきゃあ、安心できないんだ。出ていくための入り口はあるけれど遠いし暴動者が多い」


 ―――あなたは、


「普通の女の子になれなくて、ごめんな」



 ―――何やってるの。何をやってくれてるの―――あなたは。

 なんでそんなことをしてるの、助けてくれたっていいじゃない、私を。

 幼女は涙ぐんでいた。

 泣くところなのか。

 孤軍奮闘、大活躍なんだがなあ、私。



「私と喧嘩をしても、言い争いをしても―――見苦しいだけだぞ」



 たとえそれが口先だけでも。

 何のメリットもない―――お前とは。

 なんだというのだ、こんな時になんで幼女と話さねばならないのか。

 今忙しいのが見てわからないのか。

 避難者たちと固まって身を寄せ合い、隅っこにまとまっていてもいいんだぞ。



 ―――こんな時だし、出てきたよ。

 もう、最後かもしれないから出てきてあげたんだよ。

 あなたがもう、絶体絶命だから。



 私は鼻で笑った―――笑ってしまった。

 状況をよくご存知なようだ。



 ―――ご存じだけど、でもなんか、信じたくないよ……。

 全然わかんないよ……。

 なりたい自分にもなれず、こんな……。



「そうかもな……ぶっちゃけかなり厳しいけれど―――上手く言えないが、いい興奮だ」

 私、すごく。


 ―――これでいいの?



「さあ」


 私は地を蹴り出す。

 普通になりたいと思っていた。

 確かに、それがいいと思った。

 でもあれから時が経って、居場所も変わった今では―――少し違う考えを持っている。



「よ……しッ!」



 足は痺れない。

 会場を満たすのは激しいイントロだ。

 愛花の腕が跳ねている走っている。

 ドラムを背にしているけれど、見えそうだ。



 ステージの板が響かせる音は、ドラムにかき消されたが―――跳んだ。

 元警官の胸の高さにまで身を浮かして、両脚を目いっぱい伸ばす。

 全力のドロップキックを浴びせた。


「ロ……ッ」


 元警官がステージのきわまで倒れ滑ったワンテンポ遅れ、私は着地した。

 立ち上がる。

 追い打ちのために―――がむしゃらに足を振り上げる。

 歯を食いしばり。



 普通になりたい。

 そんな気持ちは確かにあった。

 嘘じゃなくて。

 普通に思われたくて。

 そして、それがもはや無理だということも心のどこかで気づいていた。

 誰かから言われるまでもなく、自分が。



 ―――そんなことを、言うの、そんなひどいことを、



「普通である必要なんてないんだ……いや、どうかな。色々もがいていたが、思ったよりもはるかに難しいことだって気づいたんだ、疲れることだ……舐めてたんだわ」


 ……諦める、っていうこと?

 なりたかった普通の自分を。


「そうかもな。そして知らなかったことを色々知って―――子供の頃はわからなかったことがわかって変わった!考えが変わった。無理なものは無理なんだよ!」



 左上段回し蹴り。

 敵の耳の下に入って、大きくよろけた。

 観客席の呻き声が上がった。



「なあ、普通になれないんだ。―――お前は、特別な女になる」



 私がよく知る幼女は、黙って聞いていた。

 それを視界の隅に置きながら、元警官の死体、その脇腹に蹴りを入れた。

 また、後退した。

 そして私が一歩進める。



「特別になっても、いいんだ」



 ―――私は……ただ、もっと、みんなと。

 普通のみんなと一緒にいたい。

 いたかった。

 それだけで。

 高望みとか、ゼイタクじゃない。


「ああ、知ってる」


 ―――私はクラスのみんなと、同じものを見ていたい。

 みんなと、同じことをして―――まったく同じ視線と身長でいれたら。

 それだけでよかった。

 謙虚な、良い子に。

 それだけで本当にいいのに。


「クラスのッ!」


 顎を蹴り上げる。

 大きくよろけた後、低い位置で首を左右に振る元警官。

 連続して蹴りを浴びせ、力いっぱい叫ぶ。

 ……だんだん、私が歌っているみたいな気になった。

 ボーカルの代わりに思えてきたぞ。

 歯を食いしばり、連続蹴りを叩き込みながら。



「みんなッ、も! みんなもそうだ―――クラスの女子も―――男子もッ―――特別になっていいんだ」


 腰が痛まない、まだやれる―――力いっぱい叫ぶ。


「誰がッ! いつッ! そうなってもいいんだ!」


 怖いと思う日もあるけれど、恥ずかしいと思う日もあるけれど。

 それが子供だけれど。

 で、それと―――それだけじゃあなくて。

 どんな人間になってもいいんだ。



 ―――なにそれ。

 背が伸びたからって、大人になったからって、いいこと言ってる、つもり?


「そう―――いいこともあるし、悪いこともある」



 苦しいこと虚しいこと悲しいこと、ある。あるんだ。

 きっと一人になる。

 一人で、私は一人だって思って。

 そのまま一人でどこかに歩き出す。


 一人で、行ってもいい。

 行ってはいけない子は一人もいないんだ。


 私は、、幼女に背中を向けつづける。

 幼女にお前は間違っているということもできるだろう。

 むしろ正しいよ、あんた。


 ただ。

 普通をやめてもいいんだ―――、どんな女も。

 普通になろうとしても邪魔が入ってなれないから。

 その先に、どうせ。

 どうせ、頭のおかしいボーカルとドラムスと、一番マトモそうに見えて、でも実際のところしっかりヤバかったベーシストに出会うから。



 自分はおかしいかもって思って落ち込んだ後、実は数倍頭のおかしい奴と出会う時が来るから。

 レベルの違いを見せつけられるから。

 とても大きな舞台に、なにかの間違いで立つときが来るから。

 そうして、世界で一つだけの物語の中を生きる。

 どうせ―――面白くなるから。



「特別であっても―――駄目じゃあないんだ」



 脇腹に蹴りを叩き込み、またふらつく。

 手足の硬直が、先程よりも顕著だ。

 棒をつくように、歩く。

 その踵に暴動者の一人の指が届いて、弾いた。



 音に気付き、元警官が文字通り白い目で見下ろす。

 感情の欠片も表情に出していない。

 もはや人間とは思えないのが、救いだった。



 私は前に踏み出す。

 足のしびれは完全に無くなったらしい。

 悩みも、か。

 背中を向けて言う。

 片目だけ背後に向けて。



 ―――でも普通の方が、やりやすいって。

 色々とやりやすいよ。



「そう、かもしれないね……いや」



 普通になるのは意外なほどに難しい。

 これはドラムスからの受け売りだけれどね。

 色々とやりやすいことはある、まわりに合わせれば。

 それでも、やっぱり―――思ったほど良いものじゃあないと思うよ。

 どんな道も、楽しいことばかりじゃあない。



 それで、特別になってもいいんだ。


「やりやすくはない、けどな」


 特別が駄目だっていう決まりはないんだよ。

 法律ではそうなんだ。

 いや、それはなんか違うな―――特別な女になってもいいんだよ。

 それだけなんだ。

 誰だって、そうなんだ。



「ま、お子様のあんたには、わからないだろうけどね」



 ぷう、と幼女が頬を膨らます。

 それでいいんだよ、そういう顔で。

 子供は。

 わからなくても、知らなくても。

 最初はそれでいいんだ。


 ―――そうなの、ね。

 あなたはこれでいいのね

 そうしていれば、何か残るよね。



 何が残る……かは何とも言えないな。

 私は目の前の敵を倒して、もう一度かなきゃならない。

 今は、空手よりも好きなことがある―――それで許してくれ。

 男をぶっ倒す以外にも、あるから。

 強くなって戦って敵を倒して、その先にやりたいことがある。



 さあて、行ってくるかな

 戦ってきますか。

 私は、前へ踏み出す。

 敵に対して。

 戦ったその先の、未来に対して。

 脚を上げ。


「くっ……ぐうう!」



 蹴りではない。足の裏で、ぐっと押し込む。

 真弓に押される濃紺の制服、その身体。

 元警官の身体を、暴動者が捉えた。



「オッ……!?」


 二本、三本と掴んでいくのは変色した腕。

 元警官はステージの上を何度か、腕でたたく動作をする。

 そうしているうちにベストも捕まれる。

 装備がある分、掴む箇所は多かった。



 床に刺そうとしたその五指。

 接地した爪が、摩擦音を立てて移動する。

 指の腐肉をも擦りながらステージから排除される。

 男の手が足が、泳ぐような動作をしたまま、捕まれ引き込まれ、ステージ下の観客席に落ちていった。




 真弓は息が整ってから―――背後を振り返る。

 見慣れたメンバーがいた。

 激しく叩いているスティックがあった。

 幼女の姿はどこにもなかった。



 さようなら。

 ……さようなら、あの頃の私。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る