第二十七話 すべて忘れてしまうのか



【11月29日 20時37分】 ステージ上



 我らがYAM7やむななのギタリスト真弓は、暴動者と化してしまった警察官と向き合っている。

 そのまま、膠着状態に陥っている。



 夢呼は黙って見守っていた。

 マイクを手放してしまい、ステージ床に座り込んだまま。

 その向かい合う二人を、じっと見守っていた。

 状況が動かない。



 真弓と。

 そしてあの私に対してやかましかった警察官―――杜上。

 気のせいだろうか、怒鳴っていた頃よりも、

 寡黙である今の方が、あの男、不気味だ。



 寡黙だ―――彼はもう、話すことは出来ない。

 口を開き、噛みつくことしかできないのだ。

 口数の多いボーカル、自分が会話を仕掛けることが出来ない以上、話し合いで何とか打開することは出来ない。

 決裂するとわかりきっている交渉。



 杜上は歩き出す。

 一歩一歩を確かめるように、少しずつ、真弓に向かっていく。

 不気味ではあるが、何かが足りない動きでもある。

 身長は観客の若者と比べて、大きくはないが―――人間としての雰囲気を失ったかのような―――軽さがある。



 真弓……何で動かない。

 動けないのか?

 暴動者へのほぼすべてをあんたに任せっきりだった。

 動けないっていうのなら、真弓、すぐにでもそう言ってもいい。

 それなら。



 わたし達が、もう、やらなきゃあならないことぐらい、わかっている、覚悟しているつもりだから。

 あんたが全部やる必要は、無いんだよ。

 自分の喉が息を呑んだ音が、聞こえた。




 ―――

 ――――





 七海は動かずにいた。

 動けずに―――いた。

 なんてこと、また戦うっていうの、まだ、闘うっていうの?

 目にするのも嫌だった。



 なんていうことだ。

 真弓のことは、嫌いではないけれど―――人が蹴り倒されるのは、つらい。

 攻撃が当たる瞬間は、瞼を引き絞り、絶対に見まいとしている。

 だって、人間なのよ。



 倒さないといけないのは、わかる、そうしないともう私たちが生き残れないことも。

 真弓が、守ってくれている。

 そう―――理屈では、頭ではわかっているつもりだ。

 けれど見れない―――見ることが。

 直視は無理だ。

 それが怖いし、そう思う自分が正常であると、自信を持って言える。



 そもそも、何が良いの、手に入るの。

 この現代社会の日本において、暴力で手に入るものなんていったい何があるのか。



 ぎゅっと夢呼の服に指を喰いこませ、しがみつく。

 ……夢呼の服に?



 七海は気づいた。

 夢呼と抱き合っている自分に。

 そう、夢呼を暴動の牙から助けるため、走ってぶつかった、そうして床に二人で一緒くたに転がったのだった。



 夢呼と密着の体勢。

 愛しの彼女カレは自分の方に注意すら向けていないが、その横顔もたまらん。

 ニヒルな笑みで、いい意味で歪んでいるが端正な顔立ちだ。

 白い喉がごくりと、今動いた。



 その服の胸元、鎖骨のあたりに自身の頭を寄せてみる。

 本日はめかし込んでいるので過去の小規模なライブ会場のように会場のTシャツではない。

 YAM7やむななの四人は暗色系で統一している。

 細いネックレスの奥に、鎖骨の形状が見て取れる。

 普段はつけないよね、本当は。

 今日に備えて少しでも、おめかししてきたのかしら。



 大丈夫よ―――夢呼、目立つから。

 私が一番わかってる。

 飾らなくてもどこにいてもキラキラしてる。



 見れるし、香る。

 真弓の衣装に比べると装飾性は大人しい。

 しかしこの魅力はなんだろうか。



 なんてことだ。

 こりゃめっちゃいいにおいする。

 意図せずして垂れがちな目が潤んでしまう自分がいる。

 この目は、実は少しコンプレックスなのだけれど。



 兎にも角にも、僥倖だ。

 やっぱ付き合うなら女に限る。

 男子とか在り得ない、そんなのやってらんねえわ、とは通常のレズビアンの心中である。

 ……通常ではないかもしれない。


 緊急時においても情欲に忠実な七海であった。



「七海」


 不意に、夢呼が呼んだ。

 視線は戦う真弓に向いてはいるが。

 七海がその身を寄せるのはボーカルも察知したらしく。


「今かよ。今はやめとけ」


 想い人にそっと拒絶され、口をぱくつかせる綺麗めお姉さんだった。

 そして、一呼吸おいて。


「……常識的なことを言うのね、今?」


 感情が高ぶった。

 静かにだが、凄む七海。


「あと何回か、ない。無いのよ―――わからないのよ―――チャンスが。今が最後かもしれないなら、私はやめないわ」


 そう言うと口を開いたまま、言葉を失う夢呼だった。



 ――――

 ――――




「……!」


 愛花は真弓を黙って見守る。

 距離は近づいていく。

 真弓がまるで動こうともしないことが、不安だった。



 どうしたの、真弓。

 動かないで……疲れたの?

 わかってるよ、ずっと敵と戦ってきたことを、見ていたから。

 私はいつも、見ているだけで―――。

 演奏はそうじゃないけれど、自分で動かないと、楽しくないけれど。



 私はいつもそう。

 闘えない。

 闘いたくない。

 やはり争いごとや喧嘩の渦中にいたくない―――



 私はいつもやりたいようにやってきた。

 夢呼の影響もあるけれど、自分で楽しい時間だけを選んできた。

 だから誰かと衝突することなんてなかった。

 でも、真弓は。

 真弓はそうじゃないことは―――伝わっていた。

 あたしと、違う。

 辛い道を選んで進むことを厭わない。



 慣れ親しんだ、電子エレクトロニックドラムの鼓面に視線を落とす。

 私は、真弓のようにハイキックで敵をなぎ倒すことは出来ない。

 私にできることは―――。





 ――――



 体格だ。

 まゆみは敵を観察していた。

 けんに回っていた、それに徹していた。



 敵を目の前にして、私はぐに攻撃を始めない。

 両手の指先を相手に向ける。

 警察官へ。



 向かって、来ないでくれ。

 彼の目が、見えないことを期待した真弓だった。

 私たちの見立てでは、視力の悪化がこの病気の重大点であり、何とか付け入る隙でもある。

 しかし自分に向かっているのは間違いなかった。



 見えている?

 目が、見えている……?

 杜上の症状は、それほど症状はしていないのかもしれない。

 彼は、たった今、発症したばかりだ。



「―――ああ、一応呼び掛けてみるけれど、私のこと、わかるかな?」



 杜上さんがまだ味方であると考えたい、意識が残っていると思いたい、そんな心境は―――ある。

 日本の治安を守っている人が敵になると―――今一歩一歩、私を敵として捉えて進んでくると表情も流石に苦々しいものとなる。

 流石に予想していなかった。



 まだ続くのか。

 精神的に来るものがある。

 この後も―――こんなことはあるのだろうか、警察官とも戦っていかなければならないのだろうか。

 出来ればそれは避けたい―――心境としては、そう思う。

 相手は反応しない。

 反応があるとすれば、声を発したことで私に進む歩みが、正確になったようだ。

 方向が定まった。



「―――そうなるか」



 たん、と地を蹴る。

 のろのろと動くその横腹に、蹴りを入れた。

 季節柄、重ね着はしているらしい。

 男はよろめくが、だがどうだ、私の方がそのよろめきは大きい。



 やはり筋量が多い。

 二、三歩後退し、ふたたび間合いを取る―――。

 後ろでざわめきが湧いた。



 避難してきた若者たちだ―――固まって、様子を見守っている。

 ステージの広さは無限ではない、あまり退くスペースがないと思っておいたほうがいい。



 警察官と闘いたくないと思う気持ちは確かにあったが、それでも、相手をしたことがないでもなかった。

 縁はある。

 なあに、悪いことをして追いかけられたわけではない。



 あの馬鹿親父の古い友人には、現役警察官や自衛隊もいたのだ。

 親父の知り合いの中には若手もいる、あの頃実家……自宅を出入りしていた弟子たちは、今頃そういった道に進んでいてもおかしくない。



 今思えば謎が多い……何なのだ、うちの庭は。

 道場でもない、野ざらしなのに。

 そこで毎日奇声を上げて技を磨いていた父親も謎というか、ついに理解できずに、今に至るけれど……。

 稽古をつけるにしても、もっとましな道場は町にもいくつかあっただろうに。

 強くなることに場所は関係ないのだ!とは、脳まで筋肉で出来ているあの男の言いそうなことだった。

 実際に言ったかどうかは覚えていない。



 ―――まあいい。

 結局のところ、不安の出どころは、自分自身。

 実力不足。



「……中途半端かな」



 中途半端な強さに。

 今の自分は、なっている。

 相手の身体の動きを観察する。

 筋骨が、やはり相応にある。

 年齢を重ねた、単なる肥満ではない。

 単なる音楽ファンや控室前で出会ったスタッフ連中とは、蹴ったときの感触が違った。



 鍛えた体が、消滅するわけではない―――。

 この病気になっても。

 当たり前のことでは、ある。

 けれど生き残っている私たちにとっては迷惑千万だ。



 名残はある、確かに死んでも残る。

 だが、残酷だ。



 家庭の事情で、多彩な武道に通じる彼女であったからわかることもある。

 父の古い友人にたくさんいた。



「ま、二択なんだけれど」



 警察官ならば柔道か剣道。

 その経験はある。

 あるはずだが、その経験に意味はあるだろうか。

 改めて敵を観察すると、敵に対し、嫌悪感よりも哀れさが湧く。

 接近する彼を見ていると。

 怒り憎しみよりも悲しさ。



 身体の動きから武道が判別できない。

 足運びを見ればわかるつもりではあったが―――、直視を避けたくなる自分がいた。

 歩く彼の、関節が固まってきた。

 膝をほとんど曲げない様子は剣道における擦り足にも見えたが―――いや。

 棒立ちが近いか、ひどいものだ。

 前に突きだす腕だけで。

 すべて、忘れてしまったということだろう。

 最初、誰だかわからないと感じたのは真実だった。



 気分が落ち着かない。

 こんなものを見せられると―――すぐに、踏み出せない。



 私も、なるのか―――いや。

 いや、違う。

 違うでしょ。

 何を考えている。



 足を止めている自分は、恐怖で?

 恐怖があるからすぐに踏み出せない―――ちがう、慎重なのは良いことだ。

 自分の様子、状況はどうだ。

 不利では―――無いか?



 組手では慣れ親しんだ構えだ。

 しかし今日に限っては、違和感が溢れる。

 この構えは---良くない。

 敵に、素手を、素肌をさらしている。

 杜上……さん。

 ―――もう人間ではなくなってしまった、噛みつきをしてくる可能性が高い。



 敵の目の前で素手をぶら下げるのはリスクが高い。

 これに噛みついて来てくださいねと、言っているようなものだ。

 ボクシンググローブ。

 これからは持っておいた方がいいかもな、なんてことを思った。



 これから行うのは組手ではないのだ。

 こうして相対すると噛みつきリスクを感じずにはいられない。

 それでも一番慣れ親しんだ行動。

 かれこれ十年以上、全力で戦う際はだ。

 自信はある―――、それは間違いない。

 戦う。

 素早く、倒してしまえばいい。



 人間じゃあないんだね……。

 ならば、やるしかない。

 再び、蹴りを主体で攻める。

 私は、前に踏み出す。

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