第二十六話 愛花のクレープ


「とにかく私、普通の女子を、一からやり直したい……んだ」



 わかるかなあ、すごく簡単なことなのに、はずなのに私は今までそうなれなかった。

 スタートラインに立つことに苦労する。

 あれだけ強くなるために毎日足掻いて、でも何一つクリアできていないんだ、きっと。

 たいした女に、なりたくない。

 普通の性能を湛えて生きて、友達と同じ高さの視線をたもちたい。

 通常の人生を八十年か九十年か生き。

 異常戦闘力などの取り柄もないまま、普通に死にたい。

 これが幸せ。

 ……それ以外に何か、あるのか?


 そこに辿りつくにはかなりの邪魔があるんだ。

 障害があるんだ。

 あの親父を倒さないと始まらないんだ、私の、普通の簡単な人生は―――。

 リセットされないんだ。


「簡単な……?」


 愛花は驚きの声を上げた。


「でもすごく色々、あったよね……真弓ちゃんのやりたいこと……あれは簡単?普通?なの?」


 そうだろうか?

 私はただ、平均的なことを並べただけなんだけれど。そのつもりだけど。

 私が思う―――普通の女子。

 しかし愛花は、全部やるのは相当難しいと思うよ、と笑って、言った。


「普通って―――難しいんだね!」


「…………それでもしたいんだ」


 私の意志は固かった。

 固かったけれど……そうか。

 そうか、難しかったのか?


 私が何年も、目指していたものは。

 少し、肩の荷が下りた心地がした。

 普通は難しい。

 出来ない、普通は。

 ……そうかもしれない。



 出来ていないしね。

 ああ、結局のところまだ出来ていないからな……私には。

 ……悔しいが同意した。

 鍛錬した強くなった。

 その私にはできない程度の、難易度はある。



 現実、何でもはできない……どんな人間でも。

 難しいのだろう。

 ここまで右往左往して私には何も変えることは出来なかったのだから。

 他から見ても、愛花から見ても、難しいのか。



 ――――――



 夏の夜。

 会話が途切れた時、ふと聞いてみた。


「ユメコ、というのは……?」


「ん、夢呼は夢呼だよ。今は違うクラスだけど、よく一緒に帰るの」


「……そか」


 友達は、いるんだな、この女にも……あの、愛花にも。

 ……まあ当たり前か。

 愛花には笑える理由があるんだ。

 私が知らない、見えていないだけで。

 今日話してみてわかった。

 なんだか、思ってた奴と違うな。

 私にないものを持っているんだ。

 友達だって……。



「夢呼は、う~ん、友達……?」



 愛花は視線を脇にやって考え込む。

 なんだ、違うのか。

 私に尋ねるような視線をやめろ。


「あはは。違うよ。……いや、違うって言ったらやっぱり違うけど。夢呼とは趣味が……音楽の話とか?よくするんだ~」



 愛花は、頭を揺らし始めた。

 笑顔は変わらないのだが、夢呼の話をするとき、一段と声が上擦った。

 いろんなエピソードを抱えているらしく、それを私に聞かせた。

 自慢げに、話し続けた。

 クラスに一人はいる、ムードメーカー的な立ち位置であると、私は推測を立てた。

 ああ、私では絶対にそうなれないタイプの人間だ……。



 それを話し続ける愛花は楽しそう。

 そうだ、知ってた。

 私より幸せに生きている女なんだ。

 知ってたよ、ああ。



「うーん、夢呼のこと、あんまり友達だと思っていないの!」



 少し―――いや、かなり意外に思った。



「あはは。夢呼は他の友達と違うからなー、全然」


「……どういうことだよ、それ……趣味はあうんだろ、それじゃ、ただの、高校に上がってから会ったとか?」


「いやー、長いよぉ、一緒にいる時間はね。 保育園の頃から一緒にいるから」


 じゃあ幼馴染、滅茶苦茶長いじゃないか。

 愛花は考えながらしゃべっている。

 一緒にいる女子らしい。



「でもなんかねー、気が付いたらどっか行っちゃうことが多くて、あれ隣にいないや―――ってなって、フラッと……」



 ふと気づけばどこかに行き。

 だからあんまりいつも一緒って感じがしない女。

 そういう存在らしい。



「友達っていうのは、いつも一緒にいるこの人のことでしょう?」


 と、愛花。


「…………」


 そうかもしれないし―――そうとは限らないかもしれない。

 私には、わからない。

 とっさに答えられなかった。

 経験に不安あり。

 他の子が友達と遊んでいる時間は、稽古に割いていた日が長い。

 教室の何人かを思い出した。

 高校一年生である、まだ日が浅い。



 夢呼は、何か持ってくる人なのだという。

 何かを。


「……面白いことを?」


「夢呼はね~、絶対笑わせてくれるから。 そういうものを持ってくるし、運んでくるし、呼んできてくれるんだー」


「そう……なのか」


「ぶっちゃけ性格はちょっとおかしいけれど……かなりおかしいけれど……。ドン引きしたことも、ぶっちゃけあるけれど……『うわぁ、そういう事するんだ……マジかよこの女……』って思った日もあるんだよ~?」


「あ、あんたが……愛花あんたがそう思うことあるの!?」


「あります」


 急に無表情で敬語。

 何があったのだろう。

 教室でトップクラスに天真爛漫な愛花からそう思われるって、相当だな……。

 そのユメコとやらを気になってしまう私ではあった。

 愛花が笑えている理由、そのうちの大きなものなのだろう。



「真弓ちゃんだって、つい笑っちゃうとき、無い?お笑い好き?」


「……笑える相手、ね」


 私だって楽しい時くらいある。

 でもやっぱり遠いんだ。

 みんな親父を避けてる感はあるし―――。

 私が深入りしないようにしている部分もあった。



 私が友達を学校で、何というのだろう―――ある一定に距離を置いている。

 友達が家に来る場合、あの親父を見られた場合―――それを思うとかなり厳しい私の心。

 気分サイアクとなる―――死ねるわ。


「真弓ちゃんにだって、話す人くらいいるでしょ、いつもは佐紀と?」


「ああ……」


 彼女はよくできた常識人だった。

 そろそろ追加で電話した方がいいかな。

 今夜泊めてもらう筆頭候補。


「そーだよ。友達いるじゃん」



 愛花……あの愛花に慰められてるよ、今の私。

 ああ、知っていたよ、優しい女子だろうって、見りゃあわかる。

 それくらいはわかっていた。

 本当に幼稚で嫌な奴だとしたらクラスの連中だって愛花の周りに近寄らないだろうさ。

 わかってたよ。

 私の方が暗い性格してるだけだって。



 でも仕方ないんだ。

 小学生のころからの思い出が積み重なって、佐紀に嫌われる瞬間を恐れている。

 どうしても親父が脳裏をよぎって、私はこうなのだと、わからされる。

 こういう人生というか。


「やってて楽しいなと思ったことをやればいいんだよ」


「はは……」



 前向きな気分になかなかなれない、自分の哀れさに感情が渦巻く。

 もはや笑ってしまいそうだ

 悲し過ぎて、表情がぐしゃぐしゃになる。

 一周まわって笑えてくる。



 蹴り上げた親父の睾丸の感触がまだ足首に残っている。

 こんな私にもなにか明るい未来はあるのだろうか。

 もっと素晴らしい何かが……ひどくハードル高い。



 簡単なことも当たり前のことも出来ていない自分。

 愛花に対しての苛立ちは、ここまで話しても―――打ち解けても、まだある。

 その時だ、無邪気な表情が、引きつった。


「ど、どうしたの!」


「ん?」


「ちょ、ちょっと待っててね!」


 慌ただしく店内に、フードコート方面に駆けていく愛花を見送る。

 その頃、気づいた。

 自分が涙を流していることに。

 ダッシュして戻ってきたとき、何か持って……。

 ああクレープか。

 二つ抱えて走ってくる。


「ホラ!これ!」



 ぐい、と右手のクレープを差し出す。

 白いモコモコと重なったホイップと、フレークと覗くバナナ。

 かかっているソースは多分ストロベリー。

 暗くていまいち自信がない、わからない。

 屋外だったけれど、それでも美味しそうな匂いがわかる距離。

 愛花が必死で押し付けるそれに、私は困る。



「いや、いいんだ……そういうのゴメン、これは何でもないから……」


「いいから……食べたいんだって自分で言ったよね、食べたいって。聞いてたよあたし」


「……ん」


 忍耐を旨として生きてきた私だ。

 同級生から何かをもらうことに、慣れていなかった。


 私はそんな、悪いよ自分で買うよと言ったんだけれど、目がめっちゃ腫れているからこの顔で店員の前行くのはためらわれた。

 どれを買うのか、メニューに対し喋るのはさらに厳しかっただろう。



 クレープを不器用に頬張りながら、目元から止めようもなく塩水が垂れ出てきて、うん……私の涙はそれで止まるとか、そういう展開にはならなかった。

 コントロールできず。

 でも結局クレープはクレープ。

 甘かった。

 クレープってやっぱすげえ、すげえな。


「美味しいよぉ」


「そう……そうだよ」


 そんな愛花は何度見ても幼稚な、笑顔を貼り付けていた。

 好きなこととか食べ物のことしか考えていない、頭の足りない人間だ。


 そして私は―――。

 まだ何も出来ていない、迷子のような人間だ。

 私も幼稚園児だった。


「痛いよォ……!」



 家の庭では一度も言ったことがなかった、言葉。



「痛いよォ……全部、あいつの突き、ぜん……全部、あと蹴り、痛いんだよォ……!百回くらい当たってるんだよォ……!」



 愛花はひたすらにおろおろする。

 それでも私の口は回った。


「筋肉ダルマなんだよォ……だから足だって。なあ、私が蹴って、そして私だって効いてんだ、これ……」


 なんなんだろうな。


「なぁああああああ!?」


 なあ、お前もそう思うだろう、と言いたかったが、ろれつが回らなかった。

 愛花は困っていた。

 私が涙ながらに、駄々をこねるような仕草をし―――。

 困っていた―――困った末に、左右に目玉を動かして。

 しかし、自身のクレープを食べ始めた。

 近くを通りかかった男の人が、涙を流す私を見てぎょっとした表情で戸惑った。

 私の声を聞かれて―――。

 そしてそのまま過ぎ去っていく。




「おーい愛花―!」


「あっ夢呼、どうしたの」


 誰かが走ってきた。


「あッ、ちょ、何あんた、クレープなんて買ってるの!倉庫のドラペダ、もう駄目だから買い換えたいって言ってたでしょ!」


「うあっ!」


 そうだった、と聞こえてきそうな身体のびくつきをする愛花。

 節約週間だったらしい、どうやら。

 ドラペダというのが何なのかはわからなかったが。

 二人のやり取りを聞くに、愛花が約束を破った形になったのは伝わった。



「節約できないんだなーハイ!約束通りバイト探そう!ていうかそうしないと完全に無理でしょここからは」


「うええ!」


「うええ、じゃあないんだよ!次に甘いもの買ってるの発見したらチリソースかけてやんよお前―――マジで何やってんだこのお前はおま、その袋、アイスも食べてたね! さてはアイッシュウ!! 

お前、なんなんや本当にお前はお前は胸がでけえんだよ!お前は」


「そこ関係なぎゃあがああああァ!やめて握らないで夢呼!巨乳がちぎれる!」


 シャツの上から掴んで捻じっていた。

 あれは痛ぇ。

 うわぁ、そういう事するんだ……マジかよこの女……。



「減らせ!軽量化だ!―――って」


「あ……!」


 その女と目が合った私。

 それが夢呼との出会いだった。


 クレープを買わせるきっかけを作ったのは私であるという説明を、夢呼は愛花の胸を握り締めながら聞いていた(いや、離せや)。



 その後、高校生活は奴らの影響で激動の時。

 空手の稽古はぜず、というか親父と一緒には行動しなくなり。

 しかし私の人生はひどく慌ただしく密なものになっていった。

 まあ平たく言えばバンド活動に忙しくなったというだけな話だ。



 空手から遠ざかった。

 これには私も驚きだ。

 なんだかんだと言って、反抗して、でも空手をやめたら私には何も残らないと、思っていたから。



 確かに、残らないかもしれない。

 でも増えた。

 新しく、よくわからない連中と、会うようになった。

 打ち込んでみると、強くなることよりも楽しかった。

 自分の音を見つけたくなった。



 いつからだったか、普通になりたい、と思うことはなくなっていった。

 ただ、納得のいく音になればいいな。

 なんてことを今は思う。

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