第二十四話 愛花のアイス


娘に一本取られ、倒された父親。

茫然とした表情のまま、大の字に寝転び、夕焼け空を見ていた。



強くなったな……真弓……。

思う父親、口が上手く動かせない……ダメージが積み重なっていることにいまさら、気づく。




口の周りに庭の砂を付けていた。

口の端には先程までの痙攣によって湧いた白い泡が付着している。

白目を剥くことは無くなったが、代わりにどこか、にやけている。



言おうとした―――強くなったな。

まだ、まだだ……修行に終わりはない。 もっと、この父よりも強い男が……お前をいじめるために、わざわざ大勢の舎弟とかを引き連れてやってくる可能性が、あるにはあるかもしれないぞ。


「ぐ……っ」


日本語をひねり出すことにも苦労する激痛。

溺れるような動作で地面を動く父親。


つほ……く、」


そこからの父親の言語は身体中に残る鈍痛によって、不自由だった。

だが真弓は聞き取る。

聞き取って言葉を返す。


「ねえよ」


聞き取れたのは曲がりなりにも親娘であったからに違いなかった。

極論、二人の間に、一言すらも必要ないだろう。



薄れゆく景色。

庭に差し込む燃えるような西日に、瞼を閉じる。

瞼の裏に明滅する光景があった。

拳一は、彼は幼女時代の愛娘の、輝く笑顔を思い浮かべた。



―――私、大人になったらお父さんと結婚するぅ~!



自身の腰にも達しない幼女の笑顔が浮かぶようだ。

昨日のことのように、懐かしい。

懐かしさを感じ入りつつ、目を再び開けば現実がそこにある。



見下ろす成熟した愛娘が言った。

父親の長身と母の日本美な容姿を受け継いだ娘は成熟し、幼さのなかに美しさを煌かせる。

だが今、その黒々とした瞳に光はまるでなかった。



つくばって見てんじゃねえよ ……ゴキブリの真似が得意かァ?」





馬鹿親父を見下ろす女子高生。

科木真弓、十六才。

絶賛反抗期、ド真ん中であった。

背景が血のような深紅。

夕焼け空なので、どこか恐怖をあおる。



馬鹿親父を見下ろし、踏んづけかねない真弓。

これでも足首を掴まれる可能性はあったがしかし、父が動かしたのは口だけだった。

動かせるのは、かもしれないが。



そんな彼女でも、そうなった彼女でも、目に余るほどに可愛いと拳一が思う。

我が娘だからだ。



それを失望表情で見て、踵を返す。

姿勢が天まで伸びた女は歩いて行く。

戦いの後に、より立ち姿が力強くなった気配すらあった。

天まで伸びるかは別として、どこか、すごく遠くに行きたい彼女であった。



彼女は家出した。

歩みは、やがて日々の走り込みと化していく。

なお父さんと結婚する、のくだりは実際のところ言ったことがない真弓だった。

娘になつかれたいという親馬鹿の思考が生んだ産物、都合の良い幻想かつ妄想である。




―――――



私は走った。

町の方角へ。

行く当ては、あった。

友人の中には泊めることを二つ返事で承諾してくれる友達思いな子もいた。

学校には、嫌な奴らだけじゃない。



鞄も準備したし服もいくつも入っている。


だけれど、どうも、いざその段階になると上手くお願いできない私だった。

人に頼るのは、苦手だ。

人を利用する気には、なれない。

せめて夜遅くなって、どうしようもなくなるまで、他の手は考えよう。

空手仲間でも。




市のショッピングセンターに行くことも考えたが、そこだと両親も直ぐに思いつくだろう。

どこをどういう風に歩いたかは知らない覚えていない。

隣町まで行って、少し小さな店にたどり着いた。

そこも客は多かったけれど、外装が古びていた。

近頃はあまり来ない店だったので、過去に見た時と店や棚は大半が入れ替わっていた。



夕焼け空は鳴りを潜め。

暗くなった駐輪場の脇に、アイスを食べている女がいた。

チェーンのボリュームあるアイス屋ではなく、ひたすら安さだけをもとめたかのような包装。

そのスーパーは異様なまでの安さを持っていた

私はクラスメイトと出会った。



「……あー」


同じクラスの女を見つけて笑顔を浮かべる女がいた。

その瞳の光、もはや見飽きそうなものであった。



「あ~~!おお! えっと、科木しなのきさん!だったね!マジ奇遇です!」


愛花。

私服は新鮮だったので二度見した。

大きく手なんて降って。

何とも無防備な笑いだった、教室で、二十四時間、誰に対しても同じように振りまいている笑顔であった。



――――

―――――――



「へえー、空手!やってたんだぁ、すごいじゃん!」


しゅ、しゅ、と拳を音付きで空に繰り出すにやついた女。

稚拙とか通り越して感想すら沸かない。



ふたりで並ぶ。

めったにない、在り得ない場面ではあった。

教室で愛花を見かけても近づくことのなかっただろう、普段ならば。



ただもう走る気力はどこにも残っていなかった。

愛花がそのうさんくさい笑顔を振りまき、手招いてこちらに来いというままに、私はそこにいた。




「スゴイじゃん~そういえば、あーそっかー空手か、すごいね」


「別に何もすごくない……」


「え、だってすごくない?あたし無いから!そういう―――カッコいい系?はやったことないもん」


「…………」


肯定されれば、褒められれば否定はしないのが私だった。

ただ……別に、いいことなどなかった。


「あはは……格好のいい、戦いなんてね、無いよ……」



さっきひどいものを見てきた私は、目を伏せながら言う。

ひどいものを見たというか、ひどいものにしたというか。

私が。


「結局、親と喧嘩しちゃっただけだから―――殴っちゃった」


手加減できる相手ではなかった、というのが伝わればいいのだが。

愛花は首をかしげる。


「科木さん、それと―――それだけ?」


「うん?それとあとは、蹴ったけれど」


「いや……どういう技を使ったとかじゃあなくて……お父さんと喧嘩したんだね、科木さん」


「……真弓でいいよ」


堅苦しい関係が苦手だったのも、あるかもしれない。

名前で呼んでいいと、言ってしまった。

ただ愛花は敬語とか、人をさん付けで呼ぶのがものすごく苦手に見えた。

見えた、聞こえた。

発音がそうだった……聞いててむずがゆさを感じた。



「お父さんを……そうなのか、嫌いになったんだね」


アイスが融け落ちないようにしながらの相槌だったので、なんとなく緊張感が湧かない。

そう、アイスを食べていた。

その頃夏だったな。


「お父さんを嫌いで、それで、そのあと……?」


「その、後……」


私は親父と喧嘩して家を飛び出た。

後悔は―――うん、ない。

嫌いだ、嫌いなものは嫌いだ。



愛花はそれを、真っすぐな性格や正義感で咎めはしなかった。

表情は、そこに怒りは、やはり見えない。

まあこいつが怒ってもあまり怖くは見えないのだろうけれど。


「嫌いになって、そのあと何か、真弓ちゃんはどうするの」



ここまでのことを、やってしまい、私は。

この後。


「もちろん、やりたいことくらい―――あるさ」


やりたいことは―――あった。

私にだって、あった。

私はその日、全力を親父にぶつけた。

奴の見立て通り、親父に勝つための技も磨いた。

家出ワザ、と心の中で読んでいた。



でも全部は。

それは過程であって、さっさと終わらせたいことであって。

本当は、もっと……!


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