第十九話 観客たち 4



「警察の人……ええっと」


杜上もりがみだ」


「……杜上さん、ここは、少しやらせてくれないか。 ……私たちに」


 真弓の進言。

 不条理極まりない状況だったが、杜上は言葉を飲み込んだ。



 意味がわからない。

 好きで巻き込まれたわけでもなく、襲い来る敵が何なのかもよくわからないのに―――ここで演奏を続ける……?



 それは彼女らも自分なりに戦おうというのだろうか。

 状況に『音』という要素が必要だと、わかったため―――それだけだろうか。

 そこまでする義理がどこにあるのだ。

 少しは怯えても恐れても、いいような状況だ。

 だが彼女達は彼女達で、命を張っている。



 何故そこまでして。

 ロック・バンドグループYAM7やむななの異常な精神力の出どころに疑問を持つ杜上であった。

 黙る。

 確かに状況はわかったが、それでもここまで身体を張るものなのだろうか。



 杜上は黙る―――なおも。

 押し黙るのは、それとも別の要因か。

 ただ慣れていないというだけのことか。

 ギターを持った人間と向かい合ってステージで会話する、この状況に。

 つい真弓の、その手元が気になってしまう。



「私も逃げる気は―――ありました。が、私達は最後で……いいです」



 茶に黒に、艶めいた楽器のことはよくわからない。

 だがそれを腹前で握る人物に関しては読み取れるものもあった。

 丸眼鏡の女とは違い誠実な眼光をしている―――と、少なくとも杜上はそう感じた。

 視線、目の高さは男である杜上とほぼ同じだった。

 いや、彼女の方が背が高いか。

 黒髪の女は息を吸い、一歩前に出た。



「いやもう、すごくわかる。すっげ―わかるんです刑事さん。 ツッコミどころ満載なところとかもう、夢呼が馬鹿で……このボーカルがおかしいとか、滅茶苦茶理解できるんだ―――頭がおかしいし、なんならこえェよ、夢呼こいつが」



 指差し、そんなことを突然並べ立てる、ギタリスト。

 彼女たちの行動についてはあらゆる理解をあきらめた杜上だが、何事かと首をかしげる。

 けれど。


「けれど、ここは私たちに任せてくれないか」


 杜上が黙っているのを聞いて、さらに言葉を重ねる真弓。



「あのさ、逮捕! 逮捕してくれ警察のあんた。全部、これ―――今日のこの全部が、終わったら解決したら、逮捕してくれイカれたボーカルを。 ギタリストわたしが許可するから」


 そんなことを捲し立てる長身のギタリスト。

 もはや何を言っているのか、と言った様子だが。

 この状況が解決できればあとは何でもいいと、そのようなことを言い並べた。



「真弓、言い過ぎだよ!」


 頬を膨らませる愛花。


「夢呼を逮捕なんか駄目だよ」


「……じ、冗談だよ……冗談だっての」


「真弓ぃ―――、なんで目を合わせないの」


「……」


 割と真剣に逮捕されてほしいと思うギタリストであった。

 一回捕まれ、あいつ。

 どれだけ振り回されたか、振り回されるかこれから。

 それを思うと、どこかで大人しくしていてほしかった。

 危なっかしいことこの上ない。

 そして件のボーカルはマイクに夢中になりつつ、丸根マネは無事かな、等と思っていた。



 忘れてはならないのが、綺麗めお姉さんのベーシストだった。

 真弓と愛花を睨んでいる。

 ちょっと待って、真弓。

 何を言っているの―――言ってくれちゃってるの。



 じわり、汗がにじむ―――自分の愛するボーカルがいつか警察のお世話になりそうだと、実はそんな想像をしたことが―――ある。

 冗談と流せるこれに、焦るのは七海もまた、そう思っているからであった。

 夢呼なら。

 やらかしかねない、いつか―――いや、やる。

 単に歌声が美しい女、優秀なボーカルというわけではないのだ。



 待ってくれと言わんばかりの表情の七海である。

 夢呼がいなくなったら私は一体どうなるの。

 私の心をだれが埋めるのか。

 この私の股ぐらの火照りを誰で癒せばいいのか。

 滲んだのは汗だけではないレズビアンであった。



 いったい、誰で―――誰って、いるわけない。

 いるわけないわ、夢呼の代わりなんて。

 あの女を何時でも手の届く距離に置きたいの、私は。



 そんな彼女の想い。

 心境はあまり綺麗めではなかった。

 夢呼のように表沙汰に現れる傾向ではないが、彼女もまたこのバンドの一要素であった。

 深い狂気である。

 狂気も深いし、愛も深い。





 ―――――――




 ……残るのか。

 巡査部長は最後にボーカルに話しかけた。

 結論は変化しないことはなかば確信しながら。



「何故、歌う」


『ふぇ?』


 歌う必要はない、暴動者に対して、歌詞は必要ない。


「あー、とか、わーとかってことっスか」


 口出しして補足したのは、ステージに腰を降ろしている避難者たちだ。

 叫べばいいだろう、大きな声でいいだろう。と。

 顔立ちが全体的に幼い彼らは言う。



『くふっ は は』


 吹き出す夢呼。

 そのまま笑い続ける。

 それでもいいのかと、そんな事でも会場に響く音ではあると。

 会場の暴動者たちの頭上をいく、夢呼の笑い声。



「あぁ……はっはっは。 そか。そうか――その発想はなかったわ」


 笑う眼鏡の女。

 ただ大きな声をあげればいい、歌詞など必要ないという理屈に思わず膝を打つ。

 立った姿勢でやったのでいささか無理な動きになったが。



「ヤバいな、なんでだろう……うん、その通りだよ」



 理屈では―――そうだね。

 と丸眼鏡の女。

 少し頬が染まっているようにも見える。

 おっと、マイクから口が離れていた。


『―――完ッ全に歌う気で来てたからな、今日……! え、だって歌うしかないし、こんなでかい会場  昨日の夜とか実はあんまり眠れてないんだよね、楽しみ過ぎてさ』


 緊張感の欠片もなくボーカルが言う。

 ……仮に緊張したところで、四人の脱出方法は未定なのだが。


『あと、歌った方が盛り上がる」


 会場が。

 会場の、みんなが。


「みんなって……あれが?」



 暴動者の一つの山を―――身を寄せ合っている一角を指をさす警官。



「みんなもだけれど、自分が、自分の心臓が盛り上がる。生きてる感じがする」


「…………」


「病気に、ノリで負けたらだめだよ」


「…………」


 何もかも男の理解の外だ。

 杜上は黙ってしまう―――苛立ちよりもこの感情、一体何なのか。

 滅茶苦茶だ、二の句が継げない。



 杜上は、狼狽える。

 狼狽えるが頑固な男ではあった。

 だって間違っている。

 この状況で逃げない女という存在は。

 うっすらとんでいる女は。



『この場で、歌っていたら―――それじゃあ駄目かい 夢中になってくれているファンは 一人や二人じゃあ済まないようだぜ――― 歌ってる時は一番楽しい』



 夢呼は今から、歌い続ける。

 その伸びていく歌声に。

 それでも暴動者たちそれに聴き入って、襲う手が止まっていることは事実だった。




「し……知らんぞ、俺はもう……」



 やっとなんとか、言葉に出すような。

 言葉にするだけで体力を消耗した想いの杜上だった。

 彼がそう呟くと、真弓は少し狼狽える。

 平静を装いはしたが。



 真弓も自分が絶対に正しいとの確信を持てずにいたのだ。

 すべてが予定とは狂い。

 迷いに迷って。

 それもこれも夢呼の奴が……。


 ……いや、逃げようとして無理だったのも現実。

 現実的な視点、控室の様子や唯一の出口が未だ遠く、混雑もなくなっていないことから考えた。

 これで、いい。

 下手に動くと、むしろ死に急ぐことになる。

 逃げた人間から、暴動者のように―――ああなる、可能性だってある。



 そして、それでも状況は良くするようにみんな努力した。

 いままでにすでに会場から脱出している人たちがいる。

 それにこれから、またなにか勝機が見いだせるかもしれない、今はこうする。



 杜上は自分の顔に手を当てた。

 本当にそうなのか。

 あの妙に自信ありげな女は、本当に救おうって言うんだな。

 頑固な若造はたくさん見てきた。

 だがこの女は一体……。


「はぁ―――脱出した観客は多い。助けは呼ばれるだろう―――俺の部下も一人、脱出している―――おそらく。少し耐えてくれ」


 表情はあまり変わらなかったが安堵の色が見えた四人。



 杜上は腰から黒いピンマイクを取り出す。

 無線機から伸びるケーブルだ。

 これで、やっと乱闘を気にせずに会話、通話できる。



 暴動者との乱闘で故障などしていなければ、これで助けを呼べる。

 無線は瞬時に比較的近距離に届く。

 少なくとも―――さっきまでいた庄司には届くはずだ。

 ……どこまで行ったあいつ?


『゛ッザッザ゛  ―――こちら杜上』




『ハァイ 盛り上がってきたところ悪いけれど噛みつきはマナー違反だよ 言ってもわからないか』


 ボーカルに邪魔される。

 そこで気づく。

 邪魔だ、邪魔だな。

 この女の歌声を―――一度止めてもらうか?

 少しの間だけ。



 そこで考える杜上。

 どうやら、止めてはいけない。

 演奏を、音声を止めたら、先程までの話は何だったというのだ。



 他の三人もそうだ、彼女たちは待機しているようでいて、完全な無音でもない。

 時々楽器に触れる。

 演奏は始まってはいないものの、こうして会場に音を作っている、流している。

 準備運動のような、アイドリングのような行動だろうか。



 指力、たいして込めてはいなくとも、音響設備につながっていれば会場の上からしっかりと存在感を持って降り注ぐ。

 演奏は響いていて、自分が電話してもその細かい情報はギター一つでかき消されてしまうだろう。



『それでも会場のみんな、そんなになってもみんなは わたしの歌だけは夢中になってくれる―――夢中になってくれる 複雑な気持ちだよ』



 なんてことだ。

 無線だろうが携帯電話だろうが、これでは

 連絡が取れないというか、歌しか聞こえないだろう、向こうには。

 通信した先の向こうにはライブが平常で行われているようにも聞こえる。

 そう思われたら危険だ。

 何も伝わっていない。



 連絡をして―――どうする。

 杜上じぶんが生きていて無線機には触れる状況であるとはわかる、わかってもらえるだろう。

 これだけでも、相手側からすれば新しい情報だ。




 だがそれ以上の情報が行かない。

 警察に。

 自分の無線もそうだし、演奏している四人、避難してきた若い連中は―――携帯はほぼ全員持っているであろう年齢層だが、彼らも口頭での連絡は取れない。

 彼は、もう片方の手で携帯電話を取り出す。



 演奏を一時的にやめる?

 止めてもらう―――そう指示するか―――一瞬、会場を煽りつづけるボーカルを見る。

 内容は特に中身がない。

 まあそれで良いのだ、止めればいいのだから。



 まて、ボーカルが静かになったとして、連絡が取れたところで、呪縛から解き放たれ、その数十秒の間にこのステージに大挙して押し寄せてくる奴ら。



 どうする。

 口伝えで、言葉では―――。

 思わず丸眼鏡の女の背を睨んでしまう。

 どうする―――どこぞのバンドの女よ、確かにキミのやっていることで、狂ってしまった観客は止められるようだ。

 ああ、そうだ。

 だが厳しい状況であることに変わりはないぞ。



 助けは来る。

 必ず来る、仮に無線も電話も入れなくても。

 ……これは私の心情として、そう願っているというだけの話ではない。

 希望的観測ではない。

 付近のパトカーには、会場に駆け付ける前のあの無線が入っているはずだ。

 あれを聞いていたのは、私と庄司だけではない。

 私たちから連絡が途絶えれば、きっとその異常は本部に伝わる。



 隣の派出所がいくつか。

 ああ、きっとこの会場のすぐ外で、侵入に苦戦しているのではないか。

 今。

 途中までは来ている。

 勤務する同僚何人かの顔を思い浮かべる杜上。

 今日一緒に駆け付けた庄司よりも付き合いが長い男も、中にはいた。

 今向かっている様子が、予想できると、少しばかり心が落ち着く部長であった。



 肌が黒く、眼鏡をかけた一人の同僚を思い出す。

 よく一緒に飲みに行ったこの男、いつも同じ店に行きたがった、あれ―――

 あいつは。


 杜上は停止する。

 嫌な予感が、する。


「あい……つ……?」


 名前が出てこない。

 どうした、定年にはまだ早い、そこまでボケてしまうわけにはいかないだろう。

 流石にその記憶力はない、あり得ないだろう。

 今日に限って。




 一体。

 まて、彼女たちを

 一体、自分は何を―――。

 杜上は頭に手を当てる。

 脱出して―――



 ―――署に応援の要請だ!―――

 俺が……言ったのか?

 最初は確か、言ったはずだ。

 その、いったん脱出は困難だ。

 確かに、ルートを変更することを繰り返した。

 会場の状況も変化していき、思考が二転三転した。



 だが、何故俺はここに来た、リスクを冒し、ステージに昇った?

 頭が―――?



 この女たちを、残して―――俺は、では逃げればいいのか。

 それで、それが良いこと……?

 そういう考えを思い浮かべ、それが決して悪いことではない、家族にまた会えるということはわかりつつも、真っ先に逃げるということに慣れていない男であった。

 職業柄である。

 足が動かない。

 足が――




「ごぶっ……ごほ……!」


 杜上は息を吸う途中でつんのめる。

 ゴ―――げほっげほっ。

 噎せた。


 そうして思い出す。

 生きている人間に、近づく。

 そうしようとしたのだ、自分は。



 ――――――――――



 だいぶ息が落ち着いた。

 男は、ステージに座り込みながらそれを見ていた。

 先程、トシキと仲間から呼ばれた男である―――一通り人間を引っ張り上げる救助活動を終えて、いまは仲間内で身を寄せ合っている。

 そうしていると少しだが、皆に笑みが戻った気がした。



 ステージに黒点が落ちた。

 その液体が落ちた音は聞こえない―――今もあの女ボーカルが声を張っているためだ。



 濃紺の警察服の前を落ちていく液体。

 黒靴の前に点描を並べる。

 その上を見る。

 警察が携帯電話を握っていた。

 メールでも打とうとしていたのだろうか。

 その白く発光する画面にぼたぼたと液体が落ちている。


「ちょ……ッ!? あの! お、おっさん?」


 思わず声を上げるトシキ。

 墨汁にも似ていたそれの、垂れ出た元が杜上の口や鼻であること。

 見上げて気づいた時には声が止まってしまった。



 先程まで観客席で暴動を間近で見ていた彼は、理解する。

 今何が起きているのか。





 ――――――



 ―――ぁなた。

 ふと、脳裏に聞き慣れた女の声がした。

 反射的に振り返った。


 誰もいない―――ロロロロ……下水道に吸い込まれていく水のような音がたくさん、遠くに聞こえる。

 これはなんの、音だ、だっけ。

 とてもたくさん聞こえるが。


 ―――あなた。―――

 ―――お父さん。―――



 ゆりえ……息子たくや……は、どこに。

 映像が切り替わった。

 いつも使っている茶碗、その奥に皿、料理が並んでいる。

 台所に立つ女、蛇口を閉め、次の作業へ。



 目の前に食卓が並んでいる。

 かつての記憶、そこから取り上げている情報だとわかった。



 右に息子、左に妻が炊飯器を覗き込み、ご飯をよそっている。

 ……これは、夢?

 夕飯がまだだ。

 そう言えば今は世間で言う夕飯の、時間。



 ―――遅くなるのね?―――



 ああ、遅くなる。

 遅番だ。悪いな―――いつも。

 確かに今は夜だった、この時間に食卓を囲める日も昔はあったんだがな。

 外で食べることは多かったが、家族サービスをする予定を語る何人かの同僚を見て、何も思わないわけではなかった。

 家族と、夕飯を食べたい。



 目が見えない……?

 最初から?

 もともとそうだ、喧しい割には足元がよく見えない現場だった。

 そうだったはずだが……。

 杜上は考えないようにした。

 いや、考えようとしたが、頭が拒絶した、ひどく血の巡りが悪い。

 いや、ぼやけるが、まだ見える。



 心臓が―――胃が、不快感。

 腹は減っている。



 位置からして、さっきのメガネの女が、マイクを握り叫んでいる。

 近い。

 近いから、食べないと……。

 響き渡るその声が、自分を呼んでいるように聞こえる。

 削ぎ落して口に含めば腹も膨れるだろう、

 美味しそうだな。


「う……ゆは……ぉ……!」


 夕飯を。

 ……誰と?

 なにと?

 気づけばもうあの姿はかすれて消えてゆく。

 何かが、二人いたような。

 霧散していく映像を、黙って見送る。


 脳から、記憶と呼べるものがすべて零れ落ちていく。

 思い出そうと最後の力で掴んでも霧消。



 駄目だ、何も思い出せない。

 脳に、頭に、懸命に考えて、しかし空白―――。

 まずはあの女を食べよう、それから夕飯のことを思い出そう。



 杜上はこの世界から疎外されていくのを感じた。

 暗闇に、自分が進んでいく、浸かっていく。

 ―――いけない。



 間違っているという感情を抱く。

 違うことをしている。

 今までの、自分が―――連れていかれる。

 しかし同時に、眠りにつくような心地のよさがある。

 今まで?

 知らない。

 これはとても自然なことだ。



 杜上は。

 杜上ではなくなった男は。

 手当てしていない足首を引き摺り、前へ踏み出した。


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