第十七話 観客たち 2



 ステージに叩きつけられる無数の腕。

 そこには追い詰められてはいるものの、生きようと懸命に足掻く意思があった。

 死人の腕ばかりではない―――二十代の男が一人、胸から腹を、べたんとステージ上に乗せた。



 肌の色は健康そのもので、たった今安堵したのは正真正銘の正常な人間。

 だが果たしてその行動は。


「おぉ……し!」


 匍匐前進のように全身をステージに押し上げる若い男。

 なんとか、脱出したことで興奮と安堵の息を吐く。

 横になりひっくり返った男、茶のジャケットの内側に、おそらく今日出演のバンドのTシャツを身に着けているのが見て取れた。



「オイ!トシキ、手ぇ出せ!」


「何やってんだ俺も上げろォ!」


「あぁ~、ハア……ハア……今やるよぉ!」


 名を呼ばれた若者が噴き出すような笑顔、へらへらと、手を伸ばす。

 安全地帯にたどり着き緊張が一気に途切れたのだろうか、力が腰に入っていない様子だ。

 それでも仲間に手を伸ばし、もう一方の腕でステージに引っ付き、踏ん張る。



 この絶望的な状況の中で、それでも助け合いの精神を持っている連中ではあった。

 だが、それでも人数には限りがある。

 ステージに全員を乗せることに、言いようのない不安がよぎる。



 百人乗っても大丈夫かなどという強度的なことは問題ではない。

 このステージで必要以上に不安要素を追加したくない七海である。

 煩い人間が増えると、死に直結。



 真弓も警戒の目つき。

 かろうじてバランスを保っていた状況だった。

 綱渡りのように数百人の暴動者を食い止めていたというのに。



「待て!待って!」


 七海が精いっぱい声を張る。

 声をあげて、一瞬観客を注視する。

 観客というか、暴動者を。



 ……そうか、声はマズい。

 大声をマイク無しで上げるのはマズい、スピーカーに気を引かせなければ。

 じゃあないと集まってくる―――ようやく追い払った、狂った観客を。

 ぐっとこらえ、楽器を置き、上がってきた男に駆け寄る。



「いい……聞いて。上がる必要はないわ。出口があるし、それに私たちが演奏しているから助かっているのよ」


 男の、あっけにとられるような表情が、向けられた。

 何を言っている、降りろと言っているのか。

 これからもう一度、このベーシストはにもう一度行けと。

 そして彼一人ではなかった。



「ねえ、いい加減にしてよ!」



 非難の声が、階下のひとり、女から飛んだ。

 けばけばしい服装で、見るからに気が強そうな人物である。

 目つきの鋭さは真弓ほどではなかったが、睨んでいる。


「アタシらが、どんな……どれだけ怖かったと思ってんのよ! 助けてくれたっていいじゃあないの! アンタたち無事なんだから!」


「…………っ」


 真弓は歯噛みする。

 ああ……、無事だよ。

 あんたたち観客が、怖い思いをしたことくらい、わかる。

 見ていた差、観客が襲われてつかみ掛かれて―――途中までは。

 そのあと直ぐにこっちの対応で、そんな暇はなくなったが。



 私たち四人は何とか無事だ。

 で、その言い方はなんだ、四人が無事であることは奇跡で―――そのをやるために、無事であるためにこっちだって苦労していた。

 苦心、紙一重を繰り返した。



 私がどれだけ暴動者に対峙したと思っているんだ、退治したと思っているんだ。

 自分の行いを軽んじられた気がしてならない真弓である。

 色々と気に喰わない。

 危機が続き、神経質になっていることは自覚していた。



 階下から再び、騒ぎが始まる。

 上げてくれ、助けてくれ。

 言いながら上がろうとする。

 ステージ付近の暴動者が、当初よりも減っていることで、彼らは勢いづいた。




 だがそんな真弓も、避難者を言葉で攻撃することまでは、思いとどめた。

 気が強そうな観客の女、その隣にもまた、何人かの逃げてきた人がいた。



 怯えた瞳をした一人の女は、小動物を思わせた。

 何も声に出さない、内気な性格なのか―――ステージ上の四人に口を出しはしないが、事の成り行きを瞳を震わせて追っている。

 その子の不安気な様子こそが真弓の心を打った。

 罪なき人々だ。


「自分たちだけ、助かろうとしてるの!?」


 観客から声が飛んだ。

 違う。

 違うんだ、そうじゃあない。

 それと―――頼むから大きな声を出さないでほしい、マズいんだ。

 こちらも心臓がバクバクと鳴る。


 そうか、それを知らないのか?

 音に反応する暴動者を。

 間近で見ているのではないか、そうだとの考えは甘かったか。。

 認識がやはり、確信できない、どの程度状況を見ているのか。



ちがっ! 違……う、ただ、あの暴れている奴らは音に気を引かれる、だから」



 真弓と七海は顔を見合わせる。

 ―――どうする。

 小声でのやり取り。



 ―――演奏に支障が出るのは、マズいわよ。

 ―――そんなことはわかっている、けれど言っても聞かないだろう、あと、助けたい。

 ―――真弓。正気なの?落ち着いて考えて。ステージにこんなに大勢、人を上げて―――このあと、物音を立てないという保証なんてどこにもない。

 ―――ここで言い争いはマズいぞ。ちゃんと言えばいいだろう、協力してくれって。

 ―――っ……!



 苦渋のやり取り。

 双方、あとは視線のみ交わすが、それで結局正解は出せなかった。

 状況の綱渡りは続く。



 ああ、今日でなければ。

 今日のこんな事件さえ起こっていなかったら、この階下の人々―――彼ら彼女らと一緒に盛り上がりたいなどと思っていた。

 それだけだった、そのはずなのに。



「……お願いがあるんだけれど」


「うん?」


「音響機器には触らないでね、ケーブルも、跨がないようにしてほしい」


「ん――? ああ」


 返事が適当だったことに、少なくともそう見えたことに、カチンと来てしまう真弓。

 大丈夫か?

 あんただって危ないんだ。

 ステージ奥の黒いボックス。

 その音響機器と楽器をつなげる黒いケーブル、これは命綱だ。

 本気だぞ、事実だぞ。



 上がってきた男はそれより、階下の連れを引っ張り上げる作業に夢中なようだ。

 真弓に向けた背を睨む。

 信用は出来ない。

 階下の連中も同様である、程度の差はあれ、全員が興奮状態で怯えている。

 全員精神的に限界が近いのかもしれない。

 自分の感情、心情もコントロールしきれていない。



 命がかかっていると説明したい、すれば流石に、向こうも生きた人間だ、伝わるだろうけれど。

 伝わらなかったら、話が通じなかったら、その時は。



 そして、それだけではなかった。

 びじゃん、と湿気った衝撃がステージ下の別の地点から響いた。

 見れば、壮年の警察官が、ステージに昇ってくるところだった。

 決して若くないその男がすばやくステージ上に上がった様子が信じがたい。



 警察官だ、身体を鍛え、何らかの武道を修めていることは真弓にも想像がついた。



 彼は何かを踏み台にしていた。

 そうしてステージに上がった。

 暗いが、床に何かある。

 何かが。

 動く何かが。

 杜上の投げによって、床に転がされた暴動者がぴくぴくと痙攣していた。



 ぜえ、ぜえと遂にたどり着いた安全地帯に昇る壮年の男がいた。

 彼もまた、あちらこちらを走り、息が切れたのだろうか。

 流石に体力に衰えを感じる年齢だろう。

 真弓は推測した。



 事実はまた少し異なる。

 実際のところで言うならば、会場を走り回り、少なく見積もっても十人の暴動者を投げてきた巡査部長であった。



「避難、しなさい……!」


『あぁ―――おっさん』


 スピーカーが天井で再び、存在感を示す。

 会場を震わせる。

 七海と真弓は夢呼の方を振り返った。


『そんな怖い目で見つめないでよ……それよりも、聴いていかない?』


 YAM7ウチらの歌を。

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