第十五話 生き残るために


『元気がいいなあァアァ!  今日のみんなはァ!』


会場のみんなに負けないように二曲目を歌い切った夢呼。


声の大きさが中途半端だと、暴動者の動きは周囲の生きた人間に向かう。

誰かが危険にさらされ、あるいは死ぬ。

そんな考えのもと、歌い切ったYAM7やむななのボーカルだった。



会場では灰色の腕が無数に天井に伸びている。

突き出されている。

突き出し、伸ばし、うねる、血を纏った腕。

飛び跳ねている暴動者もいる。

ある女は、何回か飛んだ後、周囲とぶつかって転倒した。

そのまま死人に足蹴にされていく。



『どうだあ みんな逃げたか―――ァ!? 』


逃げる時間はあった。

自分たち四人で作った。

二曲目の開始時には既に開いていた入り口が一つある。

演奏は四分十秒程度。

少なく見積もっても百名の無事な人間が、ドアから飛び出していった、



ドアが開いた理由は、ここからでは遠すぎて正確にはわからないが―――、豆粒というほどではないが、小さく見える。

脱出する人間の力が上回った結果だろう。


何かのタイミングが彼らに運をもたらしたのだ。



夢呼はいま一度マイクを腰位置に降ろし、息を整える。

バテたわけではないが、心の何かが消耗している感がある。

会場から伝わるのは狂騒か、殺気か。



それを一時的にかき消せるのは自分の声。

暴力を音楽で止める。

そんな場合じゃあないという理性は、彼女の中にもあった。

だが反対に、しっかり見ておけ、聴いておけ―――人生で最後になるかもしれないよ、マジでという本能が拮抗している。

彼女の本能、いや体が勝手に歌い出すという性質は変わらなかった。



今日ほどの緊張感を感じたのは初めてネットにオリジナル曲を上げた時以来だねェ、などと懐古する夢呼。

懐古はすれど、今。

今を見つけるボーカル。



たんっ、 とステージを打つ音がした。

真弓の靴が発した足音だった。

直後。


「―――はあァッ」



真弓の声がして跳ね起きるようにそちらを見た。

上段蹴りで暴動者を突き飛ばしたところだった。

あれが蹴りなのか。

映像としては、靴がぬるりと残像を描き流れたようにしか見えない。



光る残像が描かれる。

革製の靴は黒紫系の色だが、まだ表面は綺麗な状態なようで、光を受けると白い。

ステージだと照明が集中しているんだよなぁ。

二、三度、背や脇腹を押すようにし、暴動者を攻撃し、ステージ下へ突き落した。

どちゃり、と液体質な音がした。



「……上がってきてたの、奴ら?」



いまだ警戒態勢にある真弓の背に話しかける。

蹴り主体で攻めたのはギターを持ったままである所為もある。

音を立てないよう、攻撃の気合のまま吐いた息も気持ち、いつもより小さいようだった。



「ん……今の奴だけだけれど、他のも、上がろうとしている感じ……」


真弓は観察していたようだ。

奴らは私たちを追っている。

全員ではないが。



スピーカーから大音量で聞こえても、夢呼がステージ上で歌っていることに変わりはなく、その生音声を目当てに上がってきたのだろう。

私たちがやっている作戦、というには滅茶苦茶なこれは、有効ではあるけれど、完璧ではないということだ。

当然と言えば当然だ。



さて、どうしたもんかねェ……。

丸眼鏡から覗く景色には相も変わらず観客の絶叫が溢れかえっている。

ああ、ヤバイのはわかっている。

だがここで、ヤバイと思っても……どうしようもない。



この状況でも、今までで一番デカい舞台であることに変わりはない。

楽しい、高揚。

それは捨てきれない。



会場には人が減り、観客席にはいくらかの空きスペース、空間が出現した。

暴動も、最初よりは減ったように思えて、自然、笑顔となるボーカル。



なんかまたトラブルがあるかもしれないのはわかっている、ステージ上に来ても最初よりはまだマシ。

その時は真弓が何とかしてくれるだろう。

しかし真弓の格闘技はすごかった。

すごくて助かったけれど、恐れ入った。



「ハイキックかっこよかったよ、サンキューな真弓」



マイクを腰の高さにまで下ろし、呟く。

あん?と小さく疑問を呟く。


「どのキックだろ……まあいい、夢呼……私はマジ、こんなところで終わるなんてだからね」


あまり真弓のアレ―――格闘。

この状況で助かることこの上ない。

真弓がいなかったら危なかった。



高彼女のそれを褒め続けると、良くない流れとなる。

そのことはメンバー内では周知だった。

その話を振ると嫌がるギタリストなので、あとは放っておいた。

静かにキレるんだよな。



空手をやっていたらしい。

ギターを始めると同時にやめた、詳しくは知らないけれどそんな話だ。

今は疎遠になっているのか。

練習は、ああ、稽古という方がいいのだろうか……まだ続けているの?



だが彼女が音楽に熱を入れる、取り組む間にはその一面を目にする機会などあろうはずもなかった。

目をつぶれば瞼の裏にまた残像が浮かんできそうだ。

襲ってくる、死体みたいなやつら。

顔に傷がついていないやつもいる、だがそれでも誰も彼も、棺の中にいるような表情。



その男が飛び掛るあの瞬間。

その灰色の顎に、首にハイキック。

ハイキックでなく回し蹴りか……両方か。

速いし連続だしで、全部は見えていない。



半殺しにできる。

まあ、あの暴動者はもともと半分殺されているんだが。

死にかけのまま動いているんだが。

そうにしか見えない。

人間と骸骨のハーフだ。



「やっぱ、上がってくる奴はゼロじゃあないな」


「そうね」


「ひとつわかったことがある、あいつらの状況っていうか、出来る事というか」



汗をぬぐう真弓。



「目が見えていない―――ほとんど。私の蹴りを目で追えていなかった」



一同は静まり返る。

今なんと言った、真弓の蹴りを追えていない?



「え、それフツ―の人でも無理じゃん?」


「いや、違くて……だからさ……なんていうかな」


「耳だけで動いてる?みたいな」


「音を聞いて……って、まるで蝙蝠コウモリみたいね……」



蝙蝠コウモリは洞窟に暮らし、夜に狩りをする。

暗闇で餌を捉えるのに、聴覚中心での空間把握飛行をすることは、今では広く知られた話である。


「似てはいるかもな……あいつらもう、天井からぶら下がってたら完璧だった」


「やめろ、想像しちゃうだろ」


「夢呼ぉ……」


愛花も睨む。

七海は思案する。


「確かに、私もわからないことだらけだけれど、目の感じとか、かなり具合悪そうだったわ……脱出のヒントになればよいのだけれど」



夢呼以外がやや静かになったステージ上、夢呼は別のことを考え始める。

言おうか言うまいか我慢していたことだ。

真弓についてである。



敵の顎に吸い込まれるかのように踵が飛んでいくさまは美しかった。

あんな脚、上がるんだ。

やつは同性でありながら、なんか来るものがあるね。



人を蹴る時の衝撃音がまたすさまじかった。

ばだぁんッと床が鳴って、見たら敵がぶっ倒れている様には驚かされる。

自分の耳に入る際、楽器を初めてアンプにつないだ時の気持ちにも通ずるものがあった。

こんな音が出るのかと。



真弓のキックはすごかったしスカートの捲れ方もすごかった。

白い太腿が露わになるとそこに白い布は見えないものかと追いかける自分の目があった。



すごいものを見たことで感服した、と同時に衣装さんと相談してあのつんつんした性格のギター担当にめっちゃ可愛いの着させてくれ穿かせてくれというように、最適なアドバイスをしておいたのだ。

その自分の決断にグッと来た夢呼は内心ガッツポーズである。

天才か、私。




ものすごい勢いでパンツを見せながら悪をぶっ倒していくさま。

流石にフォローした方がいいか?何とかしろ、隠せって。

でもなあ、頑張ってくれないとウチら全員追い詰められているからなあ。

生きるためなら仕方がない……見るしかないかパンツを。

じゃない、蹴りを。



思えばそれまであの格闘娘は、演奏時に表立って衣装をああだこうだ言うようなことを口に出さなかった。

演奏しやすければいい、とだけ不機嫌そうに言い、無難というか無骨なヴィジュアルであった。

以前、ものは試しにと頭に華飾りまでつけさせて姿見前に立たせたときは楽しかった。

恥ずかし過ぎる、殺す気かと、お前らも付けないんならやめると赤面した真弓はお笑いだったぞ。



まあ衣装に関しては純粋に金銭的余裕がなかったということはある。

仕事や、パートは私たちも妥協せずにあれこれ探して、稼げるものを見つけてはいるのだが、バンド活動というか、楽器というものは難しいというか魔物で。

こだわるといくらでも金が飛んでいってしまうのだ。



真弓はもしかすればそれを考えて気を使っていただけかもしれないが―――。

制服より華やかなのは苦手だとか呻いていたのは高校の時だ。

今回は押しが功を奏した、成功した場面だった。



割と惚れた。

この女と付き合いたいと思ったよ。



「ま……付き合いはしなくともバンドに入れたんですけどねェ」


「何の話だよ?」


両手のひらを上に向けニヤけている夢呼に怪訝そうな顔をするギターであった。



「いやいやぁ。 べっつにぃい~~~? ……それより真弓、どうなんだい、怪我はないの、あんたは」



「……怪我がどうとかで一喜一憂している場合ではないだろうが……どうすんの、これ」



「フフフ……ボーカルである夢呼サンにできることといえば、歌い続けることしかないのよ」



やはり天才か……私は。

若干状況が好転しそうなので普段のテンションに戻りつつあるボーカルであった。

いや、歌えば。

歌えば笑顔が溢れる

心機一転。

YAM7のボーカルとしての、彼女。



やれることは、何のことはない―――今まで自分たちがやってきたこと、それと変わらないのだ、この地獄絵図の中で。



「まだまだ夜は始まったばかりさ。まだまだ、次の曲行けるよ。私の体には血液の代わりにメロディがながれてんのさ」


「……それで、いいのかしら」


七海も目を細める。

歌い続ける。


「で、この後はどうする」


さあどうする。

三曲目からはこのライブでやる予定じゃあなかった。

なにせ、予定ではたくさんのバンド・グループが一堂に会する機会だ。



一バンドの持ち時間十分ということも、決して珍しくはなかった。

この辺りは大抵予定より大幅に遅れるけれどね……。

今日のような事件はなくとも、大きな会場は何もかもが重い。

進行なども。


「またやるか。 リハ無しでぶっつけ」


「ヨシきた!」



―――



ライブは終わらない。

行けるところまで、行く。

真弓は思う。

堅実な性格をしているギタリスト、準備不足なものを取り組む際には考える。

予定とはずいぶん違っている。



いや堅実でなくとも、それ以前の問題。

大舞台でやること、やらないほうがいいことというのは弁えている。

こいつらは―――この、病気になった乱暴者は、どうせ。

曲の良し悪しなどわかりはしない。

練習をあまりしなかった曲で、いい……。



いや。

そういう事では、無いか。

上手い下手ではない。

とにかく弾かなければ。

私たちはずっとそうしてきた。



これからも、新しい曲を―――とにかくそれに向き合い。

どこまでも人の心を打ちたい。

人の心がない者たちを相手にしてでも、あるいは。


病気なのか、夢呼が言ったように。

だとするならば、まだ何か、何とかできるのか。

治る可能性だってある。

曲を聞いて、何か変わらないのか。

元に戻りたいと思わないのか。



今日のこの暴動の中で、もう可能性が薄れ、掠れてきた今、強く思う。

生きて帰りたい。

夢呼の曲でも、この際いいよ、それで。



頭のおかしい歌詞でもいい。

サビにたどり着くまでにクソって二回言ってもいい。

丸根マネの悪口でもいい。

また言える日が来たら、それでいい―――。



四人で、全員で。

けれど。

それが厳しい時は―――誰かが危なくなったときは―――?



ステージ下の、灰色の人間に視線で問う。

―――なあ、届いている?

私たちの音楽が。

そんなになっても、そんな状態になっても。

高鳴る心はまだ持ってるの?


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