第十三話 夢呼のねらい/七海のこころ 2
【11月29日 20時16分】
私たちがここでステージを使って、私たちが助かる。
その選択肢が安全だと思った、無難だと思った。
この危機的状況で。
もっとも、それができる可能性はかなり低い。
一緒にここまでやってきた四人だけでも助かる可能性。
暴力に巻き込まれたくない―――馬鹿げている。
いいことなんて一つもない。
その感情に嘘はない。
けれど。
けれどまさかこんな―――夢呼。
あなた、まさか。
人助けを。
この状況であなたが始めたのは人助け……!!
八方ふさがりなのは貴女も私と一緒に理解していたはず、行動は同じだったはず、一緒にいたはずなのに。
彼女の一挙一動に恐ろしさすら感じる。
怖いわよ、わたしたちだってマズいんだから、この状況。
今日のライブで集まった中でも新参も新参、ベテランの引き立て役となるのが順当であった女子ロックバンド、
そのボーカルが開始したのは救出活動。
物理的な人命の救出。
ボランティアなどという生半可なものではない。
本当に命を救っている。
今、逃がしている。
夢呼も観客席に落ちれば終わり。
危ないのに、命を張り、今ここに立っている。
ここに立って喉を張っている。
『どっちを聞いてる時の方が 満足いくかな わたしの声とさ ……!』
まだ生きている人がいて。
助かろうとしている人がいて。
その想いだけで、皆走っていて。
夢呼は今、手を差し伸べている、声を差し伸べている。
『Ah―――、どっちで死にたい? どうかしてしまったようだねェ とても生きてる風に見えないよ、襲えるくらい、ヒトを襲えるくらい …… 元気なのにさ』
夢呼、どこかでやめて、止めて。
馬鹿なの?
頭がおかしいの?
なにが、目的なの?
あなたが声を張り上げて、そんなふうに歌ったってあなたが助かるなんて保証は誰もしない……わよ。
そんな七海の驚愕は続く。
彼女の心情ももっともである―――危機的状況に対しては、あくまで常識の範疇でものを考えているベース担当であった。
それでも、この場では―――行動を起こさなければ。
これから、私は演奏はやるしかない。
演奏でなくてもいい、がちがちだ、緊張で―――ならば音を鳴らすだけでもいいのだ。
アンプは外れていない。
普段はとても繋げないようなランクの機材を使わせてもらっているが、しかし嬉しいという気持ちはまるでない。
観客のざわめき。どよめき。
唸り声に対抗する気持ちで。
眼鏡が片面、光を受けて白く輝く。
跳ねがちなショートヘアの先が四方八方に飛び出している。
鎖骨を見せながら振り返った彼女。
観客席をずらっと、見まわしている。
私を見つめたわけではなかった。
『どっちがいい!?
暴動者に問いを投げかける。
どちらの歌を聞きながら、ここにいたいか、いたかったのか。
今ここにいる観客の多くは互いに会ったことがない、面識がない。
老若男女様々だ。
関東圏中心だが、大人数の収容だ、様々な地域からやってきたはずである。
当然、夢呼が全員の名前を把握できるわけもない。
初めて来た者もいるなかで一人一人を理解できるはずもない。
だがそれでも、共通事項がないわけではない。
今となってはその健康状態に大きな異常を抱えつつ。
ライブチケットを買ってくれたという共通点だけを持って。
そんな大勢に、会場に溢れる暴動者に夢呼は叫ぶ。
『チケットをお買い上げいただきライブ会場にお越しいただいた皆様はどっちを聞きながら死にたいのかなァ!!』
暴動者たちが両手を振り上げ、天井に向かい、つき上げている。
あの中には、あの中には確かにいるのだ。
YAM7の演奏
私たちを目的として、来ていた者も。
「ロゥロロ ロロロロロロロ…………」
会場が揺れている。
暴動者たちの声が、無数の、振り回す腕がその音を生む。
まるで地鳴り。
夢呼はそれを受けて止めてなお、言葉を返す。
『うん、そうだね 私は……なんていうのかな 楽しんでいってほしい』
声を張り上げ続けることで、ターゲットは逸らされている。
だから、夢呼を見つめている者はごく僅かだろう。
狙いは上手くいったようで、奴らは館内の中央ホールいたるところに設置されたスピーカーに視線を向けた。
『難しいことじゃあ ないだろう? 考えなくていい』
スピーカーがあるから、何とかこの場は持っている。
例えば何かのきっかけでスピーカーが使えなくなれば、もう私たちはこの世にいないだろう。
そんなギリギリのラインなんだよ。
細い糸の上に立っているの、それがわからないの?
あなたは。
『幸せだなお前ら!ウチらも幸せだぜ! アップテンポで さあ―――次の!』
彼ら彼女らは死んでいる、もう―――死んでいる。
元に戻るという可能性を、七海では想像もできなかった。
重傷が過ぎる。
少なくとも生きる意志は捨てている、心から、大切なものがどこかへ行ってしまった。
あの世にも行けず、死にかけで両腕を振り上げ続ける。
綺麗に死ぬ資格すらないとは、なんて残酷な。
『二曲目行くぞォ! 次の曲いくよぉ! これはアガるね! 『走ったその先へ』!』
愛花のスティックが鼓面に飛び出す。
奔っていく、激しく。
二曲目は特に人気が高かったポップ・チューンだ。
百メートル走のように走り抜けるキャッチーなメロディを、私が―――支えなければ。
ああ、私の心臓は高鳴る。
リハーサルよりも、やはり、阻害される―――心臓の音が大きくて。
あとは熱い。
ステージに降り注ぐ照明は、汗ばむには十分だ。
コンディションは良くない。
テンションだけが、どこまでも上がる。
演奏しながら。
恐ろしさの中で、この女と同じ場所に立っているという悦び。
台風の目のような感情図。
―――この女に、ついてきて、私は一体どうなってしまうのだろう。
どうされてしまうのだろう。
そんな事だけを考える。
♪ 生きてる さきに ちゃんと ゴールがあるなら
馬鹿でも、頭がおかしくてもいい。
この女は夢呼だ。
夢呼が夢呼だから、私は今、この場所に立っている―――このバンドに入らなかったら絶対にダメだって思う。
追いかけたいって。
そう思った自分は間違いじゃあなかった。
わたし もっと まっすぐに いきられるのに ♪
あの女の喉から出た声が私の中に滑り込んでいく。
私は主張しない―――この音を活かす。
声を、活かす。
より響く。
そう聞こえるように。
どこまでもこの会場で、伸びるように。
♪ゴール のその先まで行ってから 力を抜けって
自分の心臓の鼓動が激しくなり、頭蓋にどくどくと響いていく。
くらくらする。
奥まで届いてる。
おかしくなりそうだ、それでも。
強い想いがこみ上げる。
強まっている―――これが答えなのだと、七海は思った。
こんな気持ちになるのはこの異常なボーカルといるときだけだ。
♪腕を 精一杯 に振る 大地を 征服 してく
♪ユメ気分 心は飛んでる
「う……ン゛」
サビに突入した後は。
いつの間にか涙が、垂れがちな目尻から漏れていた。
弦音の如く濁った声が白い喉から漏れたのは彼女以外には聞こえなかった。
ぷっくりと膨らんだ唇の端から垂れていた唾液を、続く演奏の合間に、それでも素早く拭き取る。
なんなら股間も拭きたかった。それくらい垂れていた。
帰ったら自慰行為しよ。
そう思う七海であった。
控えめに言って、気持ちが良すぎる。
今はただ、この時を楽しむ快楽に溺れていく。
今までで一番広いこの
音に飲まれていく。
この場所で弦を搔きならして生き抜きたい。
生きている今を、吹っ飛ばす勢いで。
力強く飛んでいく勢いで。
この曲を。
彼女は優秀なベーシストにして通常のレズビアンなのであった。
―――なお現在は夢呼狙いである。
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