第六話 ステージ通路/観客席2


【11月29日19時58分】ステージ上



 夢呼、真弓、七海、愛花。

 控室に向かった四人のバンドメンバー。

 逃走する―――この場から離れて安全地帯へ滑り込むことを考えていた。


 マネージャーへの報告、それも一つの手として、視野に入れてよいだろう。

 解決するかは別として。

 しかしその足を道中で止めた。

 先程まで待機していたもとい遊んでいた控室のドアは、視界の奥に確かに見えている。



 狭い、狭い通路。東京に来てからこれだ。

 全部これだ。

 建物の何もかもが、狭い。

 今日は、今回は―――今まではそうとしか思わなかったが、命に関わる。

 特にそれがマイナスに働きそうな一日。一夜が始まった。。



 廊下の奥で背中だけ見えている男がいる。

 スタッフ用のジャンパーを身に着けていた。

 しゃっくりをするようなぎこちない動きで背をずらし、夢呼たちの方へ振り返った。

 白濁した瞳に、悪い肌の色は骨を連想させた。



 さらに奥から廊下を曲がってきた者がいる。

 歩き方が下手くそな、血だらけの女が歩いてきたのだ。

 足元のおぼつかなさなど、立ち上がったばかりの赤ん坊のそれに―――似てはいないか。

 不安定で、夢遊病。

 口から、声にならない声、呼吸音だけは鳴っている。



「…………!」



 どうしたのだ、彼ら彼女らは。

 記憶が飛んで、歩き方を忘れたのか?



 体幹がなっていない、とは武道をたしなんでいた真弓の視線。

 視線と、経験上の推測を続ける。

 また一人―――いやあれはもう、一匹、のろのろと四人に向かって歩いて行く。

 にじり寄る。



 廊下は機材が通路の壁近くに並んでいる。

 故の狭さがある。

 今日のバンドの使用する者、または出番が終わったもの。

 愛花の電子ドラムは今の位置よりも、少し後方にある。

 ステージクルーがステージ近い場所に移動させていたようだ。

 先程それを四人で通り過ぎた際は、僅かながらも精神的に安心をおぼえたものだ。



「はッ……、観客席でもそうだったけど、こっちもかい」



 夢呼が溜息をつく。

 観客席から出れば、離れれば安全だという目論見は脆くも崩れ去った。


「さっきまで何もなかったはずなのに」


 ライブ会場に到着した際は、影も形もなかったはず、こんな現象は。

 ……いや、あった。

 確かに前兆くらいは存在した。

 七海がこの声を聞いていた。



 ―――何か、聞こえたような……。


 ―――そりゃ聞こえるだろう、なにかは。



 控室でのやり取りが思い出されて……ああそうだ。あの時。

 私にも聞こえては、いたはず。

 大きな音だった。

 気づくチャンスはいくらでもあったのは?



 ―――だが、どちらにせよ見に行かなければこうなっているとはわからなかった。

 に……なっているだなんて。

 確かめないと気が済まなかった。



 七海を見る。

 彼女はあまり表情カオに出るタイプではないものの、絶望を感じているのだろう。



 廊下を歩いてくる暴動者。

 不格好だが歩いてくる。

 そいつがすれ違ったベーススタンドがかくかくと揺れ、倒れそうだった。

 二人並んで通ることは、可能ではあるが。


 くそ、何が起こっている―――説明してくれる人もいない。

 チュートリアルが欲しいところだ。


「私がやるよ。私が先頭まえで、何とかするから」


「頼もしい限りだね……わたしゃ歌うこと以外は任せるよ」



 生物的な、勘でそれを感じる。

 精神的にたじろぐのは相手の間合いに入らないため。

 前に出すぎないのが正解。



 化け物。

 その男は肌荒れというには損傷がひどすぎる。

 怪我荒れ、血液荒れとでも言おうか。

 清潔感のない相手に不快感を抱く―――というのはあるが、いやそれだけでない。

 何も考えずにに触れたらマズい。



 突き―――、いや、蹴りで。

 出来る事ならばこの靴ですべてを片付けたいところだった。

 右足をやや前に出し、構える真弓。



 自分が空手をやっていて助かった。

 思い出したくもないあの親父から教わったものが、もしも柔道かレスリングだったら。

 この不気味な敵と、組まないと対処できない。



 超近距離は、まずい。

 そんな意識を持つ真弓―――無暗に暴動者に触れたら危険だ。

 この場で神経を研ぎ澄ませていたからこそ、その勘は冴えわたる。

 のちにそれはこの上なく正解であることがわかる彼女である。



 一体ずつならば楽勝だ。

 思案する。

 この場合、どう戦い―――いや、戦うよりも走り―――?

 そうする、突っ切るか!


「待って。この先にもたくさんいるかも」


 そんなことを言ってる場合か、と七海に反論したかった。

 だが、わずかに想像してしまう自分がいた。

 廊下が終わっても出演者・スタッフ専用のドアを開け、建物の正面ホールを通らなければならない構造で、そこが観客席のように、いやもっと惨状になっている可能性はあった。

 見えない位置だ。



 そこで何が起こっているか確証がない。

 考える材料が不足。

 進めば、狭い―――逃げ場も回避も出来ないと思った方がいい。

 ステージは、背後は、安全。

 確定ではない、だがかんきゃくせきとくらべれば天と地ほどの差があるのだった。



 真弓は考える。

 私はそれでもさっき、 何人も倒した。

 確かに私だけならいける。

 だが四人でとなると―――移動時に何が起こるかわからない。



 夢呼の顔色を窺う。

 流石にこのおしゃべり眼鏡も、今は黙っていた。


「なに?私の顔になんかついてる?いったんステージに戻ってハーフタイム入れる?」


 私が見た途端におしゃべりになるんじゃあないよ。

 なんかついているっつったら、あいつらの方だね。

 血がついている顔のまま、拭こうともしない。


「異常なファンがいたら逃げるのも手じゃあないかね」


「……その言い方はやめてよ」


「……ふう。ハーフタイム取りたいのは私」


 奴らは、敵は。

 さっきのステージ上で倒した何体か、奴を見る限り、かなりタフだ。

 気絶はしてくれない。

 蹴りは、しっかりと入ったはず―――だがまだ身動き、起き上がろうとしていた。

 痛いはずなのに攻撃の意志を捨てていない者。

 或いはすべて捨てているのか、最初から。



 結局正解がわからないまま、引き返した。

 愛花はスティックを持って。

 いや―――それだけでない、ドラムセットを運ぼうとした。


「愛花……」


 それを持ってどうするんだ、確かに今日、使うはずだったけれど。

 だが意外にもボーカルとベースは拒否していなかった。


「いい、いい―――傷つかないところにもっていきな」


「大切なものは全部ステージに上げちゃいましょう」


 ステージ、引き返すことにした私たち。

 相も変わらず、音の奔流。

 暴走族の抗争か何かでもおこなっているのか―――見たことないけれど。

 明るい道をわたしたちだけ行き、高見の見物しているような立場だったため、言いようのない気持ちになる。



 だからと言ってそっちに降りる気にはなれないが。

 やはり奴ら、なかなか登れないみたい。


「――っと、」


 観客席に気を取られでもしていたのか。

 その時夢呼は転がっていたマイクの近くを踏んだ。


 ド……ン。






 ――――――――――――――――――





【11月29日19時58分】

 観客席 入り口A付近



「ドアだ!開けろ、開けてくれ!」


 入ってきたドアは、閂でもかかっているようにびくともしない。

 外から抑えられている。


「ちっ」


「部長!他の出口は―――?」


「わかっている。あるはずだが、遠いな」


 二人は走り出す。

 観客は乱闘を続けていたが―――これを背景としつつ、いくつかある他の出口に歩み出す。

 二人は走っていた。

 不思議なようでもあるが、それは可能だった。

 こんな状況でも、乱闘の人だかりと、そうでない空白の部分とがあるので、それを縫って駆け足になることは出来た。

 人だかりというか、人の山というか。




 一般観客に、噛みつく連中、つかみ掛かってくる連中がいて。

 そして殴る蹴るでそれに立ち向かう若者たちがいた。

 殴る蹴る側の人間が、正常だった―――肌の色からして健康なのだ。

 暴動者の獣のような唸り声の合間に、健常者の怒声も聞こえる。



 顔色が良いか悪いか、それは遠くからの光が頼りなのでいまいちわからない。

 だが体表面、皮膚がそれでも正常じゃないものは確かに存在した。

 複雑な心境でそれを見ている。

 彼らは暗がりで見える動き方からして、凶暴で不気味ではある。

 それと同時に、になる。

 どうしてしまったのだ、彼らは―――何故病院のベッドにいない?


「病気……!」


 病気、発症、病。


「どうしたぁ!出口がわかったか!」


 もともと怒鳴る時は怒鳴る部長だったが、いつも以上に大声を上げる。

 何しろそうしないと聞こえないほどの大騒動である。


「い、いえ!」



 そしてこの暗闇の中、襲ってきた連中は我々を正確に走って追いかけてはこないようだ。

 その代わり、なのかわからないが近くにいる手ごろな人間を見定めて襲っているようだ。


 ド……ン。


 と、何か変な音が聞こえてきた。

 音であり、何かが途切れるような。

 乱闘の衝突音とは違う。

 そして妙な部分は方向だ。

 会場の―――遠い、どこから聞こえてきた?今、この音は……。



 庄司はそれに意識を取られる。

 首、視線だけ右往左往する。

 暴動者がまた何かをしたのかと考えた、この状況ではそう思う、条件反射だ。

 だが彼は気づく。

 近くにいる暴動者が、襲うことを中断した。

 何事かと宙空を見上げ、左右に首をのろのろと振った。



 庄司は、それでも移動を続ける。

 そして、眼を引く人物を見つけた。

 赤いキャップ帽をかぶり、走っているそれは、低い。

 低い位置だ。

 背が―――まだ小学校に上がったかというくらいの男の子が、駆けていた。

 にかかっていない、活発な動きで一目でわかる。


「きっ……キミィい!」


 青年の警官は思わず声をかけた。

 近くに保護者が見えないようならばすぐに声をかけろとは仕事柄の行動。

 ああ、職業病である。


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