第五話 ステージ上の戦い2/ 観客席


【11月29日19時52分】ステージ


 頭を抱えて伏せた愛花―――。

 その背の低い身体の上で爆発が起きた。

 少なくとも、愛花が感じた衝撃はそうだった。

 コンテナ木箱が弾けるような乾いた音が響いた。



 そうして、襲い掛かる暴徒の女はふッ飛ばされた。

 暴動者の歯牙が防がれ、爛れた身体が弾け飛んだ過程は、ボーカルとベースがしっかりと見ていた、見届けていた。

 果たして、何が起きたか?



 ギターのボディと衝突したのだ。

 血が滲み出た茶色の腕がしなりながら、床に倒れ込む。

 くずおれる身体の向こうに黒髪の女が見えた。


「―――マユミ!」


 弦ごとネックを強く握りしめ、そのまま七海の前にいる男に駆けだすギタリスト。

 控室からずっと抱いていた楽器を、握りしめる。

 握りしめ、力を揉める。


「は―――あああァッ!」


 ハンマーのように振るって脇板を直撃させ、暴動者の男を撃退した。

 それが楽器の本来の使用法でないのは重々承知の上だ。

 それでも、今手元にあるのは、これしか。



 男か、あるいは男だった者か。

 たん、たんと床に転がっていったのは、暴動者の前歯か犬歯だろう。

 艶めくギターボディの木破片も含まれていたかもしれない。

 倒した男の肩を、追い打ちで踏みつける。

 ぐちゅり、と変色した肌から音がした気がして顔をしかめるギタリストだ。


「離れて!こいつら、変だ!」


 ギター担当はまだ全方位に視線を向けた。

 ばさり。ロングの髪が力強く靡く。

 足で踏みコントロールし、呻く男の歯は真弓の方に向けることが出来ない。

 その後ろに愛花が隠れるように駆けよる。


「愛花、近づき過ぎっ」


「でも」


「はは……アンタのそばにいるのが一番安全だよ……!」


 夢呼も七海も周囲を見回しながら寄ってきた。

 ステージ中央で固まる四人。


「ロオオオオオ!」


 寄って来たのはバンドメンバーだけではなかった。

 下水道に吸い込まれる水のような品のない残響、喉から響いている。

 もう一体、足元がおぼつかないような動きで迫る。

 今にも倒れそうだが全身しか考えていないようだ。


「面白い音を出す豚野郎だなァ。でも私のパシフィカには及ばないね」



 このギターに愛着はあった。

 だがそれでも、彼女はそれを使ってでも暴動者をなぎ倒す。

 クリーンヒットだった。

 マユミが驚きを覚えたのは、暴動者がガードする素振りすら見せなかったところだ。



「人間はギターに劣るよねぇ、ずっと思ってた……人間ってホント汚い音出すし」



 がこぉ、とギターで頭部をぶっ叩く。

 派手に回転する瘡蓋かさぶた色の頭部、頸部。

 ステージの前方に吹っ飛ぶと、その付近にいた暴動者に掴まれ、どっと下に落ちていった。



 楽器を使ったことに後悔もあった。

 だがどちらにせよ演奏はもう、ない―――ライブは中止だ。

 どう見ても、通常の演奏が可能な場面ではない。

 自分のギターに傷がつかないようになんていう場面は終了した。

 それにメンバーを守るためには、格闘のリーチはわずかでも伸びて欲しいところだった。



 だが彼女はギターを置く。

 ステージ上の脅威は、残り目の前の一体だけだ。

 これだ、あと残りはない―――今は。

 これならば、と彼女は一気に間合いを詰め、腹に正拳突き。



 青いシャツの前を押さえもせずよろけて後退した。

 ぼたぼたと、血が跡を残していく。

 そこに、左回し蹴りを入れた。



「今日はライブだけ、やりに来たんだけどね―――させんなよこんなこと」



 両腕を肩の高さに掲げ、開いた指先は前方に。

 反撃を意識する真弓。

 いつでも跳び出せるような猫足立ちの状態。

 方向転換、機転の重視、全方位多人数への対応を意識してのことである。



 一方、倒れて床に激突した暴動者。

 肩から落ちた、墜落と言ってもいい倒れ方をした―――は、身体の自由が利かないようだ。

 中々起き上がれない。

 力の込めかたが常人に比べて、妙に―――下手だ。

 腕の筋肉がまともに機能しているか怪しい。



「見て!」



 愛花が指をさす。

 走って暴動者から逃げている人がいた。

 無事な人間もいる。

 流石に人数が多い、全員が被害にあったわけではないようだ。

 まだ―――まだ、終わっていない。



 四人は対応に追われた。

 追われはするのみ、追いつかない。

 その対応と言っても、たまに上がってくる、上がってしまう客を蹴り落とすというものだ。


「怪我すんなよ!」


 夢呼がさっと叫ぶ。


「わかってる―――けど、なんで噛みついてくるんだ、こいつら、何があって!?」



 キリはない。

 会場の観客は多すぎる。

 ステージ上に上がって来れる人数はほぼいないだけで―――。

 ―――会いに来てくれる『2000』は、多いよ。

 真弓は自分が口にした言葉を思い出し、状況の悪さを全身に受ける。

 これでは、これは……いくらなんでも。


「くッ……どうすれ……ば」


 濁声だみごえで唸ることしかできない。


「ねえ!そんなの放っておきましょうよ!」


「放っておくって言っても七海、どうするんだよ」


 放っておく、確かにトラブル対処法としてはありだろう。

 ではどうしろというのか―――この後の行き先はない観客席は危険の海、囲まれている。



 七海はステージ脇を指差す。

 その付近で照明が当たっている観客席では、茶色の肉が蠢いて押し合いへし合いしていた。

 彼らは登ろうとして登れていない大勢だった。


 元来た道へ、戻る。

 退却―――控室が頭に過ぎった。

 そこまで廊下を通っていく。

 こんなことになっても、状況になっても出来ることはある。

 まだ逃げ切ることは出来るかもしれない。





 ―――

 ――――――――――――――――



【同時刻 観客席 入り口付近】



「そこの男、止まれェッ、 止まりなさいッ!!」


 拳銃を向ける先に覆いかぶさっている人がいた。

 庄司は困惑。

 ダメだ―――ここまで人が多いと、無駄、しかも薄暗い。

 射撃は出来ない―――まともな人にも当たる。



 ライブ会場に初めて入った警察官二人は緊張の中にいた。

 ステージとはちがって、より暴動者に近い現場だ。

 そこで間近で見ることによって彼らだけが見る景色、得られる情報もある。

 ―――襲われている人がいる、逃げている人がいる。



 だがそれでも、この会場の広さ、人の数。

 銃の弾丸すべてを使っても、まだ足りないと思わせるに十分だった。

 迷っている暇はない。

 鼻先に手が迫る。


「ギャアアアアア」


「ロォロロ………」


 ほら、まただ―――悲鳴じみた声をあげて、殴ってきた。

 唾を飛ばしながら殴ってきた

 いや、腕を振り回しただけか。

 すべてが、上手く見えない。


「こ、のぉ!」


 日本語が通じない。

 言語能力の異常。

 警官である彼は一つの可能性に行き着く―――ここまで人を精神的に狂わせるもの。

 ドラッグ、麻薬。

 署内に張ってあるポスターで飽きるほど見ていたものではある。

 しかし、これほど暴力性に特化した薬物があるということか―――?



 思案している暇はない。

 残像が眼前にぎる。

 彼のすぐ目の前で、腕が、爪が空を切る。

 原因はともかく、何とかするしかない。

 たった二人でなにができるか。



 二人は、闇に襲われるような風景に圧倒される。

 人ごみ、というよりも黒いゴミ袋がたくさん重なるゴミ捨て場に似ていた。

 上司の援護などできる状況にない、回避、回避。

 腕が何度か当たったが、爪による裂傷等は、いまだ負わずに済んでいた。



「部長!これは一体―――」


「止まりなさい、止まれ!」


 まずは近くにいた女性を引きはがす。

 その際の暴れ方、動物、獣の膂力。

 これがまた、女とは思えない力だった。

 両腕を持って引っ張る。



 庄司巡査も冷や汗をかいた。

 格闘のさなかである。

 警棒の強化樹脂に懸命に噛みついてくる暴動者。

 腕の力を振り絞り、押し返す。

 ただの喧嘩ではない、こいつら、何かがおかしい―――。



「庄司!いったん引き上げるぞ、応援を要請だ!」


「……はい」


 二人が走り、人を押しのけていけば、暴動者も人ごみに邪魔されて上手く進めないようだった。

 今更だが、視界が開ける感触がある。

 光景、その解像度が上がってきた。

 闇夜に目が慣れてきた。



 人が多すぎることで、移動においてはそこまで不利ではない。

 その時、若い方の警官は遠くのステージが見えた。

 一瞬、視界に映ったのだ。

 女が四人、ステージ脇に駆けていくところだった。


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