第四話 ステージ上の戦い


【11月29日19時45分】



 会場前に通報を受けて到着した二人の男がいる。

 彼らは、杜上もりがみ庄司しょうじ

 現場に車を停め、その赤色灯を消さずドアをばたむ、と閉め、路上の落ち葉がふわりと舞った。



 パトカーから出た二人の男性警官は、さっそく現場の敷地を確認する。

 繁華街と言って差し支えない―――高層ビルが密集する地域が見えた。



「現場では少なくとも男性九名、女性十名が暴れている。暴行は、主に噛みつく等の手段」


「全員別々の関係で、特に面識がない者同士で争っている」


 感情を消して現場の状況を読み上げてはみる若い巡査。

 読み上げてみるものの―――内容を確認、意味を咀嚼していくと疑問である。

 本当にそんなことが起こっているのか。



 ひっきりなしに署にかかってくる通報の電話に、最初に到着したのは、偶然付近をパトロール中の二名だった。

 二名―――他はまだのようだ。

 庄司は現場である建物に走りつつ、静かに問うた。



「部長。これ―――本当ですか?」



 言ってから、ひどく腑抜けた声になってしまったことに恥ずかしくなる若き巡査。

 だが報告内容が奇妙だという印象は正直な感想である。

 そして、それを太い声でいさめる上司。


「黙って従え……署の仲間を信じろ」


「……仲間を信じていても、通報までは信じることが出来ませんよ」


 若い方の彼は疑っていた。

 いたずら電話の件数が増えている傾向にあると、いつだったか同僚がそんな噂をしていたのだった。



 大きなドアを背中で抑えていた数人の人間に、警察手帳を見せ、通る。

 現場に急行だ。

 杜上もりがみという彼、皺が増え始めた壮年の警官は腰の後方に装備した手錠を、いま一度手で触れる―――いつでも使えるように。

 暴れている人数のことを考えると、おそらく修めた武道に頼った方が賢明だろうが。



 ドアをふさいで息を荒げていた者たちには、制止された。

 行くな、行ってはならない。

 だがそれでも通報を受けた以上、対処しに行かなければならない。

 耳を貸さずに前に進む二人。



 ここで何もしなければ、あとから何を言われるか、わかったものではない。

 既に怪我人も出ている。

 初期の対応によって被害に差が出る。

 はやい段階で元を断つ―――止めなければ。


 そのホール内は、ドアを開けて突入した時には既に大きな騒ぎが起きていた。


 闇の中で、無数の何が動いている。

 最初はそうとしか思えなかった。

 血の臭気の量で、事態の切迫は感じ取れた。

 目が慣れるにつれ、状況の把握と、その困難さが浮かび上がった。

 視界は暗い。

 暗くて―――しかし全くの停止ではなかった。

 だがその暗闇がうめき声と共に蠢いている。



 電話はいたずら電話だったのだろうか。

 確かに今日の巡回中に突如入ってきた無線情報には誤りがあった。

 人数だ。

 その音、騒音から察するにパニック状態。

 どう少なく見積もっても百名は暴行に加担している最中である。


 ―――ロロロ、と。

 溜息か―――。

 最初に庄司はそう思った。

 奇妙に低い声。

 騒音のため足音はほとんど聞こえなかったが、何かが近づいてくる、と気づいた時には、十を超える灰白の棒がつきだしてきた。

 全て人の腕だった。

 直ぐに、その腕の持ち主である顔も自分たちに向かって走り迫る。






 ――――――――




【11月29日19時48分】ステージサイド



「これ…………え?なんかの……」


 演者用の廊下を抜けて、夢呼達が会場に到着すると、その空間は大変な騒ぎであった。

 騒ぎ―――騒いでいるという段階ではない。

 まず怒声、何かに向け、嫌悪感を精いっぱい吐き出す悲鳴

 そこにイベント時の楽しげな雰囲気は一切ない。

 暴力が蔓延はびこり、目を細めて嫌悪。



 真弓は動けなかった。

 それらの、観客全員が全員叫ぶかどうにかしているそれを、舞台袖の暗がりから覗き込む。

 折り重なるように、じっと見ている四人。

 何が原因でそうなったのか知らなかった。

 ひたすらに叫び声。

 だが、それだけではない。



 何か硬いものが倒れるような音が聞こえてくる、

 それがタイミング、きっかけを生んだ。

 急いでステージを覗き込んだ。



 恐れはあった―――だが檀上はどうも、空白に近い。

 人がいない。

 ステージ脇から顔を出した時の想いは、期待や興味だ。



 観客がどういう理由か、やけに騒がしい。

 それほどの規模のアイドルグループがやって来たのか?

 いや、そんな声とは違うものが、感情があまりにも多すぎる。

 四人が怪訝な顔をしてお互いを見る。

 純粋に疑問だった。



 騒ぎはどうもステージではなく観客席側だ。

 暗闇の中、観客がもみくちゃになって抱き合っている。

 抱きつかれたほうが逃れようとして、這いずっている、ようだが実際はわからない。

 やはり、暴力だ。

 殴る蹴る―――蹴るの方は足元が見えないからわからない、確証は持てないものの。

 暴行がはびこり、目を細めて嫌悪してしまう夢呼。



「なんかの……あの、」



 撮影、だと思いたい。

 予定通りではないことだとは思う、しかし、新入りである私たちには知らされていない、客を喜ばせるパフォーマンスかと思った。

 あるいは、四人がそう思いたかっただけか。

 喜ばせる路線ではないものの驚かせる系、悪趣味系のものはたまに経験した彼女達である。





 どうしてこんなことになっているのか、わからない。

 ステージの上には楽器があった。

 マイクスタンドをはじめギターもキーボードもあったが、乱雑に転がっている。

 地響きのなか影響を受けて、床で小刻みに振動していた。



 すべて私たちのものではない。

 私たちの前に出番があるはず、ボーカルを担当するROUKAはステージにいない。

 客席の奥で蠢いていると思ったら、誰かに噛みついている。

 馬乗りになっている。



 今の時間演奏しているはずの、ギタリストは姿は見えない。

 キーボード担当の、確かKENさんは……いない、どこだ。



「……!」


 人が大勢、折り重なって倒れている。

 それぞれ方向がばらばらに走る者。

 薄暗いが観客席で大勢の人間が蠢いている。

 ステージ近くの様子が見えた。



「これはケンカか?」


「なに、え……?」



 四人はステージ脇から出てきた。

 そのまま歩いて行くのは簡単で、おそるおそる中央に出てきたものの、どれくらいの間だろうか、何もしなかった。

 観客席の全容を把握する。

 いや、すべてを見回すことは出来るのだが、それでもわけがわからない。



 この非常事態になんだが、数十秒のフリーズ。

 ぼうっとしたまま時が過ぎたような感覚だった。

 あまりにも風変わりな光景なものだから、驚いていただけなのかもしれない。

 恐怖を感じるはずだが、不思議、意味不明だという想いが濃かった。



 どうすればいいかわからず狼狽えた。

 顔を見合わせて、硬直していたが、それでも事態の把握に努める。


 ―――何か、聞いてる?


 ―――いや、なんにも。


 ボーカルとギターの視線で交わされた会話である。

 誰も事情は関係者から聞いていない。

 困惑と沈黙を破ったのは、とある観客だ。



 暴力目的で掴み合っている男女を背景として、一人、こちらに向かってくる。

 ステージの台に両手を乗せる者がいた。

 若い男だ。

 と言っても今回ライブの年齢層は皆そんなもので、十代から三十代が多い。


「ダ、ダメ!ダメだよお客さん!ステージに上がるのは禁止になってて―――」


 言いながら駆け寄ろうとしたドラムス。

 こんな時ではあるがその背の幼さに癒された面々、庇護欲をそそられる。



 だがその愛花の歩みが、減速、いや停止する。

 彼女はかける声を失った。

 そこには乱暴な客に対する怯えもあったが、

 声をかけても無駄だと、本能で悟ったのかもしれない。



 ステージに降り注ぐ照明に照らされると、色黒く岩石のようななにかは、顔面だった。

 血まみれでボロボロなのだ。

 涙すら墨を混ぜたような跡がつく。

 顔はすすをかぶったような黒い汚れ。

 それでもなお、瞳は白く見開き、ぎらついている。



 さらに腕を振り乱したが、胸のくらいの高さのステージにはなかなか上がれないらしい。

 もがいているその様は幼子に見えなくもない。

 筋力がどうなのか知らないが、上がろうとして上がれないものが多かった。

 階段部はあるのだが、つまずいたり滑ったり。

 どういうことだ。



 それでもこわれた機械、玩具のようにステージに胸をぶつけ歯を剥き、ぶつかり続け、腕だけを乗せて叩く。

 おおおぉ、と獣のような唸り声を上げ続けている。

 会場に響く無数の声は、反響した結果なのか、猫の喧嘩に少し似ていた。



「な、何だよこいつら!ファンの皆さんが……何を?」



 人間だとは思えない。

 通常の人間だとは思えない。

 怪我をしているからには暴徒からの暴行被害者だろうが、私たちへの視線は、助けを求める風ではないのだ。

 ステージに何人か、上がってくる素振りを見せている。

 何時登り切ってもおかしくなく、その先の未来はあまり良い予感がしない。



「最近の熱狂的なファンの方も過激だね……それにしてもこれは」



 病気。

 病気になっている。

 ボーカルは虚勢を張りつつも、考えた。

 ひどい症状の病気になっているという推論だけはあった。

 そしてその後どうすればいいかわからない。

 症状もそうだが、症例が多すぎる、何十人、何百人―――?



 病院の集中治療室かどこかからでも連れ出されたのか。

 その可能性が近い、そうとしか思えない。

 意識がもうろうとしているのか、だがそれしかわからず。

 誰も彼もが騒ぎに巻き込まれ、自分たちには説明の一言もない。



 ボーカルがふと、振り返る。

 そして息を呑んだ。

 どうやって上がって来たのか、一人の暴徒がベーシストナナミに近付いていたのだ。

 彼女は観客席を見つめて何事か考えている様子。

 走れば秒で接触する間合いになった。

 背後だから彼女は気づかない―――!



「おっ……!」



 声を上げるが同時に絶句したくなる。

 なんだ、脚を引き摺るような奇妙な動き。

 両腕を突き出し、獣か、外遊びが好きな子供のような危うさがある。

 怪しい、危うさ―――。



 単調に突撃し、七海が身を翻すと、滑って派手に転んだ。

 彼女も若いようだったが、その運動神経は見ていると高齢者を思わせた。

 他にも挙がってくる奴らがいるようだが、大抵の奴らはそれをする前に近くの、周りの目標に目移りしていた。


「何を!なに―――やっとんがんけ!」


 思わず方言で叱責する程度には慌てた。

 驚天動地、後ずさるベース担当。

 男は照明に照らされていた。

 この男も肌も、その中身もおそらくボロボロだったという点ではさっきの男と変わらなかった。

 だが違う種の戦慄を味わう。



 エナメル質に派手なカラーリング、そんな服装を着こんだ男。

 いや、衣装を身に着けた病人だった。


 大型ライブハウスにおいて遠くからの視認性を意識する服装をする者は限られてくる。

 今日、自分たちよりも前に演奏していた、『イビザ』のバンドマンだった。

 昼間には、確かに会って、丸根マネージャーが挨拶をしたら笑顔で返事した。


「あ、あの、あなた……!」


 キーボード担当のKEN。

 知り合いの、バンドのメンバーだった。

 楽器よりもパフォーマンスの際の衣装に散財するという噂があることで、それなりに目を引いていた者である。

 だが今となっては、汚れた服装、それが引き裂かれたのか?

 はたして破け皮膚が一部露出している身なりを整えるそぶりはない。


 ただ目の前の七海を見つめて、口を半開きにする。

 歯を剥いている。

 その半開きの口から漏れるような呼吸が苦しそうだ。



 顔つき自体は端整な、ステージ映えする男前だったのだろう。

 外人じみて高い鼻の穴から血を垂れ流し、豊かな肉があったはずの頬がほぼ擦り剝けている、歯茎が黒ずんでいるためか、歯が白く強調される。


 常時から大きかった目は睨みつけているが、睨めていない。

 焦点が合っていないのか。

 濁して黒目がほぼ消失している。

 白内障を思わせたが、身体から発するオーラはひたすらに黒い闇だった。


 違う、別のヒトだ。

 こんなことになっている人間が曲に合わせて演奏できない、出来るわけがない。

 そんな困惑。



 一歩前に踏み出した、その姿勢もおかしかった。

 膝が片方、ギブス固定でもされたかのような曲がり方でもってして、跛をひいている。

 スタンスを開き、低くしゃがれた声を出して。

 ステージの上にぱたたっと鳴ったのは、血が首から飛び散って落ちたためだ。



「……っ!?」


 七海は後ずさりする。

 それなりに場数を踏んで緊張する場面も乗り越えたことのあるベーシストは思案する。

 汗水で化粧の下が気持ち悪い。



 マジで言ってんの、これ。

 演出のこれ―――。

 演出だ、そうに違いない―――新人の自分たちを驚かせるために観客も巻き込んで仕向けたドッキリ。

 かなりのクオリティだ、造り込んである。

 そうなんだ。

 そうに決まっている。

 もしそうでなければ―――そうでなければ、ええと。



 大きく開いた口、顎が落ちきって首が見えない。

 舌が動くのが見えた。

 かと思うと顔で突っ込んで高速で、七海の右腕を噛んだ。


 夢呼からはそう見えた―――息を呑む。

 だが、一足、いや一手先に手を引いていた―――七海は無傷だ。

 後ろ手に、後ずさる。


「くっ……」


「七海!」


「困ったわね―――まだ何も弾いていない、この、この私に何の用なの」


 ベーシストは躱す。

 襲い掛かる魔の手は、何度も繰り返すが肌には触れなかった。

 先程噛まれた男が立ち上がり、腕を振り上げて倒れ込むような動作をした。

 身をよじって爪を避ける。



 男は首の左半分ほどを血に染めている。

 だがその命に関わりそうな傷をものともせず、口を半開きにしながら突進。



 暴動者(?)と思しき者が、何度も両手を前に突き出して突進。

 彼女はよけながらも徐々に追い詰められていく。

 ステージの奥だ。



 愛花が不安気な表情のままその動向を見守る。

 ステージ中央後方、いつもの定位置あたりだった、そこで固まっている。

 肩を抱いて。

 どうしてこんなことに、本来ならこの位置で演奏を開始するはずが―――。

 二人に交互に視線を送る。



 肩に置いたその手はスティックを握るのみで、顔だけ右往左往。

 その彼女の背後、頭上に、ゆらりと影が。



 黒ずんだ口内と牙が近づいていた。

 牙―――実際は前歯と犬歯だったものだが、今となっては猛獣と同程度の危険。

 愛花の後ろに、一人---!


「―――愛花ぁあああ!」



 うかつに動けない状況の七海が、それでも動きたくて身をよじった、震わせた。

 痛いほど、目を見開いた。

 伏せるように指示をしようとしたところだった。

 今度はステージに、豪音が響いた。


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