第三話 控室3


【11月29日19時45分】




「―――結構さぁ、盛り上がってるよね」


 なんていうか、と。

 ベースの七海ナナミが、探り探りな声色でつぶやいた。


 彼女はいつの間にかスマートフォンから視線を離しいた―――そして純粋に疑問を口にする。

 その際真弓に、少しだけ画面が見えた。

 何らかのメッセージ。

 先程まで友人とでも話していたのだろう。



控え室こっちまで音が届いてる……」


 いや、なあに―――ずいぶんと、その、激しいなって思って。

 そんな感想を呟く七海。



 確かにそのとおりだった。

 会場から聞こえる歓声がそれなりに大きくなり、ここまで人の声が届いている。

 この小さな控室は、いま四人がそうしているように演奏、リハーサル室も兼ねている。



 そのため他の部屋からの音はシャットダウンされる。

 ……される傾向にある。

 会場のこちらへの防音性能は、なかなか信用できない。

 バンドマンとしての経験上。

 歓声は大きい―――相変わらず。


「それって対バンが盛り上げてるってことでいいの?」


 夢呼たちよりも前の出演バンド。

 共演者バンドがなんらかの盛り上がりを生み出そうとしていて、それが功を奏している。

 観客を唸らせるようなパフォーマンスをしたのだろう。

 そういうことだろうと真弓は思った。

 思ったというか、観客席からの声がそうなのだから、それ以外は在り得ない状況だ。




「アタシらも負けてられないね」


 そんな夢呼。

 ギターは目を渋く細める。

 自分たちはバンドとしてまだまだ若い方で、格下なのはわかりきっていることだった。

 こいつは状況をわかっているのかと。



 少しも縮こまることはないこの女、夢呼は。

 ……いや、私も腹をくくる時なのはわかっている。

 ここまで来て、これでは私だけが恐れおののいているようではないか。

 私だけか?

 揺らいでいるのは。



 それにしたって夢呼ユメコ、奴も少しは緊張している素振りでも見せてくれればよいのに、なんとなく良いのに、ここまでへらへらしているのは流石に馬鹿じゃあないのかと思う。

 緊張感の欠片すら感じない。



 そう思案したあとに、一同は違和感を覚えた。

 歓声だよな、これは―――と。

 確かに若者の黄色い声―――もあるにはあるのだが、鈍い音、何か振動のようなものも混じっているような。

 喜び以外の、良くないものが混じっているという雰囲気に溢れている。



 元々、同時参加のバンドのうちの一つからお誘いがあった。

 今の自分たちが単独でこの規模のライブステージに来ることはない……。ボーカルは楽しそうに笑う。

 まあいつも憎たらしいくらいに楽しそうだ、とはギターの寸感だが。



 その考え、認識は頭の隅にあった。

 しかし、真弓はちらりと予定表を見た。

 楽曲譜の裏面に張っておいたものだ。

 それによれば今の時間は空白である、休憩時間、小休憩。

 誰も演奏していない―――予定に遅れが出たか?

 そのための小休憩でもあるけれど。


「でもおかしいね、まだ開演前なのに」


 やはりタイムテーブルとしては、休憩時間のはずだった。

 予定表を確認する。

 この大一番、自分たちの出番の迫る時間帯の確認、まさか見間違いかと思い真弓の心境は急変。

 がたん、と椅子を揺らし勢い余ってギターを取り落としそうになる。

 時間を間違えた―――?

 握っていた相棒のネックをなんとかひっつかんで、ギターを取り落とすのは阻止。


「セーフ!」


 おかげで楽器に傷はつかなかった。

 もっとも、長く過ごした相棒だ、ボディの端、尖った部分など、塗装が剥げている。

 しかしそれもまた愛着がある、歴戦の武具。

 そうこう慌てながらスケジュールを確認するが、事前に確認した通りであった。

 じゃあなんでこの、軽度の地震のような歓声が聞こえるのだろう。


「ふっふっふ―――これは良い兆候じゃあないかな?」


 眼鏡を白く煌かせ、ボーカルが言った。

 意図してのきらりじゃあないと思うが、控室の独特な光源具合で、そう見えた。


「ああん?どういうことよ」


「うちらもついに来るところまで来たっていうことさ、ミーハーな連中が楽しんでる」


「演奏どころかまだステージに立ってさえいないのに」


「大人気のうちらのバンドはそうなんだよ。 演奏開始せずとも、その出番が近い―――これだけでもう女の子たちはキャーキャー言うのさ」



 得意気なボーカルである。

 笑顔、その調子のまま例を挙げる。

 ニュースで大物俳優が来日した時みたいな騒ぎなのさと。


「そういう―――ものなのか?」


 真弓は戸惑う。

 確かに、自分たちに今、が来ている。

 今夜、この会場のステージに上がれることだけ取り上げてみても、それは確かである。



 出演するバンドに空きが出たということで、たいして知名度の高くない自分たちがゲスト出演出来たのはマネージャーが上手く情報を集めて繋いでくれたことと、相当な幸運。

 もともとこのライブで演奏を想定されていた有名バンドがあり、彼らは今、別件で上海に御呼ばれしている頃だ。


「サッカー選手なんか、空港に来ただけであれだ、ファンが詰めかけてごった返しているだろ。コートでもない、ボールもないっていうのに。あれでファンは大騒ぎするのだ」


「有名なヒトなんだからそりゃなるでしょ」


「マユミもキャーキャー言ったことあるの?」


 だしぬけ、愛花が質問を飛ばす。


「いや、空港行ったりが、まず日常じゃあないし……」


 まあとにかく、自分たちも界隈ではこれから伸びてくるバンドだという声もちらほら。

 いやしかし、今は会場の様子か。

 自分たちが知らないだけで、ここではいつもやっていることなのかもしれない。

 この騒ぎ。

 そうだ、やはり演出の何か、これも一興。



 真弓はいま一度深く息をする。

 落ち着くのだ。ざわついて落ち着きなくなって、初心者丸出しになるのは格好が良くない。

 心を鎮めるのだ。

 ステージに立つようになってから何年かたったけれど、その度にこのざまではどうする。

 いかに先輩バンドばかりだと言っても、この状況、舐められてはいけない。



「なかなか騒いでるな、何かすごい人、すごいバンドでもやってきたのかな……?」


 予定外、サプライズということでだろうか。

 直ぐに思いつかなかった。

 出演者側である私たちにもわからない。



 少し考えた真弓は、考え猛った何も思いつかず、丸根マネージャーの目を見た。

 彼の表情は私たちと同じもののように思えた。

 疑問、懐疑。

 そんなものである。

 考え事をして、


「ふむ、妙にやかましいね」


「でも丸根マネだって、なんか全国から集結した雌共メスどもにキャーキャー言われてモテたい、みたいな下心はあるんだよね?」


「言い方、その言い方よ……頼むからボーカルとして立っている間はその癖押さえてね……。まずキミが心配だね……いやもう、心配の方が強くて」


「ありがとう」


「もういいよ!なんかもう、いいよすべてがどうでもいい!ボクはもう一度、音響さんに注文つけてくるから、音響室に行くよ」


 頭をくしゃくしゃとしながら丸根マネは嘆息する。


「おーっす!うちらもアップしてるんで!」


 一同が手を振って応じる。

 そうして、もさもさ頭のマネージャーは閉じたドアの向こうに消えた。



 それから、四人も準備に取り掛かった。


「あったまってる観客を待たせちゃあ悪い、少し早いけれど行くかね」


「………」


 ライブハウスのステージ控え通路はそう広くないことが多い。

 ライブハウスっていうか東京に来てからこうだ、何もかもが狭い。

 そこで長く待機するのは気が引けた。


「まあ、遅れるよりはマシだろう」


 控室にあった機材の残りを担ぐ。


「愛花、何にもなくていい?持っていくもの」


「わかってるー! ていうかほとんどもう運んだよ! スタンバイ愛花だ!」


 スティックだけ手にもって立つ愛花が、最後について行く。

 四人は控室を後にした。


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