第二話 控室2



 同時刻【11月29日19時38分】



「ダッ ダッ ダッ ダッ ピシャピシャあああああン!」


 ドラムスの愛花アイカが叫ぶ。

 足を床から浮かせつつ、何も握っていない両手を振り回している。

 両手の動きの後、首も同じくらいの振幅でゆらゆらアイドリング。



 ふり乱した髪が箒のように空を掃いて、自身の肩を叩いた。

 首は振る日と振らない日があって、振る日の方が身体の調子がいい―――かは知らない。

 全部その日のノリだ。



 どうも、ずっとヘッドホンを付けていたようで、こちらの様子など知らないらしい。

 バンドの全員が聞き慣れている、サビ直前のリズムが現状のお気に入りツボらしく、頭の中に流れ続けている。

 故に、ああやって突然練習を始める。



「………」



 ボーカルとギターがじとりと見つめる―――。

 エアドラムだ。

 愛花自身はその視線に答えるでもなく、頭を揺らしつつリズムを取っている。

 睨む先は鼓面ではなく空中―――まあいつものことだった。



 いつものこと過ぎる。

 今日も今日とて平常運転、考え事などしないのだろう。

 悩みなどなさげである―――あれはあれで、大舞台に強い人間なのだろうか。



 その奥にいた鳶色の髪をした女が七海ナナミだった。

 落ち着きある涼し気な表情を、今日も維持して変えていない。

 ドラム担当のことは視界に入れても、はしゃいでる室内犬くらいに考えているようだ。






「―――ダメだねえ、この歌詞は!」


 丸根マルネマネージャーが紙束から視線を上げた。


 もさもさ頭のがトレードマークの若い男性マネージャー。

 頭髪の生命力が有り余る、若干絡んだような長さ。

 そのためか逆にカツラっぽく見える、とはギターの心境だ。

 沖縄あたりの熱帯植物的にも見える。

 鑑賞出来て可愛いと思ってるのがドラムス。



 ボーカルはと言えば、彼の座るもとへと歩いて行く―――用件が歌詞、つまり書いた奴との会話が始まる。

 数枚の紙束は夢呼ユメコの出した次曲の案だった。


「アップテンポな曲を付ければいけると思って、この曲はキテます。これライブ向きですよ」


 まるでまったく、悪びれないボーカルが丸眼鏡の奥で眉を八の字にしてにやける。

 正面からみると相当腹立つ表情だろうな、と思うギター担当だった。



「ライブ向きというかお客さん向きですよォ―――間違いなく盛り上がるなぁ、ウン」


 言わんとすることはわかった。

 曲に合わせて掛け声、コールしやすい曲。



「僕はねえ、キミたちを今をときめくガールズバンドとして売り出したいの。ティーンズ向けファッション誌の企画から生まれたのよ私たちぃ、みたいな、オシャレな女の子を演出したいっていう話はしたよね?」


「まあいいんじゃないの?丸根マネが本気でやりたいなら」


 うんうん、と頷くボーカル。


「きっと上手くいきますよ、泰山の滴、石を穿つっていうじゃないですか。 続けりゃあ きっと結果はついてくるもんだと思います」


 緊張でおどおどした態度は改善せず、自分の肩を抱きながら言葉を返すギタリスト。


「なんでちょっと上から来るの?しかも二人がかりでサラウンドで……まあともかくだ。そのボクの想いは虚しく潰えたよ―――出してもらった曲だよ曲。全然キラキラしてないのね。やたらと攻撃的な歌詞だしこれ―――一題目のサビに辿りつくまでに『クソ』って単語が二回も入ってるの、これは言い訳あるかなぁ、ねえ夢呼?」



 作詞はボーカルがやった。

 やったというか、やらかしたというか。

 丸眼鏡の奥の瞳が片方、ゆがむ。



「いやいやいや勘違いしないでくださいよ! 歌詞をちゃんと読みました? このクソみたいな世の中に負けちゃあ駄目だぞ! クソ上司にも負けるなっていうメッセージをだねェ、 今時のボーイズエンドガールズに向けて発信してるって、ことで―――つまり!いい歌詞でしょ?」


 なあ愛花。と夢呼。


「うんっ」


 いつの間にかヘッドフォンは外してこっちを向いていた我らがドラムスだった。

 つぶらな瞳が、きらきらと光っている。

 ゆえに全体として印象は幼く見える―――肌の色つやの良さが、女性的な美よりも赤ん坊のそれを連想させる。


「そういうのにするからオシャレさが消えるの!キミ達今までそうだったかもしれないけど、もっとふわふわした感じでも全然イイんだよ、もう―――推敲しないと……あとクソ上司って何? それはもしかするともしかするけど、キミたちのマネージャーになったばかりであるこのボクに対しての答えなの?」



 丸根マネは最近お世話になっている音楽事務所の人間だ。

 それまでネットの一部界隈で曲を演奏し好き勝手やっていた四人を、有名なステージに立たせたいとあれこれ行動を起こしている真っ最中。



 だが歌詞を相談する際は夢呼と対立することが多い。

 暴力的であったり、癖の強い独特な歌詞の夢呼と、お茶の間でも流せる万人受けのバンドにしてあげたいという丸根マネでは、意見はくい違い。



 そう、これこそがバンドの転機にありがちな例のアレ。

 テレビで見るアレ。

 ヒットを飛ばし、社会的に成功したバンドでもたびたび直面するアレ。

『音楽性の違い』、というやつである。


「否定しないよ。 キミのは本当に音楽が違う、いっそ間違っている。 バンドが解散時に口にするは実際のところ音楽性どころか経済的に難しくなったとか男女関係とか、まー色々あんだけど、キミのは本当に間違ってる」


「……え、男女関係が?」


「音・楽・が!!」



 真弓の表情からは硬さが見えなくなった。

 本番を控えていたはずなのに、いつの間にかほころんでいる。



 今まで、来場者の顔がすべて見て取れるような小さな場所が多かった。

 それがまた、つながりを感じることが出来る確かな感触がある

 そんな会場ではない今日の空気、当初はピリピリしていたのだが。



 ボーカルとマネージャーのやり取りを眺めるうちに自然と笑えてしまうのだった。

 良いライブに、なるといいな。

 自然そう思えた。


「ま、今日は先輩バンドも多い。見ていて―――そうだね、キミ達にとってプラスになることが多いはずだよ」



 メンバーの緊張がほぐれたところで、丸根マネージャーはいった。

 それを眺めてしらけたボーカル。

 仲良くやりましょうよ、というような優しい視線はどうにもむず痒い彼女であった。

 ふと、ベース担当をちらりと見た時、気になった夢呼。


「あれ、七海ナナミどうかした?」


「ちょっと待って」


 片手をあげるベース担当。

 そのまま停止した。

 彼女はなにか新しいポーズを取り、撮影でもされたいのかな、などと思ったのはドラムス愛花。

 黙って止まっていればやや目元が頬に垂れている、綺麗めお姉さんという佇まいである。

 事実、真弓からも最初はまともな人間にしか見えなかった。

 髪をかき上げている手の、その指も白魚のよう。


「何か、聞こえたような……」


「そりゃあ聞こえるだろう、なにかは」


 夢呼は何でもない風に言う。

 まるで興味なしな状態である。

 大きな音を鳴らす―――ここがそのための施設であることは、満場が一致するところであった。



 だが七海はそんな軽薄眼鏡にたいした苛立ちや、感情すら向けない。

 さらに耳を澄ます。

 そのためにそっと髪をかき上げた。

 彼女の意識はそれのみに集中していた。



 聞こえていた。

 正体などわかりはしないが。

 洪水のように、それは続いている。



 会場の方から、何か、とてもたくさんの音が……?


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