#9

味がしない。

ここのコーヒーは結構お気に入りなのに。

今日はまるでお湯を飲んでいるみたいな、そんな気がした。

目の前に好孝が心を許した美加がいる。

そう思うと胸が締め付けられる。


「杏子ちゃん。急に来ちゃってごめんね。」

「ううん。別に私は・・・・」

「好孝、元気?」

美加の口から好孝の言葉が出た途端、胸がチクリと傷んだ。

「なんでそんな事聞くの?」

精一杯の抵抗に、美加は小さく笑った。

「まあ、もう関係ないか。」

「あの、なんで急に?」

「・・・・好孝に言われたの。もう終わりにしたいって。ちゃんと大切にしたい人が出来たって。」

「好孝・・・」

ちゃんと私の事、大切に思ってくれてるんだ。

少しホッとし、一口飲んだコーヒーの味が口に広がった時だった。

「でも私、好孝の諦めきれなくて、別れた後で好孝の事追いかけたの。

そしたら私、見たの。好孝が違う女性と会ってる所。」


持っていたコーヒーカップが音をたてて、下に落ちた。

落ちたカップを不機嫌そうに片付ける店員。

その店員に申し訳なさそうに謝る美加。

その頬には涙が流れていた。

「・・・・なんで泣くの?」

「え?」

「なんで美加が泣くの?私の方がずっと一緒に居るのに。美加と好孝なんて数ヶ月の関係なのに。」

「杏子ちゃんそんな言い方ないじゃない」

「好孝の事だって美加が好孝の事誘ったんでしょ?好孝は優しいから、断れなかった。ただそれだけだった。」

「杏子ちゃん・・・・」


残念そうな顔で美加は私を見つめている。

やめてよ、可哀想な目で私を見ないでよ。

「話はそれだけ?ごめん、私帰らなきゃ。

これ、お金。」

千円札を一枚置き、私が席を立ち去ろうとした時。

「杏子ちゃん!このままでいいの?

好孝、本当に杏子ちゃんの事大切にしてくれるの?」

後ろから美加が涙が混じった声で私に問いかける。

許しちゃいけない事だって分かってる。

これからまた自分が傷付く事も。

でも。

「私、もう戻れないの。好孝の居ない生活なんて。」

振り返り、力なく美加に笑いかけると店を出た。


鍵を開け、玄関に入ると奥で声がした。

「おかえりー」

それはいつもと変わらない、大好きな声。

靴を脱ぎ、リビングに入ると鍋をかき混ぜる愛しい後ろ姿があった。

「今日はビーフシチューにしたんや。外寒かったろ・・・・って、どないしたん?」

「え、何でもないよ。ただいま、好孝。」

「おう、おかえり。」

好孝は優しく微笑んで私を抱き締める。

頭の中いっぱいに好孝の匂い。

前のような香水の香りなんてしない。


「本当に杏子ちゃんの事大切にしてくれるの?」

美加の言葉を掻き消すように、私は好孝の背中に腕を回し、離れないように抱き付いた。

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