エピローグ

「やあ、君か」

 私が部屋に入ると、白黒斑模様の白衣を着た飄々としている男がそこにはいた。どこか嘘くさくて不気味な笑顔を浮かべている。そのくせ目は一切笑っておらず、むしろ冷淡だった。

「待ってたよ。といっても君の話はよーく聞いてたからあんまり久し振りって感じではないけどね。まあとにかくお帰りなさい」

 言葉だけ聞くと愛想良く私を迎えているように思えるが、情は何一つ込められていない。事務的で淡々とした語り口だった。しかしこの男のそういったところは今に始まったことではないので、慣れてしまっていた。だからこのとき私は私の話を聞いていたというこの男の言葉が気になった。

「誰に聞いたか気になるかい? 気になるだろ。実は片桐君から君の近況については聞いていたんだよ」

 片桐という名を聞いて、私は少しだけ反応した。しかしそれはちょっとした身じろぎ程度だったのだが、薄気味悪いこの男はその僅かな動きを見逃すことはなかった。益々笑みを深めると、

「ああ。やっぱり気になるかい。それもそうか。一年も一緒に住んでいれば多かれ少なかれ、良くも悪くも情というものは出てくるものだ。それは人だって君みたいなものだって変わらないってことか。くっくっく、面白い」

 そう言って、忍び笑いをする。私は背中につぅっと汗をかく。どうしてこの男はこうも不気味なのだろうか。男の仕草の一つ一つが私にとって恐怖を与える。正面切って笑ってもらえる方がどれだけいいか。

「さて、それじゃあここの台に寝てもらおうか」

 男に逆らえない私は、言われるがまま寝台に横になる。

「あっ、そうそう。気になるだろうから先に言っておくね、片桐君のこと。まあ、結果的だけ端的に述べるなら彼は死んだよ」

 感慨もなく、彼は素っ気なく言った。しかし、私は私で語られた事実をすぐに呑み込むことができなかった。

「君と別れた後、駅のホームで倒れているのが発見されてね。死因は脳内出血。全く彼も馬鹿なことをしたよね」

 友人が死んだというのに飄々とした態度は崩れなかった。むしろ意気揚々としている気さえする。それが私には――。

「おや。酷いと思うかい、この僕が。彼の友人たる僕が彼のことをこんな風に言うことが。いやいやいや。むしろ逆だよ、逆」

 心外とばかりに男は首を横に振る。

「友人だからだよ。友人であるからこそ、そんな否定の言葉が出るもんさ」

 続けて男は言った。

「まあ、確かに君のことを勧めたのはこの僕だけどさ。それにしたって決断したのは彼さ。僕はただそういう可能性だってあるということを示唆しただけさ。だから――」

 そこで男は不気味な笑みをより一層深め、

「僕は何も悪くない」

 何一つ悪ぶれることなくそう言ってのけたのだった。

「何一つ悪くないし、責任もない。全部が全部、彼の自業自得。彼の一人よがりな空回りだよ」

私は男のその言葉を聞いて、やはり理解することを止めた。彼の思考は到底共感できるものではないと思ったからだ。

「大体君だって彼のそういうところは嫌っていただろう?」

 私は否定も肯定もしなかった。確かに私は彼の考えも理解できなかった。とにかくくだらないと思っている。だけどだからといって彼の全てを否定できるほど私は私自身を肯定できない。目の前のこの男のようには、到底なれない。

「そうそう。彼はね、実に興味深い症状を持った人物だったよ」

 子供のように無邪気に笑う。私はそれを見て喉を密かに鳴らした。

「彼は一年前の今日、大きな事故にあってね。その事故の後遺症かな? くっくっく」

 男は勿体ぶるように長く笑った。そして、

「彼にはね、子どもが見えないんだよ」

 急に笑うのを止めたかと思うと、唐突にそう言うのだった。

「正確にいうと彼のお子さん、夕日ちゃんだったっけ? その夕日ちゃんが亡くなってから子供が全く認識できないんだ。声も、その姿すらも、ね。失認という症状は知っている? まあ、知らないだろうね。ざっくり説明すると失認は対象物が認知できなくなる障害だよ。彼の症状はこの失認に似通ったところがある。だけど面白いことに彼の場合は視覚や聴覚以外にも記憶の方にも及んでいるんだよ。あっ、記憶喪失とは違うよ。そういったことがあったという事実は覚えているから。彼曰く、過ごしてきたはずの子供の姿形なんかがすっぽりと抜けているんだってさ。勿論、声も聞こえない。何もないところに字幕が出てくるような感じらしい。くっくっく。本当にどんな狂い方をしたら人間そうなるのかな、知りたいよ」

 私は顔を逸らした。この男が笑っているのをこれ以上見たくなかったからだ。

「まあ、君にだって身に覚えがあるはずだ。一緒に暮らしていたのだからね」

 私は何も言わなかった。男は気にせず話を続けた。

「頭の中におっきな腫瘍があってね。これは僕の見解だけれどその腫瘍によって脳が圧迫されてそういう症状がでているんじゃないかなと思ってる。もしくは娘を目の前で失くしたショックによるトラウマか。その両方かもしれないね。まあ、さすがに正規の医者じゃない僕にはそのぐらいの適当な予想しかたてられないんだけどね。あっ、これ彼には内緒ね。一応彼にはドクターっていう風に名乗ってたから。僕はあくまで探究者、研究者であって医者じゃない。ドクターは博士という意味もあるからね。どちらかというと僕はそっちだ。といっても彼はもういないから今更だけどね」

 男は私が何も言わないのを何も知らなかったと勘違いしたようだ。

「あれ? 気付かなかったかな。例えば彼はあまり人混みの多いところには行かなかっただろう。出かけるにしても人が極端に少ないところとかだったはずさ。彼が恐れたのは子供。彼にとって子供は見えもしない、聞こえもしない存在だからね。人が多いところに出向くのは危険と判断したんだろうさ。存在に気づかずにぶつかったり、蹴飛ばしたら一大事だからね。だから杖なんか携帯してた。足なんて悪くないのに。周りに注意を促すためだけにさ。いやー、涙ぐましい努力だね」

 轟音が鳴り響く機械を弄りながら時折大袈裟なリアクションを取っている。

「それでも元に戻る気配はなかった。むしろ症状は悪化してたんじゃないかな。頭痛の頻度も短くなってきてたし。そんな時だよ。彼が君のパンフレットを見かけたのは。どんな媒体に載っていたとしても認識できないはずだった。だけど不思議なことに君だけは見えた。認識できたんだ。彼にとって唯一の『子供』がチェルビアット、君だったんだよ。それは彼にとって生きる希望だったろうね。たった一つ例外。だからこそ他の希望も見えてくる。もしかしたら君を育てることでまた子供を、自分の娘をもう一度見ることができるのではないかと。とはいっても僕にはやっぱり彼のそんな行動理解できないけれどね」

男はころころと話題を変える。興味があることを関心がある内に喋っている印象を受ける。

「DNAの繋がりがあるならまだしも全くの赤の他人、ましてや人形を娘としてするなんてことはね。それでもこの件に関して彼に唯一共感、感謝できることといえば君を所望したことだね。お目が高いというか、目の付け所が違うというか。そこだけはさすが僕の友人といったところだね。それにしても無茶をしたねえ、大型トラックを殴り飛ばすとか。あれはちょっとばかし出来すぎかな。ほら関節がいっちゃってるじゃないか」

 私の右腕はあらぬ方向へと曲がっていた。皮や肉を突き抜け、骨がわずかに顔を出していた。

「いくら君たちが通常の人間より強化されていると言ってもあそこまではできない設計だったんだけどねえ。いやはや本当に面白い。君は世界的にも件数が少ない人工授精をせずに作った人工生命体だからね。どんなデータも貴重だよ。大事にしてくれよ、僕のために。そういやよくフィクションのマッドサイエンティストとかって君たちみたいなものはあくまで作り物の人形で感情なんてものは必要ないって言ったりするけどさ、僕はあれって不思議な話だと思うんだよね。これはどのジャンルにも共通することだけど、世の中で優れた者って結局情が強いと思うんだ。優れたパフォーマンスをするには感情をというのを前面に押し出すことが重要だろ。人よりも優れたい、勝ちたい、速くなりたい、強くなりたい。色んな感情によって時に肉体の限界を超え、奇跡とも呼べるような結果をもたらすことがある。僕で言えば僕の原動力となる情は好奇心や探究心といったところか。君たちみたいなものであっても一緒だと考えるわけだよ、僕は。だから僕はあえて君からは情というのを失わせないように普通に製作した。おかげでいいデータを取ることができたよ。ありがとう、君はよく踊ってくれた。僕の手の上で、ね。おかげでスポンサーがついて、大量生産することが決定したよ。軍事産業で君の兄弟姉妹が活躍することになるだろう。これで僕たち人間からの死人はいなくなるわけだ。いわゆる代理戦争かな、これは。まあ、どうでもいいけど。くっくっく」

 男が話している間に寝台の真横に医療器具各種が用意されていた。そして見たこともない機械も傍にはあった。

「さてさて。それではそろそろお楽しみタイムといきますか。貴重なデータだからね。どれだけ待ちに待ったか。ああ、楽しみだ楽しみだ。暴れないでくれよ。じゃないと君の足につけてあるこれを使わないといけないからね」

 男は私が足首につけている足輪を指差す。

「死んじゃあ困るから火薬の量は抑えてあるけど、確実に足は吹っ飛ぶぐらいの威力はあるからね。逃げようとしても無駄だよ、一応言っとくけど。無理矢理外そうとしてもドカンとなるから気をつけてね。あっ、これって片桐君のところに行くときに言ったっけ? まあ、いっか。そんなこと。こっちとしては爆発したらしたで試作爆弾のデータと人工生命体の強度が図れるからね、どっちでもいいわけさ」

 男は両手を擦り合わせて言った。

「さあ、僕の探究心を満たしてくれよ」

 私の腕に注射針を刺す。中身は麻酔だ。通常の三倍になる麻酔を私の身体に注入する。それでやっと私には常人と同じ効果が現われる。

「そういや君には図らずも生みの親である僕と、一年間とはいえ育ての親である片桐君と二人の親ができたけれど――」

 次第に急激な眠気に襲われる。そんな中で男が何気なく発したその言葉を聞いた。

「どっちの元が幸せだったかな?」

 私は目を瞑る。薄れゆく意識の中、私は最期に心の中でこう呟いた。

 ――お父さん。

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チェルビアット Rain坊 @rainbou

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