終焉の0

「――ということなので、今日行ってきます」

『そうですか。分かりました』

 僕はみゆさんに電話を掛けていた。隣りを見ると、女の子は僕のすぐ傍に立っていた。

「あの子に代わりましょうか?」

『そうですね。あーいや、やっぱりいいです。昨日いっぱい話しましたしね』

「そうですか」

『それよりも、どうしても同行するのは駄目ですか?』

「ごめんなさい。今までお世話になりっぱなしだったから本当に申し訳ないですけど今日だけは、最後だけは二人にさせてください」

『でも――本当に大丈夫なんですか? やっぱり私もついていったほうが』

「いや、これだけは僕がやっておかないといけないことです。もう他人に頼る時期は終わったんです」

「…………」

 みゆさんは黙ってしまった。吐息が漏れてきている。どうやら何か言いたいが、上手く言葉が出てこないみたいだった。

「それじゃあもう行きますね。今までありがとう」

『ちょっと待って!!』

 通話を切ろうとすると大きな声で呼び止められた。そして長い溜めの後、

『帰ってきますよね?』

 明るい口調でみゆさんは言った。けれど声が震えている。明らかに無理をしているのが分かった。僕はそのことには触れず、

「さよなら」

 通話を切ったのだった。

「よし。それじゃあ、行こうか」

「どこ行くの?」

 女の子は僕の袖を引っ張りながら訊いてきた。だから僕は一言、

「墓参り」

 とだけ言うのだった。



 片桐家と彫られている墓の前で僕はしゃがんで、手を合わせる。線香とさっき供えたシクラメンの匂いが辺りに漂って混じっている。女の子は立って、じっと墓を見つめていた。電車に乗っていた時間よりも今が長く感じる。ゆらりとシクラメンの花弁が散る。その上に線香の灰が落ちた。

「これはね、うちのお墓なんだ」

 僕は語り出す。誰に対してではなく、まるで独り言のように長い、長い語りを僕はする。

「写真に写っていた女性がいたと思うけど、彼女はね、ずっと身体が弱くてさ。よく体調を崩して入院してたんだ。だからそんな時、彼女――朝日のお見舞いに行くときにはこのシクラメンの花を持っていくんだ。彼女はこの花が好きでさ。実は縁起悪い花だなんて知らなくてお見舞いに行くたびに周りの人に怪訝な顔をされるのを不思議に思ったもんだよ。まあ、そんな馬鹿な僕にも笑顔を向ける彼女に、僕は惚れたんだけどさ。僕から告白して、それで付き合い始めたんだ。そこからあまり間を開けずに結婚。二人の間に子供もできた。それが夕日。彼女に似て可愛らしい子だったよ。写真も一緒に撮ったりしてさ。本当に、幸せだった。だけど彼女の虚弱体質は結婚してからもあんまり変わらなくて、子供を産んでからはむしろ症状が悪化したんだ。そして夕日が三歳になった年、朝日は死んだんだ。あれはしんどかったなぁ」

 僕は空を見上げ、しみじみと言った。

「それで彼女の最期の言葉が『あの子をお願い』だったんだ。最期くらい自分の心配しなよと思ったけれど、そんな頼みをされてしまったらもう頑張るしかないじゃないか。何もできなかった僕だからね。それからはとにかく必死だったよ。子供が幸せになるように、働いて、働いて……。勿論、それだけじゃなくて朝日の期待に応えられるように夕日とのプライベートも大事にした。だからっていうわけではないけど夕日はまっすぐないい子に育ったよ。自慢の娘だった。なんとか約束は果たせる、そう思ってた。でも――結局それすらもまともにやり通すことはできなかったよ。全く、どれだけ無能なんだろうね、僕は」

 乾いた笑みが出てくる。

「守ることができなかった。庇うことすらできなかった。ひたすら荒れたよ。自分の不甲斐なさに対して責めに責めた。僕だけ生き残って、だから何になるって。その時からかな、あの家族写真に隙間ができたのは。そこにあるべき存在を捉えることができなくなった。いるはずのものが分からなくなって、それもとことん徹底されている。大事なものが見えない、聞こえない。姿形、声すらも思い出せない。最悪だった。これじゃあ、死ぬにも死ねない。だってそうだろ? 愛する者が自分の中から消えてしまったなら、それはなかったことと一緒だ。僕の中では生きてさえいないことになってしまう。そんなのは悲し過ぎる。どうにかならないか足掻いてみた。でも駄目だった。どうにもならない現実を突きつけられるばかりだ。そんな時だよ、君を見つけたのは」

 そして、僕はやっと女の子を振り向いた。女の子の碧い瞳は真っ直ぐこちらを捉えていた。

「君だけは僕の中で存在したんだよ。初めて見たときは驚いたね。そして歓喜した。わずかだけど、これで希望ができたから。唯一の子供である君と暮らすことで僕の症状が改善されるかもしれない。もしかすると親子として接することでせめて夕日のことだけでも取り戻せるかもしれない、そう思ったんだ。最低だよね、親子だ何だと言っておいて結局僕は君のことを利用していたにすぎないんだから。代用品として、もしくは良薬として。僕は親として以前に人として失格なんだよ」

 声が震える。嗚咽で言葉が詰まる。

「ほんとうに、ごめん」

 足を地面につけて、項垂れる。

 女の子は何も僕に対して言わなかった。優しく僕の頭を撫でるだけだった。

僕は泣く。声を出して、他人に憚れることも考えず、大声で泣いた。これまで女の子の前でみっともなく泣いたことはたくさんある。だけど今回はその時のどの涙よりも意味があって、重かった。

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