第37話


「ヒカル……これは?」 


やっとの思いで声を出す。 


「ごめんなさい。あたし……」


そう言うとヒカルはうなだれてその瞳から涙を流した。


「おう!おっさん、久しぶり」


信二が相変わらずの生意気な口調で声をかけてくる。


「おじさん……」


達也はあの時の幼さがまだ残っていたが、ずいぶん逞しくなった気がした。


「すみません。

また、ご迷惑をおかけしたみたいですね」


やはり真知子は理知的で一番落ち着いている。


「これはいったいどういうことなんだ。

説明してくれないか」


やっと落ち着いて、努めて冷静に話しかけた。


「わかりました。ご説明します」 


そう言うと真知子はダイニングの椅子を勧め、さらにお茶を出して、自ら向かい側の椅子に座った。


その両脇には達也と信二が立ち、ヒカルは和室から丸椅子を持ち出して僕と直角の位置に座った。


「まずは、落ち着くため、お茶をどうぞ」


長いこと歩いてきたこともあり、急に喉の渇きを覚え、出されたお茶を一気に飲み干した。


「実はヒカルさんには、私たちに協力をしていただきました」

「協力?」


ヒカルのほうを見たが、ヒカルは目を合わそうとせず、うつむいたままだ。


「はい、たいへん申し訳ない言い方ですが……あなたを監視していただいたのです」

「監視……」 


「はい、達也との接点から私たちの活動について知ってしまったあなたを本当は……生かしておけないとの意見が組織の中でありました」

「……」


「俺もその意見に賛成だったよ」


信二がニヤリと笑みを浮かべながら言葉を挟んだ。


「でも、私たちの中には、反対派も少なからずいました」


達也のほうを見るとその実直な瞳を輝かせていた。


「そこで、私が提案をしました。

あなたに監視をつけてはどうかと」

「……」


「そして私たちの組織にかつていたヒカルさんに協力を依頼したのです」

「ヒカル……じゃあ、俺たちが出会ったのは偶然ではなく、愛し……いや……気持ちが通じたと思ったのも演技だったのか……」


もはや僕の声は震えていた。


「ちがう!」


ずっと俯いていたヒカルが、叫びながら初めて僕の目を見た。


「確かに出会いは偶然ではなかった……けど……あなたのことを愛したことは、本当だよ!」


ヒカルの目には涙が溢れていた。


「最初は組織の命令通りあなたを監視することが役目だったから話を合わせたり、ワザと気をひくような格好や言動をしたりした。

でも、段々あなたの人柄や優しさに触れるうちに、本気で好きになったの……」

「ヒカル……」


僕の目の前も滲んできた。


「そして、自分の気持ちがわかったの、あなたを愛していると」


二人の間には周りとは違う空気が流れていた。


「お二人さん、いいとこで、悪いな、そろそろ時間なんで、ここを出るよ」


そう言うと信二は他のメンバーに合図をして、出口に向かって歩き出した。


「ごめんなさい。

テレビかなんかで聞いてますよね。

私たちの要求」

「ああ、知ってるよ、でも、日本政府も警察も甘くはない。

もうこんなことはやめて、知られないうちに、普通の生活に戻るんだ」


何とか説得を試みる。

真知子は少しの間、僕を見つめ小さく微笑むと

「やはり、ヒカルさんの言う通り優しいですね。

でも、私たちはこの要求を通すことが目的じゃないのです」

「えっ?」


聞き返す間もなく、真知子が話し出した。

「大事なのは私たちの行動が世の中に知れ渡ることなのです」

「……」


「この行動を起こしたのが、私たち子どもであって、それは単なる衝動ではなく、将来を憂いた私たちの考えを下に実行されたと言うことを、子どもたちの未来を考えない大人たちへの警告として受け止めてもらえれば、目的は達成されたことになります」

「そんなことで……そんな小さな成果のために命を賭けるのか」


「はい」


真知子はさっきよりはっきりとした表情で、にこりと笑った。

そして、達也と共に部屋から出て行った。


ヒカルに近づくと彼女の頭を抱えるように抱きすくめた。


「ヒカル、心配したぞ」


ヒカルは抱かれながらそっと頭を起こし涙を流しながら僕の顔を見つめ、背伸びをして唇を合わせた。


僕はその要求に応えてさらに強くヒカルを抱きしめた。

ヒカルは自らそっと唇を離すとスッと立ち上がった。 


「楽しかった」

「えっ?」


「最初は確かに命令からしてたことだったけど、本当にあなたを好きになって、本気で恋愛した」

「……」


「ありがとう……」

「ありがとう?ちょっと、何を……」


「今まで、ありがとう!」


そう言うとヒカリは出口に向かって歩きだした。


「ちょっと待って、ヒカル!」


僕は彼女の体をつかもうと前に歩いたつもりが、足が絡まって転倒した。

頭が強烈に重い。


「ごめんなさい。私はやはり行かなきゃならないの」

「なんで……俺を愛して……るって……言ったじゃ、ないか」


朦朧もうろうとする意識の中で精一杯声を振り絞った。

そして先ほど飲んだお茶に何か盛られたことに気がついた。


「愛してる。

あなたは何ものにも代え難い存在。

でも、私は組織の人間、ここまで組織が育ててくれた。

9歳で捨てられ、大人たちに踏みにじられていたあたしを助けてくれた組織には逆らえない」


「組織なんか……もうおまえは大人じゃないか」

「そう、でも、こうして大人にしてくれた組織に恩返しをするのが組織に育てられた大人が取るべき行動なの」


「そんな……バカげてる」

「私も、そう思う」

自虐的にヒカルは微笑んだ。


「でも、裏切れないの。

ごめんなさい。

そして、楽しかった、ありがとう!」 


そう言うとヒカルは僕の頬に手を当てて慈しむと、きびすを返して出口に向かって言った。


「ヒカ……ル」


視野が狭まり消失する意識の中で僕はヒカルの微笑む姿を思い浮かべていた。




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