第7話


四月十日、火曜日、その日は春だというのに、どんよりした、まるで梅雨のような空は記憶に鮮明に残っている。


その日の彼女はバイトが休みで、久しぶりに、洗濯や掃除をして、一日家で過ごしているはずだった。


僕はいつも通り出勤して、ちょうど昼休みを終えた頃だった。

同僚の女の子が


「松木さん、何か……お電話なんですけど……」


何か言いづらそうに僕に電話であることを告げた。


「はい、松木ですが。はっ?警察?」


僕は思わず周りを見廻した。


さっき電話を取り次いだ女子社員が他の同僚とこちらを見ながらなにやらヒソヒソと話をしている。


そして僕は次の警察の言葉に耳を疑った。


「はい?深雪が?はっ?何かの間違いでは?でも、今朝普通に家を出て……わ、わかりました。すぐにお伺いします」


電話を切った僕は、頭の中が真っ白になりながらも、気持ちだけは前へ進もうとして、上司にとりあえずの事情を話し許可を得て、外出をした。


四月にしては肌寒かったため、レインコートを着てきたのだが、そんなことも忘れて、そのまま、外へ飛び出した。


警察につく間、何を考えていたかは今は思い出せないが、ずっと深雪のことばかりを巡らせていた気がする。


警察についた僕はそこにいた警官を捕まえて、

真壁まかべ深雪の身内の者ですが……」

と嘘とも本当とも言える言い方をして、取り次いでもらった。


5分ほど待たされて、次に少しえらそうな刑事らしき人物が現れて


「刑事課の笹本です。この度はたいへんお気の毒とは思いますが、とりあえずは、ご遺体とお会いいただけますか?」

「ご遺体……」


電話口で深雪が殺されたと聞いたが、そのときは何も現実的には感じていなかった。


しかし、今「ご遺体」という刑事の言葉を聞いて、急にそれが現実となって僕の体を震わせた。


「こちらです」


警察の地下にある霊安室に通された。


そこにはもう一人白衣を着た人物がいて、僕のほうをチラッと見た後、再び遺体のほうへ目をやった。


テレビでよく見た遺族と遺体の対面の通り、深雪の顔には白い布がかけられていて、その横に僕が立った時、検死官が、そっとその布を剥がした。


「間違いないですか?真壁深雪さんにまちがいないでしょうか?」


深雪の遺体は眠っているようだった。

ただ、顔のあちこちに蒼くあざのようなあとがあり、髪の毛がかなり乱れていた。


遺体と対面したにも拘らず、僕は再び現実から離れてしまった気持ちになり、何故か涙ひとつ出ることはなく、検死官が再び


「間違いないですか?」


と聞いてきたのに対してはっきりと


「間違いないです」


と応えた。


「真壁さんのご実家にはこちらから連絡してありますので、いずれお身内の方が来られると思いますが、その間に少しだけお話を伺いたいのですが……よろしいでしょうか?」


僕はボーっとした感覚で刑事を見つめると、ただ、頷いていた。


霊安室を出ると次に刑事課の取調室のようなところに通され、そこには笹本刑事よりもかなり若い刑事が待っていた。

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