下校議論

伊那

彼と彼女の関係

 そいつとはいつも一緒に下校する。下校するだけで登校はしない。いつからなのかは忘れた。習慣だったというだけ。ずっと昔から知っていた仲というだけ。それだけ。

「いじめってさ、いじめられる方が悪いよね」

 唐突に、隣を歩いていた湯浅が言った。俺たちは下校中に議論をする。本音をポロリと、口にする。普通の人が聞けばドン引きするような内容も、俺たちは真剣に議論する。議論と言っていいのかは曖昧だが。ただそうやってお互いの気持ちをぶつけるだけで、特に解決策は見出さない。ただ自分の意見を言う。唐突にそれは始まる。そして唐突にそれは終わる。

「どうしてそう思う?」

 俺は足元にあった石ころを靴の先で蹴った。軽い音がして、それは坂道を勢いよく転がっていった。SNSで呟いたら炎上しそうだな、なんて思った。

「だって、やられるのが悪いんじゃん。理由がないいじめだって、やられるのがいけない」

 生粋のいじめっ子の立場の湯浅には多分、一生分からないのだろう。こいつは強いからいじめられる側とは無縁だ。嫌なことは嫌だと言うし、叩かれたら叩き返す。悪口を言えば悪口を返すし、建端も力も普通の女の比ではない。女子でこいつに喧嘩を売る奴はそうそう居ないだろう。

「でも、いじめで自殺とか問題になっているし。俺はやっぱりいじめは悪いと思う」

 俺は湯浅に反論した。反論しなくちゃおもしろくならない。湯浅は同意を求める普通の女子とは違って、反論されることを好む。

「自殺する前に手を打たない奴が悪い。そんなんじゃ、将来仕事に就いたときやっていけないでしょ」

 まあ、それもその通り。別に間違ってはいないけど。

「じゃあ、お前、左右田がいじめられたらどうだ?」

 左右田は湯浅の唯一の女友達だ。湯浅はこんな性格だから女子には好かれない。本人は女子と仲良くしたいらしいが、恐がれられて距離を置かれている。その代わり男友達は多い。かく言う俺も、湯浅とつるんでいる野郎の一人だ。

「黙って見てるよ。助けてって言われたら助ける。言われなきゃ助けない」

湯浅にしては意外な回答だった。どうせすぐさま助ける、とか言われると思ったから。昔からずっと一緒に居るはずだけど、こいつの思考は未だに読めないこともある。

「じゃあ…」

 俺が言葉を続けようとした時だ。風を切って、一台の車が俺と湯浅の前を勢いよく通り過ぎていった。ゴールドの、趣味の悪い車。一歩でも前に出ていたら、間違いなく轢かれていただろう。

「何あれ、腹立つ。下痢にラメ入れたような色しやがって」

 とんでもないことを言い放つ湯浅。でもそこが良い。普通の女子にはない素直さと、口の悪さが小気味良い。

「あ、そういえば今日さ」

 話題が変わった。唐突に終わる議論。下校議論。俺は密かに心の中でそう呼んでいた。この議論もいずれ終わるのだろう。高校卒業したら当然できないだろうし、そうなったら寂しくもある。俺は正直、こいつとずっと話していたい。いや、ずっと話していたら下校議論は成り立たない。だけどこいつと一緒に帰る時だけが、俺は本当の自分であるかのように錯覚する。口の悪いところとか、下ネタとか、気持ち悪いもの全部こいつだけは許せるし、こいつの前だけは何も取り繕わなくていい。何でこんなに一緒に居ると楽なのだろう。

「小泉に告白されたんだよね」

 湯浅の言葉に、ふっと我に返る。小泉?湯浅と同じ三組の奴か。どうしてまた、こんな奴が良いんだろう。

「私はそんなつもり全然なかったんだよね。やっぱ男と女の友情って成り立たないのかな」

 湯浅は悲しそうな顔を向けてきた。他の奴から見れば怒った顔のようにしか見えないだろうが、付き合いの長い俺には分かる。

「成り立つだろ。だって、俺たちは友達だし」

 そうだ、友達だ。友達なんだよな、俺たち。でも友達という言葉で括られると、何故か違和感がある。何にも湯浅のことを知らない、まだ知り合って一年ちょっとしか経たない奴と、ずっと昔から一緒に居た俺を同じにされちゃ敵わない。俺は湯浅のことをよく知っているし、湯浅も俺を誰よりもよく知っている。幼馴染とか、親友とか、それっぽい言葉はあるけど、どれもこれもしっくりこない。

「そうか、良かった。ほっとした。佐伯まで私を好きだとか言い出したら困るから」

 ひやりと、全身の血が冷えた感触がした。嫌な予感、なのか。鳥肌が立った。

「あのね、うちのクラスの有山、分かる?」

 あいつがね、佐伯のこと好きだって。カッコいいって。良かったね。だから明日から、私は違う人と帰るよ。勘違いされたら困るし。有山可愛いよ。応援してるからさ。私としても、女子と仲良くできるチャンスだから。頼んだよ、佐伯。

 俺の顔は熱く火照っていた。自分に向けられた好意で赤くなったとか、恥ずかしくて、とかじゃない。怒りだった。俺の嫌がることを湯浅は知っている。いつも一緒に居るから分かるはずだ。湯浅は気付いているんだ。先手を打ったんだ。俺が告白しないように。俺が湯浅に恋心を抱いているのを気付いていたんだ。俺が自分で気付く前に。俺以上に俺を知っているから。俺は湯浅の先制攻撃で今やっと、自覚した。

「俺はずっと」

 かすれた声が出た。少し震えた、情けない声だ。

「言わないでほしい、できれば」

 そうやってまた制止された。でも言わなくちゃならない。俺に嫌がらせをするならば、俺も仕返しをしなくてはいけない。

「お前が好きなんだ」

 言ってしまった。頭の中で何かが崩れていく音がした。脆いガラスが割れるというか、薄い氷が張った水たまりを踏みつけて砕けたような。そんな感覚。

「ありがとう。ごめん」

 辛そうに湯浅が笑う。うん、知ってる。心の中で静かに返事をする。気まずい沈黙の中暫く歩いて、やっと分かれ道まで来た。右が俺の家、左が湯浅の家の方向だ。いつもは早い分かれ道が、今日だけはやけに遅く感じた。

「お前は…」

 別れ際、言いかけた言葉を飲み込んだ。いくら腹が立ったとはいえ、オーバーキルはいけない気がして。


 下校議論は終わりだろうか。高校卒業まではしたかったな。なんてことをぼんやり考えながら、家のドアノブを回した。男女の友情は成り立たないな。本当に。全く。男同士や女同士だって成り立たないことがあるのに。

「お前は左右田が好きなんだよな」

 あいつの前で飲み込んだ言葉を、一人、そう呟いた。お前はまだ自覚していないみたいだけど。俺には、分かるんだよ。

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下校議論 伊那 @kanae-ryu

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