第十二話 修羅は立ち上がる



 ……。


 ……。


 …………それから、どれだけの時間を掛けて戻ってきたのか。



 どのようにして都内の自宅へと戻って来たのか……それは私自身にも分からなかった。


 私が我に返ったのは、自宅に戻ってから。玄関の扉が閉まる音を聞いて初めて、私は……自分が酷い有様になっていることに気付いた。


 だが、気付いただけだ。いったい、今日までどうやって来たのか……それをまるで思い出せない。思い出そうとするが、どうにも上手くいかない。


 ぼんやりとした頭で思い出せるのは、無意識の内に人目を避けようとしていたことだけ。そして、ただひたすら……歩き続けていたということだけ……と、あと一つ。


 薄らとだが、昼間は人目のない場所で大人しくしていたことは思い出せる。


 だから、動いていたのは夜の間だけ……どうしてそうしていたのかは分からないが、察することは出来る。兎にも角にも、一人になりたかったのだろう。



 ……我ながら、何をしていたんだか。



 そう、私は思わずにはいられなかった。自嘲してしまうぐらいに、記憶の何もかもが曖昧だった。


 自分が何処で寝ていて、何処で起きていて、何処を進んでいたのか……それすらも分からなくなっていたようだ。


 辺りが真っ暗になって、辺りが明るくなって、辺りが真っ暗になって、辺りが明るくなって……その間、私はただただ歩き続け……ん?



 ――すんすん、と。



 違和感に気付いて鼻を鳴らした私が思ったのは、酷い悪臭を放つ自らの身体であった。何気なく頬に手を当てた私は……軽く、目を瞬かせる。


 とにかく、顔が皮脂でべたついている。いや、顔だけじゃない。


 着ていた衣服は汗と皮脂をたっぷり吸いこんでいたようで、首回りや手首の辺りが変色していた。


 加えて、意識した途端に認識出来るぐらい立ち昇る、全身の臭い。数日……いや、下手すれば、もっとだ。シャワーすら浴びていなかったようで、自分の吐息すら臭っているように思えた。



 ……よくもまあ、これで帰って来られたもんだ。



 次いで、ボロボロに……というか、片方だけになっている靴を見て、私は軽く息を吐く。片方だけの靴を脱ぎ捨て、靴下も脱げ……思わず顔をしかめてしまうぐらいに、酷い臭いがしていた。


 いったい何日、靴を履き続け、どれだけ履き潰したのだろうか。少なくとも、相当な期間、この状態になっていたのだろう。



 ……そうして、何気なく剥き出しになっていた方の足の裏……あまりに酷い有様に、言葉を失くす。



 今でこそ出血はしていないようだが、負傷した痕がある。ガラスか何かで切ったのだろう。至る部分の皮が捲れていて、血や泥の塊がへばり付いていた。



 傷の治療は……いや、それよりもまずは身体を綺麗にしたい。



 そう思った私は、さっさと家の中に入る。廊下の床が汚れると思ったが、構わない。掃除をすればいいだけのことだ。


 洗面所兼脱衣所に向かい、無造作に裸に……スマホがない。どこかで、落として来たようだ。おかげで時刻は(リビングに置かれた時計で)分かるが、今が何日なのかが分からない。



 ……まあ、いい。



 諦めた私は、そのまま浴室に。そうして、鏡に映った私は……私の身体を見て、もう何も言う気にもならなかった


 夏の日差しをたっぷり受けた髪はぼさぼさで、皮脂によってべったりと肌に張り付いていた。肌は薄らと茶色くなっていて、垢で汚れているのが嫌でも分かる。



 けれども、そんな事よりもまず、目に止まるのは……痩せ細った身体の方だろう。



 世の女性たちから羨望の眼差しを向けられた美貌はもはや、そこには無い。はっきり言って、鏡に映った私は枯れ枝も同然であった。


 頬はこけて、顔色は悪い。かさかさに乾いた唇の端はひび割れていて、首筋には血管が浮いている。まるで、30歳は年老いたかのような肌だ。


 大きく膨らんで張り出していたはずの乳房は片手で覆い隠せるぐらいに小さく、肋骨は外から分かるぐらいに浮き出している。関節の丸みはほとんどなく、肉がそぎ落とされているかのように手足が細い。


 ここに戻って来るまでの間、公園の水を飲んだり、畑の作物を盗み食いしていたりといったことをしていた記憶は薄らとあるが……食事らしい食事を取った記憶はない。


 この有様は、そのせいだろう。超人的なこの身体も、ほぼ絶食の状態が続けば、こうもなる。とはいえ、こんな状態でも普通に動ける辺り……まあいい。


 無言のままに、スイッチを入れる。途端、『自動運転、です』という音声が流れた後……ぼしゅう、と勢いよく浴槽の中にお湯が溜まり始めた。


 それを見てから、バスチェアーに腰を下ろし……頭からシャワーを浴びる。たぱたぱと、排水溝にお湯が流れてゆくのが見える。


 最初は生温かったソレが、瞬く間に熱くなる。水流の勢いが、身体の垢をこそぎ落としてゆくかのようで……少しばかり、気が晴れていくように思えた。






 ……。


 ……。


 …………ぴぴぴ、と。




「――っ!?」



 突如鳴り響いたアラーム音に、ハッと我に返る。顔を上げた途端、ぱしゃぱしゃとシャワーの飛沫が辺りに飛び散って……浴室に充満する湯気に、私は思わず目を瞬かせた。


 今のは……浴槽にお湯が溜まった時に流れるアラーム音だ。


 見やれば、その通りになっていた。というか、湯気が凄い。浴槽にお湯が満ちるまでの間、ずっと頭からシャワーを浴び続けていたせいだろうが……夏の暑さを抜きにしても、相当な熱気が満ちていた。




 ……。


 ……。


 …………そうして、風呂から上がった私は……とりあえずは、生命維持に努めた。



 具体的には、食事を取った。冷蔵庫に入っていた2Lの水を一気に飲み干し、カップ麺を4つと冷凍チャーハン2袋を空にして、最後にプロテイン(水に溶かすやつ)を飲んだ。


 その次は、歯を磨いた。徹底的に磨いた後、排泄も済ませた。それから、放置され続けたベッドに倒れ込み……寝た。その際、そういえば今が何日だったかを確認していなかったことを思い出したが……構わず寝た。


 そのまま、だいたい8回ぐらいだろうか。トイレに行って、その度に温いペットボトルのお茶を飲み干して、ベッドに戻るを繰り返したのは。


 起きる度に朝だったり夕方だったり朝だったり夜だったり夕方だったりと、まるで時間の感覚がなく、記憶も曖昧なまま……ようやく、考える事が出来るまでになったのは、何度目かも分からない朝の7時過ぎで。



「……二ヶ月近くも経っていた……か」



 少しばかりぼんやりした頭を何とか動かして、テレビを点けた私は……ようやく、今の日時が分かったのであった。




 ……けれども、私が自発的にやれたのは、そこまでであった。



 それを、どう表現したらいいのだろう。何といえばいいのか……最低限の事は何とか出来てはいたが、それ以上の何かをする気力が、全く湧かなく……いや、正確には、だ。


 以前やっていたルーチンワーク以外の何かをする気力が、欠片も残っていなかった。


 部屋が汚れたなと思ったら掃除をして、風呂に入っていなかったなと思えば風呂に入り、トイレに行っていなかったなと思えばトイレに向かい……眠気を覚えたら、寝る。


 思い出した時には、筋トレもする。特に、メニューは考えなかった。考えたくなかったから、疲れて動けなくなるまでやって、プロテインを飲んで、それで終わり。


 それ以外でお腹が空けば、配達を頼んだ。特に、拘りはない。生きている限りはお腹が空くようで、腹が鳴ったら、その時CMに見た商品を注文した。


 全く味がしないゼラチンのような麺を食べ、無味のグミにしか思えないピザを食べ、様々な食感しか残らない弁当を食べる。


 満足感というものは欠片もなかったが、栄養とカロリーはあるようだ。胃に流し込めば、しばらくは大人しくしてくれる。



 それが、私の日常であった。



 友人なんてものは、いない。知り合いと呼べる相手も、いない。誰一人、連絡先を私は知らない。必要と思っていなかったし、欲しいとも思っていなかったから。


 だから、私を訪ねて来る者はいない。だから、私は止まったまま。


 特にすることが無いからテレビの前に座り、合間に出前を頼み、就寝の準備をして、寝る。時々、筋トレに励み、思い出しては風呂に入り、掃除をして、ゴミを出して……ただ、それだけ。


 朝から晩まで、ただそれだけ。


 ぼんやりと、テレビの音しかない部屋の中で、ただそれだけ。内容は全く頭に入って来ない、ただ、画面に映し出された人々の会話を眺めているだけ。


 することが無いから、したい事が何も無いから、勝手に動いて勝手に騒いでくれる画面を眺め続ける。そうしている間は、時間の流れを感じる事が出来た。


 実際、テレビの向こうでは色々な事が起こっていた。


 本当に色々だが、比較的多かったのは、『高田文』に関すること……つまり、私の事だった。



 ……どうやら世間では、私は『家族の死によって精神的に衰弱している悲劇の少女』として扱われているようだ。



 私の知らないうちに、あいつら3人の死が視聴率の燃料として扱われていた。本当に、色々なやつが私の事を勝手に騒いでいた。


 見覚えのあるやつもいれば、一回だけ顔を合わせただけのやつもいる。中には顔すら合わせた事のないやつが、何故か私と何度か交流があったと自称する者もいて……何というか、カオスだった。



 ……そういえば一時期、インターホンやスマホが忙しなく鳴っていた……鳴っていただろうか?



 思い返そうとしても、思い出せない。まあ、すぐに私の興味は霧散した。


 テレビの向こうも似たようなもので、二ヶ月、三ヶ月はそれをネタにしていたが……半年も過ぎる頃には、表に出ることがなくなっていた。


 一時は世界を騒がせた歌姫とはいえ、何の進展も変化も無ければ話題が移るのも当然で。


 そういえばテレビで私の名前が出なくなったなと思ったのは、それからさらに1年近い月日が流れた後であった。



 1年……そう、気付けば1年だ。



 歳を一つ取っていた事に気付いた時、私は……少しばかり目を瞬かせた。


 でも、それだけで、それ以上私の心は何一つ動かなかった。


 一年前より成長している自分の身体……そこに、私は微塵の関心すらなかった。


 テレビの中では、何もかもがいつも通りに事が進んでいる。私も、昨日と変わらずこの場所にいる……ただ、それだけの事だから。



 だから……私の日常は何一つ変わらない。



 何時ものように食料を配達してもらい、何時ものようにテレビを眺め、何時ものように最低限の身だしなみを整え、何時ものように寝る。


 朝と晩が涼しく、寒くなって。日中でも暖房を点ける必要があって。


 ベランダにて僅かに積もる雪に、今が冬である事を思い出し、その次にはテレビの向こうで桜の映像が流れている。


 ああ、春が来たなと思えば梅雨が差し迫っているという話が出てきて、気付けば夏が始まっている。


 猛暑で何人もの人たちが熱中症で倒れたとニュースが流れたかと思えば……秋の木枯らしがどうのとコメンテーターが話している。



 月日が、動いている。季節が、流れている。年が、明けている。



 けれども、私は変わらない。あの時から立ち止まっている私は、一秒も動いていない。一歩も、何処へも進んでいない、座り込んでいる。



 ……それでもいい。



 虚無感と無力感の最中、このまま朽ち果てるのであればと、心のどこかで囁くようになったのは……何時頃からだろうか。



 ――このまま終わるのであれば、もうそれでいい。



 昨日と一昨日の記憶が曖昧で、今日は何をしたのかすら分からなくなっている私は……ただただ、静止した永遠の中にいた。



「…………?」



 だが――静止していた私の永遠も。



「爺さんが……入院?」



 何時ものように眺めていたテレビに映し出された、『芦田虎雄社長、緊急入院!』の速報が流れた事で……静止していた永遠は終わりを告げたのであった。









 ――爺さんが、倒れた。



 その事実が……私の中を反響する。



 ……ぎしり、と。


 止まっていた頭の歯車が軋んで動き出した音を、私は聞いた。と、同時に、むせ返る程に濃い霧に包まれていた心へ、どくりと活力が注がれる感覚を覚えた。


 しかし、完全ではない。何となくだが、分かる。


 けれども、それでも、久方ぶりに身体が動いてくれるのを実感する。ヘドロの中で埋もれていたナニカが、少しばかり引っ張り出された気分であった。



 ――今が。



 と、同時に……私の脳裏を過ったのは。



 ――今が、拳を振り下ろす最後のチャンスなのかもしれない。



 あの夜、あの時、爺さんが私に示してくれた……言葉であった。それは、もしかしたら天啓にも似た何かだったのかもしれない。


 けれども、私は確信を得ていた。理由は何一つ説明出来ないが、今がその時なのだという確信が、何故か私の中には有ったのだ。



 ……もちろん、迷いは有った。



 倒れた爺さんの下へ向かうのが先だという声が、『私たち』の中から出てきて、ソレは後にしろという声も当然の事ながら、有った。


 入院した以上、只事ではないのは確実だ。すぐに退院する程度なら良いのだが、年齢の事もある。このまま今生の別れになったとしても、何ら不思議な話ではない。


 しかし……仮に、爺さんの下へ向かったとして、だ。


 爺さんは……あの男は、芦田虎雄という人物は、今の私を受け入れてくれるだろうか?


 何処へも行かず、何処へも進まず、只々そこに留まっていた私を見て……よく来てくれたと口にするだろうか?



 ――絶対に、有り得ない。瞬間、『私たち』全員が、首を横に振った。



 あの爺さんなら……私が知っている、あの男なら、逆に私を叱りつける。そのうえで、追い返すだろう。性格から考えれば、私は間違いなく出禁にされ……二度と会う事はなくなる。


 だから、チャンスは一度きりだ。


 爺さんが見たかったのは、心配して駆け付けた私ではない。『俺』でもなければ、『私たち』でもなく、それは『TAKADA AYA』でもない。


 爺さんが求めていたのは、復讐に全てを捧げていた頃の私だ。


 世界にその存在感を示し、あらゆる人を魅了し、そのうえで、それら全てを躊躇せず投げ捨てて、何もかもを犠牲にしてでも復讐を完遂しようとしていた頃の……私だ。


 けれども、今はそれが無い。爺さんも、それは分かっていたはず……だからこそ、爺さんは言ったのだ。振り上げた拳を下すことから始めろ、と。


 そうして爺さんが見たかったのは、拳を振り下ろした、その先。


 復讐という名の夢を失ってしまった私が、新たに見つけ出した夢……かつてと同じように、私が持つ全てを使って突き進む、その姿を……己に見せろ、と。



 ――ナニカが、私の中で沸き立ち始めている。



 爺さんは、拳を下せとしか言わなかった。けれども、私には、『俺』には、『私たち』には、分かる。ソレを見付けるまで……ソレを見付けて初めて、私は爺さんの前に立てる。



 ――でなければ、駄目だ。私の帰りを待っている、爺さんの想いに答えるには。



 ――見付けなければ。外へ出て、拳の下ろし方を。



 そう思った瞬間、気付けば私は立ち上がっていた。それは、繰り返し続けた日常の中で初めてとなる、ルーチンにはないイレギュラーな行動であった。





 ……。


 ……。


 …………とはいえ、だ。



「――スマホ……スマホ、何処だ、何処に置いたっけ?」



 イレギュラーな行動は、やはり、イレギュラー故に私の出足をこれでもかと挫いてきた。


 まず、スマホが見当たらなかった。たしか、ベッドの辺りに置いてあっただろうと思って探してみるも、見つからず。


 テーブルや洗面台に置きっぱなしかと思って探し回るも、見つからず。そこらの床に放置されっぱなしかと思って探し回るも、見つからず。


 使っている部屋も使っていない部屋もぐるぐると探し回り、果ては冷蔵庫の中、クローゼットの中、トイレの裏側まで探し……そうしてから、ようやく。



 ……病院からの帰宅中に落としたまま放置していたことを思い出した。



 道理で、無いわけだ。道理で、探しても見つからないわけだ。初めから家の中に無いんだから、どれだけ念入りに部屋の中を探しても、見つかるわけもない。


 というか、スマホが無い(幸いにも、カードは有った)から、パソコンを使ったネット注文で配達やその他諸々をしていたのをすっかり忘れていた。



 ――我ながら、何と馬鹿な話だろうか。



 思わず舌打ちをした私は、次いで……自らが着ているヨレヨレのシャツを見やる。大して興味のない私でも分かる……この恰好で出歩くのは、まずい。ラフな格好にも、程がある。


 けれども……慌ててクローゼットやらタンスやらを漁った私は、二度目の舌打ちを零した。一目で分かる、未使用のやつが一つとして見当たらない。


 服だけじゃなく、下着もだ。無意識にやれていると思っていたのは私だけのようで、タンスの中は一つの例外もなくグチャグチャだ。まるで、ミキサーで掻き回されたかのようだった。


 何せ、使用済みのやつがそのまま突っ込まれているし、中には洗い終わったやつがそのままになっているのもある。酷いのになると、乾いた経血の痕に蛆みたいなのが湧いているのも……ん?



「…………」



 違和感に気付いた私は、今にもずり落ちそうになっているズボンを引っ張り……あまりに酷い状態になっている下腹部を見て、もはや溜息すら出なかった。



 ――どうやら、最低限の排泄以外は基本的に放置していたのだろう。



 べったりどころか、もはやコーティングだ。青色の下着が、真っ黒だ。「――ああ、くそっ!」苛立ちを覚えながらも無造作に脱ぎ捨て……浴室へと向かう。


 浴室の中もまあ、酷い有様だった。


 無造作に放置された空っぽのボトルが浴槽の中に幾つも投げられ……というか、浴槽の壁に髪の毛やら水垢やらカビやらが……まあいい。


 頭からシャワーを浴びた私は、辛うじて無事だったタオルで身体を擦り、頭を洗い、ちゃっちゃと行水を終える。


 次は身体を拭いて、ドライヤーで急いで髪を乾かす。食べる物だけはちゃんと食べていたようで、洗面台の鏡に映った私の身体は、あの時よりも月日の分だけ大人びていた。


 引き籠っていたとはいえ、肉体の衰えは微塵も見られないのは……せめてもの救いと取るべき……なのだろう。


 それから、物置代わりに使っている部屋に置かれた段ボールを片っ端から空けていく。記憶が確かなら、これらの何処かに……有った。



「……派手だが、無いよりはマシか」



 見つかったのは、試供品として過去にメーカーから送って来た衣服や下着や靴やら一式であった。正直、抵抗を覚えるモノがあったけど……今は四の五の言っている場合ではない。


 そうして、一通りの準備を終えた私の出で立ちは……まあ、普通であった。


 黒のスキニーパンツに、ニットのセーター。靴は……かつて発表された最新モデルの、ショートブーツ。アクセサリーの一切は、元々無い。



「……よし、行くか」



 準備は――整った。


 どくん、どくん、と高鳴る鼓動を服の上から押さえながら……私は、大きく深呼吸をする。


 どうして、外で出る必要があるのか――それは、私自身にも上手く説明が出来ないことではある。だが、分かるのだ。


 何一つ説明出来ないけど……確信があった。今日、この日、この時……外に出れば……きっと。


 一つ息を吸って、吐く。そうして覚悟を固めた私は……あの日以来初めてとなる外出……外の世界に、出たのであった。



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