第六話 因果は巡らせる修羅





 その日、朝から姉の姿はなかった。何でも、高校で別れる友達と遊びに……というのをこっそり盗み聞きしていたから……話を戻そう。



 家には、私を除けば夫婦がいる。今日は二人とも特に出かける予定も用事も無いらしく、リビングにて撮り溜めしていた映画を見ていた。


 なので、私が行うのは二つに一つ。顔を合わせたくないから自室にこもっているか、外に出るか……その二択である。


 外は寒いし、下手に出歩くとクラスメイトから求愛されかねない。というか、一部分ではあるが、中にはストーカー染みているやつもいるから……必然的に、私は自室にて籠っていた。



 ……私の(正確には、『俺』の)子供の頃とは違い、今は自室にいても退屈を覚えることはそう多くはない。



 スマホもそうだし、PC(今は、タブレットタイプの方が主流らしいが)さえあれば、自室で映画もドラマも漫画や小説ですらも、一日中見る事が出来るからだ。



 だから、私は特に退屈はしていなかった。



 仮に、それらが出来なくても、だ。平日では中々出来ないキツメのトレーニングや、自主学習、その他娯楽など、やろうと思えばいくらでも時間を潰す手段が私にはあるからだった。


 ……とはいえ、だ。どうやら、爺さんは本気で私を逃したくはなかったらしい。


 私がその事をはっきりと理解させられたのは、オーディションを終えてから五日目の、日曜日の昼間。



 ――つまり、今だ。



 一通りの優先事項を終えた後、特にすることが思いつかなかった私が、とりあえずは何時もより念入りな柔軟を自室でしていた……そんな時であった。



 ――ぴんぽん、と。



 訪問を知らせるチャイムが鳴った。普段とは違う出来事に、柔軟に集中していた私は、はて、と首を傾げ……するりと、立ち上がる。


 基本的に、あの二人は自宅に他所の人を招き入れる性格ではない。また、客が自宅を訪れる場合や、荷物が届く場合は必ず事前に話しておくタイプだ。



 つまり、此度の来客は……イレギュラーなのだろう。



 まあ、誰であれ私には関係ない話だ。仮にクラスメイトが訪ねて来たなら、今は手が離せないと言えばいいだけだ。


 そう結論を出した私は、全身の筋肉や筋が解れ、緩やかに温まった臓器に促されるがまま……その場で逆立ちになる。


 その状態のまま、腕立て伏せをする。


 なんだっけ……倒立屈伸……倒立腕立て……まあいい。二十回ほどしてから、片手でそれを行い……二十回ごとに、指の数を減らしてゆく。



 それは、私の最近のお気に入りのトレーニングの一つである。



 我ながら馬鹿げたやり方だとは思うが、最近はこうでもしないと身体を動かした気にならないのだ。おかげで、平日は身体を動かし足りなくて仕方がない。


 超人的なフィジカルという『願い』の副作用なのだろうか……そうなのだろう。最近は妙に身体が疼くというか、大人しくしていられない気分が続いている。



 ……始まりはだいたい半年ぐらい前からだが、最近はどうにも身体が落ち着かない。特に、あの日……興奮のあまり風呂場で自慰をした、あの時から。



 性的な衝動というわけでもないし、欲求不満とも違う。とにかく、体力が有り余っている……という感覚が近しい。


 学校がある平日なら気を逸らすことが可能だけれども、今日のような休日は駄目だ。中途半端に暇を持て余すせいか、どうにも気を逸らせられない。


 あのオーディションの時みたいに、何かに取り組んでいたら話は別だが……勉強なんかは半ばルーチンワークになっているせいで、いまいち効果が薄い。


 かといって、下手に出歩いてクラスメイト(特に、男子)と遭遇すると、面倒だ。


 なので、こうして筋トレをして疼きを発散しているわけだが……とはいえ、だ。


 正直、まだ中学生にも成っていないのに、ずいぶんと人外染みてきてしまったなあ……と。


 他人が見れば目を疑うぐらいのハードな筋トレを続けながら、黙々と考え事をしている、と。



 ――三回、自室の扉がノックされた。



 何だと思って顔を上げれば、「文、お客様が……」扉越しに、あの女の声が聞こえた。


 ただ、その声は何時もとは違い、何だか困惑しているというか、戸惑っているようであった。



 ……お客様?



 誰だろうか、少なくとも私には覚えがない。いったい誰だと尋ねれば、「芦田さんっていう、ほら、前にオーディションの……」と言葉が続いたので……ああ、と私は納得した。



 そういえば、連絡するとか話していたっけ。



 色々と危険がどうたらこうたらで、うやむやのまま終わったから、そのまま放置していたが……まさか、直接乗り込んでくる(というのは語弊を招く言い方だろうが)とは思わなかった。



(こういう場合、普通は事前に電話連絡なり封書なりからでは……芸能界ではやり方が違うのだろうか?)



 逆立ちから元に戻った私は、次いで、床に敷いて置いたバスタオルに背中を預け……ベッドの足を掴み、背中から下を浮かせるようにして、グイッと足を天井へと向ける。



(というか、契約云々の話しになると、嫌でもあの二人に話を通さないわけにはいかないから……遅いか速いかの違い、かな?)



 クイッ、クイッ、と下半身を上下させながら、思う。あの爺さんの気の入りようからして、気が変わらぬうちに直接交渉……といったところか。


 まあ、断るにせよ承諾するにせよ、わざわざ訪ねて来たのだ。このまま顔も合わせずに決定するのは……些か、筋が通らぬというやつだ。


 そう、結論を出した私は、トレーニングを続けたまま入室の許可を出す。すると、少しの間を置いてから、「――失礼、するよ」扉を開けた爺さんが部屋の中に――ん?



 何故か、室内に入って来た爺さんが私を見た瞬間。大きく目を見開いて硬直した。次いで、持っている鞄で顔を隠した。



 いったいどうしたのかと思っていると、遅れて顔を覗かせたあの女が「あ、文! 何て恰好をしているの!」ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎ立て……ああ、そうだった。



 ――そういえば、トレーニング中は汗を掻くからパンツ一枚になっているのをすっかり忘れていた。



 道理で、あの女が騒ぎ立てるわけだ。「――あ、芦田さん! 一度部屋の外に!」構わず筋トレを続ける私を他所に、爺さんの腕を引いて強引に部屋の外へと連れ出そうとしている……のを見て。



「――出なくていいよ。それで、今日はどうしたの?」



 私は、あえてあの女の逆を取った。


 当然、あの女は反発した。


 常識的に考えれば、年頃の娘が肌を晒している場面を、わざわざ第三者(老人とはいえ、男性)に見せて平然とする母親は、そういないだろう。


 仮定の話ではあるが、私が仮に親としてこの場に居合わせていたなら、同じように狼狽して、爺さんを部屋から追い出しているところだ。


 どちらが無礼だとか、そういう話ではない。年頃なので、そういうものだから……が。



「あいつみたいに、私の邪魔をするの? 拳は出さないから、別だって事?」

「――違う! そうじゃなくて……」

「それじゃあ、私の邪魔をしないで。あと、判子を持ってきて」

「判子って……それは、お父さんに相談してから――」

「どうせ反対するでしょ。父親に顔面を殴られた事を黙っていてあげたの、忘れてないわよね」

「そ、それは……!」

「私は、約束を守った。次は、そっちが約束を守る番でしょ」



 これ以上、お前と問答するつもりはない。


 そう意志を込めて睨みつければ、あの女はあっさり怯んだ。


 相手を怯ませる眼光のやり方は、あのオーディションでコツを掴んだから……黙らせる程度は簡単であった。


 この女も、あの男と同じ立場……いや、『虐待をする母親』というレッテルを張られるのは嫌なのだろう……まあ、当然だ。


 虚言であろうと、何の関係もない。他人は、他人の悪事に関しては、あらゆる知性を放棄して、正義感という愉悦を得る為の道具にする。


 この女は、それを身に染みて理解している。だから、私のこの言葉だけでも怯んでしまう。未確定の可能性に、言葉を失くしてしまう。それもまた、仕方ない事だろう。



 ……何せ、かつて、この女はそれをやって周囲に味方を集め、被害者の財産を毟り取った挙句、自殺に追い込んだ。



 それが己の番になる可能性を示唆されれば、怯みもしよう。


 不安と不満をこれでもかと顔に出してはいたが、「……何か有ったら、呼ぶのよ」結局は渋々といった様子で部屋を出て行った。


 ……後に残されたのは、状況を呑み込めず目を瞬かせている爺さんと、作業を止めることなく続けている私だけで、「君は、恥ずかしくないのかい?」沈黙を破ったのは、鞄を下ろした爺さんの方からだった。



「――何が?」

「年寄りとはいえ、僕は男だ。君みたいな年頃の子は特に、異性に裸なんて見られようものなら悲鳴の一つは上げるところだけど……君は、全く動じないね」

「羞恥に縮こまっていてほしいわけ?」



 そう告げると、爺さんは困ったように苦笑し……次いで、鞄からクリアファイルを取り出すと、それを私の眼前に差し出した。


 見なくても、それが芦田プロダクションに所属する為に必要となる、諸々の契約書だと分かった。



「……これが終わったら書くから、そこに置いといて」

「いや、すぐに書かなくていいよ」



 そう言うと、爺さんは少しばかり驚いたようであった。



「今日はやけに素直だね。僕はてっきり、前と同じく拒否の言葉が出るかと思っていたのだけれども……」

「こう見えて私、そういう不義理で筋の通らない事は嫌いなの。受けると言った以上は、受けるつもりよ」

「今時、珍しく古風な考えだね。僕は好きだけど……ところで、いつもそれだけ厳しいトレーニングをしているのかい?」

「今日は、何時もよりも厳しめ。最近、何をするにもルーチンワークみたいだったからね。たまには違う事をした方が良い考えも浮かぶでしょ」



 実際、芸能界を目指している人たちが聞けば激怒しそうな話ではあるが、私にとって、この筋トレも、芸能界への道も、気分転換以外の何物でもなかった。



「……君は、本当に色々と規格外な子だ」



 爺さんも、私の物言いに色々と思うところはあるようだが……そこには触れて来なかった。「――そういえば、君はずいぶんと母親に対して当たりが強いね」ただ、私が思っていたのとは違う角度からアプローチを仕掛けてきた。



「そうかしら?」

「少なくとも、親に対して躊躇なく脅しを使う子を、僕は知らないな。それも、世間体はおろか自分にも傷を負いかねないぐらいの脅迫はね」

「それは、貴方が知らないだけでしょ」

「……実の所、仮に虐待やそれに近しい事実があるならば、僕は見て見ぬフリは出来ない性分なのだけれども」



 その言葉に、チラリと視線を向け……冗談ではないことを察した私は、「――ご安心なさい、何もされていないわ」そう答えた。



「では、何故あんな言い方を? 年齢不相応に聡い君が、年相応の反抗期かい?」



 疑問……というよりは、確認だろう。


 そんな感じの言い方に、私は……しばし間を置いた後、一部を省略して話すことにした。



「例えば……例えばの話よ」

「ふむ?」

「遡って中学生の時からずっと隠れて浮気し続け、結婚したのも浮気相手との将来必要になる生活費の節約の為で、生んだ子供も浮気相手の子で、挙句、頃合いと見てDVをでっち上げて慰謝料その他諸々を毟った……そんな女が、自分の母親だとしたら……貴方は、どうする?」

「……ず、ずいぶんと重苦しい『たとえば』、だね」

「加えて、何年も時間を掛けて周囲に味方を用意し、旦那を孤立させ、旦那の両親を唆して、旦那の両親からも息子の免罪という形で金やら何やらを得る……そんな事をやった男と女が、自分の両親だとしたら……貴方は、どうする?」

「……本当に、本当に『たとえば』の話なんだよね?」

「あら、何度も言っているでしょ。これはたとえば、の話よ」



 ――でも、『例えば』が、嘘であるなんて誰が決めたのかしらね。



 その言葉を、私は内心に抑え込む。そんな私に気付きもしない爺さんは、「本当に、この子は……」困ったように苦笑すると……そう言えばと言わんばかりに、



「ああ、そうだ。三つ目の事を話し忘れていたね」爺さんは私を見やった。



 ……そういえば、私も忘れていた。



 今更と考えれば良いのか、それとも我ながらしつこいと思えばいいのか……爺さんと同じく思わず苦笑を零した私は、筋トレを中断して大きく息を吐いて……爺さんを見上げた。



「覚えているかい、図書館で話した事を」

「覚えているわ、ペルソナだとか、顔だとか、色々言っていたわね」

「そう、それだよ。僕が君を見て驚いた三つ目の理由は、君の内面から形作られたペルソナの異質さなんだよ」



 僕が言うペルソナって言うのはね……そう、爺さんは言葉を続けた。



「言ってしまえば、外面さ。人間は皆、色々な外面を持っている。けれども、あくまで外面だ。中身は変わらないし、どれだけ外面を付け替えても、それは変わらない。とてつもない、外部からのショックが起こらないかぎりは、ね」

「そりゃあ、コロコロ中身が変われたら外面も何もないでしょ」

「そう、そうなんだよ。普通は、そうなんだ。僕だって、そうだ。でも、君は違う。高田文……君だけは、僕が見て来た様々な人たちとは、根本から異なっている」



 私だけが違う……その言葉に、「……何が?」私が尋ねれば。



「君は、中身も入れ替わっている。まるでテレビゲームのカセットを入れ替えるように、外面に合わせて中身が丸ごと入れ替わっている」



 はっきりと、そのように私を断言された。


 思わず、私は目を見開く。それを見て、「とはいえ、本当に中身が入れ替わるなんてことは、有り得ない」爺さんは……フッと、笑みを零して首を横に振った。



「君の凄い所は、僕ですらそう錯覚させてしまう程に、中身を外面に合わせる事が出来るということ。それはね……僕たちにとっては、誰もが焦がれる才能の一つなんだよ」



 君は自覚していないようだけど……そう続けた爺さんの視線は私から外れ……あの日の図書館へと向けられているように見えた。



「あの日、僕の前に現れた君は……僕を認識したその瞬間、君は3人もの別人になった。といっても、あくまで僕がそう見えた、感覚的な話さ」


「僕を認識する直前、君は大人としてのペルソナを見せていた。つまり、君はその時『大人』になっていた。歩き方もそうだが、細やかな所作が成人したソレだった」


「でも、僕を認識した瞬間……君は、『明るい少女』になった。見た目通りの、相手が最も警戒を解くであろう、社交性のある少女のペルソナを表に出し、立ち振る舞いすら瞬時に少女のソレになった」


「はっきり言って、驚いたよ。見た目は全く変わっていないのに、まるで中身をごっそり入れ替えたかのように雰囲気が切り替わった」


「……芝居の世界では、よくあることなんだ。だから、それ自体は見慣れていた」


「けれども、あそこまで自然体のまま、それでいて僕が把握していない無名の子が、それを軽々とやってのけたことに……本当に、驚いた」


「だが、僕の驚きはそこで終わらなかった。何故なら、君はそこからさらに変化し、変質したからだ」


「呆気に取られている僕を前に、君は『少女』から『観察者』になった。並び立つ植木鉢を眺める観測員のように、君は無機質に、かつ、どこまでも冷淡に僕の状態を観察し、次に取る行動を考えた」


「そして――僕が、思わず君の手を取った瞬間」


「君は、再び『少女』になった。けれども、つい先ほどの少女じゃない。可愛らしく、いざとなればすぐさま周囲の信用を得やすいように、『内気な少女』になった」



 それは、もはや一方的な言葉の羅列……抱いた思いの羅列であった。


 私が入り込む余地すら出さず、つらつらとあの時の事を語り続けた爺さんは……ごくりと唾を飲んでから、「恐ろしい事に、無意識なんだ」そう呟いた。



「最終的に、君は無意識の内に4人になった。いや、演じ分けた。息を吸って吐くように、あっさり4人の別人へと成り替わり、瞬時に戻った……正直、身体が震えたよ」


「長年、この仕事をしているとね……何となくだけど、役者としての伸びシロがどこまであるか、見えてくるんだ」


「僕は……初めて、底知れぬ素質を見た。大海のように広大な才能を……だから、僕は思ったんだ。この才能を埋もれさせたままでは駄目だ、絶対に引っ張り出さなければ……ってね」



 そこまで言い終えた辺りで、爺さんは再び鞄を開けて……中から、A4サイズの紙よりも少しばかり大きめ封筒を取り出し、私へと差し出した。



 ……とりあえず、受け取る。



 視線で中身を尋ねれば、開けて見ろと視線で促された。なので、促されるがまま中身を取り出した私は……はて、と首を傾げた。



(……東京? 東京の……私立中学のパンフレット?)



 見覚えの無いそれは、とある中学校のパンフレットであった。


 何故にこんなものを……そう思いつつ開いてみれば……まあ、普通のパンフレットだ。さすがに公立とは違い、相応に金の掛かった設備が整えられているようだが……ん?



 ……芸能専攻コース、だと?



 見慣れないタイトルに目を引かれた私は、その部分に目を通し……脳裏を過った予感に、「……まさか、私にここへ行けと?」私は思わず目を瞬かせるしかなかった。



「――学費や生活費、その他諸々の雑費は全て僕が出す。どうか……君の才能を僕に伸ばさしてほしい」



 だが、爺さんは私の脳裏に過った予感の、さらに上を行った。ギョッと瞬かせた目を見開いたまま硬直する私を尻目に、爺さんは……はっきりと、告げた。



「君は、両親に対して強い憎悪というか、嫌悪感を抱いているようだね」

「え、あ、まあ、そうなるわね」

「そこまで嫌う人と同じ屋根の下で暮らすのは……さぞ、ストレスが溜まる事だと思う。僕が君の立場だったら、嫌悪感のあまりハンマーで頭を叩き割っているかもしれないね」

「……何が言いたいのかしら?」



 回りくどい言い方は、好きではない。


 そう言外に臭わせながら尋ねれば、爺さんは……それはそれは、気持ち悪さを覚えてしまうぐらいに、にっこりと破顔した。



「東京に来て親元を離れれば、いちいち猫を被る必要はない。ちまちま反抗期を装う必要もないし、此処に居るよりはずっと自由気ままに振る舞う事が出来る。君が両親に何をしたいのかは知らないけど、選択肢は出来る限り増やしておいた方が良い……どうだい?」



 ……一瞬、迷った。



 だが、このままここにいても、マンネリというか、コレはというやり方が思いつかないまま時ばかりが……そんな予感を抱いてしまった私は。



「――お世話になります」



 気付けば、刺し出された爺さんの手を掴んでいた。



 ……ただし。



「ところで、そろそろ服を着てくれないかな?」

「あっ」



 パンツ一枚の、何とも締まらない恰好のままで。









 ……。


 ……。


 …………2月某日。


 こうして私は急遽、芸能コース(要は、二世俳優やタレント、志望の子)がある東京の私立中学への入学が決まった。



 当然……という言い方も何だが、あの男と女の両名からは反対された。



 まあ、その点については予想していたし、初めから両名の意見を聞く気はなかった。学費云々も、爺さんが払ってくれる以上は、尚更だった。


 加えて、この一件で……終始、姉は私の味方であった。



 ――小学生とはいえ、自ら目指したい夢を見付けて、そこへ進もうとしている。何故、そこまで頑なに否定するのか。


 ――心配する気持ちは分かるが、普段から『夢を見付けろ』と意識の高い事を口にしていたのは何だったのか。


 ――自分たちが許せる範囲以外の夢なら、始めから否定するつもりだったのか、妹は二人の人形じゃない……等々。



 この前の、私への暴力の影響があるのだろう。私だけでなく、姉からも言われれば……さすがに、頭から拒否するわけにはいかないようで。


 そのうえ、私の夢とやらを後押ししてくれるのが、姉曰く『業界では大御所』の、芸能プロダクションの社長。学費やその他諸々も全て負担するという力の入れようから……まあ、話はそう長くは続かなかった。



 結果的に、説得に要した時間は一時間もなかった。



 とはいえ、その後もブツブツと遠まわしに撤回するような言い回しをしてきたが……当たり前だが、私は全て無視した。


 姉も、この件についてはそれ以上話を続けたくないのか、絶対に話に乗るようなことはしなかった。



(良かったな、姉よ……私がいないおかげで、貴方の周辺の男たちの視線が、私に向けられる回数が減るだろうさ)



 ……だが、私は知っている。


 一見、姉は私の味方をしてくれているようだが……その実は、逆だ。私を、少しでも己の周囲から遠ざけたいだけなのだということに。


 ……そう、私は気付いている。


 姉が私に対して優しいのは、私に対する愛情じゃない。面倒見の良い姉という周囲の評価を得たいだけだということに。


 ……何故なら、姉は平々凡々であるからだ。


 姉なりに努力しているのは、知っている。だが、現実は非情だ。超人というギフトを持つ私の前では、如何な努力とて何の意味もない。


 故に、私は知っている。私は、気付いている。


 私に対して強烈な劣等感を抱いているだけでなく、それを指摘されることに、とても怯え続けているということを。


 誰かが気付く前に、私を遠ざけておきたいという醜い内心を。それを周囲に悟られることを恐れている……それを、私は察していた。



(女が、女に向ける嫉妬の眼差しは……男が男へ向ける嫉妬よりも、はるかに分かり易いからな……隠すなら、もっと上手く隠すべきだぞ)



 だから、私は演じる。心優しい妹のフリをして。応援してくれる姉を慕う妹として。



 ……視線に見え隠れする、姉からの嫉妬の眼差し。



 それに心の中で満面の笑みを浮かべながら、私は……長年に渡って溜め続けた鬱憤が、少しばかり晴れたような気がした。



(恨むなら、あんたの親を恨め。私にとって、お前は裏切りの象徴でしかないのだから)



 とても、清々しい気分だ。こいつらが築いてきた幸せな家庭が……僅かではあるが崩壊の兆しが表れていることに……私は、喜んでいた。



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