第四話 オーディションに挑む修羅
それから……まあ、いつも通りの日常を送った。
何時ものように学校へ向かい、家に帰って宿題をして、また明日に備える。正直、話し掛けようとして気まずそうにしているあの男の姿は、見ているだけで楽しくて仕方なかった。
――もう、それだけで……オーディションを受けるだけの理由となっていた。
ただ、不思議な事に。何時もならば男子連中から執拗に話し掛けられたりしていたのが、少しばかり少なくなったというか……違和感はあったが……まあいい。
……そうして、二週間後、平日の9時30分より少し前。
学校を休んでオーディション会場へとやってきていた私が最初に思ったのは……『オーディション会場』というモノの、しょぼさであった。
と、いうのも、私は『俺』であった時を含めて、芸能関係にはほとんど興味がなかった。
そりゃあ、テレビは見ていた。ドラマだって見ていたし、アニメもスポーツも、面白そうと思ったやつは偏見なく見て、つまらなければチャンネルを変えていた。
つまり、有ったから見ていただけ。無ければ無いで構わないし、芸能人の名前だって、顔を見なければ思い出せない(しかも、うろ覚え)ぐらいだ。
だから、私の中にある芸能界の知識は……有り体にいえば、ゴージャスであった。
下積み生活の質素な暮らしは別として、売れっ子芸能人の多忙なり派手な暮らしをテレビで紹介されて、それを見る。私の中にある芸能界の知識なんて、その程度。
実情を知らないのは、薄々察してはいた。
だが、そんな芸能界が、新たな芸能人を選抜する会場なのだ。さすがにホール一つを貸切にするとまではいかないが、専用の施設を使うのかと思っていた。
(……マップで見たそれよりもずっとしょぼいビルの、テナントの一室。広くもなく狭くもなく……企業の面接会場って言われた方がしっくりきそうだ)
……思って、いたのだが。
『芦田芸能プロダクション・オーディション会場』と書かれた立て看板の矢印に従って会場に入った私は……何とも小ぢんまりとした空気に、呆気に取られていた。
改めて見回ったそこは、正しく面接会場という他なかった。
等間隔で取り付けられた照明、少しばかり年期を感じさせる長テーブル、床にはマットがなく、所々に変色してこびり付いてしまった汚れの跡が見られる。
部屋の隅には、既に会場入りした人達が並べられたパイプ椅子に腰を下ろしている。老若男女や美男美女を問わない、様々な風貌の人々であった。
……本当に、色々であった。
まず、親が同伴で来ている者がいる。まあそれは、未成年だからなのだろう。私よりも年若い子がいるが、全体で見れば少数……とりあえず、それはいいとして、だ。
気になるのは、集まっている人たちの顔ぶれだ。
何せ、顔一つとっても、美人ばかりではない。モデルのように美しい者もいれば、平々凡々……まあ、街中を歩けばいくらでも見掛けそうなレベルの者もいる。というか、率直に不細工なやつもいる。
顔立ちから視点を移せば、恰好だってそうだ。
ど素人(端から興味がない私にも察せられる)にも分かるほどに洗練された格好に、それを引き立たせる佇まい。
髪の毛一つ、指先一つ、如何に自分を良く魅せられるかを計算し尽くした者もいれば、無頓着な者もいる。
中には、お前それ寝癖かと思ってしまうほどの奇抜な髪形をした者もいる。いや、それはそれで似合ってはいるのだが……まあいい。
とにかく目立って印象を覚えて貰うのか、そういうオシャレなのかはさておき……さっさと受付へと向かう。
……受付を見つけるのは、簡単だった。
だいたいは入ってすぐの場所に設置されているし、長テーブルに『受付』と書かれた垂れ幕が取り付けられている。
それに……受付に座っている人が、ずっとこっちを見ていたから……非常に分かり易かった。
「こんにちは、受付ってここでいいんですか?」
「――こ、こんにちは。その、同伴の方はいらっしゃいますか?」
話し掛けてみれば、何故か受付の人は言葉を詰まらせた。ちなみに、受付の人は女性で……いや、そうじゃない。
受付の人が驚く気持ちも、まあ分かる。何せ、今の私の恰好は誰が見ても場違いでしかなかったからだ。
パッと見回しただけでも、美人も不細工も関係なく誰もが衣服にそれなりに金を掛けているのが見て取れる。当然だ、だってここは、オーディション会場だ。
芸能事務所に入れるか否かの、実技を兼ねた面接。そんな場所に、どこぞの衣服店で適当に選んだのが丸わかりの、長袖のシャツにジーンズという場違いな恰好をした私。
一般企業の面接で例えるならば、だ。
きっちり皺を伸ばして髪の毛や小物に至るまで用意を済ませてきた求職者の中で、使い古したスーツ一式で挑んでいるようなもの……受付の人が困惑するのは、ある意味仕方ない事だと私は思った。
「いや、私だけですよ」
「……すみませんが、本日は御1人で?」
「はい、そうですが……それが何か?」
「いえ、そういうわけでは……あの、応募書類一式はお持ちでしょうか?」
応募書類……何だそれは?
意味が分からずに尋ねてみれば、「書類選考を通った人に贈られる、合格通知と書かれた封筒の中身の事です」そう返事をされた。
合格通知……はて、そんな物はあの爺さんはくれなかったぞ。
……というか、そういえばそうだ。資格の試験でもそうだが、事前の申請やら何やらは必要だ。
今の私みたいに、呼ばれたから来たなんて事はまずありえない事だ……やれやれ、困ったぞ。
(……いや、待てよ)
困惑する受付を前にして、私の脳裏を過ったのは……あの図書館にて爺さんより手渡された、名刺であった。
……これを見せたら、あの爺さんを呼んで貰えるだろうか。
実はあの時の爺さんは泥酔して前後不覚だったとか、実は偽物の本物そっくりな別人とかでなければ……とりあえずは、どうするべきかは分かるだろう。
そう判断した私は、財布の中に入れておいた(さすがに、この歳で名刺入れなど持っていない)名刺を取り出し、受付の人に見せる。
訝しんだ様子で名刺を受け取った受付の人は、「うちの名前が……?」これまた首を傾げながらも名刺に目を通し……何気なく裏返した瞬間、その目がくわっと見開かれた。
……え、なに?
まるで、漫画か何かのようなベタな反応に驚く私を他所に、受付の人は「か、確認を取ってきます……!」慌ただしく席を立つと、そのままの勢いで……会場を飛び出して行った。
……当然、残された私は呆気に取られるしかない。
加えて……私は、そっと視線を下ろした。会場内にいる人々たちの視線が、一斉に己へと向けられるのが分かった。
まあ、受付の人が取り乱して会場を出て行ったのだから、最後に話をしていた私に視線が集まって、当然であった。
しかし……だからといって、こんな形で視線が集まるのは不本意極まりない事でもあった。視線を浴びるのは、これまでの日々で慣れ切っているが、それとこれとでは話が別だろう。
……八つ当たりと抗議の意味を込めて、受付の傍にいた……首に社員証を下げたスタッフを見やる。
しかし、そのスタッフもワケが分からないのだろう。「と、とりあえずこちらへ……」困惑した様子ながらも、申し訳なさそうに会場の隅へと促されたので……仕方なく、そちらへと向かった。
ついでに、そのスタッフの人がお茶を持ってきてくれた。おそらく、不用意に無駄な注目を浴びせる形になったお詫びと、私がまだ子供だからなのだろう。
「ありがとうございます」
まあ、お茶といっても紙コップに入れられた市販のお茶だが……それでも、わざわざ用意してくれるのは有り難いことであった。
(オーディションが始まるまで、後15分ぐらいか……)
そうして一息ついていれば、自然と私に向けられる視線は減る。これもまた、当然だ。もうすぐ本番が始まるというのに、何時までもよそ見をしている暇はないだろうから。
……。
……。
…………そうして、待つ事……どれくらいだろうか。
何気なく時計を見やれば、時刻は10時20分。既に、本来の開始時刻を20分も過ぎている。先ほどの受付の人も、戻って来ていない。
見やれば、他の人達も気にはなっているようだ。
誰も私語は発していないようだが、不安というか何というか……不思議そうに出入り口と時計を交互に見ている。
……いったい、何があったのだろうか?
空になったカップを受付に置いた私は、そのまま会場を出る。広くもない通路には人の気配はなく、あの爺さんが待ち構えている……様子は見られなかった。
……ふむ、帰ろう。
思わぬトラブルに見舞われているのかもしれないが、最低限の義理は果たした。遅れたのは、そちらなのだから。
そう判断した私は、さっさと此処を離れようと通路を進み、エレベーターのボタンを押そうと手を伸ばした。
――瞬間、エレベーターの扉が開いた。中から姿を見せたのは……あの爺さんだった。
通路へと出た爺さん(傍には、スタッフらしき人が二人いた)と、エレベーターへ乗り込もうとしていた私。驚きに見開かれた互いの視線が、交差した。
「――きみ、用が無いなら退かないか」
動こうとしない私に、焦れたスタッフの片方が声を掛けた。「――僕の客だよ」けれども、その注意は……それ以上、続けられはしなかった。
「……受付から話は聞いたよ。本当に来てくれたようだね」
私よりも先に、爺さんの方が我に返るのが早かった。「そうね、義理は果たしたわ。それじゃあ、さようなら」なので、私は返事もそこそこにエレベーターへと――。
「待った、せっかく来たんだ。最後までオーディションを受けるべきだよ」
――乗り込もうとして、腕を掴まれた。振り返れば、あの図書館で見た時と同じ……不可思議な熱意が宿る瞳が、そこにはあった。
「……前にも話さなかったかしら? 私、芸能界っていうのには元々興味ないの」
「言っただろう、意地でも首を縦に振らせるって。それに、三つ目の理由……それを知りたくてここに来たのではないのかい?」
……そういえば、そうだった。
思わず、私は目を瞬かせた。先日の……あの男の無様を拝めたことで満足し、そもそもの目的を忘れていたことを思い出した。
「……もしや、芸能界に興味でも湧いたかい?」
そんな私の一瞬の動揺を、爺さんは目敏く捉えたようだ。「君なら、大歓迎だよ」目を細め、改めて勧誘してきた……が、私は笑顔で首を横に振った。
「単純に忘れていただけ。とっても良い事があったせいでね」
「何だ、それは残念だ」
「それで、結局のところオーディションはやるの、やらないの? 時間が過ぎているから、中止になったのかと思ったわ」
「当然、やるよ。というか、もう試験は始まっているよ」
「え?」
もう、始まっている?
本人が来ていないのに……内心にて首を傾げる私を他所に、「さあ、ぐずぐずしないで行こうか」爺さんはサッと私の手を取ると、会場へと歩き出した。
さすがに、爺さんの腕を振り払うようなことはしない。なので、必然的に私はそのまま会場へと連れて行かれる形になった。
……。
……。
…………当然、それはもう当たり前の事過ぎてわざわざ言及するのも不思議な話だが、爺さんに手を引かれた私は……またもや、非常に目立つ形となってしまった。
考えなくても、分かる事であった。
何せ、爺さんはこのオーディションを開いた芸能プロダクションの取締役……つまり、社長だ。そんな人が、娘というには若過ぎる、曾孫と思われても仕方ない少女を連れてきた。
しかも、その少女が……つい数十分前に、受付で何やら一悶着起こしたらしい少女であると分かれば……気にするなという方が、土台無理な話である。
けれども、それも爺さんが所定の席に腰を下ろし、『遅くなりました、それでは当オーディションを始めさせていただきます』とマイクで話すまでの話であった。
誰も彼もが、真剣な面持ちとなっていた。それはそれ、これはこれ、というやつなのだろう。
最初に遅れて来た事を詫びて、それに伴って貴重な時間を使わせてしまったことを詫びて、今日一日(つまり、オーディションの)の工程を簡潔に話した後……ついに、オーディションが始まった。
……まず、歌の試験が最初のお題であった。とはいっても、歌の上手さを競う試験ではないと、爺さんは最初に忠告した。
これで爺さんたち(審査は、爺さんと、さっきの2名が行うとのこと)が見たいのは、歌の上手さよりも、如何に声で他人の心を揺さぶれるかだということらしい。
芸能人=歌手というわけではない。だが、良い声を出せるということは、つまり、人々の耳に、人々の心に、残り易い声を出せるということ。
役者を目指すにしろ、タレントを目指すにしろ、あるいは声優を目指すにしろ、無くて損をする事はあっても、有って困る事はない。
それが声であり、一番アピールしやすい個性である。また、最低限の能力(声を出す技術、滑舌や体力など)が備わっているかの確認にもなる。
それ故に、気持ちを込めて歌ってほしいと、爺さんは告げて……まず、最初の一人が呼ばれた。
その人は……舞台俳優として5年近く下積みを積んでいる、23歳の女であった。
端的にいえば、その人は美人な部類に入る人であった。トレーニングもしっかり行っているようで、自己紹介もハキハキしていて、声色も安定して力強さがあった。
マイクを手渡されてはいるが、少しばかり離している。それはつまり、それだけの発声が出来ている証であり、採用側のスタッフ2名は感心したように何度か頷いていた。
……だがしかし、爺さんは違っていた。
頷く二人とは異なり、その目はしっかりと歌う女を見据えながらも……変化がない。並べられた魚を吟味する料理人の如く、波紋一つ立たない水面のような眼差しを向けていた。
そんな視線を受けて……いったい、如何ほどの人物が、欠片の重圧すら表に出さずにいられるだろうか。
……少なくとも、この女には無理であったようだ。
全体を通してみれば、常に安定した歌声であった。だが、重箱の隅を突くように見やれば……所々、声色がブレる場面が見受けられた。
『――はい、ありがとうございました。それでは、席に戻ってください』
歌い終わって、少し間を置いて。会場内に、マイクを手にした審査員の声が響いた。
「……ありがとう、ございました!」
素人である私ですら、そう思ったぐらいだ。誰よりも、何よりも、今の出来を理解しているのは当人なのは考えるまでもない。
褒める事も貶すこともしない爺さんの言葉に、僅かばかり気落ちした様子で……けれども己を奮い立たせている様子で、女は先ほど座っていた席へと戻って行った。
『――では、次の方。自己紹介の後、御自身のタイミングで初めてください』
そうして、次の人が呼ばれ、次の自己紹介と、次の歌声が会場内に響く。
その人は男性で……何だったか、どっかに所属しているモデルだと言っていたが……あまり聞いていなかったから、記憶にない。
何故なら……他の人に注意を割くだけの余裕が、私にはなかったからだ。
とはいえ、それは緊張から来るものではない。他の人達は緊張しているだろうが、そうではない。
表には欠片どころか微塵も出してはいないが、けっこう私は困っていた。何が困っているって、そんなの考えるまでもない。
(……歌どころか、発声練習すらまともにやったことないぞ)
心配は、それであった。歌の上手さを見る試験ではないとはいえ、それはあくまで最低限をクリアしているという前提での、話だろう。
実際、三人目、四人目、五人目、呼ばれた人たちはみな、歌が上手かった。業界の人達からすれば大したことはないのかもしれないが、私からすれば、誰もがプロ並みと思ってしまうぐらいに上手かった。
……名刺を使ったのは、不味かったかもしれない。
そんな予感が、脳裏を過る。明言していないが、おそらく、この場にいる誰もが、私に対して(当然、爺さんも)何らかの期待を抱いているとみて、間違いない。
……爺さんの顔に泥を塗るだけならばどうでもいいが、それで私まで小馬鹿にされるのは……正直、気分の良い話ではない。
(とはいえ、どうしたものか。仮に受け付け順から呼ばれたとしたなら、私は最後。人数から考えて、猶予は1時間もない)
……。
……。
…………無理だな。
率直に、私は結論を出した。いくらこの身体でも、練習すらまともにしたことがない事を、いきなりプロ並みにやれということは出来ない。
ならば、どうするか?
7人目の歌声を尻目に、しばし考えていた私は……諦めよう、と内心にて首を横に振った。
――今回ばかりは、色々な意味で浮かれていたあまり対策を怠った私の落ち度だ。
紛れもなく、それは事実だ。何も考えないままオーディションに望んだ、私が馬鹿でしかない。
そう、己の間抜けさに苦笑を零し……そのまま、30分ほど。大学生ぐらいの女性が首筋に浮かんだ汗を拭いながら、「――ありがとうございました!」指示に従って席に戻り始めた……その時。
『――えっと、そこの……腕を組んでいる女の子、前に出て来てください』
それまでとは違う、言葉の流れが変わった。
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