第三話 愉悦する修羅

※ 暴力的な描写と、性的な描写があります。苦手な方は注意








 ……その日の夜。



 何時ものように用意された晩飯を食べ終え、帰宅したあの男が一足遅れで食事を終えた頃……時計を見れば、9時15を少し回った辺りだ。


 話を拗らせる可能性がある姉は、少し前に友達とおしゃべりするとかで、今はこの家にはいない。受験勉強の息抜きという名目からか、10時ぐらいまでは外出が許可されているからだ。



 ……タイミングとしては、今が良いだろう。



 そう判断した私は、リビングにいる二人の元へと向かった。基本、用が無い限りは(二人は、それを都合良く『思春期』だと思っているようだが)私から話しかけることはない。


 だからか、私の方から話しかけた時、二人は軽く驚きつつも、少しばかり嬉しそうで……そして、居住まいを正したのを見て……私は、内心にて舌打ちを零した。


 嫌悪感を抑えきれなかったとはいえ、私は軽い判断ミスを犯してしまったことを悟ったからだった。考えてみれば、当然の反応だろう。



(しまった……そりゃあそうだ。普段は話して来ない娘が、前触れもなく唐突に話し掛けてきたら、何かしらの相談事だと思って当然だ)



 居住まいを正す(姿勢を正すのもそうだが)という行為は、良くも悪くも心に警戒心を作り出す。言い換えれば、ある種の防波堤を作るということだ。


 防波堤とはつまり、日常を変化させるやもしれない予感に身構えるという事。


 本当か嘘か、人間というのは満腹時や極端な空腹時には判断が鈍り易いと聞く。特に、満腹時においては食欲を満たされているという安心感から物事の判断が甘くなりやすいらしい。


 だから、食事を終えて、すぐ。


 晩酌も済ませ、まったりとした空気が流れ始めた辺りを見計らってから動いたのだが……とはいえ、動いた以上は止まれない。仕方なく、私は二人に……二週間後に行われるオーディションの話を始めた。


 私としては、たかがオーディションだ。何をやるのかはさておき、距離にしても電車を幾つか乗り継いで、片道1時間半……まあ、大した距離ではない。


 ただ、開始時刻は朝の10時。しかも、平日。受けるとなると学校は絶対に休む必要が有る……個人的には学校を休んでもいいし、特に問題はないだろうと思っていた……が、しかし。



 ――二人への説得は思いの外、面倒臭い流れになった。有り体にいえば、私が思っていたように話は進まなかったのだ。



 どうしてかといえば、開口一番、最初に出てきた言葉が「――芸能界だなんて、絶対に駄目だ!」であったからだ。


 ちなみに、これを発したのは二人ともで、ほぼ同時であったが……それはどうでもいい。


 私の内心はさておき、だ。言葉を変えながらも一貫して『反対』の意志を示す二人を前に……私は、内心にて思考を巡らせる。



 二人にとっての私……『高田文』は、正しく愛娘であって、それ以上でもそれ以下でもない。



 私も、そう思ってもらうよう、煮えくり返りそうになる腸を宥めながら、何とか努めてきた。


 屈辱を覚えながらも二人の言う事は良く聞いたし、やっておけと言われたことは率先してやった。


 今は『思春期』を利用して会話を減らす事に成功してはいるが、それまでは当然、手伝いも率先してやった。


 故に、未だ私が小学生とはいえ、二人からの信頼は厚い。これは私がそう思っているだけでなく、二人の態度からも察せられたし、姉からも遠回しに揶揄されたこともあった。



 そんな娘が、ある日突然、芸能オーディションを受けたいと言い出す。



 なるほど……二人の気持ちも、分からんではない。仮に『俺』に娘がいて、目に入れても痛くないぐらいに可愛い愛娘がそんなことを言い出したら……まあ、反対する。


 だが、現実は違う。こいつらにとっては愛娘であっても、私にとっては違う。正直、この関係の滑稽さに冷笑を浮かべてしまいそうになる。



(とはいえ、私はまだ小学生だ。事実として、一人でオーディションを受けるだけなら可能でも、親の承諾無しでは後々問題になる)



 何せ、芸能界だ。他の業種とは根底が違う。


 芸能界に触れたことが無い人でも、その世界が如何に苛酷なものか……想像ぐらいは出来るし、良いイメージを持っている人はそう多くはないだろう。


 だから……不本意ながら、二人の意見は、私にとっても(あくまで、『俺』に娘がいたならば)同意見ではあった。



(……意地でも首を縦に振らせてやる)



 しかし、こいつらは分かっていない。こいつらにとっては娘を想って反対してくれているのだろうが、それは私にとっては逆効果でしか……いや、待てよ。



(この状況を利用して……一つ、試してみるか)



 それは、ある種の思い付きであった。だが、思わず身体が浮き上がってしまいそうになるぐらいの……甘美な思い付きでもあった。


 上手く終われば溜まりに溜まった鬱憤の幾らかが発散出来るし、上手くいかなかったそれまでの事。あの爺さんとは縁が無かったということなのだろう。


 そう思った私は、改めて思考を切り替えると……あの手この手で話を変えながら、否定する二人に疑問を投げつけた。



 ――何故、受ける事すら許可しないのか。


 ――話も聞かず、頭ごなしに否定するのか。


 ――結局、二人は自分の望み以外を許可するつもりはないのか。



 そんな言葉を、言い方を変えては何度も投げつける。当然、二人もあっさり降伏したりはしない。私と同じように言い方を変えて、否定してくる。


 それ故に、私とこいつらとの会話は平行線を辿る。考えるまでもなく、当然の結果であった。


 相反する主張がぶつかった時、議論を集結させる唯一絶対の手段は妥協である。


 言い換えれば片方が、あるいは両方が歩み寄る以外にこの話が終わることはない。


 結局の所、話し合いというのは、如何に互いを擦り合わせて落とし所を作るかが重要なのだ。


 そこから考えれば、平行線を辿るのは当然の帰結である。というのも、此度の目的は……『オーディションを受けるか否か』、であるからだ。


 この場合における妥協は、相手への全面譲歩に他ならない。受けるか否かの二者択一では、妥協を挟む余地が限りなく少ないのだ。


 だからこそ、何が何でも許可を出さない二人と、何が何でも許可を頂きたい私。初めから、この話し合いが成立するわけがないのだ。






 ……。


 ……。


 …………そうして、言い合いを続ける事……幾しばらく。時計を見られないので正確な時間は分からないが、だいたい3,40分ぐらい経った頃だろうか。


 その頃にはもう、二人の口からは当初のような理性的な言い回しは無くなり、何処となく粗暴で上から抑え付けるようなモノになっていた。


 理由や命題は何であれ、真剣に臨めば臨むほど言い表し難い疲労感が溜まるのが口喧嘩というやつだ。


 加えて、私はまだまだ平気だが、さすがに二人の顔に疲れが見られ始めている。小学生とはいえ、超人レベルのフィジカルは伊達ではない。



(……よし、そろそろ頃合いだな)



 売り言葉に買い言葉(私はわざと煽るような言い回しをしたが)が重なったこともあって、二人の気は高ぶっている。


 一見疲れて落ち着いたように見えても、その内心は沸き立つマグマのように煮え滾っている……それはつまり。



「…………っ」



 あえて蔑むように感情を込めて視線を一つ、これ見よがしな溜息を一つ。わざと相手の怒りを誘うように挑発するだけで。



「――親に向かってなんだ、その態度は!」



 親という隠れ蓑の中にあった、こいつらの本性を露わにするに足る、前準備は終わったということだ。


 女の方もそうだが、不本意ながらこの男の本質は分かっている。理知的な態度を取るが、その中身は……凶暴で、自分より下と思った相手は際限なく見下すような男だ。


 故に、例え相手が娘だとしても。いや、庇護している娘だからこそ、己よりも絶対に格下と定めている存在から、『話しの分からないやつ』だと嘲笑的な態度を取られれば。



「――いっ」



 相手が実の娘であろうと、相手がまだ12歳の女子であろうと……拳を振るう事に欠片の躊躇もしない。それを、分かっていたからこそ。



 ――振るわれた拳をあえて受け、そのままぶっ飛ばされたかのように見せかけるぐらい……容易い事であった。



 当然、ただぶっ飛ばされるだけではない。


 わざと傍のテーブルへと飛んだ私は、その勢いのままに椅子を倒し、テーブルの上に置かれていたコップやら皿やらを派手になぎ倒しながらうつ伏せに……って、冷たい。


 置かれていたコップ(中身は……臭いからして、ビールの残りか)が、ぼたぼたと後頭部に掛かる。「――あ、文っ!?」声だけでもあの女が狼狽しているのが分かったが、私は顔を見られないよう四つん這いになる。



 ――急がなくては。



 拳が当たった頬に手を当てる。と、同時に、頬の筋肉を意図的に動かし、循環する血液を加速させ……意思の力だけで意図的に内出血を引き起こす。


 瞬く間に熱を持ち始める頬に触れば、何時もよりぷよぷよとした感触がある。準備が出来たのを確認してから、頬の内側を凹ませて噛み切る。


 事前に集めていた血液も相まって、口内一面にドバっと血の味が広がった。少々噛み切る範囲が大きかったか……まあ、派手な方が良いだろう。


 駄目押しに、涙も流す。そうして、慌てた様子で私を引き起こそうとするあの女を手で追い払い、あえてふらつきながら……そいつの前に立ってやった。



 ……途端、二人が息を呑むのが見て取れた。まあ、当然だろう。



 何せ、今の私は両目から涙を流し、頬に大きな痣を作り、唇の端から血の滴を垂らしているのだ。鏡を見ないと正確な状態が私にも分からないが、痛々しい有様になっているのは見なくても分かる。


 事情を知らない者が見れば、まず、私の安否を確認しようとするだろう。次いで、誰に暴行されたのかを……犯人を捜そうとするはずだ。



「――ただいま。ちょっとコンビニにも寄って来たから遅く――え、なに、何なのこれ!?」



 当然、それは……門限間際に戻ってきた私の姉もまた、同様であった。


 いや、むしろ、逆だ。この場にいる全員を知っている、家族である姉からすれば、その驚きは第三者以上だっただろう。


 姉に現場を見られてしまい、動揺を隠しきれないまま、見苦しく言い訳を重ねる男。


 姉に現場を見られて我に返ったのか、涙を流しつつもその男を私に近づけさせないようにする女。


 そして、とにかく傷の手当てが先だと発言する姉。


 ……その中でただ一人。


 私だけが、事が順調に進んでいるのを内心にて笑う……そして。涙を堪えながらも気丈に振る舞う私から、一通りの経緯を聞いた姉は。



「――最低だよ、お父さん」



 ただ、一言。それだけを零した直後。(――これだ!)ニヤリと、これまた内心にて笑みを浮かべた私は。



「もういいよ……顔に傷が出来ちゃったから、もうオーディションは受けられないもの」



 ぽつりと、男に背を向け無意識を装いながら、それでいて、この場の全員に聞こえる程度の音量で……これ見よがしに呟いてやった。



 その――瞬間。



 私を除いた女二人が、同時にあの男へと振り向く。「――っ!」一拍遅れて、取り繕う気配が背後より伝わってきて……次いで、先ほどよりもはるかに冷え切ったナニカを、感じ取った。



 ……興奮でどうにかなりそうな鼓動を必死に抑えながら、私はゆっくりと振り返り――ぷちりと、舌を噛んで堪えた。



 そこには……私が12年間求めていたモノの片鱗があった。



 パッと見た限りでは、青ざめた顔を手で隠している男。


 信じられないと言わんばかりに驚愕に目を見開く女。


 そして、先ほどよりもずっと……心底冷め切った視線を向ける姉。



 いったい……何があったのか。



 私の想像通りなら、おそらく……この男は安堵したのだろう。


 私を傷つけて動揺していたこともあって、思わず『オーディションを諦める』という眼前に垂れ下がったしょうもない餌に食いついてしまった。


 そこを……この二人に見られた。自らの要求が通って、僅かばかり笑みを浮かべた口元を。


 妻である、この女からすれば信じ難い光景だろう。


 何せ、自分の娘の頬を殴って傷物にしただけでなく、その事を私に詫びるよりも前に、私がオーディションを諦めたことに対して笑みを浮かべたのだから。


 一番付き合いの長い妻でさえ、そうなのだ。


 いくら血の繋がった親子とはいえ、だ。年齢的に思春期真っただ中の姉からすれば……この男が見せたその笑みはもはや、裏切り以外の何物でもない。


 その証拠に、男に向ける姉の目は、昨日とは全く異なっている。


 眼前の男を父として認識することすら、強い嫌悪感を抱いていそうで……いや、よく見れば少しばかり距離を取っているようであった。



 ……そこにきて、ようやく。



 己が仕出かした取り返しにつかない失敗に気付いた男が、言い訳を告げようと唇を震わせ、視線をさ迷わせ始める……が、遅い。



 何故なら、既に――手遅れなのだ。



 今が、日常の光景そのままであったならば、まだ良かった。だが、現実は違う。私の顔の傷もそうだし、テーブルから滴り落ちた酒やら倒れた椅子やらもそう。


 どれだけ意識を逸らそうとしても、やってしまった失敗から目を逸らせない。


 何処を見ても、暴力が振るわれた痕跡が目に止まる。その度に、こいつらの脳裏に想起されてしまう。この男が浮かべた笑みを、私に振るった暴力を。


 一度抱いてしまった嫌悪感は、そう易々と拭い去れるものではない。


 分別の付いた大人(全員がそうではないが)ですら、そうなのだ。ましてや、子供でもなければ大人でもない、不安定な時期の少年少女にとっては……言葉にするまでも……っ。



 ――くらりと、熱が背筋を登ってくるのが分かった。



 どうしようもなく、気分が高揚している。と、同時に、血の味が鬱陶しい。頭に掛かった酒の臭いも、そろそろ鼻につく。これでは、着替えるだけでは駄目だろう。


 そう思った私は、「シャワー、浴びてくる」うがいやら何やらを兼ねて浴室へ向かおうとした。「待って、先に病院――」その前に……どっちかが私にそのように声を掛けるのが聞こえたが。



「え、病院は……」



 ポツリと……それは、本当に無意識なのだろう。ともすれば聞き逃してしまいそうになるぐらいの小さな言葉ではあったが……私にとっては幸運にも、私以外の二人の女の耳に……届いてしまった。



「……娘の顔に傷痕が残るよりも、殴ったのがバレる事の方が嫌なんだ」



 声を震わせながらも、そう呟いたのは……私ではなく、姉の方であった。


 ハッと、己が何を口走ってしまったのかを理解し、先ほどよりもさらに青ざめる男一人。


 対して、瞬く間に増大してゆく嫌悪感に反比例して失われてゆく信頼……順調だ。完璧と称していいぐらいに、何もかもが上手くいった。



 ――いかん、このままここにいると……演技を保てなくなる。



 こみ上げてくる感覚に促されるがまま、小走りに……浴室へと駆けこむ。服を脱ぐ余裕など、今だけはなかった。



『――ちょっと、あんたその顔でシャワーなんて浴びて大丈夫なの?』



 もどかしさを覚えながらも、酒気が立ち昇る衣服を脱いでいると、ガラス扉一枚挟んだ脱衣所の向こうから声を掛けられた。姉の……そう、姉の声だ。



 ……心配して、様子を見に来たのだろう。



 正直、余計なお世話以外の何物でもない。というのも、派手にぶっ飛びこそしたが、私自身はあの拳からは何のダメージも受けていない。


 その気になれば……というか、もう出血は止めているし、既に噛み切った傷口も完全に塞がり、完治している。だから、心配するだけ無駄なのだ。


 全ては意図的に演出しただけで、あの程度では万に一つも怪我なんてしない。超人的なフィジカルというのは、伊達ではないからだ。



 ……だが、ここで無碍な態度を取る必要はないだろう。



 それに、怪我がもう治っているというのは異常以外の何物でもない。「うん、大丈夫」故に、私はシャワーを出しながら普段通りに返事を返した。



『本当に? あんた、口の中切ったでしょ。そんなのでいきなりシャワーなんて浴びたら、腫れるわよ』

「あー……それなら大丈夫。殴られる直前に身を引いたからなのか、見た目よりは地味だよ。ていうか、もう痛くないし」

『……殴られたところは、痛くないの?』

「言う程は……正直、そっちよりも髪の毛が酒臭くなっているのが……シャワー浴びるから、もういいでしょ?」

『……分かった。でも、痛くなったらすぐに母さんなり私なりに言うのよ』

「分かったから」

『それと、あんたもしかして服着たまま入ってんの?』

「手洗いしとかないと、シミが残るもの。別に、服着たままシャワーを浴びたりしないから」



 聞こえるように、シャワーの水量を増やす。納得しかねつつも、いちおうは私の意志を尊重してくれたのだろう。


 それでも、迷ってはいるようだったが……しばしの間を置いた後、足音とガラス扉の影が、遠ざかってゆくのが分かった。





 ……。


 ……。


 …………もう、いいだろう。


 私が感知出来る範囲の向こうにまで気配が遠ざかったのを確認した私は……サッと長袖のシャツを脱ぎ捨て、その下のブラジャーも放り投げる。


 次いで、部屋着用のズボンを一気に下ろせば……途端、我ながら思わず咽てしまいそうになるぐらいの、何とも言い表し難い生臭さが立ち昇った。



 ――臭いの原因は、分かっていた。



 何故なら、ズボンの下。私の性器を覆い隠しているパンツが……まるで失禁したかのように、べったりと濡れていたからだ。


 それは、恐怖から来る肉体の防衛機能の結果……ではない。紛れもなく純粋に、私は……私が、性的に興奮した結果であった。



「――っ」



 脳裏を過ったのは、今しがたの……己が仕出かしてしまった過ちによって顔色を青ざめる男の姿。


 そして、絶望するその男に対して絶望する女の姿に……親の所業に嫌悪して信頼を持てなくなった姉の姿……ああ、くそっ!


 もう、我慢できない――そう思った時にはもう、私は破り捨てる勢いでパンツを下ろし、粘液まみれになったそこに指を押し付けた。



「――かっ、うっ」



 瞬間――息が詰まった。私は陰部を中心に広がった熱が腰の奥を通じて背筋を登り……ぱちりと、頭の中で炸裂したのを実感した。


 ――オーガズム。そう、これは絶頂だ。


 堪らず、思考が真っ白に染まって分からなくなる。それが女の性的絶頂であると、私の中に眠っていた本能が教えてくれた……時にはもう、私は止められなくなっていた。


 指が、勝手に動く。両足が、震える。息が、乱れる。私の本能が、『俺の記憶』が、どうやれば身体が満足してくれるのかを教え、実行してくれる。


 そこに……恐怖は何もなかった。そんなことなど、私の頭には残っていない。


 あるのは、次から次へと湧いてくる渇望と、次へと繋がる淡い満足感。そして、あいつらにとっては降って湧いた絶望の中でもがく……その姿だけ。



 ――何という爽快感だ。快感で定まらない思考の中で、私は思った。



 アレだ……私は、アレが見たかったのだ。この12年間、ただそれだけが見たかった。


 かつての『俺』がそうであったように、絶望する様を見たくて見たくて……それが今日、少しだけ叶った――っ!


 ――っ!


 瞬間、全身が痙攣するのを私は抑えられなかった。新たに女として生を受けて、12年……人生において初となる性的興奮……それによって生まれた性的衝動の果ての、性的絶頂。


 未だ満足しない欲望に突き動かされるがまま陰部を掻き回す異音を、シャワーの音で掻き消す最中……私の胸中を絶え間なく過っているのは……喜びであった。




 ……。


 ……。


 …………そうして、ようやく昂ぶりが治まった後。



 『オーディションを受けてもいい』



 風呂から上がった私の元に、あの男の代理である、あの女から許可が出されたのは……もう寝る準備を終えた頃であった。






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