プロローグ2




「……んで、話を戻す。お前さんには、二つの道がある。どちらかしか、お前さんは選べない」

「二つの道?」

「記憶も何もかもを失くして新たな世界に転生する道と、代償を支払う代わりにある程度望んだ形で転生する道だ」

「……なに?」



 訝しむ俺を他所に、「まず、前者は……」爺さんは指を一本立てて説明を始めた。



「文字通り、何もかもが消去される。今のお前を構成する全てが破棄され、全く別の存在として生まれ変わる」



 別の存在……仏教等にある、転生というやつなのだろうか。「……何に生まれ変わるかは、選べないのか?」とりあえず、気になった点を尋ねてみる。



「選べない。人間になるのか、それ以外になるのか、男になるのか、女になるのか、どのような場所で生まれるのか、何一つ選べない。いわゆる、ランダムだ」

「ランダム……」

「生まれ変わった先が今よりも険しいモノになるかもしれないし、今よりもずっと極楽になるかもしれない。どうなるかは、ワシにも分からん」

「もう一つは?」

「出来うる範囲ではあるが、願いを叶えたうえで転生を行う――ただし、こちらを選んだ場合は、代償を一つ払ってもらう」

「……代償?」

「別に、生き返った直後に死ぬとかそんなものじゃないさ。代償がどのような形になって現れるのかは、願いによる」



 願いを叶えたうえで……その言葉に反応しかけた俺だが、直後に被せられた『代償』という言葉に、浮足立ちかけた気持ちが、ぎくりと動きを止めた。



「選ぶのは、お前さんだ。何もかもを忘れて全てを新しくして生まれ変わるか、代償を受け入れたうえで願いのままに転生をするか……好きな方を選べ」

「……どうして、俺なんだ?」

「と、いうと?」

「その、これは……俺みたいになったやつみんなに行われる事なのか?」



 突然な状況と、突然な不思議。そして、突然の選択。眼前に差し出された二つの手を前に、俺が辛うじて絞り出した言葉は……疑念であった。


 どうして、そんな言葉が出たのか、俺自身にも分からなかった。


 もしかしたら、少しは考える時間が、気を落ち着かせる時間が、ただ欲しかったからだけなのかもしれない……そう、俺は思った。



「いや、たまたまだ。たまたま、お前さんが選ばれた。それ以上でも、それ以下でもない……さあ、選べ。あまり時間を取らせるのなら、強制的にこちらが選ぶことになる」



 だが、そんな俺の内心を他所に、猶予は欠片も与えられはしなかった。



 それならば……俺は、考える。もしかしたら、俺の人生(既に、俺は死んでいるけれども)で一番頭を使っている瞬間かもしれないと心の隅で思いつつ、必死に考える。



 選ぶ道は、二つに一つ。どちらか片方しか、選べない。おそらく、引き返しも出来ない。



 このまま何もかもを忘れて新たな人生(人間でない可能性は多大にあるだろうが)を選べば、この苦しみからは解放される。何処で生まれるかはさておき、それは確実だろう。


 もう一つを選んでも、おそらくはこの苦しみからは開放される。それだけじゃなく、俺の願いを叶えたうえで……代償というのが気になるが、それは後にならないと分からない。



 前者は、何もかもを天に任せた運任せが前提の転生。


 後者は、リスクとリターンが提示された、条件付きの転生。



 どちらが低リスクというわけでもないだろう。運が良ければ、莫大なリターンだけを得られるのだ。いわゆる、ある種の博打みたいなもの……そう思った俺は、ふと……気になった点を尋ねた。



「その、出来うる範囲ってのは具体的にどれぐらいなんだ?」

「細かく説明する猶予はない。強いて挙げるとするなら、『他者を傷つける類の願いは駄目』だということだ。例えば、『鉄骨に押し潰されて死ね』だとか、『不治の病に苦しめ』といったような願いだ」



 他者を……その言葉と共に俺の脳裏を過ったのは、俺を裏切った……妻たちの顔であった。



 その時……仄暗い欲望が鎌首を持ち上げたのは、否定しない。「言っておくが、これは肉体的に限った話じゃないぞ」けれども、そんな俺の内心を見透かしたかのような爺さんの一言に、俺はそっと欲望を抑え付けた。



 ……恐怖症などを植え付けるのも駄目ということか。



 正直、惜しいと思った。俺自身のことなど、この際はどうでもいい。そんな事よりも、あいつらの幸福が一秒でも早く終わり、僅かでも苦しい時が長引けば……出来ないのであれば、仕方がない



(それじゃあ……願いは、俺自身に関する事か)



 ならば、どうする……そう考えた俺だが……答えは、すぐに出た。



「……願いは、複数でもいいのか? 願いの内容によっては、無効にされることもあるのか? その場合は、どのタイミングで無効にされるんだ?」

「願い数に限りは無い。無効にされる場合もあれば、一部だけ無効にされる場合もある。そして、その分だけ『代償』も重くなる……後者を選ぶのか?」

「ああ、そのつもりだ」



 爺さんの言葉に腹をくくった俺は、爺さんに見えるように指を立てた。



「一つ、俺に超人的なフィジカル(身体機能)を与えてくれ。ただし、パニックホラー映画にあるような怪物は駄目だ。あくまで、人間の姿だ」


「二つ、フィジカルに見合う容姿と能力を与えてくれ。同性からは一目置かれ、異性からは愛されるような……ついでに、俺の意識と一緒に、頭もそれぐらいに良くしてくれ」



 そこまで言い終えた辺りで、俺は軽く息を吐く。「……その二つか?」首を傾げる老人を前に、「三つ目は、生まれる場所だ」俺は三つ目を告げた。



「三つ目は、生まれた先を、安心安全に暮らせる治安の良い場所にしてくれ。内線真っ只中で生まれたら、悲惨だからな……後、虐待を受けるような環境も駄目だ」

「それで最後か?」

「四つ目……これが最後だ。俺が、どれだけ他者を肉体的にも精神的にも傷つけたとしても、欠片の罪悪感すら抱かないようにしてくれ」



 それは、ある意味では、この四つの中で一番叶って欲しいと思っている願いであった。


 俺は、あいつらには成れない。浴びるように酒を飲み続け、こうして結果的には自死してしまった今になって、それがよく分かる。



 俺は、あんな鬼畜外道には成れない。



 何の罪悪感も無く、自分たちの悦楽の為だけに他者を……俺を二十年も騙し続けるなんて鬼畜なことは出来ない。



 ……だから、俺は、俺の中にある良心を捨てようと決めた。



 自分の意志で捨てられないのであれば、外部の手で消してしまえばいい。俺は、俺の為に、俺の為だけの人生を送ろう……そう決めた俺は。



「どうだ、四つの願い……叶えられそうか?」



 改めて、爺さんに尋ねた。



「――叶えられる。では、これにて話は終わりだ」



 爺さんの返答は、即座に成された。途端、ふっ、と。浮遊感を覚えたかと思えば、俺は……足元に出来た黒い穴へと、落とされた。


 そう、落とされた……そう思った時にはもう、俺がいた部屋はかなり上で。ハッと気付いて顔を上げた時にはもう、ボール大にしか見えないぐらいにまで、俺は穴の底へと落下していた。



 『――ただし、代償はいずれ支払ってもらうぞ』



 落下の恐怖に、思わず両手を伸ばした――その瞬間。脳裏に響く爺さんの言葉と共に、俺は……俺の世界全てが、暗闇の中へ――。







 ……。


 ……。


 …………ふっ、と。


 目が覚めた俺が最初に思ったのは、自らの身体の鈍さと……霞む視界の不明瞭さ。そして、声一つまともに発せられないという、不可思議な状況であった。


 恐怖は……なかった。先ほどの爺さんの話から察するに、無事に転生を果たしたのだろう。安心安全な治安の良い場所……かつ、虐待が起こっていない環境に。


 と、なれば、気になるのは……ここが、何処かという事。そして、動かない身体についてであった。



(目の前が霞んでよく見えない……何だ、もしかして、目に何かしらの障害を抱えているのか?)



 力は入らないが、幸いにも感覚はしっかりしている。後頭部……いや、背中に掛かる圧と、手足の感覚から……俺は今、布団か何かの上で仰向けになっているようだ。


 だが、何の上に寝かされているのかは分からない。確認しようにも、力の入らない身体では寝返りが打てそうにない……何とか周りを見回しても、霞んだ視界に映るそれらは、何が何やら。


 目視による確認は出来ない……仕方がない。感覚を頼りに、身体の状況を調べるしかない……そう思って頑張ってみるも……駄目だ。やっぱり、動けそうにない。


 麻痺している……というよりは、何だろうか……寝起き直後の、力が入らない感じだろうか。鈍いし頼りないが、ゆっくりやれば力は込められる。だが、その力事態が、妙に弱い。



(……舌が、思うように動かない)



 誰かを呼ぼうにも、舌がもつれて声が出せない。辛うじて出せた言葉も、「あ~」とか、「う~」とか……まるで、赤ちゃんのような……ん?




 ……。


 ……。


 …………待て。いやいや、待て。



(赤ちゃん……だと?)



 脳裏を過ったその言葉に、俺は……一瞬ばかり肝を冷やした。



(……そうか、そうだよな。考えてみたら、人間に生まれ変わる以上は、最初は赤ちゃんからだよな……驚くのも、変な話か)



 だが、それだけであった。事前に、転生するという話を聞いていたおかげだろう。一度だけ高鳴った心臓の鼓動も、すぐに落ち着いてゆくのが分かった。


 改めて見てみれば、なるほど。先ほどは動転して気が付かなかったが、見やった両手は赤ちゃんのように小さい。いや、赤ちゃんの手なのだろう。


 両手がこうなら、身体も同じ。今の俺は赤ちゃんで、寝かされているここは……つまり、俺は今、ベビーベッドに寝かされているというわけ……か。



 ――それならば、もうすぐ母親なり父親なりが様子を見に来るはずだ。



 霞んだ視界とはいえ、傍に人がいるかどうかぐらいは分かる。とりあえず、今はいない。それだけ分かっていれば十分だと結論を出した俺は……ふう、と有って無いような身体の力を抜いた。



 ――途端、下腹部から液体が漏れ出す感覚が広がった



 それに気付いた時にはもう、遅かった。(ちょ、え、ええ?)慌てて止めようと力を入れたが、無駄だった。じんわりと、股の間に広がる生暖かさに……諦めた。



 ……赤ちゃんの感覚とは、こういうモノなのだろうか。



 情けなさを覚えながらも、ふと、俺は自らの過去を振り返る。


 物心が付いたのは3歳の半ば頃の……そう、風呂上りに部屋中を走り回っていたのが最初の記憶だ。おねしょ(失禁)は……何時が最後だったかは覚えていない。


 そこから考えれば、まあ……おねしょは仕方ない。だって今の俺は赤ちゃんだ。気づけば漏らしていたなんてのも、何ら不思議な事では……あ、んん、気付けば?



 気付けば……はて、そういえば……何か、違うぞ?



 それは、言葉ではどうにも言い表せられない違和感だった。ソレは首筋に出来たシコリのように、意識を向ければ確かに存在する違和感で……しばしの間、俺はその正体が何なのか分からなかった。



(……あっ)



 分かったのは、偶然であった。


 たまたま……オムツの中に沁み渡ってゆく小水の感触が嫌で、それが尻にまで行きかけようとした、その時。無意識の内に逃れようと身動ぎした……その瞬間、俺は気付いてしまった。



 ――無いのだ。何がって……男性の証が。



 腰に力を入れたのがキッカケで、分かってしまった。慣れ過ぎて当たり前のようにあった、有るはずの場所からの手応えがない。


 逆に、手応えが無いという手応えが、伝わってくる。俺が俺であったからこそ分かる感覚なのかもしれないが……とにかく、違和感の正体に気付いた俺は……触って確認するまでもなかった。



 ……これが、『代償』なのだろうか。


 ――いや、違うだろう。率直に、俺はそれを否定した。



 考えてみれば、『願い』の中で生まれ変わるのに人間を指定したが、性別までは指定しなかった。確立としては二分の1……表か裏で、片方を引いたというだけの話だ。



 これを『代償』とするには、些か……いや、考えたところで無駄か。



 今ここでグダグダ考えたところで、俺に出来る事なんて何もない。『代償』が何であれ、覚悟だけは固めておこう……ひとまずの結論を出した俺は、とりあえず……両親たちが来る事を待つことにした。



(……あ、オムツが汚れたってことは、この後はオムツとかも替えられ……嫌だなあ)



 そうして、大人しくしていると。どうしても、自然と頭に浮かんでくるのは……今後の事についてであった。


 肉体的には赤ちゃんでも、精神は以前の俺のままだ。言い換えれば、感性もまた以前のまま……つまり、大人としての羞恥心は、そのままになっている。


 分かってはいる。誰だって、最初はそうなのだ。何ら恥ずべきことじゃないし、それが当たり前なのだ……それは分かっている。分かってはいるのだが……そもそも、オムツだけではない。



 今の俺……この身体が何歳なのかは分からないが、食事もそうだ。離乳食……いや、その前の段階なら、母乳か。



 この歳になって、母乳。実年齢では何ら不思議ではなくとも、精神年齢30過ぎの男が……何とも言い表し難い感覚に、俺は身もだえしてしまいそうだ……と。



 ――ぱたん、と。



 俺以外の気配がしない室内に届いた、微かな異音。扉が開閉した音だ。それを目敏く拾った俺は、(い、いよいよか……)少しばかり緊張するのを自覚した。



 俺の両親……いったい、どんな人なのだろうか。



 両親に関する願いはしていないから、どんな人物になるのかは分からない。虐待には合わないよう願ったから、いきなり暴力を振るってくる相手ではないようだが……さて。


 近づいてくる足音。霞む視界の端で動く人影。するりと、巨人の手かと錯覚するほどの大きな手がぐるりと回され、抱き上げられる。


 何となく、これは母親なのだろう。薄らと直感的にそう思った俺は、今世における母親の顔を拝見しようと目を――。



「あっ、おしっこ出したのね」



 ――凝らそうとしたが、出来なかった。何故なら、母親の……いや、あの女の声と、母親の声とが、あまりにそっくりであったからだ。



 ある意味、それは不意打ちだろう。



 もう二度と聞くことはないと思っていた、その声。忌々しさしか伴わないその声が、あらゆる思考を俺の頭から一気に吹き飛ばしてしまった。


 だが……事は、それだけに留まらなかった。



「――おーい、オムツはこれで全部か?」



 がちゃり、と。先ほどと同じく聞こえてきた扉の開閉音と共に、俺の耳に飛び込んできたのは……忌々しい……本当に忌々しい、あの男の声。



「あ、うん、それで全部。丁度良かった、一つ新しいのちょうだい」

「え、漏らしたのか?」

「そうよ、知らない内に漏らしていたみたい。夜泣きしないから楽だけど、出した時ぐらいは泣いて教えてほしいわね」

「あはは、気性が穏やかなんだろう。いいじゃないか、女の子なんだし」



 忘れたくても忘れられない、二人の声。俺を裏切り騙し続けていた妻と男の……幼馴染二人の声が、俺のすぐ傍から聞こえる。



 ――何だ、これは。



 身体が、ベッドへと下ろされる。少し間を置いて、寝間着を下ろされる感触……反射的に蹴りつけたが、「おお、元気だな」赤ちゃんの力では……男を喜ばせるだけ。



 ――何だ、これは。



 股を這い回る母親の……糞女の指先に、嫌悪感を覚える。何とか蹴飛ばして邪魔をしようにも、「こら、大人しくしなさい」女とはいえ大人の手……あっさり、払われてしまう。



 ――何だ、これは。



 まるで、腐った生肉を擦りつけられているかのような感覚。これならば、まだバケツ一杯に詰められた蛆の中に手を入れた方が、まだマシ……そう思ってしまうほどの、強烈な嫌悪感。



 ――おい、まさか。



 憎悪が……今の今まで奥底に沈んでいた憎悪が、噴き出してゆくのが分かる。俺が赤ちゃんでなければ、最低限、こいつらを殺せるだけ大きければ……迷うことなく刃を手に取るほどの、殺意。


 カッと、臓腑が燃え上がる錯覚すら、覚える。その、最中……この世界の何よりも憎い二人に見守らているという耐え難い屈辱に耐え続ける……その、最中。



 ――これが、『代償』なのか?



 俺は……よりにもよって、この二人の血を受け継いで生まれてきてしまうという現実に……俺の意識をそのままに転生したことを後悔した。

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