KAC3:住宅街の片隅で (お題:Uターン)
実験実験アンド実験、疲れ果てて大学から帰ってきた。風呂に湯を溜めていたら、悲鳴が聞こえてドンと大きな音がした。
「なんやなんや」
伊勢章がドアを開けると、隣もその隣も、ドアが開いていた。
街外れの住宅街に不釣り合いな音につられて、同じアパートの人間がわらわらと出てきた状態である。大抵は外に何も起こっていないのを察するとすぐに引っ込んだが、章ともう一人、隣の部屋に住んでいる同じ大学の名前も知らぬ学生が扉を開けたまま外を眺めていた。
「…………」
「なんか変やんな?」
「うん」
学年も学部も同じだということは知っているが、会話を交わしたのは初めてだ。アパートの入り口は道路に面しているが、大きな音がしてからは車一台通らない静かなものだ。
「……警察、呼ぼう」
マンションの入り口まで出てきた章は、ポケットから携帯電話を取り出した。
「呼んでどうするんだよ」
「明らかにおかしいやろ。悲鳴が聞こえてすぐ外に出たのに、悲鳴の主はどこにもおらんねんで?」
章は外に出てズンズンと歩いていく。
「おい、危ないぞ」
もう一人の学生であるところの
ろくに左右も確認しないまま、狭い道路を渡って章は道路の向こうの草むらに入っていった。
「悲鳴の主を探してるのか?」
「悲鳴じゃないかもしれんけど、最悪の可能性を考えて行動せんと……」
がさがさと音をさせて歩いていた章の足が止まる。
「救急車も追加やな」
章が地面を見て呟いた。章の足元の草むらに、一人の人間が転がっていた。
「ひき逃げや」
二人の呼んだパトカーと救急車が相次いで現れて、またアパートの住人がドアから顔を出した。道端に倒れていた人は、意識こそ失っていたものの、命が脅かされるような事態ではないらしい。よかった、と檮木は胸を撫で下ろした。
だが大騒ぎになったのは警察の方だった。なにせ、人の多い住宅街でひき逃げである。檮木と章は夜中にもかかわらず詳しく事情を聞かれ、解放されたのは日付が変わってからだった。事情もわからないまま、檮木はただ質問に答えさせられた。
「悲鳴を聞く前に何か聞かなかったか?」
「扉を開けた時に君が感じたという違和感はなんだ?」
「どうやって気づいた?」
警察のいずれの質問にも、檮木はただわからないと答えるしかなかった。自分は、隣の部屋の学生がいろいろ言うからついていっただけである。違和感は確かにあったのだが、何の違和感かはわからない。
警察からの帰り、檮木は章に尋ねた。なぜ、なんとなくの違和感を信じて動けたのか、と。
「お前、見えへんかったんか? 道路や」
章は自分の足元を指差す。
「道路?」
「僕が初めにおかしいと思ったのは道路や。僕らが外に出た時、車が全く通ってなかったやん」
その言葉を聞いた瞬間、檮木の違和感の正体がわかった。それは、目の前の道に車が全く通っていないという異常さだったのである。
ここは京都の街外れとはいえ、人の多い住宅街だ。一方通行の狭い道とはいえ、車通りは少なくない。
「なんで通らなかったんだろう」
いくらひき逃げとはいえ、あとの車はそのことを知らないのだから、急に道から車が消えるというのもおかしい話だ。
「Uターンやろ。こんな狭い道を慌ててUターンしていったから、一通を逆走する車が逃げるまで、他の車がこの道を通らんかったんや」
この狭い道をわざわざUターンするという異常さに章は気づいた。運転手は相当動転しているに違いない。よく見ると道路に痕跡もあったらしい。檮木は全く気づかなかった。
「悲鳴はブレーキ音かもしれんし、頼むから動物であってくれとは思ったけど、この住宅街に動物なんかそうそうおらんからな。人やったらヤバイなぁと思ったんや。まさか本当に人にぶち当たるとはなぁ……」
しかも車に跳ねられた被害者は草むらの中だった。章が探さなければ見つからなかったに違いない。
「俺は全く気づかなかった……」
檮木は茫然としながら歩く。
「僕は車乗るから気づいただけやで。君も車好きなら、また今度ドライブでも行かへん?」
檮木は頷いた。
「ドライブか。いいねぇ」
「一通逆走するやつなんか目撃者も多いやろし、きっとすぐ捕まるやろ。そしたら、捕まった記念にドライブや。どこ行こうかなぁ」
同じ大学の友人と車に乗りにいくなんて初めてだ。檮木は、事件のことも忘れて既に楽しみになっている。
「いや、それにしても時間かかったな。明日も早いのに。さっさと風呂入って寝る……」
「どうしたの?」
急に黙った章の顔を檮木は覗き込む。
「風呂、入れっぱなしやった……」
住宅街の道端で、章は膝から崩れ落ちた。
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