第10話 「見ず知らずの人を助けるって凄いこと」

「もうお昼か。早いなぁ」


 現在地、事務所1F入り口横にある駐車場。

 駐車可能台数はせいぜい10台程度の、そこまで大きくない駐車場だ。その中央に≪バヤール≫を停め、シートに座りながらタバコを吹かしている。


 そもそもこの事務所は片側2車線の幹線道路沿いにあり、敷地面積はそう広くない。

 5階建ての事務所の横に駐車場、さらにその横には主に職員用の自転車置き場。

 現在、ここにいるのは僕と≪バヤール≫のみ。普段なら数台は見かける車はおろか、隣接した自転車置き場にすら何も無い。確かここにも何台か自転車があった気がするのだが。

 近くに敵影は無し。猫の子1匹いない。玄関から見えたゾンビは何処に行ったのか。


 あの後。空を舞った後。地面にそのまま叩きつけられるかと思いきや。

 なんなく、≪バヤール≫に乗ったまま着地できました。

 良い子はスクーターに乗って2階の窓を突き破ってジャンプとかしちゃダメだぞ。

 尻超痛いから。


 しかし、空中ダイブをかまして一つわかった事がある。

 こいつは本当に馬なのかもしれない。

 おそらくだが、自分の意思がある。

 なんせ地面に叩きつけられるまでのわずかな間に、空中である程度軌道を変え、着地しやすい体勢を整えたのはこの≪バヤール≫自身だ。

 おかげで綺麗な着地を決める事ができた。

 尻超痛いけど。


 そのままゆっくりと駐車場へ移動し、慣らし運転をしていたらお昼になってしまった。

 スクーターに乗るのなんて久しぶりだから、ちょっと楽しくなってしまい、思いのほか熱中してしまったようだ。

 そろそろ昼食でも、と思ったが。 


 「2食続けてクラッカーは嫌だな。普段ならコンビニにでも行くところだけど……」


 ゆっくりと紫煙を吐き出しながら考える。


 はたして、こんな世界でお店は営業しているのだろうか?

 それどころではない気もする。

 いや、でも真面目な店員さんとかならひょっとして。

 いやいやでも……。

 いやしかし……。


「……確認しに行くか」


 どうせ物資の補給も近場の散策も、そのうちしなければいけない事なのだ。

 短くなったタバコを放り投げ、≪バヤール≫のハンドルに手をかけようとした、その時……。


「キャアアアアアアアア!」


 悲鳴が、聞こえた。女性の声だろう。

 事務所とその横にある駐車場、その前にある歩道をバタバタと、2人の女子高生らしき人物が駆けていくのが見える。

 ……駆けていく、という表現は適切ではなかった。遅い。遅すぎる。ろくに走れていないじゃないか。

 ギクシャクと、動きが硬すぎる。時折後ろを気にしている様だが、何か居るのか……?

 視線を、女子高生からその後のほうに移すと。


「アァア……ヴァアァ……」


 あ、ゾンビだ。

 動きの遅い女子高生2人を、もっと動きの遅いゾンビ数匹がゆっくりと追いかけている。両者の間は10m程度だな。

 玄関からゾンビが見えなくなっていたのは、閉じこもったオッサンより動きの遅い女子高生のほうが良いと判断したからなのか。

 腐った死体モドキにそんな知能があるかは知らないが。


 しばらく眺めていると、2人の女子高生はこちらに気づく事もなく。バタバタ走ってキャーキャー騒ぎつつ、歩道の向こうにある車道を横断したりしながら、最終的に、この近辺で唯一のコンビニへと入っていった。

 ゾンビ達……、数は5匹いる。これも、こちらには目もくれずに女子高生達を追いかけようとしている。

 ゾンビがあのコンビニに到達するまで、歩みの遅さからして数分以上かかるだろう。


 助けに行こうと思えば、十分に行ける距離だ。

 助けに行こうと思えば、な。


 ポケットからタバコとジッポを取り出す。真っ黒のパッケージに金文字で【black swan】と書かれた、僕の愛飲するタバコだ。

 ジッポは安物。銀色の、装飾も何も無いシンプルな物だ。

 箱から1本取り出し、咥えて火を点ける。


「いや、わざわざ助けに行くわけないだろ」


 誰に言うともなく、呟く。

 ……正義感に溢れた人間なら彼女らを助けに行くのだろうか?


 一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ、自分が助けに行く様子を想像してしまった。


 ――コンビニを囲もうとしているゾンビの前に≪バヤール≫で颯爽と登場し、無限マシンガン≪ダンス・マカーブル≫で薙ぎ払う。

 周囲の魔物を全て片付けた僕は中にいる人達へ声をかける。大丈夫ですか? すると中の2人はこう答える。どうもありがとう! 貴方は命の恩人です!

 感謝と感激を一身に受け、僕は満足そうに微笑むのだった――。


「……アホくさい」


 馬鹿馬鹿しい。

 気分が悪い。

 反吐が出る。

 さっきまでの楽しい気分が台無しだ。


 なんでそんな事をしなければならない?

 僕になんの得がある?

 自分の身を危険に晒してでも他人を、それも見返りも求めずに助けるだとか。

 そんな事ができるのは、狂人の類いだろう。

 まったくもってナンセンスだ。


 死ぬのなら勝手に死ね。

 生きるのなら勝手に生きろ。

 生きたいのに死んでしまう? 知ったことか。

 自由とはそういう事だろう?


 この世界はまるで自由なんだから。


 僕は≪バヤール≫のシートに深々と座り直し、ゆっくりと煙を吐く。


「僕は楽しむぞ」


 この世界を。

 この悪夢の世界を。


 生きて、生きて。

 生き抜いて。

 楽しんでやる。


 そう、決意を新たにした僕の後ろで。


 ――バサリ、と。

 大きな、羽音のような音がした。




**********




 ?????のナイトメア☆ガゼット


 第10回 『black swan』


 ブラックスワン。店頭に並ぶまでに特殊な経緯があったようだが、最近では普通にコンビニなどで買えるタバコ。

 タール13mg。


 タバコは体に良くないわよね。それでも吸い続けてしまうのは、単純にニコチン依存ってだけなのかしらね? 何か他の理由もある気がするわ。

 でも、ワタクシは吸わないわよ? だって体に悪いもの。

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