第3話 妖怪のルール

 時間は進み、宵の時刻は終わりを迎えようとしていた。

 哀愁漂う『弦楽四重奏曲第12番第2楽章』が店内を支配し、人々の経験してきた苦難や辛さを浮かび上がらせる。


「実は……俺は、人間と妖怪のハーフなんだ」


 店内で一際ひときわ存在感を示す白い髪が、銀司の言葉に揺れる。

 コーヒーから立ち上る湯気は薄くなり、窓に映り込んだ景色は随分と殺風景になっていた。


「銀司様……?」

「遥か昔、人間と妖怪は仲が良かったらしい。まぁ……この話自体、あるお方から聞いた話なんだけどな」

「信じられない……妖怪なんて、信じてる方が珍しいのに……」

「そのあるお方ってのは、俺の憧れだったんだが、人間と最も近い妖怪だった」

「憧れだったから、人間と関わってるの?」


 唯は正真正銘の人間だ。

 通常、妖怪と人間は相容れない。

 少し前に比べれば、妖怪と人間の溝は埋まったということに疑いの余地はない。

 だが、まだ限られた者しか肌で感じていないのが現状だ。


「いや……彼女……あるお方から聞かされた話が親に影響を与えたのは間違いない。そんな親の姿を見て、俺は人間に特別な感情を抱いた」

「あるお方って女の子なんだ……それで、親の仲は良かったの?」

「あぁ、相当な美人さんだぞ。まぁ、その話はおいておくとして……俺の親父は妖怪の中では、はぐれ狼だったんだ。とはいえ強さは一級品で、大妖怪とも遜色なかった」

「立派なお父様ですね。羨ましいです」


 自らの境遇のため、尊敬できる父親像を理解することができないことを歯痒く思っているのだろうか?

 定型文の褒め言葉と、羨ましいという本心を並べながら、唯は目線を少し下げ両手を合わせている。


「だが、親父は我が子を崖から落とすような厳しい妖怪だった。基本的には放ったらかしで、意地悪ばかりされてたな」

「お……大人気ないです……」

「だから、俺はお袋にベッタリだった。妖怪とは違う独特な匂いに、物心つく前から人間だって気付いてたんだと思う。けど、そんなのは関係なかった」

「私は銀司様に、とてもベッタリです! きっとこんな感じだったのでしょうね。想像するだけで、可愛くて悶えそうです」


 目の前に座っている銀司は妖怪で、人間なんかよりも凄くて、クールで大人びてる……その風貌に圧倒され、思わず唯は自らを謙遜することが多いのだろう。

 しかし、明らかになった銀司の意外な一面に、唯はついつい頬を緩めてしまっていた。


「だが、それでも俺とお袋の間でさえ、妖怪の掟……人間と関わるということは、難しいことだった」

「もう家族になったんだから、何してても良いのにね」

「そう簡単な話じゃないからな。たとえ家族でも、妖怪と人間が無条件で仲良くするなんてことは出来ないんだ」


 血が繋がっていたとしても、また愛していたとしても、妖怪と人間は仲良くすることができない。

 血が繋がっていないことで子どもを遠ざける人間とは、大きく異なっていた。


「私、銀司様と一緒にいたい」

「だとしても、もっと大きくなってからでないと、俺が犯罪者になっちまう」

「妖怪の世界では問題ないんでしょ?」

「まぁな……でも、人間と付き合うのは妖怪の世界では、最低な妖怪の烙印を押されるな」

「すごく面倒なんだけど……もぉ……なんで、こんなに上手くいかないのぉ……」


 のぺーっと机の上に覆い被さり、不満を垂れ流す唯を、銀司は見つめる。


「俺にも、面倒な付き人がいてな。なかなか自由に動けない」

「そうなの?」

「俺なんかよりもムキムキだが、俺よりも遥かにチビな奴だ。まぁ……簡単に言うと、小うるさいじいさんだよ」


 銀司はここに来る前の会話を思い出したのか、目頭を押さえる。

 確かに、色々と口うるさそうな感じが滲みだしていた。

 それは、大多数の者が一致する意見なのではないだろうか?


「でも付き人がいるなんて凄いね!」

「ん? あぁ……俺は、自分みたいなはぐれ狼になった妖怪たちを束ねてるんだ。はぐれた理由はそれぞれだが、誰もが飢えてる。そういう奴らは、いつも誰かと話したいって思ってるものなのさ。俺がそうだったからよく分かる」

「初めて会った時のことを思い出すね」

「あぁ……もう1か月前になるのか……時間が過ぎるのは早いな」


 銀司と唯は、遥か遠くを見つめる。

 2人の出会いを回顧する姿は、哀愁漂うカフェに上手くマッチしていたのだろう。


「あの日、俺は人間の町に憧れて、初めて山を下りた」

「だから、あの時キョロキョロしてたんだね。犬みたいで可愛かったなぁ~」

「仕方ないだろ? 人間社会は新鮮だったんだから。俺は溶け込むのが苦手だ……この白い髪が、どうしても俺を目立たせてしまう」

「確かに、何か輝いてるみたいに目に付くんだよね~、どうしてなんだろ?」


 店員がコーヒーカップの回収に訪れる。

 どうやら、もうすぐ閉店の時間が迫っているようだ。

 すでに空になっていた2人分のカップを、銀司は店員に手渡す。


「だが、そんな中……公園で1人ベンチに座る少女を見つけた」

「あっ、私だ! 銀司様のこと、最初は全然気づいてなかったよ。妖怪だって教えられて、その時は溶け込むの上手いのになぁ~って思ってた。けど、こうやって話してると、やっぱり苦手なんだな~ってよく分かる!」

「他愛もない話をしばらくして、その日は別れたが……まさか、その後も公園にいつもいて、話すことがある意味日常になるなんて、その時は思ってもいなかったな」

「話すのは、楽しいもんね!」


 無邪気な唯の発言に、思わず銀司は頬を緩める。

 そして、おもむろに席を立ちあがり、カウンターに向かって歩き始める。


「会計だけ済ませてくるから待ってな」

「うん!」


 カフェの店内は客が姿を消し、店員の姿も見られない。

 小さな店の中は、ひっそりと静まり返っていた。

 2人の時間がもう終わりを迎えようとしているということを、その状況は無言で伝えていた。





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