第2話 人間のルール

 ひっそりとした街のはずれに佇む小さなカフェ……名をルーン

 ルーンは、フランス語で月を意味する"Lune"の読み方を英語に近づけたものだ。

 その証拠に、カフェのマークには大きな月が描かれている。


「いらっしゃい」


 低いが、穏やかで温かさを感じる声がカウンターから聞こえる。

 そこには、良い歳の取り方をしている店長と思わしき男性の姿が見える。


「そちらのお嬢さんは……?」


 宵の時刻、子供は家に帰る時間だ。

 だからこそ、この時間に店を訪れた女の子を、店長は訝しく思ったのだろう。


「あぁ、保護者同伴だ。もうこんな時間だが、大目に見てくれ」

「そうですか……では、奥の席へどうぞ」


 銀司は唯の頭に手を置き、保護者であることを示すように店長を見つめる。

 そのたたずまいは、何百年も生きてきたかのような威厳が溢れていた。

 

「ねぇ、銀司様!」

「なんだ? 今日はご機嫌だな」

「だって、カフェに2人で来れたし、デートみたいじゃない!」


 唯は机上に置かれたメニューを眺めて、鼻歌交じりに話す。

 傍から見れば、兄妹に見えなくもない。

 それほどまでに、見た目だけを比べれば、銀司はとても若い。


「ふっ……」

「私……何か可笑しいですか?」

「いや、相変わらず可愛いと思ってな」

「嬉しい! ありがとうございます、銀司様!」

「大げさだな。そうだな……唯、君の話を聞きたいな」


 銀司は真剣な目つきで唯を見つめる。

 その視線には、妖怪と人間という垣根は関係ないのだろう。


「私のこと?」

「あぁ、以前親に嫌われていると言っていたな。それが辛いんだと。さっきも、まだ上手くいっていないと言っていたし」

「うん……でも、その時は銀司様が来てくれたから、立ち直れたんだよ! まだ上手くはいってないけど……本当にありがとう!」

「その言葉も、何度聞いたことか。まぁ、こんあ言葉しか出ないのは、照れくさいだけだがな」


 和やかな雰囲気に、陽気な曲が流れる店内で、少し浮いた少女の声は良いアクセントになっているのだろうか?

 それとも、この店を訪れる客には穏やかな人が多いのか、数少ない客は皆、少女の声に笑みを浮かべている。


「注文するのは決めたか?」

「はいっ! 私はエスプレッソがいい!」

「大人だなぁ……このマキアートの方がいいんじゃないのか?」

「ううん、エスプレッソがいいの!」

「じゃあ、俺はブレンドかな」


 銀司は手を挙げ、店員を呼ぶ。

 手慣れた手つきには、妖怪であることを感じさせない自然さが伴っていた。


 注文を終え、改めて銀司は唯の顔を見つめる。


「それで、どうして親に嫌われてるんだ? そろそろ知りたいな」

「……」


 すると、唯は俯いて口を紡ぐ。

 緩やかに流れていく時間にくっつくように、カフェの空気は流れていく。

 しかし、唯と銀司の間の時間だけは、止まってしまったのではないかと錯覚するほど、その場は静けさが支配していた。


「私、今の親の子じゃないの」

「……なんだか複雑だな」

「私のことは疎ましく思ってるみたいで……正直に言うと、あまり家にいたくない……本当は銀司様について行きたい!」


 今にも泣きだしそうな顔で、唯は銀司を見つめる。

 その表情からは、壮絶な環境が見てとれるほどだ。


「妖怪の世界に人間が入ることはできない」

「そう……そうだよね……」

「すまんな……だが、その親も酷いなぁ」

「仕方ないよ……私は赤の他人なんだもん……」


 唯は自分の存在が必要とされないことを納得している。

 それを受け入れた上で、銀司に助けを求めているのだ。

 しかし、それは叶わない夢であり、仕方のないことだった。


 そんな雰囲気を知ってか知らずか、店員は湯気が昇り、良い香りが漂うコーヒーをタイミングよく持ってくる。

 目の前に運ばれてきたエスプレッソは、周りの全てを吸収してしまいそうなほど濃い黒色に染まっていた。


「にっがぁい……」

「ほれみろ、マキアートのしとけば良かったのに」


 一口飲んで、顔をしかめた唯は、はしたなく舌を出している。

 それを見た銀司は、共用スペースからミルクとシュガーを持ってくる。


「ミルク、入れるぞ。少しはマシになるはずだ」

「ありがとうございます、銀司様!」

 

 ミルクが投じられ、コーヒーの黒は明るい色へと生まれ変わる。

 そうして、一瞬にして机上には甘い香りが広がる。


「美味しい!!」

「それは良かった」


 改めて口にの中にコーヒーを含ませた唯は、満面の笑みで味を伝える。

 その明るい返事を聞きながら、銀司はカフェ オリジナルのブレンドコーヒーを優雅にたしなむ。


「それにしても、人間とは面倒な生き物だな」

「え?」

「自分の子供じゃなくても、親との繋がりは強いはずだ。赤の他人とは訳が違う」


 唯のコーヒーを混ぜる時に使ったコーヒーマドラーを片手で弄りながら、銀司は窓の外を眺める。

 窓から見える景色は暗闇に包まれ、窓ガラスは鏡のように店内の様子を映し出している。


「俺たち妖怪は、血筋以外も重要視する。例えば……子供とかな」

「銀司様……」

「子供は財産……未来の宝だ」


 少し微笑みながら語る銀司を他所に、唯は照れくさそうに頬を赤らめ、机上のコーヒーを見つめる。


「ねぇ、銀司様……私は生きていていいのかな?」

「ん?」

「私は孤児だったの。施設の人に拾われたらしくて……だから、親だけじゃなくて自分自身のことも分からない……」

「孤児……か……」

「その後、老夫婦が引き取ってくれたんだけど、すぐに老衰で入院して……それで、今の人たちに面倒みてもらうようになったんだ……」


 自分自身さえ、信じていいか分からない。

 それは思った以上に大変なことだ。


「それじゃあ、俺の話もしないとな」

「銀司様……?」


 暗くなった雰囲気を立て直すように、銀司は身を乗り出し、唯の目を見つめる。

 その瞬間、銀司の世界は大きく動き始めたのだった。

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