夢旅人
辻 長洋(つじ おさひろ)
第1話「森」
少女は、いつもより1時間半程早く、ベッドの中に潜っていた。
(学校で借りた図鑑を読んでたら疲れちゃった...。今日はもう寝よう。)
少女は目を瞑り、息をゆっくりと吐いて、そのまま眠りについた。
──────────────────
パチッと目を開けると、そこは一面緑色の空間だった。
(ここは...森かな?)
(森には、どんな生き物が居るんだろう?)
(少し辺りを歩いてみよう。)
──────────────────
少女が歩いて居ると、一匹の雀が目の前の枝に飛び乗ってきた。
「こんばんは、雀さん。」
雀は少しぎこちなくお辞儀をしながら言った。
「こんばんは。」
「雀さん、貴方はここで何をしているの?」
「僕はね、仲間を探しているんだ。」
「本当は仲間達と餌を探し回っていたんだけれど、僕ってばマヌケなもんだから、見つけた虫を一目散に追ってたら道に迷っちゃったんだ。」
「そうなんだ...。私、探すのを手伝ってあげたいけど、私には雀さん達の見た目の違いがよく分からないの。だから雀さんを見かけても、あなたのお友達かどうか分からないんだ。」
「ははは、動物ってのはそういうもんさ。僕達だって人間達の違いなんかがよく分からないし、猿や虫なんかもっと分からないしね。皆、生きるのに精一杯で、他の種族の事を考える余裕なんて無いからね。」
「力になれなくてごめんね。雀さん。」
「いいのさ。元はと言えばはぐれちゃった僕がどんくさいのが悪いんだ。」
「でも、雀さん、あなたが皆を探してるみたいに、あなたのお友達もあなたのことを探してるんじゃない?」
「うーん、どうだろうね。僕達は、仲間がはぐれたら切り捨てる事が多いんだ。雀が一匹になったら、天敵の動物や人間の子供に襲われて、数時間と持たないからね。」
「そうなんだ...。それじゃ、あなたも一匹じゃ危ないんだね...。」
「うん。だから必死に仲間を探してるんだ。きっと僕も、すぐに何かに襲われるだろうからね。」
「それじゃあ僕は仲間探しに戻るよ。まだ餌探しが始まったばかりだから、仲間達も近くに居ると思うからね。」
「うん。引き止めちゃってごめんなさい。私、あなたの無事を祈ってるね。お友達に会えるように。」
「ありがとう。人間にも、いい人が居るもんだね。それじゃ。」
──────────────────
雀と別れ、そのまま歩いていると、今度は木の枝からぶら下がる虫を見つけた。
「こんばんは。大きな蜘蛛さん。」
少女が挨拶すると、蜘蛛は挨拶を返すよりすぐに言った。
「おっと、お嬢さん、そこに居ると危ないよ。」
大きな蜘蛛がそう言うと、
パサッ...
と、少女の顔に、蜘蛛の巣がかかる。
「君、顔に虫はついてないかい?」
「うん。大丈夫みたい。」
「そうか。虫が巣にかかる前で良かった。私の食べ物が無くなってしまう所だった。」
「蜘蛛さん...ごめんなさい。あなたがつくった蜘蛛の巣、私が台無しにしちゃったみたい...。」
「いいんだ。蜘蛛の巣はまた作ればいいのだからね。それよりも、君に迷惑をかけてしまったようで、私こそすまないな。」
「そんなことないよ!私がうっかりしてたから蜘蛛の巣にかかっちゃったの。私、人間じゃなかったら、きっとあなたに食べられてるよ。」
「ははは、そうかもしれないな。」
そんな些細な会話の最中、蜘蛛はやけに物珍しそうな視線を少女に向けていた。
「.............。」
「...突然な話だが、君はなにやら不思議な人間だな。人間なのに私に挨拶をして謝罪をするだなんて。普通の人ならきっとしないだろう。」
「ん、どうして?私、あなたとお話がしたかったから声をかけたし、あなたに迷惑をかけちゃったから謝ったんだよ。それって普通の事じゃない?」
「うむ...人間同士なら、きっと普通の事だろう。だが、人間が虫に大して敬意をもって接するというのは中々無いことだ。」
「ほとんどの人間は...いや、少なくとも私がこれまで出会った人間達は、私達蜘蛛を見ると、気持ち悪いだとか、怖いだとか、そういう風に捉えることが多いんだ。だから、謝られるのはとても新鮮だよ。」
「そうなんだ...。」
「私、蜘蛛が得意な訳じゃないけど、あなたの事を気持ち悪いだとか怖いなんて思わないよ。」
「あなた、とっても親切だもん!私、そんなに優しい生き物を、怖いなんて思わないよ。」
「見た目で判断しない、か...。面白い思考だな...。生態系の中では弱者かもしれないが、社会という物の中ではとても重要な事なのだろうな。それはきっと、食物連鎖の頂点に立ち、周りに敵が居なくなった人間だからこそ持てる思想なのだろう。」
「...私は自分の事を、全ての人間に嫌われているのかと思っていたよ。」
「.............。」
「ねえ蜘蛛さん。私、あなたに一つ聞きたい事があるの。」
「なんだい?」
「あなた、蜘蛛は人間に嫌われてると思ってたって言ったけれど、人間に気持ち悪がられたり、怖がられたりして、苦労して生きるのが馬鹿らしくなったり、死にたいとは思わなかったの...?」
「ふむ.......。」
蜘蛛は、少し悩んだような声を出した。
「そうだな...。そんな事は考えた事も無かった。だが.......。」
そして、一呼吸置いて言った。
「私は、決して死にたいとは思わんよ。」
少女のそれは、純粋な疑問だった。
「それは、どうしてなの?」
「確かに、人間に嫌われたり、必要とされていないと思った事もあった。だが、それでも死ぬ理由にはならん。生物とは、何者かに必要とされる為に生きている訳ではないからね。」
「生物というのは、動く物質に過ぎない...と、私は思う。石や岩と同じように、何かを成す為に生まれたのではない。ただ、生み出される環境が偶然整ったから、偶発的に存在したもの...。」
「生物はどれだけ進化しようと、結局はただ、幸福という土台を作り上げ、安心するべく生きているのだ。」
「...........。」
少女は少し考え込むように俯いた。
「しかし、突然そんな事を聞くとは、君はまだ生きる目的を得られていないのかい?」
「うーん...どうなんだろう?私もよく分からないな。ただ今は、好奇心と探究心と、知識欲を満たす為に生きてるような気がするの。」
「だから、そうだなぁ...。夢があるとしたら.......」
「生物の行く先...到達点を知りたい、か
な...。」
それを聞いた蜘蛛は、優しげな声で返した。
「そうかそうか。それは結構な事だ。」
「君ならきっと、いつかそれを知る事が出来るさ。努力していれば、必ずね。」
「ありがとう、蜘蛛さん。私、いつも夢の話をすると皆に笑われるんだ。だから、私の話を笑わないで聞いてくれたのは、あなたが初めて。とっても優しい蜘蛛さんだね。」
「笑ったりする訳ないさ。君だって、初めて私を怖がらずに話してくれたんだからね。君だって、とても優しい女の子だ。」
「ありがとう、蜘蛛さん。私はきっとそろそろ目覚めちゃうけど、あなたの事は絶対忘れないよ。私の夢を聞いてくれた、心優しい蜘蛛さんだって。」
「私こそ。君の事を必ず忘れないでいるよ。約束だ。」
──────────────────
蜘蛛と別れを交わし、森を歩いていると、少女は足元に羽が落ちているのを見つけた。
その羽が落ちていた木の影には、ついさっきまで会話をしていた雀の死骸があった。
(...........!)
(す...雀さん.......!)
(あの後...お友達と会えなかったんだ.......。)
数瞬の間、体が固まる。
少女は力なく地面に膝を付くと、雀の亡骸を震える手で抱え上げた。
目の前でひとつの命が消えたという実感が、ジワジワと胸を締め付けていく。
そしてその実感は痛みへと変わり、
少女の目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていった。
──────────────────
突然、辺りが光に包まれた。
今日もまた、朝が来たのだ。
ベッドの上で、涙を流しながら目が覚める。
ゆっくりと起き上がり涙を拭うと、着替えを初め、出掛ける準備をし始めた。
枕元には、森を模したスノードームが一つ。
少女は堪えきれずに涙を零し、スノードームに祈りを捧げた。
(雀さん。おやすみなさい。どうか、安らかに。)
そして少女は涙を拭った。
「...それじゃあ皆、行ってきます。」
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