②井戸の呻き
その日は慌しかった。
何と言っても、南国から使者が来たのだ。
この国は南国に近く、よく南国人が訪れる。
観光や旅の途中の宿泊など、通り道としてもよく使われるため、今回の事件に大きな関心を寄せているのだ。
「本当に大丈夫なのですか?」
「問題ない。近いうちに解決するだろう」
「貴方がそう言うのであれば、我々は信じますけども……」
やはり歯切れが悪い。
自国の人間が無差別に殺されたという物騒な事があれば、そうなるのも無理はない。
「其の国の人間の安全は保証する」
「分かりました。お願いします」
姫はどんな人が相手でも、上から目線を崩さない。
4大国の国主と会談する機会が訪れたとしても、この態度は変わらないように思う。
こうして、南国からの使者は宮廷を後にした。
その後、俺と姫が食堂で昼食をとっていると、不意に姫はジト目になりつつ小さな溜息をついた。
「はぁ……面倒事は早く片付けたいな……」
「捜査に行くんですか?」
「いや、見回りに絡まれるともっと面倒だから、今は様子見だ」
姫と見回りは犬猿の仲らしい。
というのも、基本的に国民に干渉しないという姫のポリシーは、国民を統率して犯罪などを減らすべきという彼らの主義とは逆行している。
人々との間のルールで成り立つ集落を目指す姫にとって、国民を縛り上げる法律などは不要なのだ。
故に、独自に悪事を取り締まる民間組織である見回りに関しても、あえて干渉していない。
「しかし、あまりにも長引くようなら、私も動こうと思う」
「悠長なことを言ってないで、今すぐ行きましょうよ!」
「面倒だから嫌だ。お前が1人で行け」
姫は相変わらず素っ気ない。
お茶を啜りながら、呟くその言葉には感情がこもっていない。
そもそも、姫が感情的になることはあまりない。
「じゃあ、行ってきます」
「……本気で行く気か?」
「はい、行きますよ!」
「行っても何の役にも立たんというのに」
本当の事だが、そう言われると傷つく。
というか、事件の詳しい内容も知らないのに、どうすれば良いのだろうか?
数学の問題のように、解き方を知っているのと知らないのとでは、方針を立てる段階で差ができる。
「失礼します」
俺が悩んでいると、近衞さんが部屋に入室してくる。
飲み終わった姫の茶器を回収しに来たのだろう。
飲み終わるのを待って入室してくるのは、いつもの事ながら従者の鑑だとは思う。
「いつもすまんな」
「いえいえ。ところで……お伝えしたいことがあります」
「何だ?」
近衞さんは、いつものように笑みを浮かべて語る。
その姿からは、深刻な様子は窺えない。
「実は、国民から声が寄せられているんです。井戸に住む幽霊を何とかして欲しいと」
「何だ、その国民の声というのは?」
「京介さんが親しみやすい性格をしているので、国民が国への依頼を寄せるようになっているんです」
確かに、最近では下町に行った時に、よく話しかけられるとは思っていたけど、まさか宮廷にまで声が寄せられてるなんて思ってもいなかった。
「面倒事を増やさないで欲しいのだが……」
「俺のせいですか!?」
「ほぼ、お前のせいだ。それで、その井戸というのは?」
ジト目になって、一瞬コチラを睨んだ姫だが、すぐに無表情となり近衞さんの方を見つめる。
「色々と依頼があるのですが、恋愛相談等の重要ではない依頼も多いのです。そんな中、井戸の幽霊については深刻な部類かと思いまして」
「井戸って、水を汲む場所ですよね?」
「えぇ、農家の方からすると、とても重要な道具ですね」
とても貴重な水は、雨や川から入手する。
しかし、温泉が湧き出るように、井戸から汲み上げられる水は、仕組みは分からないとはいえ、有り難い代物だ。
「温泉も然り、井戸も然り、案外この世界自体、大きな水の上に浮いてるだけなのかもな」
「幾ら何でも、それはないですよ」
「……ふん、冗談だ」
そうは言ったものの、地面の下には水やお湯があるというのだから、あながち無い話ではないかもしれない。
「それで、幽霊というのは?」
「えぇ、その重要な井戸の周辺で幽霊がよく目撃されるそうで。動物も近付こうとしないということからも、何かあるんじゃないかって噂になってるそうです」
「実際に見た者はいるのか?」
「何人もの人が、黒い衣装を身に守った男性の姿を目撃したしています。まるで、何も食べずにのたれ死んだかのように、不気味な感じなのだとか」
「ほぅ、のたれ死んだ奴の幽霊かもな」
姫は、それで解決したとでも言いたげな表情で、首を左に向け外の景色を眺める。
食堂から見える景色は、国の西側なのだが、井戸は各方位に1つは必ずある。
「その井戸って、どこの井戸なんですか?」
「北の井戸です。行ってくださいますか?」
「おい……どうしろという? 幽霊を捕まえろとでも言うのか?」
「はい。お願いします、京介さん」
姫はあからさまに不機嫌な表情をする。
このままでは、引きこもってしまいそうな勢いだ。
その雰囲気を察してか、近衞さんは姫に直接ではなく俺に頼むような素振りを見せる。
「姫、行きましょう!」
「貴様のよく分からん正義感に、何故私が付き合わねばならんのだ」
「じゃあ、恋愛相談の依頼にします? 姫のアドバイスを聞いてみたいとは思ってました!」
「人を好きになったこともない私にもらうアドバイスなど、無用の産物だ。辛くなるだけだから、やめた方がいい」
「じゃあ、井戸ですね!」
俺は姫の腕を掴み、少し強引に引っ張る。
こんなこと、最初の頃なら絶対にできなかったと思う。
今でも、ビクビクしながらなのだから、間違いない。
「仕方ない……散歩がてらに井戸に回るとしよう」
「ありがとうございます。姫、任せましたよ」
「……回るだけだ。解決できる保証はないからな」
姫はそう呟くと、席から立ち上がり、食堂を後にする。
俺も慌てて、その後を追う。
何だかんだ言っても、結局は何とかしようとしてくれる。
俺は、それが嬉しくもあり、自然と笑みが溢れる。
今日もまた、姫と頑張ろう!
こうして、俺たちは軽い足取りで北に向かったのだった。
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