② 泡沫の命
山はズッシリと構え、来るものは拒まないとでも宣言しているように感じる。
奇しくも、姫も同じスタンスを貫いている。
誇らしげに佇む姿が共通なのは、決して偶然ではないのかもしれない。
「熊の住処を探す。とりあえず、穴を探せ」
「穴ですか?」
「この山には確か、川があったな?」
「えぇ、この間の豪雨で水位は増してるかもしれませんね」
姫はいつも通り颯爽と山の中を抜けて行く。
どうして、姫はこうも神々しいのだろうか?
太陽の光を木々が遮り、ちょっとした木陰になった山の中を俺たちは歩く。
もし熊が見ていたのなら、木々の隙間から覗く紅い輝きが最初に見えた事だろう。
「足跡だ」
「大きいですね……」
目の前にはくっきりと巨大な足跡がいくつか残されていた。
あまりの巨大さに思わず息をのむ。
「そして面白い物も落ちているな」
「え?」
「矢じりだ。おそらく途中で折れたのだろう」
「熊を捕獲しようとしていた?」
「熊の毛皮は高く売れるからな。それに……」
姫は熊の足跡を凝視したかと思うと、左手の斜面を睨む。
風による草木の音のせいで気付かなかったが、こちらに人影が近づいてきていた。
「アンタら、まだいたのか?」
「ほぉ、お前はこの山というより、熊を守りたいのだな?」
そこには、先程宿を飛び出していった男の姿があった。
清潔感はお世辞にもあるとは思えない風貌に加え、先程の荒々しい物言いのせいで、俺はこの人を苦手に思ってしまった。
「アンタらは、これから大切な命を殺そうと堂々と宣言してる奴の肩を持つのか?」
「やれやれ、またその話か……これが弱肉強食だ。弱い者は狩られても文句は言えない」
「だが、人は決して肉を食うためだけに行動する生き物ではないはずだ!今を犠牲にしてでも、未来の事を考える。それをできるのが人間だろ?」
男は姫の近くへと歩み寄り、姫の紅い目に訴える。
その迫力は、やはり凄まじい。
「悪いな。お前が言っていたように、私は化け物だから分からんな」
「ちっ……そうだったな」
姫から視線を背けた男は、俺の方に歩み寄る。
その迫力は、姫と相対していた時の比ではない。
こんなに恐ろしいなんて、思いもしなかった。
東国の軍勢に攻められた時も、北国で完全に包囲された時も、命の危険を感じる恐怖に直面した。
けど、今の恐怖は命を狩られる恐怖ではない。
俺の中にある信念を折られるかもしれないという恐怖だ。
「アンタはどう思う?」
「え……えと……」
上手く言葉が発せられない。
どう返せばいいのか、返事を考える余裕すらない。
それほどまでに、この男は本気で守りたいと思っているんだ。
この山を、そして大切な生命を……
「まだ年端もいかない少年だ。いじめてやるな」
「まぁ、俺も大人気なかったとは思うが、本当にアンタは国の人間なのか? 未だに俺は、嬢ちゃんだって国主なんて信じられないんだが……」
先程までの鬼気迫るオーラをおさめ、優しいおじさんという印象に変わる。
俺も、この人みたいな信念を背負うべきなのだろうか?
「それで、どうしてお前はそこまでして熊を守りたい?」
「俺は別に熊を守りたいわけじゃ……」
「ここに来て建前などいらん。全ての生命を救うなどという戯言を言うのであれば、それでも構わんが」
「……数週間前に豪雨が襲っただろ?」
「確かに、あの雨は激しかったですよね」
数週間前に襲った豪雨は、土砂崩れを起こし、地域によっては甚大な被害が出た。
幸い、宮廷のある場所は山といってもそれほど高くなく、地質も固いため、土砂崩れを起こす事はなかった。
それでも、池が溢れたり、大きな水溜りができたり、雨漏りしたりと大変だった……
近衞さんが全て片付けてくれたんだけど、感謝しないと……
今度何か気の利いた物でもプレゼントしようかな。
「俺はその時、この山の中にいたんだ。すぐあがるだろうと思ってたんだが、みるみる強くなって洞穴から外に出れなくなっちまってよ」
「この山でも土砂崩れを起こしたのだったかな?」
「あぁ、軽い土砂崩れだったが、近くにいた俺には恐怖しかなかった。すごい轟音とともに崩れ落ちる斜面……鳥肌が治らねぇ……」
男は両手を膝にあて、過去のことを振り返る。
その表情は、俺が直面した命を狩られそうになった戦での感覚と同じように感じられた。
「雨に濡れてたもんで寒くなってきて、クシャミは止まらねぇは、雨もやまねぇはで大変だった」
「あの雨は三日三晩続いたからな」
「あぁ、それで夜になっても変わらずで、風邪を引いちまったみたいで、横たわってたんだ」
今では雨も上がり、しっかりと水分を吸収した山は、ずっしりと構えている。
その山の斜面を見つめながら、身に降りかかった恐怖を語っていた男は、そこでふと表情を緩め、天を仰ぐ。
「そこに来たのが熊だった。俺のいた洞穴は幾つかあるソイツの拠点だったんだ」
「熊の巣だったんですか!?」
「あぁ、そりゃあもう、食われるって思ったさ。走馬灯が駆け巡ったね」
「それで、どうなったんですか?」
「あっためてくれたんだ。自分の体毛を使ってよ。あったかくて、すぐに眠っちまった」
男は目を瞑り、言葉を紡ぐのを止める。
辺りを駆け抜ける風は、木々を揺らすことによって存在感を示す。
同じように、男が作り出した間は、熊の優しさを強く感じさせた。
「それで、そのまま逃してくれたのか?」
「あぁ、そうだ」
「だが、現にその熊は人里に降りて来ている。被害も出ているのだが?」
「それは知っている。話を聞く限りでも、俺を救ってくれた熊に違いねぇ」
「どうして分かるんですか?」
「胸に大きな引っ掻き傷があるんだ。大きな1本の傷が」
「……」
姫は目を伏せ、口を閉じる。
熊について、俺の考えは大きく変わっていた。
この男の話が上手いというのもあるかもしれない。
けれど、俺の芯は大きく揺さぶられていたのだ。
「ところで、土木組合についてだが……」
「アイツらはクソだ!!」
姫の言葉に反応して、男は圧倒的な声量を伴い、糾弾する。
あまりの叫び声に鳥は飛び立ち、男は少し息を切らしている。
「土木組合にでも、家族を殺されたか?」
「似たようなもんさ。アイツらは裏で俺たちを支配してる」
「支配ですか……?」
「あぁ、あの宿屋の主人が土木組合の長なんだ。アイツが裏で手を回して、牛耳ってる」
「まぁ、少年も嵌められたし、信憑性が無い話ではないな。だが、所詮地域の話だ。支配や牛耳ると言えるだけの力があるのか?」
姫は紅い目を光らせ、男を見つめる。
いつのまにか、風は止み、静けさが訪れていた。
鳥のさえずりや草木の音さえ聞こえない。
「俺たちにとって、家ってのは大事なもんだ。けど、ここら一帯の家屋は、土木組合の息がかかってる。家を人質に取られてるもんなんだよ」
「そんな……」
「面倒な方に話を膨らませるな。要するに、大した力はないという事だな」
「姫、そんな言い方は……」
「本当かどうかも分からんことに、いちいちコメントなどできるか。もし、本当にそうなら、私の政治方針の弊害ということになるがな」
ドゴーン
猟銃のけたたましい音が響き渡る。
姫から距離を置くように遠くの木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
「えっ、これって!?」
「アイツら、もう始めやがったのか!? こうしちゃいられん」
男は慌てて音のした方へ飛び出す。
あとに続いて2発聞こえる。
「ふん、贅沢な使い方だ。熊を一箇所に集める作戦のようだな」
「俺たちも行きましょう!」
俺は男の後を慌てて追いかける。
姫は小さくため息を吐き、気だるそうな顔で後をついてくる。
俺たちは、人と熊との戦いに首を突っ込むことになったのだった。
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