③ 人の道

 男について行くと、目の前には宿屋の主人を筆頭に、山の中を屈強な男たちが歩んでいる姿が見えた。

 その腕には大きな剣を持つ者もいれば、弓矢を持つ者もいる。

 そして先ほど轟音を放った猟銃を持つ男3人が、その1歩前を歩く。


「アンタら! 何をしとんだ!!」


 男は叫びながら、狩猟集団に駆け寄る。

 しかし、次の瞬間には再び轟音が響き渡る。

 猟銃から放たれた弾は、男の足下を抉り取る。


「なっ……!?」

「邪魔をしないで頂きたい。コチラは、人命を守るために熊を排除しようとしているのだ」

「じゃあ、どうして彼を撃ったんだ!」


 俺はつい大声を上げてしまう。

 そのまま男に近寄り、目の前の宿屋の主人を睨む。


「今のはあくまで威嚇射撃ですよ。本当に撃つ気はありませんでした。しかし、次邪魔するなら容赦はしません」

「くっ……」

「我々は早く害獣を駆除するために、最速で戦力を揃えたというのに」

「て……てめぇ……」


 しかし、男は腰が抜けて立つことさえできず、宿屋の主人を睨むことしかできずにいた。


「ね? これが威嚇というものです」

「だが、猟銃は人に向けて撃つための物ではない。次に撃てば、熊討伐前に没収するぞ」

「銃を手にした我々から取り上げられますかな?」

「造作もないな」


 姫に対しても撃たせる素振りを見せるが、姫は眉一つ動かさない。

 それどころか、どうしようもない子供をなだめるような呆れ顔で、宿屋の主人を見つめる。


「……まぁ、いいでしょう。今の威嚇だけで十分です」


 男たちは宿屋の主人をその場に残し、歩みを進めていく。

 猟銃から放たれる轟音は、熊を1カ所に誘導するために効果的な方法であった。

 その証拠に、森の奥から大きな声が響き渡る。


「来たようだ……待っていたよ」

「この声って……」

「ダメだ……こっちに来ちゃいけねぇ!」


 弓矢部隊は、声の聞こえた方に向かって、一斉に弓を構える。

 次の瞬間、奥に生い茂る木々の合間から、巨大な黒い塊が凄まじい速度で躍り出る。

 一瞬何が起こったのか分からなかったが、その巨体が目の前に降り立ち、二本足で立った時、それが初めて熊だと理解することができた。


「で……でかい……」

「まちがいねぇ……あの熊だ……」


 男が注目していたのは熊のお腹……そこには大きな1本の傷があった。

 男を助けた熊に間違いなかったのだ。


「出ましたね。返り討ちにしてあげましょう! やりなさい!」


 宿屋の主人の掛け声とともに、構えた弓を一斉に放つ。

 まるで、雨のように降り注ぐ矢が熊を襲うが、狙った場所にはすでに熊はいなかった。


「うわぁぁぁ」


 響き渡る悲鳴は、猟銃を持った猟師のものだった。

 声に反応し、少し遅れて猟師がいた場所を見たが、そこにはすでに猟師の姿はなかった。

 勢いよく走りだした熊は弓の雨を躱し、先頭に立っていた猟師を殴り飛ばしたようだった。

 あまりにも一瞬のことで言葉が出ない。

 猟銃を持った猟師は、肉片となり辺りは血の海と化していた。


「な……何をしているのですか? は……早くやりなさい!!」


 宿屋の主人は腰を抜かしながら、集めた男たちに命令する。

 しかし、すでに大半は戦意を失っていた。


「お……おりゃぁ!」


 1人の猟師が剣を片手に熊に突っ込むが、剣は跳ね返され強靭な熊の肉体を割くことさえできない。

 よく見ると、矢が何本か刺さっているが、矢じりの先端数ミリが食い込む程度でビクともしない。

 2本足で立った時の大きさは、屈強な男たちの二回りは大きく、怪獣と戦っているように錯覚させられる。


「お……お前さん……」


 男はか細い声で語り掛けるが、熊は関係ないとばかりに雄たけびをあげる。

 剣を持っていた猟師はたちまち殴り飛ばされ、腰で上下に切り裂かれる。

 飛び出た内臓や血液は周囲にいる兵士の目を潰し、戦力を無力化する。

 その隙を熊は見逃さない。

 その巨体に似つかわしくない速度で、次の猟師集団に飛び掛かる。


「やめろ!」


 俺の声は虚しく、5,6人もの猟師が一気に殴り飛ばされる。

 もはや戦意は大きく削がれ、猟師たちはその場で腰を抜かし、座り込む。


「お前ら、しっかりしろ!」

「あぁ……あああ……」


 宿屋の主人は大きな声で鼓舞する。

 しかし、漁師たちはすでに言葉さえも発することが出来なくなっていた。


「おいクソ野郎! これがお前の助けたかった熊だ! お前が何とかしろ!」

「お……俺は……」


 あまりの迫力に、男でさえ言葉が出てこない。

 熊は男を一瞥したかと思うと、宿屋の主人の方を睨みつける。

 睨まれているのは宿屋の主人なのに、俺も震えてその場から動けない。


「おい、アンタは国の主なんだろ? 国民の俺を守る義務があるだろうが!」


 宿屋の主人は、姫を盾にするように熊から身を隠す。

 姫は顔を少し後ろに向け、ため息をつく。


「都合の悪い時だけ頼るのはどうかと思うがな。それに、そんな義務などない」

「それでも、この国の国主か!!」

「うるさい奴め。私は討伐許可はしたが、私に手伝わせることを許可したつもりはないぞ」


 姫はジト目になりながら、宿屋の主人を見つめる。

 姫からだけは、緊張感を微塵も感じない。

 熊は猟師ではなく、姫の後ろに隠れている宿屋の主人だけを狙っているようだった。


「ぐぉぉぉおぉぉぉ」


 熊は大きな叫び声を上げ、宿屋の主人に向かって飛び掛かる。

 姫もろとも吹き飛ばすように、全力の踏み込みだ。


「や……やめるんだ! これ以上、人間を殺したら戻って来れなくなる!」

「姫、避けてください!」


 俺たちの声が熊に……そして姫に届く前に、熊が姫の目の前に到達する。

 姫は、足で宿屋の主人を突き飛ばすと、姿勢を低くし熊の爪から間一髪逃れる。

 しかし、熊はすぐに姿勢を立て直し、姫に向かって鋭い爪を振り下ろす。


「が……がぁ……」


 次の瞬間、熊は動きを止める。

 姫の紅い目が容赦なく熊を睨みつけていた。


「ほぅ、賢い生物は好きだぞ。喧嘩を売っていい相手かどうかの分別はついているようだな」


 姫の睨みに動きを止めた熊からは、初めて他の生物に対する恐怖心が漏れ出ていた。

 次の瞬間……ドカーン

 響き渡る銃声はあたりの音を掻き消し、静寂をもたらす。

 熊の胸には大きな穴が開いていた。

 その奥からは、今まさに煙が上がっている銃口を熊に向けた宿屋の主人が見える。


「ざまぁみやがれ……」


 熊は、宿屋の主人を睨みつけ、勢いよく振り返る。

 しかし、そのままその場に力なく倒れ込む。

 熊が倒れた時の音は、銃声に負けないほど大きく、そして重かった。


「あぁ……そんな……」


 男はすぐに熊に駆け寄り、その巨体に手を添える。

 熊は誰にも聞こえないほどか細い声で小さく鳴き、その目を閉じた。


「まだ礼も言えてなかったのに……うわぁぁぁ」


 男の泣き声が辺りにこだまする。

 俺は、何も声をかけることが出来なかった。


「ふぅ、これで熊の排除には成功しましたね。これで開拓できるというものです」


 ズボンについた土を払い、何事もなかったかのように宿屋の主人は立ち上がる。

 生き残った他の漁師たちも、1人……また1人と立ち上がる。


「さて、あとはこの熊を……」

「ところで、貴様に聞きたいことがある」


 聞き取れないほどの小さい声で、何かを喋る宿屋の主人に姫は声をかける。


「ん? もう君には用はないよ。まぁ、聞いてはあげますが……で、何かね?」

「これは、お前たちが熊に向かって放った矢だ。この矢じりはこの辺りで良く使われている剣尻と呼ばれるもので、素材もこの近辺で良く使われる石だ」

「それで?」


 宿屋の主人は気だるげに返事を返す。

 しかし、そんなことなど気にも留めず、姫は先ほど見つけた矢じりを手に持ちながら話を続ける。


「これと同じ矢じりを少し先で見つけた。その矢じりには、ほぼ根元まで血の跡がこびりついている」

「へぇ……よく見ているね」

「だが、あの熊の皮膚を貫通することさえできなかったのに、どうしてこれほどまで深くまで血がついているのだろうな?」

「兎でも狙ったのでは?」

「では、この矢じりにこびりついた血にくっついている毛は何の毛かな?」


 よく見ると、矢じりからは黒い毛が数本伸びていた。

 その太くてピンと張った毛は、熊の毛であることを物語っている。


「熊の毛かな? それで、結局何が言いたいんだい? これから、開拓で忙しくなるのだが?」

「単刀直入に言おう。子熊を狩ったな?」

「……」


 宿屋の主人は何も喋らない。

 そんな主人を見て、姫はさらに畳みかける。


「目当ては毛皮だな? 高く売れたか?」

「何のことやら」

「あの熊は、その子熊の母親だったのだろう。貴様に向けた視線だけ、殺気が凄まじかったぞ」

「それだけでは、確証はありませんね」

「では売買ルートを探ろう。こんな田舎には普通、国は介入しない。今回も急な訪問だったからな、まだ根回しはしていないのだろう?」

「……ご自由にどうぞ。皆さん、帰りますよ」


 それだけ告げ、宿屋の主人は、熊の遺体を見つめ、名残惜しうそうな顔を少ししたかと思うと、猟師を引き連れ帰っていく。

 後には、人の形を失った肉片と、巨大な熊の死体だけが残されていた。


「その熊は埋めてやろう。国も協力する」

「……」

「ついて来い。お前に見せなければいけない物がある」


 姫はそれだけ言うと、熊が飛び出してきた木々の中に消えていく。


「行きましょう。姫のことは信用していいと思いますよ!」

「あぁ……アンタは優しいな。そんなアンタが信頼しているのだから、嬢ちゃんは信用できるんだろうな……」


 男は立ち上がり、少しよろけながらも、一歩一歩前に進む。

 その足取りは重いが、その一歩は力強い。


「遅いぞ、ノロマ」

「ハハハ、手厳しいね」

「これを見ろ」


 男は、宿屋で見せた気迫あふれる姿からは想像もできないくらい弱っていた。

 そんなこともお構いなしと言わんばかりに容赦ない言葉を投げかけた姫は、目の前の洞穴を指さす。

 その洞穴は熊が入れるほど大きく、そして雨宿りに最適な奥行きをしていた。


「コイツは……」

「さっきの熊の巣なのだろう。その証拠に中を覗き込んでみろ」

「あ……あぁ……」

「何があるんですか?」


 姫は目を瞑り、返事を返さない。

 顎を少し洞穴に向ける。

 その合図を見て、俺も一緒に中を覗き込む。


「子熊……!?」


 中には小さな子熊が残されていた。


「アイツは……この子どもを守るために俺たちの前に飛び出してきたのか……」

「子を守るのは親の使命だからな」

「何だよ……結局、人間のせいで……」

「恐らく子供は2匹いたのだろう。人里に下りて、人間を殺したのは、もう1匹の子熊を人間が狩ったせいだ」

「あの土木組合野郎……やっぱり、熊は何も悪くなかったのか……」


 姫は男に背を向け、洞穴から出ていく。

 その姿は、いつもと変わりなく堂々としている。


「その子熊をどうするかはお前が決めろ。煮ても良し、育てても良しだ」

「俺は……面倒を見る。上手くいくかは分からないが……」

「なら、この山は必要だな。あの主人は必ず捕まえると約束しよう。開拓の件は白紙だ」

「ありがとう……」

「ただし、面倒を見るからには、全責任はお前が背負え」

「あぁ……!」


 子熊は無邪気に手足を動かす。

 自分の母親を亡くしたことも気付いてはいない。


「良かったですね!」

「ありがとう。もう大丈夫だ……」


 安堵の顔を浮かべた男を見た俺は、大丈夫そうな顔いろに戻っていて安心した。

 そして、そのまま姫の後について洞穴を出る。


「姫、ありがとうございます!」

「何のことだ……それにしても、お前は今回も何の役にも立たなかったな? そもそもの厄介事はお前から始まったことだし、良いところがまるでないな、この無能が」

「すみません……」


 姫は立ち止まり、振り返ることなく洞穴の中に聞こえるくらいの声で話し始める。

 誰に話しかけるでもなく、遠くの山々に話しかけるように、美しい声が響き渡る。


「人間も自然の一部だとよく言うが、本当にそう思うか? もしお前の言うように、人間が今を犠牲に未来に進むことが出来る生き物であり、本能に逆らい、利益を切り捨てて行動できるというのなら、それはもう自然ではない」

「姫……?」

「人間は、自然から抜け出でた化け物だと思え。そうすることで、初めてお前の主張は通る」


 それだけ言うと、姫は再び歩き始める。

 俺は姫の後をついて歩く。

 こうして、この一件は終わりを迎えたのだった。

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