國護論 短編集

城屋結城

第1話 人獣の想い(時系列:第1章終了時点)

① 山の神

 天には太陽が昇り、俺たちを暖めてくれる。

 同じように暖かく迎え入れられ、接してくれる人は太陽のような人と呼ばれる。

 暖かい陽気を包み込むように流れる風は、幸せな気分も運んできてくれる。


「姫、今日も良い天気ですね〜」

「数週間前の豪雨が嘘のようだな」


 お茶を啜りながら、筆を走らせる姫の傍、俺は空を見上げる。

 あまりの快晴に心踊り、気分も晴れやかになる。


「ところで、少年……これは何かな?」


 姫は無理矢理笑顔を作り、こちらに書類を見せつける。

 その書類には、俺の署名がされていた。


「いや……俺は知らないんだけど……」

「貴様、この間下町に下見に行ったな?」

「はい……」

「その時に筆を持たなかったか?」


 それは3日ほど前、国土の状況を見るために、俺は下町を訪れていた。

 確かに、その時に署名した記憶がある。

 だけど、それは宿泊するために宿で書いた物だ。

 それが一体どうして?


「まぁ、お前がどんな下見をしていたのかを問い詰める気はないし、それについてはとやかく言うことはしない」

「はい……」

「だが、してやられたな?」

「それは、どういう……」


 姫は先ほどまでの笑顔に似せた怒り顔をおさめ、いつものすまし顔で書類を俺の元に投げつける。


「これは……」

「土地開発の許可証だ。あの地域は山を削ることで、さらに開拓していきたいようだ」

「いいんじゃないですか? 街も発展しますし」

「1を聞くなら100を聞いたつもりになれ。あそこの開拓を認めたら、必然的にその他の全ての地域も認めたことになる」


 姫の言葉は低く、重々しく感じられた。

 その瞳の紅い光は、淡く揺らめく。


「別に構わんのだがな……私はかねてから、国の在り方は国民が決めるものだと思っている。統率者がアレコレいう必要はない。たとえ、それが滅びの道であったとしてもだ」

「すみません……」

「この書類が通ったのなら仕方ない。開拓を進める」


 そう言うと姫は立ち上がり、外を眺める。

 そこには、広大な土地に民家が乱立している。

 よくある街の光景ではあるが、この国の長として姫には思い入れがあるんだと思う。

 懐かしむような、そんな表情をしていたから、ふとそう思ってしまった。


「さて、では私も下見に行くか」

「え!?」

「国主として、行かないということはあるまい?」


 姫はそのまま部屋から出たかと思うと、そそくさと南門を向いて歩き始める。

 その迷いのない堂々とした歩きは、国主としての威厳を遺憾なく発揮していた。


「ちょっと待ってください!」


 姫の後を追うように、俺は廊下を駆け抜ける。

 宮廷に来て、もう何ヶ月だろうか?

 それなりの時間が経ったが、まだまだ分からないことも多い。

 こうして俺たちは、宮廷を後にしたのだ。


 ***


 件の地域は南西よりにあり、位置的に中央大国からの旅人が通ったりする特別な意味を持った場所でもある。

 そして、俺が署名したと思われる宿にたどり着く。

 中に入ると、俺の顔を見るなり宿屋の主人は声をかけてくれる。


「いやぁ、京介さん。この間はどうも!」

「は……はい」


 この間来た時は大人しい方だったのに、今日はとてもウキウキしているようだ。

 その姿を興味なさげな表情で見つめる姫の紅い瞳は、この場でも存在感を放つ。


「これはこれは、姫君もようこそおいでくださいました」

「1ついいか、少年」

「はい?」

「私はこの雰囲気、あまり好きではない」


 何事もバッサリと言うのが姫らしいところではあるが、これは言い過ぎではなかろうか?

 とはいえ、宿屋の主人は特段変わった様子は無い。

 接客業では、この程度の発言は日常茶飯事なのだろうか?


「ところで山を開拓したいそうだな?」

「えぇ、許可は頂きました」

「確かに、許可証は拝見した。今日は、具体的な開拓案を聞きたくてここまで来たのだ。話せ」


 いつも通りではあるが、姫は上から目線の態度を崩すことはない。

 例えボコボコにされても、この態度は変わらないんだろうなとそう思う。

 こういうのを調教したりするのは、楽しいのかもしれない。

 俺は、その想像と共に頭の片隅を横切った人影を振り払い、現実へと戻る。


「まずは、この区画一体の木々を伐採します」

「伐採……随分と大胆だな」

「この辺りは元々土木民が多いので、ヤル気は十分なんですよ」


 主人はある意味誇らしげに述べる。

 その背後には、土木組合の紋章が飾られていた。

 姫はその紋章を一瞥すると、小さなため息をつき、話を進める。


「土木組合か……組合自体はどうでもいいが、何でもかんでも整備すれば良いというモノでもない」

「人が住める土地を増やす。素晴らしいことではないですか?」

「それは別に構わんが、他の国民の許可は取ったのか?」

「えぇ、それはもう……」


 店主が何かを言いかけたその瞬間、背後の扉が急に開き、長い髭を蓄え、帽子で目から上を隠した男が宿屋に入ってくる。

 齢は50程度、その顔は狂気に支配され、今にも人を殺しそうな勢いが感じられた。


「また貴方ですか……」


 店主は呆れと憤りが混ざり合ったような複雑な表情を浮かべる。

 そんなやり取りの間、姫は横目で乱入して来た男をしっかりと観察していた。

 残念なことに、俺はあまりに急な事で、あっけに取られて何も整理できていなかった。


「伐採するのはやめてくれ。あそこはアイツの大切な縄張りなんだ!」

「しつこいですね。何度も言っていますが、人々はあの熊には何度も襲われているのです。ついでに除去できるのですから、一石二鳥ではないですか?」

「アイツは人を襲ったりしねぇ! オメェらが先に手を出したに決まってる!」

「他の人からは満場一致で賛同を得られているのです。それに、国からの許可も降りました。今、国の方々とお話しているところです」


 主人は姫の方に手で誘導する。

 こうして、自然な流れで矛先を姫に変えたのだ。


「何だと!? 国? おいおい……どうして許可なんて出したんだ?」

「はぁ……開拓は国の存続にとっても重要なことだ。特にここは外交上、重要な拠点なのでな」

「何だと……国だとか外交だとか……てめぇも、人のことしか考えていねぇ能無しか?」


 姫は罵られ続けるが、顔色ひとつ変えない。

 もし俺が姫の立場なら、あまりの勢いに根負けしていたかもしれない。

 許可したのは俺なのに、申し訳ない気持ちになる。


「自らの事を第一に考えない生命などいない」

「他の事も考えられるのが人だろう? 化け物のアンタには分かんないかもしれねぇがな」

「……」


 姫は顔を左に向け窓の外を眺める。

 その窓には、姫の目の紅い輝きが反射している。

 その時、姫は一体どんな顔をしていたのだろうか?

 北国での一件があって以来、姫の考えは大きく変わった。

 だからこそ、今の想いを窺い知ることは難しい。


「それはそうと、姫君」

「何だ?」

「頼みたい件があります」


 宿屋の主人は、姫との話を戻す。

 その顔には、未来に向かう眩しい笑顔が見て取れる。


「熊のことか?」

「流石は話が早い! 我々も困っているのです」

「被害はどんなものだ?」

「えーと……12人です」

「えっ!? そんなにですか!」


 12人もの人が襲われている。

 これは只事ではない。

 俺も田舎には住んでいたが、熊がそこまでの人間を襲うなんて考えられない。


「人里に下りてきたか?」

「えぇ……無残にも一家がまるごと……」


 熊に襲われたとしても数人程度の被害が多い。

 というのも、山に分け入った者が熊と鉢合わせしてしまう場合が大抵だからだ。

 しかし、山から下り、熊が自ら民家を襲ったのなら、それは大きな脅威となりうる。

 話は深刻であった。


「なるほど。熊を何とかするなら、開拓をしてもいいと他の人からのお墨付きを得たという訳か?」

「えぇ。脅威となる熊を排除し、街も広げられる。素晴らしいではありませんか!すでに、開拓後に畑を作りたいという農家の方もいらっしゃいます」


 人々は土地を増やし、活動領域を広げた。

 そして、街が……国が誕生した。

 外に向かって開拓していくのは、ある意味自然な流れなのかもしれない。


「ふざけんな。俺は納得していない。満場一致の賛成じゃねぇんだよ」

「貴方はこの国の嫌われ者。人が集まれば、どうしようもない人の1人や2人はいるものです。その者を見極める力が必要ですね」

「熊は山の神だ。そいつに刃を向けるのか?」

「やれやれ、熊は熊ですよ。我々が熊に恐れる時代は終わった」

「くっ……どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。皆、天罰をくらいやがれ」


 壮大な捨て台詞を吐き、男は宿を飛び出る。

 これからどうするつもりなのだろうか?

 俺は少し気になってしまった。


「よし、猟銃の携帯を許す。だが貴重な物だからな、三丁だけだ」

「おぉ、ありがたいです。弓の名手がいますので、その方たちに頼んでみます」

「あとは任せた。帰るぞ少年」

「あっ、はい!」


 姫は会釈1つすることなく、主人に別れを告げ宿を出る。

 宿を出て右手には、件の山が見える。

 姫は数秒間目を瞑ったかと思うと、山の方に向けて歩き始めた。


「山に行くんですか?」

「あぁ、確かめておきたい事もある」


 こうして俺たちは、山の中へと入る。

 そう……すでに事件が大きく動き出していたとも知らずに。

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