第二章 神の瞑り・礼拝・仕事場の人々
伝承に正確に従うのであれば、今から九五九年前に、神はその瞳を閉じた。
それまでの我々の生活は、神の祝福や奇跡と密接に関わっていたという。
苦難の中、神に祈ることで奇跡が起き、救われたという人々の例は枚挙に暇がない。
ある者は戦争中に部隊でただ一人生き残り、異国の兵士達に囲まれ、心の底から神に祈った瞬間、あるはずのない落雷が敵兵達を貫き、難を逃れた。
ある者は我が子が不治の病から救われることを祈って五年の長きにわたって苦行を続け、その結果、ある時その子の病は薬や手術を経ることもないのに回復に向かっていった。
森や洞窟で迷った者が、祈ることで不思議な声に導かれて生還したという例もある。他にも様々なかたちの奇跡が文献に残されている。
しかしある時、神は祝福と奇跡を我々に与えることをやめたという。
その意味するところは何なのかについては、様々な解釈が今もって存在する。
愚かな憎み合いをやめることのない人間を神は見限ったのだという説、それとは逆に、人間が独り立ちできるだけの成熟を果たしたことを神が認め、我々は「巣立ち」をしたのだという説、神の奇跡には限りがあり、それを創世と人間の導きのために使い果たし、深い眠りに落ちたのだという説などである。
いずれにせよそのときに、我々は神の存在に直接触れる機会を失った。
その出来事を、我々の教えは「神の瞑り」と呼んでいる。
そしてその年を、我々の祖先は瞑暦元年と定めた。この不完全で限界に満ちた世界の中で、人が人の力のみで生きなくてはならなくなった最初の年、と位置づけられている。
だが、神はすべてを引き払ったわけではなかった。一つの特別な力が、神の瞑りの後も我々には残されていたのだ。
それは神の瞑り以前にはしばしば聞かれた出来事の一つだった。
教えを共有する者同士に限り、他の人々の思いが読める、言葉にせずとも理解できるというものだ。
またそれとは逆に、他の人々に自らの思いを伝えることも、さらに人によっては音を聞かせたり物を見せたりすることができたという。
現在の我々の教義では、それは教えのもとに思いを一つとした者達のなせる「神に殉ずる者の、神に準ずる技術」であり、神が直接なす奇跡とは区別して定義されている。
神の瞑り以降、それは当初、法王や大司教などのごく僅かな高位の人々に残されたものだった。
だがそれはやがて、慎重にだが少しずつ広まることになる。
能力を誰かに分け与えることができることが判明したからだ。
我々はその力を、信徒の安寧な生活のために活用することにした。しかしそれと同時に、その力が安易に浸透し、無用な混乱を招いてしまうことを恐れもした。
その結果、その力はある時代には世襲制となり、ある時代には師弟関係の中でごく限られた弟子にのみ継承されるものであったりした。
現在では、力の伝達には免許制が採られている。
免許を持つ者は思念士と呼ばれ、聖地の維持・保全に携わるのみならず、各地で人々の大小様々な悩みを解決することを生業としている。
思念士になるには、まず筆記試験を、それから先輩思念士との「面談」と呼ばれる適性検査を受け、その両方に合格しなくてはならない。
その二つを突破すると、先輩思念士から力を授かることができるのだ。そしてその試験は年に一回、聖地であるこの街でのみ行われる。
私のような田舎の志望者はしばしば、試験の前に聖地へと暮らしの拠点を移し、そこで勉強に励むという選択をする。
街にある蔵書の量は地方のそれとは桁違いだし、信仰の問題としても、聖地に身を置いて勉強に励むというほうが気持ちに張りが出るからだ。
家族から離れて、勉強するしかない孤独な環境に身を置き、自分を追い込もうという狙いもあるのだろう。
ただ、私がやって来た事情は少し違う。
私の父は学者をしていて、私は幼い頃から多くの本と共に育ってきた。
同じ世代の子供達が野山を駆け回っている間も、私は父の書斎で大人が読む本を次から次へと読みふけっていた。
それで失ったものも無いとは言わない。私が人見知りになったのは恐らくこのあたりに原因があるのではないかと思われるし、走るという子供の基本動作を怠ってきたせいか、今もって体力に若干の難を抱えている。
けれども得たものはどれも私の宝物だ。もし本と出会っていなかったら、私にとっての世界は目に見える範囲までしかなかっただろうし、何事に対しても想像力を十分に伸ばすことのできない人間になっていたのではないかと思う。
あるとき、故郷で思念士の予備試験が開催された。
思念士の本試験が行われる何月か前に、領地の各所で予備試験が行われる。
神学や心理学、歴史学、基礎教養など、問われるものは本試験と似ているが、難易度でいえば本試験とは比べものにならない。
その予備試験で一定以上の成績を残した者は予備特待生となり、以後二年間、毎月ある程度の奨学金が給付される。仕事をする時間を割いて勉強し、早々に思念士として活躍せよということだ。
私は力試しのつもりでそれを受け、運良く合格することができた。
だがそのとき私はまだ十四で、仕事をしていたわけでもなく、親の仕事を時折手伝いながら本を読んでいるだけの毎日だった。
そして何より、思念士になるという目標を持っているわけではまったくなかった。とりあえず貰えるというのならという程度の意味で、奨学金は家に入れるつもりでいたし、この街へも奨学生登録をするために一度だけ訪れるつもりでいたのだ。
家族と。
いつの日か巡礼に行こうと、昔から話していたから。
――でもそんな矢先、両親が死んだ。
出かけ先の町で、通り魔に胸を刺されたのだ。
目撃者はいない。犯人も未だ捕まっていない。ありふれた日常の影で、あまりにも理不尽にひっそりと、両親はこの世を去ってしまった。
しばらくの間、私は何もすることができなかった。
物事があまりにも突然すぎた。本で培った想像力も、そんなところにまでは届いていなかった。
近所の人達が私を哀れんで、食事など様々な世話を焼いてくれた。でもそのことに当時しっかりと感謝できていたかどうか、正直はっきりと思い出せない。
私はからっぽになったまま、善意で与えられたものを半ば自動的に受け入れていただけだったような気もする。
しかし時間というのは強い薬だ。ゆっくりと少しずつではあるが、私に「今後」というものについて考えるだけの力が戻ってきた。
現実的な問題として、私はこれからも生きていかなければならない。生きる以上は働かなければ糧を得られない。
どうするか。
私の目の前には一つの現実的な選択肢が用意されていた――思念士。
思念士はその難しさの意味でも歴史的経緯からくる高潔さの意味でも、とりあえず就く、というような仕事ではない。
でもいろいろな巡り合わせがあって、私にとって一番必然性のある道はそれではないかと思えた。
本ばかり読んできた自分に他に今すぐできることなんてあるだろうか、という些か自虐的なことも含め、私が収まるべき場所はそこだ、という気持ちは日に日に強くなっていった。
そして十五歳の誕生日に、私は思念士になることを決意した。同時に、故郷を離れて聖地へ身を置くことを決めた。
周囲の人々はたぶん、私の意思決定について――特に故郷を離れるという意思決定について、何かしら悲痛な決意のようなものを見出したのだと思う。
私がそれを告げたとき、中には涙を流しながら偉いねえ偉いねえと褒めてくれた人もいた。
でも実のところ、思念士になることはもとより、故郷を離れるという決断にもさほどの痛みは伴わなかった。そうするのが筋なのだろうな、という他人事のような思考があるだけだった。親友もいない私には、天涯孤独となったいま、故郷に残る意味はもはや薄かった。
両親の死に方も影響していたかもしれない。
もし両親が故郷で安らかに息を引き取っていたなら、この地で両親の墓に見守られながら――というような「物語」が私の中に生まれていたかもしれない。
だが両親はよその町で、およそ安らかさとは無縁の最期を迎えた。
墓は故郷に作ったし、その下に両親の遺体は確かに眠っていたが、私にとってそれはとても手続的なことだった。
少なくとも自分を故郷に繋ぎ止める何かにはならなかった。
父と母の魂は神のもとに向かったのだ。私がどこにいても、二人は私を同じ距離から見守ってくれる。
そのようにして私は故郷を離れた。
◆
そして今、私は大瞑堂の前に立っている。
生まれて初めて見るそれは圧倒的だった。
何年か前に私は両親に連れられて都会の美術館へ行ったことがある。そこには有名な画家が描いたという大瞑堂の大きな油絵が展示されていた。
それはそれで素晴らしい作品だったし、幼かった私もそれなりの感銘を受けたものだが、こうして実物をその足下から見上げてみると、やはり存在の強さが違う。
大瞑堂の着工は瞑暦十二年、完成したのは瞑暦六九年。実に五七年かけ、当時の技術の粋を集めて建築されたという。
それだけの年月があったら、初期と終期でさぞや技術に差が生まれていたことだろう。その辺りの様々な紆余曲折を記した本も、確か以前読んだような覚えがある。
他に残されている同年代の建造物と少々異なるその容貌は現在では精霊様式と呼ばれているもので、建造の初代総責任者であった人物が当時最先端の様式に自らの宗教観を加えて構築したものであるという。
記録によれば、彼がそれを押し通す過程にもそれなりの逸話はあったようだ。
精霊様式の存在は、建築史においてはさほど大きくない。
彼は間違いなく当時最高の天才建築家の一人であったし、彼が前半生に携わった作品は多数の追随者を生み、大きな流れを作った。
だが後半生に彼が見せた、宗教観の紛れ込ませよう――それこそが精霊様式を精霊様式たらしめている――は、少なくとも直接的には追随者を生むことはなかったからだ。
従って精霊様式とはほとんどその初代総責任者の一代限りのものであったとみなされている。そして彼が後半生に携わったとされる建築物は現在では他に残されていない。
そのような経緯があり、大瞑堂は唯一無二の姿で現在もそびえ立っているのだ。
荘厳な本堂の両端には、建築当時世界で一番の高さを誇ったという二つの塔がある。向かって右側の塔は理性の塔、左側の塔は感性の塔と呼ばれている。
昨日あの少女に言われて空を見上げたとき、この二つの塔はその半分以上が家々の屋根を突き抜けるように飛び出していて、まるで落ちてくる空を支えて街を守っているかのように見えた。
恐らく街のどこからでもこの塔は見えるようになっているのだろう。あるいはそのような建築基準が、法律かあるいは慣習的にでも定められているのかもしれない。
大瞑堂はこの街を守り、この街は大瞑堂を支えている。
聖地、と小さく呟いてみた。ここが聖地か。
よその教義の知識にも、ほんの少しだけ触れたことがある。
それらの聖地はたとえば、その教義を創設した「聖者」や「預言者」などが誕生した地であったり、奇跡の力に開眼した地であったりするらしい。
私の見聞きした範囲においては、多くの場合、その教義の始まりに関わる土地が聖地と称されている。
我らの教えにおいて、そのような意味での聖地は存在しなかった。
教義の発祥は瞑暦以前の遥か昔のことになるが、始祖である「始まりの使徒」が生まれた地も、神の声を聞いたという時と場所も文献に残っている。
しかしそれらが聖地と呼ばれることはなかった。法王以下のお偉方はその時代時代で様々な地を拠点としたが、特にそれらが聖なる地であるとみなされることもなかった。
我らにとって、この地のすべてが等しく神と繋がっていることが重要なのであり、そのどこかを特別な場所として定めなければいけない理由、契機のようなものが、それまでの歴史にはまったく存在しなかったのだ。
しかしあるとき、神の瞑りが起きた。様々な教えを残し、神は我々と直接に繋がることをおやめになられた。
それを最初に悟ったのは、当時の法王猊下であったという。
その方は日頃から神と密接な繋がりを持ち、人々に様々な神の言葉を伝え、力を使ったといわれ、神が瞳を閉じたその瞬間をはっきり認識したという。
彼は宣言した。我々は今日より、神の祝福なしに生きていかねばならないと。それまでに与えられた教えと恵みを、今日より我々は自身の力のみで維持し、さらに繁栄させていかねばならないのだと。
その地が、この聖地である。
すなわち我らの聖地とは、神から離れても神を忘れぬよう築かれた、戒めの場なのだ。
ここに神聖なものはいない。神聖なものがいたわけでもない。我々が神の遺した教えに従い、少しでも高くあるべきことを誓う、その象徴としてこの地は存在する。
今の私の境遇はまさに、この古い逸話をそのまま小さくしたものだ、と私は思った。
庇護してくれたものを失うことがどれだけ辛く悲しかろうが、歩みを止めることはできないし、道を外れることも許されない。
目の前の現実は自分の力で乗り越えなくてはならない。逆説的だが、そう生きることで周りの人も手を差し伸べてくれるのだ。
私は礼拝の列に並ぶ。
老若男女様々な人々が列をなし、穏やかに談笑している者もあれば、既にひたすらに祈りを捧げ続ける者もあった。
誰が街の住民で誰が巡礼にやって来た者なのかは、服装や雰囲気で何となくわかるような気もしたが、ただの思い込みかもしれない。
私は周りからはどう見えているだろう、と思った。もし区別をつけられる人がいるなら、きっと巡礼者であると判断するに違いない。昨日の今日でこの街の住人になれたとは到底思えないから。
私の番がやってきて、私は司教様の前にひざまづき、目を閉じて祈りを捧げた。
「あなたが祈るのは」と司教様が述べる。
「挑戦です」と私は答える。
司教様は、挑む者についての聖典の一節を読み上げる。それから私に尋ねた。
「何か誓うことはありますか?」
「私は昨日、この街にやって参りました」と私は言った。「私は家族を失いました。でも私は多くの縁に守られて、今もまだ健やかに生かされています。少しでも良く生きるために、私は目標を見つけ、この街で暮らすことを決めました。今は亡き家族と、私自身の誇りにかけて、私は必ずや自分の道を切り開くつもりです」
司教様が一つ大きく頷くのが気配で伝わってきた。
「見開きなさい」
司教様は言った。私は言われるままに両目をゆっくりと開く。
「その瞳が神の道を見失わんことを。そして世を照らす光の一部とならんことを」
礼拝が終わると、私は本堂を出て大瞑堂の隣に建つ庁舎へ向かった。予備特待生の登録はここで済ませる段取りになっている。
想像していた以上に緊張する礼拝だった。
今まで数限りなくやってきたことだから手順などはすべてわかっているわけだが、初めての場所であり、聞きしに勝る大瞑堂でのこと、やはり肌に感じるものがまったく違った。
祈る仕草を作ってはみたものの、正直いって心ここにあらずの状態だった。誓いを尋ねられてよくあれだけつっかからずに語れたものだと自分に感心する。信仰の賜物というよりは練習の賜物だった。
庁舎に入る前に、こわばってしまった体を伸ばして、一つ大きく息を吸って吐く。今日はまだまだ用事があるのだ。朝から疲れてはいられない。
それから扉をくぐり、受付の女性に予備試験の合格証書を提示し、事情を説明した。
銀縁の眼鏡をかけたその受付の女性は、木の板に刷毛でペンキを塗るみたいに合格証書の端から端までをざっと読み飛ばすと、私の目をじっと見つめて言った。
「では、本人確認をさせていただきます。よろしいですか?」
「あ――はい」私は答える。本人確認?
女性はそのまま何秒かのあいだ私の目を見つめたまま微動だにしなかった。
そう指示されたわけではないが、私もまた責務のように彼女の眼鏡の奥の目を見つめ返していた。
私が何度が瞬きするあいだ、彼女の瞼は一度も幕を下ろすことはなかった。
「――確認できました」そう言って女性はすっと目を閉じる。それから仕切り直すように私を見て職業的な微笑みを作ってみせた。「確かにご本人様でいらっしゃいますね」
ああ、と私は理解する。
この人も思念士なのだ。この合格証書に絡んだ私の認識ないし記憶を読み取ることで、私が合格した本人であることを確かめたのだ。
なるほど、思念士にはこういう役職もあり得るのか。
女性は少々失礼しますと言って席を外すと、少ししてから黄色い封筒と、小さな白い札を持って戻ってきた。まずは封筒のほうを私に差し出す。
「こちらが今月末までの日割計算をした分の支給になります。以後の支給は月の初めに行われますので、お忘れにならないよういらして下さい。五日を過ぎますとその月の支給は無効となりますのでご注意下さい。それから」
今度は白い札を封筒の上に重ねる。
「今後は合格証書の代わりに、この札をお持ちの上でいらして下さい。お手数ですが、こちらにご署名をお願いします」
そう言って女性はペンを私に手渡す。
私はその札の指定されたところに自分の名前を書いた。あまり字には自信が無いので、人前で署名することには少々抵抗がある。
「以上で登録は終了となります」女性は言い、それからふっと相好を崩し、先程とは違ったとても個人的な微笑みを口元に称えた。「――試験、頑張ってね」
不意打ちのような優しさに、私はちょっとどきりとしながらペンを置いた。
「――はい。頑張ります」
何度この言葉を口にしてきたことだろう。儀礼的な一言とはいえ、様々な人々が私の背中を頑張れと押してくれる。
幸先は悪くない。
大瞑堂周辺での用事をすべて終え、私は地図と周囲の様子を何度も見比べながら何とか下宿舎に戻る。封筒と札を机の中にわかるようにしっかりしまい込み、まずは人心地ついた。
思いもかけず思念士の人に会うことができて少々驚いた。
何ということのないあっさりとした事務処理だけのやり取りだったが、思念士と呼ばれる人に接したのはたぶんこれが三度目くらいだ。でも過去の二回は幼い頃のことで、詳しいことをあまり覚えていない。
思念士というのは正確に言えば職業の名前ではなく、資格の名前だ。
思念士となった者達は、その後その力を活かした様々な仕事に従事する。公的な仕事もあれば私的な仕事もあるし、下世話な話、それなりに儲かる仕事もあればさほど儲からない仕事もある。そのどれを選ぶかは思念士となった者次第だ。
共通項があるとすれば、それが信徒達のあいだでのやり取りに限定されたものであることと、すべての活動は信徒を幸福に結びつけるものでなければならないということだ。
前者は能力的な枷であり、後者は思念士法にも定められた職業規範である。
どんな思念士になろうかな――と私はふと考える。
これまでに何度かそういうことを考えたことはあるのだが、これという明確なものが定まったことはない。
大まかな選択肢としては、ここに残るか、故郷に帰るか、他の場所へ行くか、というのがある。昨日衛士さんにも尋ねられたことだ。
でもそれすらも私の中では未だ不確定だ。
誤解を招かないように説明するのが難しいが、私の決意において「そこ」は特に問題ではなかったのだ。取ってしまえばどうとでもなるのが思念士という資格である、というところに私の焦点はあった、と言うべきだろうか。
それに、私にはそれらが途方もない皮算用のようにしか感じられず、現実の将来の話として考えとまとめる気になれなかったというのもある。
予備特待生だからといって、それが即、思念士の地位を約束されたものではない。やはり思念士は雲の上の存在なのだ。
また、思念士の力の大小にも個人差がある。ちょっとした言葉を相手の頭に送るとか、目の前の相手の記憶を検証する――先程の受付の女性がやったように――といったことは、割と初歩的な能力に位置づけられる。
より強大な力を持つ者は、広範囲に住む信徒達の思考の中から特定の物事に関係する要素を見つけ出すといったこともできるという。
となれば自分が思念士としてどのくらいの力を持てるのかがわからないことには、仕事の決めようもないではないか、というのが私の感覚だった。
水差しの水をコップに注ぎ、ゆっくりと飲む。
いずれにせよ、これは先々の話だ。今はひたすら勉強に励む時期である。そして今の私にとっての仕事とは、まったく別のものを指す。
私は昨日机の引き出しにしまった紹介状を取り出す。
さあ、次の行き先は仕事場だ。
◆
その食堂は昼前から店を開き、真夜中過ぎまで営業している、と聞いた。お酒を出すのは日が暮れてからで、そこからは店の雰囲気もがらりと変わるらしい。
私はまだ開店前のその店の扉を開け、中に入る。
三人ほどの男の人達が忙しそうに準備をしている最中で、彼らがいっせいに私を見たので、私はちょっと、いやかなり気後れした。
「まだ開店前だよ」とそのうちの一人が言う。
「あの、店長さんはいらっしゃいますか?」と私は何とかまともな声を絞り出した。「私はその、今日からここで働かせてもらうことになっている者で――」
ああ、と納得したような雰囲気が三人ともに見受けられた。話は皆に通っているということか。
「こっちだよ、来な」とがっしりした体格の男の人が言い、位置を微調整していた椅子を置いてくるりと店の奥のほうに体を向けた。
私はできるだけ邪魔な空気を作らないよう気をつけながらその後を追っていく。残った二人の値踏みをするような視線を背後に感じたが、私の気のせいだったかもしれない。
顔合わせされた店長は白髪を半分ほど頭に残した痩せぎすの高齢の男性で、一見不健康そうな風貌と比べると意外なほど動きに切れがあり、よく通る声をしていた。
店長は私が部屋に入るなり反射したように椅子から立ち上がり、何かを問いつめるときみたいに私の側につかつかと歩み寄ってきた。
「紹介状は持ってきたかね?」と店長は言った。
はいと私は返事をし、胸元からそれを取り出して店長に差し出す。
その紙には私の出自と予備試験のこと、それから試験の責任者である大司教様の署名と教団の印があるはずだ。
「……確かに」と短く店長は言った。「うちは先代からの意向でね、思念士志望者の当座の仕事場としての門戸を長年開いているのだよ。わけあってしばらく中断していたんだが、久しぶりに受け入れることになった。お嬢ちゃんがその第一号というわけだ」
「そうなのですか」
「色んな奴がいたよ。よく働く奴もいれば、何で俺がみたいな態度でふざけた仕事しかしない奴もいた。それなりの歳の奴もいれば若いのもいた……まぁお嬢ちゃんほど若いのは初めてかもしれんがね」
言いながら店長は自分の席に戻っていく。とりあえず席を立って同じ目線で一言二言交わすというのが、これから従業員となる初対面の人間に対するこの人なりの挨拶なのかもしれない。
「あっさり合格する奴もいれば、なかなか合格できないのもいた。もちろん一番多いのは、諦めてくにへ帰っていった奴だ」店長は深々と椅子に腰掛けた。「面白いことに、というべきか当然というべきかわからんが、受かるかどうかと、真面目に働くかどうかはまったく関係が無いんだな、これが」
「はぁ……」
「ある意味一番扱いが難しいのは、少しでも時間が空くとそのたびにこつこつ何か取り出して勉強する奴だ。これが純粋にただ雇った奴なら、そんなことをしている暇があったら自分から仕事を見つけろと説教するところなんだがな、試験のために仕事をしに来た奴をあえて受け入れているわけだから、最低限のことをこなした後のことまで頭ごなしには言えん」
どう返答すればいいのかわからず、私はただ店長の次の言葉を待つ。それが予想通りの反応であったのか、店長は面白そうににやりと笑った。
「お嬢ちゃんは、自分をどんな働き手だと思う?」
唐突な質問だった。少し考えてから、私は答えた。
「――私は、こちらでお世話になっているあいだは、純粋にこちらの従業員として振る舞いたいと思っています。試験のことを完全に忘れて一心不乱に――というのまでは無理かもしれませんが、何とか区切りをつけて、目の前のことにしっかり励みたいです」
「ふむ」と店長は言った。「まぁ、模範解答かな。さすがに賢いね、というのが私の感想だ。だが結局のところお嬢ちゃんが何者であるかは、実際に働いてもらわなけりゃわからんことだ。……今日からでいいんだったね?」
「はい。大丈夫です」
「そうかね」
店長は無造作に机に置かれた紹介状を一瞥すると、抽斗から大きな封筒を取り出した。それなりの厚さの封筒だ。それから私の紹介状の折り目を丁寧に伸ばすと、それを封筒の中に丁寧に差し込んだ。
「私の代だけでもこれだけの紹介があった」と店長は封筒をひらひらさせて言った。「先代の分はもっと分厚い。この中で合格していったのは――そうだな、十人はいるが、二十人はいないかもしれん。うちに来る奴らは予備特待生がそれなりに多いが、それでもそんな割合だ。受ける奴の人生なんてまるで考えちゃいない試験だな」
「覚悟しています」と私は言う。
「うちで働いているのは現在、料理人や給仕などすべて含めて十一名だ。お嬢ちゃんは十二人目の働き手ということになる。聞いていると思うが、お嬢ちゃんに頼むのは雑用全般だ。料理の具材の下ごしらえからゴミ出しまで、幅広く動いてもらう」
「はい」
「仕事日の予定表は休憩室に貼ってあるから、そこで確認しなさい。お嬢ちゃんに入っている予定は、月の半分も無い。まぁ遊びみたいな日程だ。すぐ慣れるだろう」
私は黙ってうなづく。
「雑用全般をやっているのはすでにいま一人いる。お嬢ちゃんよりはいくらか年上の娘だ。今から食堂と厨房、事務室休憩室、一通り挨拶回りしてきなさい。そうすりゃ途中で見つかるだろう。後はその娘が一から叩き込んでくれる」
「わかりました」私は言い、それから居住まいを正して続けた。「これからお世話になります。よろしくお願いいたします」
「ああ」
「では、失礼します」
部屋を出ると、張りつめていたものが少し解けて私は一つ大きなため息をついてしまった。ついてすぐ、それが部屋の中の店長に聞こえたのではないかと思い、内心焦りながら、私は扉から静かに離れる。
昨日から初対面の連続で、気持ちが疲れる。
こんな性格の私のこと、試験と同じくらい、出だしのこの一連のやり取りに苦労するだろうと腹をくくってはいたが、やはりしんどい。
話すべきことを事前に入念に想定していても、当然ながら想定外のことを訊かれたりするわけで、鍛えていない筋肉を絶え間なく動かしているような疲労感がある。
私はもう一度ため息をつき、壁によりかかったが、すぐに気持ちを切り替えて体を離した。こういうことは息抜きをする間もなく一気に片付けてしまったほうがいい。
それから私は店長に言われた通りに、食堂で準備中の給仕の人達、厨房の料理人の人達、事務室にいる経理の人、に次々と挨拶をして回った。どの人もほどほどに好意的な反応を返してくれたので、私は一安心した。
正直に言って、この店におけるこれからの自分の立場に少し自信が無かったのだ。
片手間に仕事に来るだけの、頭でっかちの半端者――そんな敵意に包まれて仕事をしなければならなかったらどうしようという不安があった。
でも店長や従業員達を見る限り、私のような人間を「迎え入れる」ことはここではとても自然なこととなっていて、特別に優しくする気も突き放す気もないようだった。良い意味で淡泊なのだ。
ただ一人の例外は、休憩室で花を取り替えていた雑用係の女性だった。
私が挨拶するなり、花瓶をひっくり返さんばかりの勢いで私のところに駆け寄ると、目をきらきらさせて私の両手を握りしめてきた。
「あなたが新人さんね? 店長から話は聞いてるよね? 今日から私があなたの直接の先輩ってことになるから、よろしくね!」
「あ……はい、よろしくお願いしま――」
「いやー、ここ二年はずっと受験生さんが入ってなくてさー」私の返事が終わるか終わらないかのところで女性は続ける。「私が入ったのはちょうどそのタイミングだったのね。だから今の今までずーっと一番下っ端だったわけなのよ。いい加減先輩やってみたいなーって思ってたわけね。よく来てくれたわー大歓迎だわー」
「そ――そうですか」
「店長さ、ところどころでちょっと意地悪なこと言うでしょ?」
女性はあからさまに同意を求めている顔で私を覗き込んでくる。
「い、いや意地悪というか、その」どう言えばいいのだ。「色んなものを見てきたので、言葉や肩書きに過度な期待はしない、現実の仕事ですべてを示せ……みたいな、何か、そんな風な感じはしました」
「んー」女性は何かをじっくり味わうみたいに両目をぎゅっと閉じ、それから花が咲いたみたいにぱっとそれを見開いた。「いいこと言うねーキミ。店長はねー、あんな感じだけどあれで結構従業員思いなところ、あるんだよ。そこ覚えとくといいよ。失敗したら素直に謝るとかね。下手に怖がって誤魔化そうとすると、逆に大変なことになるから注意だよ。経験者は語る」
「……気をつけます」
「私は料理人志望なんだ。雑用しながら料理の修業もしてる」と女性は言った。「キミは思念士志望。お互い、いつまでも雑用やってるつもりは無いぞーって立場なわけだね。でも手を抜いちゃいけない。世の中、裏方にまともな雑用が無かったらお客さんの前に良いものは出てこないからね」
「はい」
「んー」と女性は感慨深げに言った。「こういう先輩台詞を言ってみたかったのよずっと。ついにこの日が来たんだねー私にも」
それから女性はずっと握りっぱなしだった私の手を離し、改まったように少し距離を置いて言った。
「ねえ、これから私のことは先輩って呼んでくれる?」
「え――はい。わかりました」と私は承諾する。「よろしくお願いします――先輩」
私のそれを聞くと、女性――先輩は満足そうに両手を頬に当てた。
「良い響きだわー……」
それからふと我に返ったように壁掛けの時計に目をやると、先輩はいけないけない、こんなことしてる場合じゃないと急に焦り始める。
「キミも忙しくなるけど、私も忙しくなるわけね。キミに教えながら自分の仕事もしなきゃいけないわけだからね。でもちょっと経てばキミなら普通に戦力になってくれそうだから、そこからは私の雑用仕事は三分の二くらいにはなる。そのぶん料理の修業もできる。そういう計算はあるといえばある」
私は黙って耳を傾ける。
「あと、ものすごく正直な話、キミがあんまり早く受かっちゃうと、せっかく仕込んだ戦力がさっさといなくなっちゃうことになるわけね。そうするとまた私は一番下っ端に逆戻り、次の新入りさんを今か今かと待つことになるわけですよ。でも――」
先輩はそこで言葉を止めて、私の目をじっと見た。
「応援するよ。で、その代わりに私が一人前の料理人になることも応援してちょうだい」
「……はい」と私は言い、そして笑った。何だかとても嬉しかったのだ。「頑張ります。いえ、お互い頑張りましょう、先輩」
「だねー」
先輩も笑う。それからもう一度壁の時計を見て、仕事に従事する者の顔を作った。
「昼食時が最初の修羅場になるからね。それまでに基本中の基本を教えておくよ。最初は上手く回せなくて焦るかもしれないけど、そのことで慌てて動かないこと。誰もキミが最初から綺麗に全部こなせると思って指示は出さないからね。まずは一つ一つゆっくりだ。いいね」
「わかりました」
「じゃ、行こうか。今日からキミはここの一員だ」言いながら先輩は扉を開け、それからもう一度表情を崩して天井を見上げた。「んー、先輩だなぁ、私」
◆
くたくたになりながら下宿舎に戻ったときには、もうとっくに日は暮れて、夜も八時を過ぎていた。
通りの明かりを使って相変わらず地図を読み読み帰ってきたわけだが、その地図にすら重さを感じるほど身も心も疲れていた。
思考の鈍った頭で道に迷わなかったのは幸いだ。いくら治安の行き届いているというこの街でも、夜遅くに小娘一人で裏路地に彷徨い込んでしまうなどというのは何としても避けたい話である。
このように言うとまるで限界まで酷使されたかのように響くが、すでに述べたように食堂はまだまだ真夜中まで盛況が続くわけで、要は途中で解放された形である。
私が働くのは、少なくともしばらくの間は昼食時前の支度から夕食時の終わりまででよいという話だった。
現地ではまだ先輩や他の従業員の方々が忙しなく働いている。その意味では相当に優しく扱われたわけだが、それでもこの始末である。
何と言っても、私にとっては生まれて初めてのお金を貰ってする仕事だったのだ。
その一点だけでもだいぶ気持ちが張りつめていたし、一つ一つの用事はそれほど複雑でなくとも、長時間絶え間なく指示を受け、あるいは自発的に物事に気づいて動かなければならないというのは想像以上にしんどいものだった。
別の場所に運ぶよう言われた物が重くて持ち上がらなかったというのも今日だけで二度あった。
それを私とたいして体格の変わらない先輩が代わりに悠々と運んでみせたのだから、情けない話だ。
改めて、自分の力と体力の無さ、それから人がひしめきあう場でするすると如才なく物事をこなす経験の薄さを味わった一日だった。
下宿舎の扉を開けると、その音を聞きつけたのか、女主人が奥から姿を現して出迎えてくれた。
「お疲れさん。初日の仕事はどうだった?」
「……疲れました。あとあんまり上手くいきませんでした」
はっはっはと女主人は笑い、そりゃそうだろうねぇ、と言いながら私の頭を撫でた。
「まだ来たばっかで不慣れなんだし、最初からそうてきぱきとは行かないのが当たり前さ。大丈夫、じきに慣れるよ。初日の中身なんてあっという間に笑い話になるさ」
「そう思いたいです」と私は心の底から言った。
「食事は済ませたのかい?」
「お昼と夕食は賄いで済ませました」
「ああそっか。そういう意味では出費も助かるね」と女主人は言い、私の背中をぽんと軽く叩いた。「じゃあ部屋でゆっくりしな。でもそのままで眠っちゃうんじゃないよ」
私は小さく返事をすると、ゆっくりと階段に向かって歩いていった。三階まで登る体力があるだろうかと一瞬真面目に不安になってしまったが、一段一段踏みしめることだけを考えて何とか部屋まで辿り着くことができた。
明かりを灯して荷物を置き、裸足になってベッドに全身で飛び込むと、ようやく解放感が全身に染み渡ってきた。
これで二日目の予定はすべて終わった。……でも本当に疲れた。
幸いなことに、どの物事も順調に回っているように思える。これ以上を望んだら贅沢の罪を負いそうなほどだ。
でもやっぱりしんどい。惜しみなく自分の全部を絞り出して、それでやっとついて行けるか行けないかのぎりぎりのところだな、と感じる。
この上でさらに、日々ひたすら勉強を重ねていかなければならないのだ。
まだたったの二日のことだが、一人で生きるというのはこういうことなのか、という些か大袈裟な思いが私の中に去来する。
自分の生活を隅から隅まで自分の裁量でこなしていくというのは――親の庇護が無いというのは大変なんだなと。
慣れの問題だと先輩も女主人も言ってくれた。そうであると思いたい。この生活をたくましく成り立たせるだけのものはちゃんと私の中にも備わっているのだと思いたい。
私は仰向けになって、服の上から首飾りに触れる。私が十四歳になったときに両親がくれた、最後の誕生日のプレゼントだ。
このペンダントを私の首にはめてくれたときの母の手を、今でも覚えている。そのときはまさかそれが最後のプレゼントになるなんて思っていなかったから、そんなに必死に目に焼きつけようと思っていたわけではないが、それでも覚えている。
それから私は、備え付けの本棚のほうを見る。そこには故郷から持ってきた何冊かの本が並んでいる。
その真ん中にある『神学序論』。試験の一科目である神学の基礎にあたる部分を詳細にかつ明快に解説した本であり、父の著書の一つだ。
私はベッドから降りてその本を手に取り、明かりの下で適当なページを開く。
私は父の本はほぼすべて読んできたが、中でもこれは基礎的な内容ということもあって、既に何度か繰り返し読んでいる。
どこを開いても、かつて読んだ記憶が蘇ってくる。恐らく他の思念士志望者もこの本は読み込んでいるだろう。身内びいきではなく、この分野の基礎教養書としてはかなり有名なのだ。
元の場所に本を戻し、ベッドに腰掛ける。
勉強をして、雑用をして、お金を受け取る。勉強をして、雑用をして、お金を受け取る。そういう毎日がこれからしばらく続く。
どれだけ続くかは私次第だ。最初は最初で大変だし、慣れてきて刺激が少なくなってきたらなってきたで、己の気持ちを高く持ち続けることが難しくなってくるという問題が出てくるかもしれない。
その都度、私は初心に立ち返る儀式をしようと思う。私を守ってくれていた人達と、その喪失を、自らをえぐるように何度でも思い出すのだ。
そして今の自分にはこの道をまっすぐ突き進むことしかないのだということを確認する。あるいは何度でも誓い直す。
見守っていて下さい、お父さん、お母さん。
――こうして私の新しい生活が始まった。
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