第9話 行方不明


 僕たちは空腹を満たすために、いや、先ほどのナトちゃんから告げられた事実をかき消すように、一心不乱に食べ物を口の中に押し込んでいた。味はよくわからなかったが、身体が食べ物を猛烈に欲していた。フランスパンのように硬いパンをバリバリと噛み砕き、フルーティなドリンクをごくごくと喉を鳴らして飲み込む。

 ナトちゃんはキャベツのような野菜をシャキシャキと頬張っている。

「お姉ちゃん、美味しい? これ、私も作ったんだよ!」

「うん、美味しいよ。上手だね」

 男たちが明らかに動揺している中、ノアちゃんだけはいつもと変わらない様子だった。レミナちゃんの手前、暗い顔はできないというだけかもしれないけれど。

「みなさん、そんなに急いで召し上がらなくても…。おかわりは十分にご用意させていただいていますので」

 不穏な空気を感じ取ったのか、お父さんが僕たちにそう呼びかけたが、誰も反応せずにあいかわらず食べ物を貪り食っている。

「お兄ちゃんたち、すっごくお腹空いてたんだね! いっぱい食べてね!」

 レミナちゃんが無邪気に喜ぶ姿を見て、ようやく何人か彼女へ微笑む余裕を見せた。満腹になった僕はクリーミーなスープをスプーンですくい上げては垂らし、またスープカップに戻すという謎行動を延々と繰り返している。何故かじっとしていられなかった。ナトちゃんの台詞が頭から離れない。

 もちろん地球には帰りたい。だが、そのために好きな女の子を殺すとなれば話は違ってくる。僕は誰かを殺してまで地球に帰りたくはない。帰れないのなら仕方ないと諦めて、このユリッタという異世界で暮らして死のうじゃないか。

 だけど、みんながそう思っていなかったら?

 僕はそれが一番怖い。誰か一人くらい、ノアちゃんを殺して帰りたいと言う奴が出てくるんじゃないのか。僕はみんなのことを信じているけれど、こんな状況に陥ったら、一人くらい状況判断を誤るんじゃないだろうか。そんなことになれば僕たちは終わりだ。バラバラになってしまうだろう。

 桜井美桜だって仲間に殺されかけ、仕方なく仲間を殺した可能性があるわけだし。いや、きっとそうだろう。同じく転移してきた仲間を好き好んで殺す奴なんているわけがない。

 イレギュラーな展開は恐ろしいものだ。人を冷静じゃいられなくする。

 どうしよう? 僕はどうすればいいんだろう?

 それに、異世界に住むって言っても、桜井美桜が滅亡させようとしているわけだし、そう簡単にいかない。

 大国を滅ぼした相手に僕たちが敵うのか? どうなんだ? ナトちゃんは桜井美桜を生贄に捧げればいいという考えだが、果たして本当にそれでいいのか? いくら今は異世界にいるからって、少女を殺してしまっていいのだろうか? 結局誰かを生贄にしなくてはならないということには変わりない。

 駄目だ、考え出したらキリがないや。全然答えが見つからない。

「すみません、お手洗いに行きたいです。お食事中にごめんなさい」

 咀嚼音が響く中、ノアちゃんが小さく手を挙げて席を立った。

「外にあるので、案内いたします」

 お父さんが食事を中断し、二人は外に出て行った。それからお父さんはすぐに帰ってきたが、ノアちゃんはなかなか戻ってこなかった。

 どうしたのだろう? お腹でも壊しているのかな。

 10分。

 20分。

 30分。

 全員夕食を食べ終え、食後のデザートと暖かいお茶を飲み始めてもノアちゃんは帰ってこなかった。

「私ちょっと、お姉ちゃんのこと見てくるね」

 レミナちゃんが心配し、外にあるトイレへ駆けていく。彼女は息を切らしてすぐに帰ってきた。様子がおかしい。

「お姉ちゃん、どこにもいないの…」

 その報告を聞いた途端、全員が席を立ち上がった。もちろん僕もだ。

 全員が一目散に外へ出て行こうとすると、テーブルでキャベツに齧りついていたナトちゃんが叫んだ。

「お前ら、冷静になれ。オイラが綾の魔力を辿ってみせる」

 僕はナトちゃんを肩に乗せて外へ出た。冷たくて強い風にマントが煽られる。

 街の外れにある小道まで来ると、ナトちゃんは力なく首を振った。

「チッ。ここで魔力が途切れてやがる。魔女に連れ去られたな」

「そんな! なんとかならないのかよ!」

 朝陽くんがナトちゃんに掴みかかった。

「神様ならなんとかしろよ! おい、ふざけんな!」

 取り乱す朝陽くんに続き、真琴くんと蒼矢くんも壊れた。

「お前があんなこと言わなければよかったんだ! お前のせいだ!」

「わたしのノアちゃんを返してくれ!」

 僕は普段取り乱さない朝陽くんと真琴くんの錯乱状態にすっかり怯えてしまい、ナトちゃんを庇うことしかできなかった。

「どけよ、唯人。そのふざけた神様を殺せねえだろうが」

「やめてよ、朝陽くん。剣を下ろして。ちょっと冷静になってよ」

 殺気立った朝陽くんはとうとう剣を引き抜き、ナトちゃんへ向けて振り下ろそうとする。そうはさせまいと立ちふさがったが、このままだと僕ごと一刀両断されてしまいそうだ。

「そういえば、元はと言えば、お前が召喚したんだよな。そのクソ青虫」

「ちょっと落ち着いてよ、お願いだから」

「落ち着いてられるかよ。覚悟しろ」

 本気だ。目が本気だ。剣が振り下ろされる。駄目だ、僕は仲間に殺される。しかも朝陽くんに。

 僕を庇ってくれた朝陽くん。嬉しかったな。君の役に立ちたいと願ってナトちゃんを召喚したのに。

 フルートを弾いてみんなを落ち着かせるなんて悠長な時間はない。僕はここで終わりか。目を閉じて覚悟を決める。

「麻痺(パラライズ)!」

 グサッ!

 恐る恐る目を開けた。目の前には倒れている朝陽くん。はあはあと息を切らした練磨くんが、その横に立っていた。

 死んだかと思った。本当に駄目かと思った。だけど、間一髪、練磨くんがスキルを放ってくれたことにより、剣は軌道を変え、僕ではなく、地面に深々と突き刺さったのだ。

「いくら尊敬している日野先輩でも、人殺しは見逃せません。申し訳ないです」

 練磨くんは地面に突っ伏した朝陽くんを持ち上げ、彼の身体を軽々と担いだ。

「あ、咄嗟だったから加減がうまくいかなくて。気絶してるんで、オレが運びますから」

 朝陽くんはそのままレミナちゃんの家へ連行された。真琴くんと蒼矢くんは國春くんがうまく対処してくれたようだ。彼らは縄でぐるぐるにされた後、連行された。

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