世界終了少女

詩舞澤 沙衣

第一話

 夏休みが終わって最初の日の登校日。学生という種族が一番弱っている日になった。私はうんと背伸びをして、「世界終わんないかな」なんて言いながら、でも確実に「学生」の本分を取り戻しつつあった。夏休みの宿題を、私は当然のように夏休み終わった後にやるので、今日も徹夜なのだ。ちょっと憂鬱だけれど、それ以上に意識が朦朧として、何よりテンションが高い。先述の「世界終わんないかな」は登校途中、駅のホームでつい漏らしてしまった一言だ。仮眠から起きて、朝ご飯食べて、制服を着て出かけるところまで、思考せずに進行できてしまうあたり、「学生」というもののオートメーション化は激しい。

 運よく、電車はすぐにやって来た。私が乗る電車は始発で、座席に着くというミッションを達成したし、また眠りの国に一時逃避を決め込んだ時だった。

「僕とキスをしたら、世界は滅亡するんだよね」

 同じく始発で乗り合わせるのが常の少女が、私の隣に座り、囁いた。うわー美人だな、といつも近所の人から恰好の観察対象になっているタイプ。言い換えるならば、私みたいな大体平均値をちょっと下回っているくらいの人間には、おいそれと話しかけることはないタイプの。こういう時美しさを表現できないから、今日も読書感想文に苦しむ羽目になるのだ。南無。

「聞いてるのかなぁ」

 美少女は、今度は大きな声を出して、私に視線を合わせてきた、ばっちりと。いえ、こちらは仮眠の旅に進もうと思っておりましたが? 何故。

「キスしたら変身でもするんですか、少女漫画みたいに」

 あ、しまった。と思ったけれど、口に出してしまった言葉たちを収納することもできず、私はとりあえず吐き出しきる。

「やってみればいいじゃん」

 ふふ、と笑っている姿がまた似合う。無邪気を擬人化したみたいな存在だ。

「でもここじゃあ」

 衆人環視である。誰もがこの名前を知らぬ美少女にどこかで注目している。そんな相手と、私がこれ以上に接触をするというのは、考え難い。

「いいじゃん、どうせ世界滅亡したら誰もいないんだから」

「え? 私の人生が破壊されるという意味じゃ」

「違うって。世界終わっちゃうの」

 私の人生が終われば、私視点の世界を終わらせることができる……という話ではないらしい。本当に世界が終わると、信じているのだ。

「駅降りたらね」

 私は返すと、美少女は頷いていた。これは合図なんかじゃない。あしらおうとしただけなのに。

 学校の最寄駅に着いたので、降りなくてはならない。美少女も、制服が同じなのでやっぱり同じ駅で降りている。降りているけれど、私は名前を知らないから一学年下なんだと思う。

「名前も知らない人に話しかけたらダメだって」

 私は、つぶやくように言うと、少女はきょとんとした。

「いや、知ってるし。君澤佳枝でしょ。蒼嵐中学校の二年生。好きなものとかも言えばいい?」

 同じ通学路で通っているとはいえ、そこまで認知されることがあるのだろうか。

「個人情報だよ」

「僕からしたら筒抜けだから」

 当たり前じゃん、と付け加える少女に、なすすべのない私。

「なにそれ」

「僕は神様だからね、滅亡を統べる神様」

「なのに、人間の力を借りないとキスはできないよね」

 いかん、完全に少女のノリに乗っかってしまっている。それでいいのか、果たして。もう学校の前に着いてしまった。もう仮眠どころではない。現実がやってきてしまう。

「そう、人間の滅亡したさを吸い取らないとダメだし、それにぴったりの子がいると思ったんだけどな」

 なおも、神様の説明を続くけれど、断言する。

「ちがいます」

「ふつうのひと、滅亡させたいとか言わないじゃん」

「こんな日ですよ、そう思わないんですか」

 暑さで溶けそうなうえに、宿題とか人間関係で押しつぶされそうになるの、どう考えても無理なんだけれど。

「べつに、僕死なないし、基本的に毎日電車に憑いている神様だし」

 のんきだ。神様ってそばにいても、人間のこと碌に見ちゃいないんだなって思うと、今までの人生大体そんなもんだったので納得がいった。

「まあ。そんなに私とキスがしたいなら、一回だけなら」

 校門裏の、意外と誰も見ないところが思いついた。もう面倒なので、さっさと終わらせてしまいたい、というのが本音。それ以上の感情はたぶんない。

「してよ」

 煽情的に少女は言うけれど、なかなかどうして勇気が必要だと悟ったのは今更になってからで。

「えい」

 私は念を送り、唇を重ねる。婀娜っぽさなんてなくて、儀式っぽさもなくて、そこには何もなかった。すると、ごごご、と建物の崩落する音がした。地震だ。

「おめでとう、君の願いは叶った」

 嬉しそうに、神様を名乗る少女は言ったし、実際学校から何からが音を立てて終わっていくのを感じる。そう、嘘ではなかったのだ。

「やっぱり、滅ぼしたいわけじゃなかった気がする」

 宿題がなくなったり、退屈な授業を聞いたり、その果てで退屈な会社員をやることを、なんとなく倦んでいただけのことで、いずれはなれるという確信もなかったから、今でエンディングを付けられたところで、なんてことはないのかもしれない。

「君は、僕とこの世界の最期を見届けることになるのに」

 何を言っている。私は、そのほか大勢と一緒に死んでいく。それでいい。それ以上のことを望んじゃいない。

「もうお仕舞だからいい、死にたい」

 私にしてはきっぱりと言ってみたものの、お茶目にこう返された。

「君はキスをした時点で、神様に近い存在に拡張されてしまったんだよ」

「世界の滅亡だけしか望んでいないのに?」

「それでも、だよ」

なおも無邪気に、神様とやらは、私を笑った。


「勉強しなくちゃいけないな」

 私は、独り言をつぶやきながら図書室だった場所を探していた。何も勉強らしい勉強をしてこなかった私が、向学心にあふれている。

「どうして? もう学ぶところも、教えるひともいないのに」

 神様の言う通りではあったのだけれど、私は諦めなどついていなかった。地震のメカニズム、付喪神信仰の派生、そんな資料を探していたり、いなかったりして時が過ぎた。

「君、この漫画の方がずっと面白いよ」

崩れかけた本棚から、かろうじて出してきた『鋼の錬金術師』にはしゃいでいる神様。

「嘘なんて嫌いかと思っていたけど、神様って存在は」

「愛のある虚構は、愛だから僕だって好きさ。人を慈しむための機構が、いつだって僕は好きさ」

「私もその漫画は好きだけれど」

「けれど?」

「アニメの方が好きだな、リアリスティックな暗さがあって」

 それを聞いて、露骨に嫌な顔をする神様は。

「趣味悪そう」

 一刀両断してみせた。

「まあ、神様も滅ぼす前に世界を勉強するべきだったんじゃない?」

「それは一理ある」

 そう言って、二人して他に誰もいない図書室の跡地をゆっくり片付けていく。さっき気になっていたトピックの本も集めたし、神様もなにかしら(ほとんど漫画だったけれど)借りてきたようだった。もう、貸出システムなんて、終わってしまっているのに、律儀に私は貸出カードに名前を書いた。習慣とは抜けきらないものだ。

 私たち二人きり、青空の下でいつも勉強している。この滅びたはずの世界で、図書館で借りた恋愛小説の真似事をしてみたり、時々はどう終わってしまったのか世界を観に行くこともある。コンビニからお菓子をせしめては、ふたりで愉悦に浸りながらいただくこともあった。宿題も、嫌いな先生も、試験も、将来も、全部失ったのにもかかわらず、勉強をすることが楽しかった。私の人生は、終わってなんかいないのだ。

 もう一度彼女とキスをしてしまえば、本当に私という自我もない、世界の終わりが来てしまう。そんな妄信を抱きながら、今日も神様とたわいない話をしながらお菓子を平らげている。神様を本気で好きになってしまったらしい今、誰も敵がいない今、愛の告白もせず、隣で川の字で眠る日々。終わりたくないので、世界はまだ終わっていない。世界を滅亡させるはずの神様は、まだ私を滅ぼしていないから、終わっていない。でもきっと、いつかは選択するのだ、私か、神様か。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界終了少女 詩舞澤 沙衣 @shibusawasai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ