二人きりの部屋
「・・・その哀れな男は、元凶たる女に手を引かれるままに歩き続ける。散々口論を繰り広げた後だ。もはや抵抗する気力も湧きはしない。いくつもの角を折れ、やがてその男は自分にとっての未知へと足を踏み入れる。これまでの生活では訪れる機会のなかった区画。初めて男が目にするその光景は心の内に深く刻まれ、新鮮な感動を胸へと届けてくれた。惜しむらくは、それが男の自由意思によるものではなかった点であり---」
「ちょっと、いつまでそんな一人語りみたいなことしてるわけ?いい加減、気持ち悪いんですけど!」
「さらに残念に思うのは、これまで語ってきた男が俺自身だという事で。ああ、他人事であればどれほどよかったか。当事者でさえなければ、滑稽と笑うこともできたのに---」
「いい加減にしないと、ビンタの一ダースもプレゼントするわよ?」
「それは残念。これまでに俺が異性から貰った贈り物の中でも、ワーストワンに成り得る代物だ」
「ファーストワンの間違いじゃないの?」
「失礼な女だ」
というわけで、俺は見知らぬ女性に手を引かれている最中だ。これが小説の世界ならロマンスの一つも期待できよう展開だが、生憎と今の気分は連行される囚人のそれに等しい。
何があったかと訊かれると、俺にもよくわからない。
ただずっと、こいつを相手にコントのような会話を繰り広げていたら、続きは私の家で話そうと勝手に決定したこいつが、有無を言わさず俺を引きずっているという現状だ。羨ましいと思う奴は、すぐに挙手して名乗り出ろ。誰でもいいから代わってくれ。
腕力に訴えて抵抗してもいいのだが、同じこの街にいる以上、また顔を合わせる公算大だ。なら、一日だけ囚人の真似事に甘んじるのも悪い選択肢ではない・・・はずだ。決して、女性の体に自分から触れるのに抵抗があるわけではない、断じて。
しかし、彼女の家とやらはどこにあるのだろうか。このまま川原を下った先は、ビルの立ち並ぶオフィス街となっているはずだが。
・・・まさかとは思うが、俺を散々連れ回した挙句、バラエティ番組のドッキリみたく嘘でしたとかほざくんじゃないだろうな。ここまで散々からかってきた相手だし、意趣返しとしては十分あり得る。
そもそも、年頃の女性がその日会ったばかりの同年代の男を家に招くだろうか?
否だ。常識で計るなら、ありえない。
街路樹が植えられ、整備された道路を歩きながら、そんなことを考える。
夜風が気持ちよく、川の水面には街の明かりが映ってなかなかの情景を作り出している。
昼下がりに散歩すれば、さぞ心地よいだろう。マラソンなどにもうってつけだ。冬は冬でなかなか乙な風景だが、夏になったらさぞかし涼しげで趣のある光景なのだろうと想像する。線香花火などをすれば、さぞかし風流だろうし、風景と調和して映えるだろう。
この道を知れただけでも、こいつに渋々付き合ってきた甲斐はあったかもしれない。
やがて、並木道を途中で折れて橋へ差し掛かる。この先は本当にオフィスビルばかりで、風情も何もないドライな街並みだ。ネオン輝く夜景も嫌いではないが、やはりこうして周囲をビルに囲まれていると、無味乾燥といった言葉を思い浮かべざるを得ない。高層ビルに切り取られた星空は、閉塞感だけを与えてくれる。
「手を離せ。ここまで来たら最後までつきあってやるよ」
「あっそ」
彼女は、想像よりも呆気なく手を放した。
「振り向いて後ろにいなかったら、何日かかってでも必ず探し出して首を絞めてやるから」
「ヤンデレかよ。というか、目的地はどこだ?このオフィス街に、一軒家があるとも思えんが」
「あれ」
そう言って彼女が指差した先には、周囲のビルよりさらに高いタワーマンション。
「あれって、去年完成したばかりだろう。お前、この街はそんなに長くなかったのか」
「まあね。こっちの学校に通うための借りの住まいよ」
「仮の住まいにあのマンションか。確かに、防犯設備なんかも整ってそうだし、お前みたいのが住むにはちょうどいいかもな」
「まあ、そうかもね」
皮肉を言ったつもりだったが、彼女はすんなり流した。これまでの流れなら、間違いなく噛み付いてきたところだろうに。
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「さ、どうぞ?」
「・・・」
「どうしたのよ。女性の部屋に入るくらいで怖気づく程、可愛い性格はしてないでしょ?」
「なあ、訊いていいか?」
「家賃なら私も知らないわよ?」
「ここ、最上階だよな?」
「そう。ここは四十六階。屋上を含めなければ最上階だけど?」
「お前の両親、どれだけ金持ちなんだよ・・・」
思わぬ事実に対して溜息を一つ送り、中へと足を踏み入れる。
金持ちの娘というからには、さぞかし趣味の悪い内装なのだろうという先入観を持って部屋を見渡す。ところが、想像通り広くはあったものの、内装自体は割とシンプルな部屋だった。
「意外と、シックで落ち着いた雰囲気の部屋だな」
白とグレーを基調とした、絨毯や壁紙。それを損なうような、極彩色の家具や飾りといった余分は一切置かれていない大人向けの空間。むしろ、余分がなさ過ぎて生活感を感じない程だった。
「あ、そっちは私の寝室兼私室だから、絶対に開けないでよね」
「異性の部屋を物色するほどに、俺のデリカシーは欠如していないさ」
「どーだかね」
成分表が不審100%な声を放りつつ、彼女は冷蔵庫を開ける。
「紅茶でいいよね」
「レモンティーがあれば尚良い」
「そこは、お構いなくって言うところじゃないの?」
「連行してきたのはお前だろう?相応のもてなしは期待したいところだが?」
「口が減らないわね」
「そこそこ歩かされたしな、腹は減ってる」
「こっちは、あんたのふてぶてしさに腹が立ってきたわ」
「茶を点ててくれてもいいのよ?」
「茶道なんてやってないし」
「性格的に無理そうだもんな」
「デリカシーが欠片もないわね!」
「主観に基づく意見には賛同しかねる」
「いちいち理屈っぽいわね」
「感情も処理できないような、人間のゴミよりマシだ」
「・・・それは、あたしに言ってるのかなぁ?」
「ただのネタだが?思い当たる節でも?」
「・・・もういい」
先に彼女の方が折れた。
「それで?俺をここに連れてきた本題は何だ?そわそわしてるくらいなら、思い切って話せ」
ストレートの紅茶をちびちびやりながら、そう水を向けてみた。さっきから、会話を切り出すタイミングを計っているのがバレバレで、居心地が急速に悪化してきたからだ。だが、何故か問われた張本人はキョトンとしていた。
「・・・意外」
「何がだ?」
「そっちから声をかけてくれた事と、話を聞いてくれる気がある事」
「ずっとそわそわされると、こっちも落ち着かないしな。紅茶と美味しいクッキーもご馳走になってるし、対価に話くらいは聞こう」
「もしかして、あんたがつっけんどんな態度を取ってるのって、女性と話した経験ないから?」
「下衆の勘繰りだ」
「うーん、あたしの女の勘がそう言ってるんだよね。今のも照れ隠しだって」
「女の勘と言えるほどに年食ってないだろ」
「・・・デリカシーがないのは、演技とかじゃなさそうだけど」
「相手によると先述したはずだが?」
「・・・まあいいや。それより、本題の話。聞いてくれる?」
「拉致しておいて、そんなのは今更だろう。とっとと吐け」
「・・・あたしとあんたが現在進行形で陥っているこの状態について聞きたいの。教えてくれる?」
彼女は真剣実100%の声と表情で、そう言った。
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