宵町、酔い人、迷い人

 夜の町を一人往く。駅前の、特に飲み屋が集中する通りの雰囲気は好きだった。何故好きかと問われれば、答えに窮するのだが。


 強いて言うなら、溢れる情緒と雰囲気だろうか。


 チェーン展開している焼鳥屋の隣は、創作フレンチを推しているバーで、その隣は寿司や刺身をメインとする和風の居酒屋。かと思えば、その隣はネオン看板がいかにも胡散臭そうな、自称案内所だ。


 細い通りを挟んだ先には、おしゃれな看板を掲げたタイ料理だの、パチンコ店だの、本格ステーキ店だのがひしめいていて、ビジネスホテルでまた角になる。統一感のないこと甚だしいが、そこがかえって良い。


 交差点付近では、客引きの兄さんや姉さんが、看板を掲げて声をかけるべき相手を見繕っている。


 寂れたバーや個人の事務所が押し込まれている雑居ビルの前では、今日はもうお役御免となったらしいサラリーマン達が、ネクタイを緩めて立ち話をしている。


 時間料金制の狭い駐車場の側では、スーツを着た若い男女の群れが、たむろしていた。男性陣は皆ポケットに手を入れ、女性陣は吐く息で手を温めている。そんな彼らの笑い声が、今日は何故だか無性に気に入らなくて鼻を鳴らした。ついでに、ポケットに入れている音楽プレーヤーを引っ張り出して、聞いていたボカロの曲を別のものに変える。





 別に、用があってうろついているわけではない。ただ、ここの雰囲気に浸りたかっただけだ。


 夜の星空をかき消すために、雑多な店のネオン看板がこれでもかとばかりにきらびやかに輝いて主張していて、でも一つ路地に入れば電灯しか光のない道が対照的な寂しさを醸し出していて。


 その本来の夜の暗さと寂しさを忘れようとしているかのように、陽気に、がさつに、自由に、にぎやかに、あるいは無邪気に、喧騒を作る側の人々が笑いながら歩いていて。一方で、コートの襟やマフラーの中に顔を半分方埋めて、白い息をわずかに外へ吐き出しながら足早に歩く、一人きりの男性や女性がいて。


 角になっているあたりの道路を見れば、タバコの吸い殻や銀紙などが、さも当然のように捨てられていて。


 張り紙お断りと書かれた張り紙の貼ってある電柱や、時おりすれ違う自転車のライトの眩しさや、ベルの音、あるいはゴミ置き場に積まれてネットをかけられた生ごみの山や、それを遠くから見ているカラスの群れ。


 それらが混ざり合い、調和して作りだすこの通りの雰囲気が好きなのだ。繰り返して言うが、決して目的などありはしない。


 そもそも、俺はまだ高校二年生だった。あと三か月も経たずに、高校三年生となるはずだったガキだ。見た目も年相応。飲み屋に来たところで、酒など頼めるはずもないし飲むつもりもない。


 そもそも、そんな見た目の奴がこんなところを歩いていたら、巡回の警官に声をかけられて、成果の上がらない問答に付き合わされるのは明白だ。実際に一度、補導したがりな警官の制止を振り切って逃げた経験もある。それ以降、この通りには近づいたことはなかった。





 ・・・まあ、それも人間だった頃の話だ。今の俺は違う。


 現に、目の前から歩いてくる二人の巡査は、俺には目もくれない。正確に言うと、そもそも彼らには俺が見えていないのだが。


 若いカップルの片割れが、俺の肩に奴の肩をぶつけ、しかし謝罪もなく通り過ぎていく。ぶつかったことにすら気づいていない。これも正確を期すなら、ぶつかってすらいないのだが。奴の肩は、俺の肩をすり抜けていったのだから。


 こんな風にもったい付けて話せば、皆がまず最初に辿りつく想像は、きっと霊的な存在だろう。


 残念だが、その答えは外れている・・・と思う。確証などありはしないが、根拠ならいくつか挙げられる。まあ、それは追々にしよう。





 視線の先に、探すでもなく探していたものを見つけた。壁に背を預け、紫煙を燻らせる若い男の側だ。若いといっても、俺よりは年上だが。


 その男の上にはネオン看板があり、それによって男に影ができているのだが、その影が異質だった。


 輪郭が身震いしているかのように波打ち、色がその度に変化している。


 俺はその男の傍まで近寄ると、ポケットから影でできたナイフを取り出して、影目掛けて振り下ろした。


 手には何の手応えもなかったが、その影は大きく一度波打った後に本来あるべき従者の在り様へと戻った。


「そこら辺の壁にもたれてると、その良さげなジャケットが汚れちまうぜ?」


 聞こえるはずがないと知りつつも、そう呟いてその場を去った。





 その波打つ影が何なのかは知らない。俺がそれに干渉できる理由も、はっきりとはわからない。そして、自分に本来の影がない理由も・・・。


 胸の中で温めてきた仮定なら、ある。おそらく、俺は自分という存在を失くしてしまったのだろう。存在しないモノに、影はできない。きっと、そういう事なのだろうと理解し、納得している。


 いつからだ、何がきっかけだと問われれば、二学期の進路相談を終えたその日、俺が自分の存在意義を否定した時だろう。


 自分で自分の存在を否定した俺は、存在しないナニカとなって、今こうして存在している者達に紛れて宵町に浸っているのだろう。あるいは、存在している者から存在を認識されなくなっただけかもしれないが。まあ、そこに大きな差はないだろう。それでも、俺が波打つ影に干渉できることと、かつての自分のものであったであろう影を、自由に操れることの説明にはならないが。


 別に、今の自分の状態に不満があるわけではない。疑問は数あれど、悲嘆や後悔や絶望と言った感情は全くない。強いて言うなら、今も俺の事を探し続けている両親を見ていると、わずかに残った良心が傷む程度だ。





 香ばしい焼き鳥の香りが漂ってきて、少し小腹が空いてきた。


 三大欲求の忠実な信徒である為に、駅の側にあるコンビニへと足を運ぶ。


 店内を軽く物色し、売れ残ってるおにぎり二つを手に取ってそのまま店を出る。店員が制止の声を上げることはない。なにせ、俺が身に纏っている物と手に取っている物は、俺と同じように存在しない物となるからだ。ただしそれらについては、手から離れたり着ている物を脱いだりすると即座に存在を取り戻す。


 倫理的に褒められた行為ではないのは重々承知だが、代価を払おうにも会話一つできはしないし、店員は俺を認識できないのだから仕様がない。


 そんな風に、心中で誰に対してかもわからない言い訳をしつつ、俺はおにぎりを口へと運んだ。


 一度失敬した店には一週間は立ち寄らないこと。もし廃棄の商品があるのならそれを優先する事というのが、わずかに残った良心からの訴えに応えて、俺が定めたマイルールだ。


 ・・・まあ、そんなもの何の言い訳にもなりはしないとわかってはいるのだが。それでも、ある程度の線引きをしなければ、自分がどこまでも堕ちていきそうな気がするので、このルールには従うようにしている。


 既に人ではない存在とはいえ、心まで完全に人でなしとなるのは御免だった。今のろくでなしよりさらに下へ落ちるつもりはない。





 粗末な夕食を食べ終えた後、そのまま駅の方へと足を向ける。


 夜もたけなわなのに、人通りは多い。意外と、会社員よりは大学生の方が多そうだ。


 よくわからないモニュメントの側、柱の影、ブランド品の並ぶショーウインドウの前。どちらへ顔を向けても学生らしき男女の姿が目に入る。どいつもこいつも、毒にも薬にもならない話を大声でしては、その都度愉快そうに笑ってやがる。俺に存在と勇気があれば、その話の笑いどころはどこですか?と質問の一つもしてやるところだ。能天気に笑えるそのお花畑な頭の中を、一度覗かせてもらいたい。まあ、詰まっているのは大方海老味噌か、さもなければ砂糖たっぷりのチョコレートフォンデュだろう。


 俺も、あんな風に馬鹿な話で馬鹿みたいに笑えればよかったのかなと、羨望と嫉妬の混じったような溜息を吐く。それでも、今の自分に後悔はない。俺が自分の意志で、その都度悩んで、辿りついた場所が”ここ”なのだから、今の自分を否定したら過去の自分に申し訳が立たない。何より、カッコ悪いしな。





「せいぜい、今を楽しく生きろよ。馬鹿共」


 届くはずもない嘲笑を混ぜたエールを送って踵を返す。そのまま元来た道を帰ろうとしたところで、背後から女の声が聞こえた。


「あの人達も、あなたに馬鹿って言われたくはないと思うよ?」


 今のは、俺のエールへの返答だろうか。・・・いや、あり得ない事だ。俺の声が届く人間などいるわけがない。たまたま、会話が俺の独り言と噛み合ったか、あるいは空耳だろう。もしかしたら、自分の心の声だったのかもしれない。だとしたら、俺も大概捻くれているな。


 無意識に止めていた足を、一歩踏み出す。ついでに、曲の音量を操作しようとポケットに手を突っ込んだところで再び声が聞こえた。


「声かけてるのに無視するってどうなのさ、同族君!」


 同族という言葉が引っかかって、つい振り向いてしまった。視線の先には、口元に笑みを浮かべながらこちらを見つめる、制服姿の茶髪の女。見た目の印象からすると、高校生だろうか。


「ずっと見てたよ。影を静めるところも、コンビニでやった事も」


「・・・見えるのか?」


「見えるよ、同族だもの」


「・・・」


 女の足元を確認する。周囲にはいくつも光源があるのに、そいつには影がなかった。なるほど、同族に違いない。


「女の一人歩きは感心しないな」


「なにカッコつけてんのさ。そもそも、万引き犯に言われたくないし」


「だろうな。俺もお前に言ってやりたい事なんぞ、特にはない。お互い、夜の散歩を楽しむとしようぜ」





 特にかかわる理由もなかったので、適当なことを言って飲み屋通りの方へ歩き出す。


 しかし、背後から肩を掴まれたことで、俺は十歩も進めず足を再び止める羽目になった。


「何か用か、同族。俺の方はお前に用はない」


「連れないわね。同じはみ出し者同士なんだし、せっかくだから話してみたいとか思わないの?」


「人恋しいなら他を当たれ。俺は人じゃない」


「他を当たるも何も、あたしの事が見えて声が聞こえる人間なんて、アンタしか見たことないし」


「なら探せばいい。一匹は見つかったんだ。他にももう二、三匹くらいは見つけられるかもしれない」


「一匹って・・・。せめて一人とか言うところじゃないの?」


「言っただろう。俺は人じゃない。かつて人だったモノだ」


「なにそれ、中二病?ウケるんだけど」


「じゃあな」


 肩に乗せられた腕を振り払って三度歩き出すが、今度は前に回りこまれた。まるで、RPGのようだ。


 ○○は逃走を試みた しかし、回り込まれてしまった!ってな感じか。


「待ってってば。気に障ったんなら謝るからさ」


「謝罪があろうとなかろうと、俺の行動は変わらない。せいぜい同族探し頑張ってくれ」


「その斜に構えた言い方、気に入らないんだけど」


「なら関わるな。その方がお互い幸せだ。いい加減鬱陶しいし」


 腰に両手を当て、上目遣いで睨み付けてくる女に、こちらも人差し指を立てて無表情に告げてやる。


「あらそう。なら、ちょっとだけ付き合いなさいよ」


「・・・お前、国語の成績悪かっただろう」


「急に何よ?」


「日本語の理解に問題があるんじゃないのかと間接的に問うているわけだが?」


「失礼な奴ね!」


「お前ほどじゃない」


「くぅー!」


「唸るな。犬かお前は。ちなみに、俺は猫の方が好きだ」


「聞いてないわよ、そんなこと!」


「そうか、それじゃあ」


「って、自然な流れで立ち去ろうとするな!」


「・・・はぁ」


「溜息!?しかもあたしの目の前で!?つくづく失礼な奴ね」


「礼を尽くすべき相手なら、相応の態度は取るさ」


「どういう意味よ!」


「なるほど。日本語ではなく、意思の疎通に問題があるらしいな。これは俺が迂闊だった、崇めろ」


「意味が分からない!」


「ゆとり教育の弊害だな」


「それを言うなら、あんたもゆとりでしょ」


「失礼な。俺はさとり世代だ」


「何で自慢げなのよ」





 ・・・面倒臭い。小説なんかではよくボーイミーツガールなんて言って、ひと夏の青春の記憶なんて煽り文が使われるけど、実際の現実の出逢いなんてこんなもんだろう。それとも、こんな寒々しい冬空の下ではなく、夏の照りつけるような太陽の下であれば、また違った出会いとなったのだろうか。





 そんな事を逃避気味に考えながら、ぎゃあぎゃあとうるさい声をシャットアウトするために、俺は音楽のボリュームを上げた。

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