「バケモノ山異聞 その2」(遭難は絶対するな、おま~ら)

上松 煌(うえまつ あきら)

「バケモノ山異聞 その2」(遭難は絶対するな、おま~ら)



          ◇ 1 ◇


「おい、八岐神(やたがみ)、ローカ出ろよ」

川村勇人(かわむらゆうと)が顎をしゃくってきた。

飯を食い終わった後の、気だるい午後だ。

「なんだよ、ガチンコ勝負か?言っとくけどおれ、強え~ぜ」

笑っていっしょに教室を出る。

川村がチラッと、隅っこにポツンとしている徳永明(とくながあきら)を見たのがわかった。


 「もっと、あっち行こう。今日、人多いな」

三々五々、たむろしている生徒たちを抜けて階段に腰掛ける。

「八岐神(やたがみ)、おまえ、トクメイとつるんでるんだって?」

トクメイとはさっきの徳永明(とくながあきら)のことだ。

姓名のアタマをとるとトクメイ(徳明)になる。

「え?…なんで?」

「木村が超心配してる。尾崎なんか怒ってるぜ、『八岐神(やたがみ)はバカ』って」

「…う~ん、まぁ」

木村さつきは川村勇人の最愛のカノ、尾崎聡(おざきさとし)は共通の友人だ。


 「まぁ、つるんでるって言うんなら、ソレ誤解ね。頼み込まれちゃったから、週末に単独キャンプに付き合ってコツ教えるだけ。アレにしちゃ珍しく、自分から口きいて来たんだぜ」

「だからって、一緒に行ってやる義理はねえじゃん」

「う~ん。ってか、一人キャンプは何かあっても対処は自分しかいない。危険をともなうだろ。初心者をしょっぱなからひとりで山に入れるってのもな。アレ、友達いねえんで、何をするのも単独らしいし」

「八岐神~ぃ、おまえ、人良すぎ。だから、つけ込まれるんだ。トクメイが頼み事してくるなんてブキミだワ」

「いや、おれ1年坊でぺーぺーだけど、一応、山岳部だからね。ま、義を見てせざるは勇なきなりってさ。あと、アイツ、おれが行ってやらなきゃど~せ1人で行っちゃうぜ。事故でも起こされてガッコ有名にされちゃ、ヤバすぎっしょ」



          ◇ 2 ◇



 結局、週末キャンプは総勢5人の大所帯になった。

川村のカノの木村さつきが同行したがったからだ。

ハイキング程度の経験しかないらしく、1泊2日の行程はかなり新鮮だったらしい。

だが、男の中に女が一人というのは、そうとうヤバい。

おれたちはまだ高1だから、親の庇護のもとにある微妙な年代だ。

当事者のさつきはもちろん、彼氏の川村もわざわざ彼女の家に行って、必死の説得工作に出たようだ。


 結果は大成功。

それでも親の承諾は、カレの川村勇人ではなく、「八岐神くんがいるなら」ということだったようだ。

おれが硬派で、そのテのことは腕に物を言わせてでも阻止する性格なのは、木村さつきはもちろん、クラス中が知っている。

「んもう、それって…。ナイトはおれじゃん。清い気持ちなのに」

川村の泣きが入ったが、泊りが許可されたのだから、まるっきり信用がないわけではない。

じゃあってことで、少し山の経験がある尾崎も仲間に入って来た。


 肝心のトクメイが人数が増えたのにビビって断るのでは、という懸念は杞憂だった。

顔と口では迷惑そうでも、内心はうれしそうだった。

なにしろ、ヤツの頼みごとに4人もの級友が集ったのだから。

前代未聞だ。



          ◇ 3 ◇


 行先は奥多摩の「バケモノ山」になった。

トクメイのたっての希望だったからだ。

まぁ、たしかに初心者好みの魅惑的な名前だ。

地元では「位牌山」とか「癖山」とか言われていて、この山を所有するだけで禍事(まがごと)がおきるとされた忌み地だ。

だから、それにまつわる伝説もけっこうおっそろしい。


 その昔、この山で炭を焼いていた男が、魔が差したものか旅人を殺めて金品を奪った。

が、その死体の処理に困り、自分の炭焼き窯に押し込んで灰にして始末した。

それ以来、この男に限らず、このあたりで炭焼きをする者は必ず、煙の中に怨念に満ちた顔を見たり、窯の炎が人の形になって立ち上がったりする怪異に会う。

人々は恐れてこの山を「バケモノ山」と呼び、炭焼きはおろか木々を伐採する者もなくなり、所有者は身内から変死人や狂人を出すなどのおぞましい祟りに見舞われたという。


 現実の「バケモノ山」は標高も604メートルと低いが、山頂近くには、死体の処分に使った炭焼き窯の跡といわれる「くぼ地」が今も残る。

まわりの植生も荒れて暗く、いかにも「怨念がおんねん」という気がするのだ。



          ◇ 4 ◇



 9月半ばの3連休に、5人は決行した。

ちょっと曇っていたが、バカ暑くないのがかえって気分を盛り上げる。

昼近い11時の便で全員が笹野バス停に降り立った。

なんだかワクワクする。


 一応、山岳部のおれ、八岐神悠(やたがみゆう)がリーダーで先頭。

次点は初心者のトクメイ、いや、徳永明。

そのうしろに木村さつきで、川村勇人が面倒をみる。

しんがりはサブ・リーダーを頼んだ尾崎聡が務めてくれた。


 尾根は思ったより荒れている。

登山道が雨水の抜ける道になっていて、木の根がむきだしで滑る。

ここを下らなければならない明日の帰り道は、用心が必要だ。


 道半ばあたりでトクメイが疲れたと渋り出した。

女子の木村さつきですら文句も言わないのに、体力がなさすぎだ。

「じゃあ、おれたちが交代でテントとザック持ってやるよ。だけど、今回だけな。1人じゃこうはいかないんだから」

くぎを刺しながら手をのばすと、やけに軽い。

なにやらガサガサした感触がある。


 「トクメイ、なに持って来たんだよっ?」

サブ・リーダーの尾崎聡の声はもう、怒っている。

「開けるぞ」

中身を見て、本人を除く全員が脱力した。


 まともなものはテントのオマケらしい夏用の簡易寝袋と虫よけスプレー、申し訳程度の水だけ。

あとは菓子の山だった。

「一体、何考えてる?最低限持って来いって言った用具、ど~したんだよっ。今日はおれたちがついて来たからいいけど1人の時これじゃ、おまえ事故起こすぜ」

一覧表まで渡したのにコレだ。

「だって、八岐神くんだって持ってくるでしょ。重複するじゃん」

トクメイはやっぱり、わかっていなかった。

察するに、ヤツの目的は冒険でも山が好きでもなんでもない。

背負ったザックの上に誇らしげに乗っているケシュア・ポップアップテントを早く使ってみたいという単純なことらしかった。

これは放り投げるだけで立ちあがるから、設営の手間がないので、今、大人気なのだ。

 


          ◇ 5 ◇



 身軽になったトクメイはサッサと先頭を進んで行く。

見る見る後続を引き離して、全くいい気なもんだ。

「おい、安易にピッチ上げるな。バテるぞっ」

どうせ聞いてはいない。


 山頂近く、まわりの傾斜がやや緩くなって、登山道が広がる。

思った通り、トクメイがへばっていた。

「つっかれたぁ~。ね、水。みず、早くぅ」

甘ったれた態度に、尾崎が水を放り投げた。

 

 それよりも驚いたことがある。

下から見たときすでに違和感のあった「バケモノ山」山頂は、なんと、なくなっていたのだ。

植生はもちろん、頂そのものが重機できれいにけずられて、ただの広場になっている。

あのボサボサした陰鬱な木々や茂みはどこへ行ったのだ?

死体を焼却したという炭焼き跡のくぼ地はどうした?

そして、あのおどろおどろしい伝承は?


「へ~、ひっろいじゃん、バケモノなんてウソだぁ」

こればかりは、トクメイの感想に全員がうなづく。

そうでなくともやせ尾根だった登山道がさらに荒れていたのは、このせいだったのだ。

バランスを保っていた自然に人為が作用すると、思わぬ荒廃を招く。 


「真ん中、ドまんなか。ひっとっりっじめ~」

ヤツは大はしゃぎで、ポップアップ・テントを放り投げる。

だが、それに付随する固定用のペグやロープは持ってきていないようだった。

「端にしろ。山は突風が吹くときがある。こっち来い、植生の陰がいいんだ」

怒鳴ってやっても、馬耳東風だ。



          ◇ 6 ◇



 「あれっ?なんかある。あ~、きれ~。も~らったっ」

トクメイが何か見つけたようだ。

「ふ~ん」

「よかったねぇ」

返事だけで、だれも関知しない。

こっちはこっちでやるべきことがある。

川村と木村のペアには山岳部から借りたスノーピークのテント1基、尾崎と自分用にはロゴス・エアドームを設営した。

エアドームは7キロちょいと重いが、エアマットとセットで使うと快適なので気に入っている。

4人分のマットに空気を入れ終ったころ、トクメイがそばに来た。


 なにやらテラテラした黒い物を、得意そうに差し出す。

「ほら、いいでしょ」

真新しい黒革表紙の手帳だった。

山頂を重機でけずった造成工事の人が落として行ったのかもしれない。

きれいな未使用で、銀色の2017の文字があざやかだ。


 だが、いきなり、

「きゃっ」

木村が弾かれたように、川村勇人の陰に隠れる。

「いやっ。それ、動いたっ」

「ええ~?」

野郎ども全員の声が唱和した。


 「動いたの。ほんとっ、ヌメヌメって。怖い…」

「ええ~?見まちがいだろ」

川村が受け取って手のひらごと動かして見せる。

「ちがう、そんな感じじゃない。もっとヌルヌルって」

「え?でも、どう見たってフツーじゃん」


 半信半疑の川村をほっぽって、木村さつきが真剣にトクメイに向きなおる。

「ね、徳永くん。捨てて、コレ。ねっ、ねっ。お願いっ。ほら、鳥肌がたちっぱなしなの」

「え~?な~に言ってんのぉ」

たちまちトクメイは不機嫌になる。

そのままふてくされて、イライラと自分のテントに帰って行く。

高級そうな革表紙が気に入っているのだろう。

「ほんと、見まちがいだって。さつきは神経質すぎ。ね?ありえね~から」

浮かない顔の木村を気遣いながら、川村が笑ってその場を収めた。



          ◇ 7 ◇



 トクメイこと徳永明は遅めの昼ごはんの時も、広い山頂のド真ん中にいた。

まわりの風景を楽しむでもなく、甘いクレープをかじりながらスマホゲームに熱中している。

空は曇っていたから、むき出しの地面でも、まぁ、暑くはないのだろうが、級友4人なんかどこ吹く風だ。

そのまま陽が暮れるまで、そこを動かなかった。

それでも月明かりで影が黒々すると、怖そうにテントを引きずって寄って来る。

ボサボサした植生の風の弱そうなところを選んでやって、やっと全員が1ヵ所に固まった。


 いよいよ夜のお楽しみだ。

工事の人たちが置き去りにしたらしいたき火の跡から、まだしっかりしたマキを拾い、穴を掘って火をつけた。

テントには火の粉の飛ばない位置だ。

「お~、キャンプファイヤ~。いいね、いいね」

トクメイがはしゃぐ。

「感動だよなぁ。来てよかったね」

川村が木村さつきの気を引き立てるように話しかける。

「……うん、そうだ…ね」

ちょっとにこっとしたけど、目は笑っていなかった。


 それぞれが持ち寄った夕食を並べる。

各種握り飯に焼き鳥、揚げ物、おでん、キュウリ・トマト、ローストビーフサラダ、調理パン、そしてトクメイの菓子。

基本、調理はしないつもりだったから、持ってきたものがそのまま夕食メニューになる。

日持ちのする物は明日の朝食だ。

それぞれが自分の食べ物をトクメイに分けてやる。

「あ、ど~も」しか言わないヤツは、当然のように自分の菓子を分けるのを拒否した。

「あ、これ、ボクが持ってきたものだから」

ったく、ガキめ。



          ◇ 8 ◇

 


 「おい、ちょっと」

尾崎聡に揺り起こされる。

急いで頭をはっきりさせて見回すと、夜は白々と明けてきていた。

「トクメイがおかしい。おれ、ションベンに起きてさ、隣りのテント見たら開けっぱなしで…。トクメイ、なんか唸ってんだよ」

「え?」

「アイツ、慣れない山登りなんてやってコーフンして、熱でも出したんじゃね?」

ありそうなことだ。

急いでテントをのぞくと、確かに徳永明がむくんだような顔でうんうん言ってる。


 「おい、大丈夫か?今日下山だけど歩けるか?」

「ん…んん~?」

なんだか返事もぼ~っとしている。

額にさわって熱を計ろうとすると、ひょっこり起き上がった。

「も~ん題ないぃぃ~」

風邪だろうか?

鼻がつまったみたいな変な声だ。


 とにかく、トクメイを含めて全員に朝食を取らせて、早々に撤収すべきだ。

本人は大事を取って、病院にも行かせたほうがいいだろう。

「なんか食べられそう?好きなのある?」

いくつか調理パンを並べると、クリームいっぱいの甘い揚げパンを取った。

いつものトクメイの好みだ。

よかった、食欲はありそうだ。 

もう、夜は完全に開け切っていた。



          ◇ 9 ◇



 全員が早々に下山する。

先頭はトクメイの荷物も背負ったおれ。

そのあとに木村さつき、川村勇人が後ろから彼女を補佐し、ヨレヨレしている徳永明をはさんで、ラストが尾崎聡だ。

やせ根道は荒れて滑りやすく、両側には脅しつけるように峻険な谷が迫る。


 「おっ、おあっ?」

いきなり、川村勇人の声がした。

デロレンという感じで、前を下る川村にトクメイが押しかぶさっている。

尾崎が手を貸す間もなく、バランスを崩した2人はズザザザ~っと谷底に落下して行く。

まるで何かに急速に引きずられるようにだ。

「いやぁっ、勇くんっ」

木村が金切り声をあげた。


「やっべぇっ、落ちたっ」

急いで谷を覗きこむ。

植生で底までは見えない。

落差、50メートルはあるのではないか?

最悪の事態が浮かぶ。

「スマホ、ダメだ。八岐神は?」

「ど~なってる?フル充電したんだぜ」

「やだっ、あたしのも。なにこれ」

肝心な時の不調に、3人が思い切り動揺する。


 「尾崎、木村連れて下山してくれ。登山口に家あったじゃん。そこで遭難だって救助要請して」

「おまえはど~すんだよ?」

「探しに下る。この高さじゃ、きっと大怪我だ。そばにいて救助隊が来たら音とか声立てるよ。発見されやすい」

「わかった、木村、急ごう。おれたちがどんだけ早いかがすべてだ」

尾崎聡が木村さつきを引っ張る。

2人が必死に下って行く後姿を確認してから、慎重に谷底を目指す。

泥の地面に滑落の痕跡が大蛇の這い跡のように残っていた。



          ◇ 10 ◇


 「かわむらぁ、とくながぁ」

交互に名を呼びながら植生にすがり、ガケを下る。

最後の谷川に降りるところは3メーターくらい切り立っている。

荷物を落としてから、腕をいっぱいに伸ばして滑り落ちた。

里に近いから、川原は思ったより開けていて、バンザイしたみたいな特徴的な枯れ木が見えていた。

「川村~。どこだっ、来たぞぉっ」

ザックが転がっているから、きっと近くにいるはずだ。

荷になるけど、とにかく回収する。

頼む、無事でいてくれ。


 「おっ、おいっ、や、八岐神っ」

15メートルくらい離れた大岩の向こうで、川村勇人の必死の声がする。

良かった生きてる。

急いで回り込んだ。

同時にザザザザ~ッと川原を浚渫(しゅんせつ)する砂利取りのような奇妙な音がした。

だが、周りは何の変化もない。


 関知せず駆け寄る。

「川村ぁ、心配したぜっ」

不覚にも涙が出た。



          ◇ 12 ◇



 川村勇人は何かに引きずられるのに、必死で抵抗した感じで仰向けに転がっていた。

谷に落ちた割には、骨折などの大きなケガはない。

ただ、小さな切り傷、擦り傷、打撲などが全身にあり、登山シャツやジーンズはズタボロだ。

「かわむらぁ。良かった、こんくらいですんで。今、木村と尾崎が救助要請に行ってる。歩けそうか?」

「うん…ダイ…ジョブ」

言うもののショック状態だ。


 無理もない。

おれだって、かなり動揺している。

「あ、そういえば徳永は?」

聞くと同時に、川村が身震いするのが見えた。

顔色も変っている。

「えっ?あっ…あ…うう、え~、アイツ。し、し、知らな…い…」


 たぶん、落ちる時にはぐれたのだろう。

川村勇人のしどろもどろは、それに責任を感じているようだ。

「緊急時にはしょうがないよ。だれでも自分を守るだけでせいいっぱいだ」

慰めながら、あたりを見回す。

徳永明の姿はなく、空しく川原が広がるだけだ。


 座り込んでいた川村が死に物狂いという感じで、息を切らしながらしゃにむに立ち上がる。

意識がしっかりしてきたらしく、自分のザックを自分で背負った。

「逃げ、よう。ここにいちゃ、ダメ、だ」

「えっ?」

なにから逃げるのだろう?

クマでもいたのだろうか。


 奥多摩にいるのは黒い「月の輪グマ」だが、人慣れしているヤツは登山者の食糧目当てに寄って来る。

食い物を奪われるだけですめばいいが、ヤツらは人間を弄ぶ時があるのが怖い。

内臓を引きずり出したり、性器を食いちぎったりする。

人間を恐れない個体は、ある意味ヒグマより怖いのだ。

川村がガケから離れたこんなところに転がっていたのは、クマに引きずられたのかも?



          ◇ 13 ◇



 「さっさと行こう。徳永はどこにいるかわからないから救助隊に任せる」

おれの言葉は冷酷なようだが、日本最強の猛獣がいるとしたら、ここに長居は危険すぎる。


 川村勇人が慎重にあたりを見回す。

「いいか、八岐神。声も音も立てるな」

ささやくような口調は本当に緊迫して真剣だ。

やっぱり、クマか。

「靴は脱いで、岩を伝うんだ」

靴?

そうか、登山靴の足音はクマに食い物を連想させる。

急いで脱ぎ、ザックに回収した。


 出来るだけ大きな岩を伝いながら、ひたすら谷川を下る。

野生動物のクマは耳も鼻も利くから、もしもの場合はザックを置いて、気を取られている隙に逃げるつもりだ。 

どれだけ下ったろう?

周りはシンとしてなんの音もしない。

しだいに緊張がゆるんで、岩を伝うのが面倒くさくなる。

ザリザリと小石を踏んで近道をした時だった。


 「バカッ」

川村の激しい罵声。

それに混じってザザザザ~ッという浚渫(しゅんせつ)の音。

「えっ?」

硬直した。

なにかいる。


 いや、なにかが来る。

蛇のような長い何かが川原の砂利下をうねりながら通り過ぎた。



          ◇ 14 ◇


 「きゃあぁぁ~」

悲鳴が響く。

「ちっくしょうっ。くらええぇっ」

尾崎だ、尾崎の声だ。

どうしたのだろう?

「出やがったっ」

川村勇人が声の方に突進する。

川下の植生の陰に、遭難救助要請に行ったはずの2人がいた。


 尾崎聡が果敢に木切れをぶん回す。

木村さつきが折りたたみの登山ステッキで、巴御前のように地面のなにかとわたり合う。

4時過ぎの強い斜光線のなかでソレは黒々としたオオサンショウウオに見えた。

川村とおれが石で加勢する。

恐怖で力が倍加し、漬物石くらいのをビシバシ叩きつける。

こういう時、筋力あるバカ力のおれは強い。


 効いている。

悲鳴だろうか?

蒸気が噴き出すようなシューシューという音が立て続けにして、また、ザザザッと浚渫の音。

そいつは砂利と泥を周り中に跳ね飛ばして地面に消えた。


 全員が川村の指示で大岩にあがる。

しばらく脱力したまま、だれも口をきかなかった。

「救助は?すぐに来るって?」

一番の気がかりを尾崎に尋ねる。

「いや、八岐神に聞きたいんだけど」彼の声は深刻だ。「…登山口までは1本道だよな。わき道はなかったよな。そんでも、ここに出た」

「え……?」

とっさに返事に詰まる。

不思議だ。

登山道は尾根なのに、なんで谷に下ってしまったのか?


「じゃ、つまり、救助は来ないということか…」

ため息交じりの川村の言葉が重い。

木村さつきはカレにしがみついている。

状況がこれでなきゃ、人もうらやむいいシチュエーションだ。


 「そんじゃ…、あのアレ。アレはなに?逆光で真っ黒。爬虫類?怖えぇ」

おれの疑問に川村勇人が首を振って、声を絞り出す。

「さつきも尾崎も…見た…だろ。アレは…」

顔は言いにくそうにゆがんでいた。



          ◇ 15 ◇



 川村はしばらくの間、自分と徳永明の身体がバランスを崩して、ガケを滑落していると思っていた。

冷や汗の出るほど怖かったが、こういう危機的状況ではアタマの一部が冷静になる。

あおむけの状態で滑り堕ちているのを幸いに、あたりの植生にしがみつく。

何度か失敗したが、ついに成功して体が止まる。

「うっ?ひぇっ?」

超引きつった声が出た。


 彼の左足になにかがしがみついていた。

いや、食らいついているというのが正しいのか?

発光ダイオードのように異様にキラめく目の下に、横に大きく広がった口。

その中からクズキリかイカソウメンのようなもの、いや、トコロテン状のものが突出して自分の足に絡みついている。


 異様過ぎてゾゾゾゾ~ッと激しく総毛立つものの、とっさに状況判断に迷う。

ズッサァンという感じで川原に落ちた。

砂利の上を引きずられながら、必死で蹴りつける。

痛覚はあるらしく、スピードがゆるむ。

手に触れる限りの石をつかんで、力いっぱいぶち当てる。

シューシューいう擦過音。


 「川村ぁ、徳永ぁ」

声、人の声、八岐神悠(やたがみゆう)だ。

シューシューがギクッと止まる。

足をからめていたトコロテンの束が、おずおずと離れた。

一瞬ののち、ズザザザザッと小石を弾き飛ばし、ソイツは 急速に地中に埋没していった。

間違いなかった。

確かに見た。

異様なバケモノはトクメイこと徳永明だった。

 


          ◇ 16 ◇



 「行こう。陽が暮れたらヤバい」

川村の声に全員がヨロヨロと岩を伝う。

今見たばかりの信じがたいモノの姿が目にちらついて、足がふらつく。

ソイツは半透明の触手を超高速で回転させて、地中を自由に移動するらしかった。

気色悪いが、有効な移動手段だ。

「おれたち、夢見てるのか?それとも集団催眠?」

尾崎聡の声は引きつっている。


 「わからん。とにかく岩から離れるな。アレって地面には潜れても、岩の中はムリだろ」

川村勇人の言うとおりだった。

モグラもミミズも、たぶん、アイツも、地中を動くものは岩盤の中は進めない。

とっさにこれを思いついた川村はスゴイ。


 「アレ、徳永だよな。服、同じだもん」

「でも、なんでああなった?これ現実かよ?。バケモノ山ってホントに化け物出るんじゃ、シャレにならん」

「おれたちをど~するつもりだろう?食うつもりだったら、夜がコワイぜ」

「とにかく、下るしかない。一刻も早く登山口の人家に出るんだ」

「わたし、ズ~ッと考えてたんだけど、原因はあの手帳よ。革表紙だったでしょ、有機物だわ。それになにかが寄生していたんじゃない?あたし、ホントに見たのよ。手帳がヌメヌメって動いたの」


 いざとなったら女は強いというのは本当で、木村さつきが一番冷静だ。

生物学者のように分析する。

「ほら、冬虫夏草って習ったよね。本体はただの地中に住む菌類なんだけど、ある種の昆虫に寄生して地上に子実体を伸ばす。だから冬は虫で地面に潜り、夏には植物として芽を出すって信じられてた。徳永くんは菌に冒された手帳を拾っちゃって、宿主

にされたんじゃない?」


 「やっべぇ、それ…」おれはちょっと声が震えてしまった。「だとしたら、トクメイ、今は生きているけど、ジワジワ菌糸に

食い荒らされて…」

「そう、早く大人の人たちに知らせなきゃ、ボロボロにされちゃう」

木村の言葉に尾崎と川村が息を飲む。

怖いのだ。

だが、ビビッている暇はない。



          ◇ 17 ◇



 陽が暮れはじめていた。

4人が川岸の一番大きな岩のてっぺんに固まる。

昨日が満月だったから、今夜もかなり明るい。

それだけに影が黒々して、枝が風で揺れるだけでもけっこう怖い。


 そのうちに全員が小用をもよおした。

生理現象はどうしようもないので、男どもは順番に岩の端まで行って用心しいしい立ちション。

木村さつきは岩の真ん中のままゴミ袋にさせた。

全員が後ろを向いて指で耳栓をし、小声でアニメソングを歌った。

ま、女性に対する配慮だ。


 夜が更けてくるのがわかる。

食欲はなかったが、みんなで菓子パンをジュースでなんとか飲み下した。

明日中には下山できると思うが、体力の温存は大事だ。

疲れでそれぞれにウトウトするものの、恐怖に似た感覚にビクッと目覚めてしまう。

その繰り返しだ。


 本当に長い夜だった。

自然の中では、生き物たちの行動と気配で夜はにぎやかと言われているのに、なんの物音もしない。

そして夜中じゅう、トクメイの動きもない。

寄生されたのが人間だから、単純に寝ているのかも知れなかったが…。


         ◇ 18 ◇



 明るくなると同時に出発だ。

下る、ひたすら谷を下る。

相変わらず音がない。

川音や木々のざわめきはフツーなのに、鳥の声も姿すらなく、川を覗きこんでも魚影は全くない。

生き物はおれたちだけな気がするほど、動物の気配がないのだ。


 「静かだよな。トクメイ、追って来てねぇんじゃね?」

しばらくして尾崎聡が言い出した。

寝不足と緊張でかなり疲れているから、気を配って岩を伝うのが面倒なのだ。

「いや、油断するな」

川村は懐疑的だ。

木村さつきから石を受け取って、足音のようにリズム良く投げる。

地面には変化ない。

「だいじょぶなんじゃね?ほら、この先のあそこ。岩が途切れてる。どの道、降りなきゃ」

「いいから、サトシ。ちょっと待て」

川村勇人は慎重だ。


 今度は折りたたみのステッキの柄の方で川原をバシバシ叩く。

ジャリジャリと地面をひっかきまわしたりもする。

シ~ンとして生き物のいる様子はない。

「な?トクメイ、飽きっぽいから、もう、来てねえよ」

尾崎が半笑いで言って、岩を降りる。

2~3歩あるいても何事もない。

「な?ヘ~キじゃん」


 ゴゾッとどこかで音がした気がした。

全員に緊張が走る。

「尾崎くん、う・し・ろ」

木村さつきのせっぱつまったささやき声。


 「っしゃあぁ~~~」

気合と同時に尾崎の渾身のジャンプ。

ズシャザザザザという砂利の跳ね跳ぶ音。

真っ黒な影が踊り出る。

透明なトコロテンの束がきらめきながら瞬時に襲った。

タッチの差で尾崎聡が逃れる。

おれが棒きれで、川村がステッキでぶっ叩く。

巻きつこうとしたトコロテンの一部が千切れ飛ぶ。

トクメイはシューシューわめきながら、一瞬で元の穴に消えた。



          ◇ 19 ◇



 「ちっくしょ~。アイツ意外と知恵が回るな」

尾崎が悔しがる。

「寄生菌がさせてるのよ。追って来るのはたぶん、全員に寄生したいからじゃない?宿主を増やしたいって」

冗談じゃない、超メイワクだ。


 まもなく大岩が尽きて川原だけが広がる場所に着いた。

「ど~やって進む?羽がなきゃ、次、行けね~ワ」

15メートルはある、ジャリだけの空間だ。

トクメイが追って来ているのがわかっている今、迂闊な行動はできない。


 「今日は晴れてっから暑っついなぁ。お肌がやばい」

川村がひょうきんに笑わせるので、みんなでテントの布をかぶることにする。

相変わらずトクメイの動きはなく膠着状態にイライラしてくる。

たぶん、それもヤツの手だろう。


 浅間尾根のあたりから、遠雷の音がする。

「やっべえ、こっち来るかな」

全員の頭に浮かぶのは玄倉川の川流れ事件だ。

山の雷も怖いが、雨による鉄砲水はもっと恐怖だ。

「どうしよう、逃げ場がないぜ」

「9月でもけっこう雷雨は多いからな。来ないことを祈るよ」


 だが、こういう時の祈りはたいてい成就しないのだ。

「来た、ポツッと。万事休すかよぉ」

尾崎聡の悲痛な声とともに、雨がやってきた。



     ◇ 20 ◇



 みるみる本降りになる。

金属は電導しやすいから、身体から離すべきだ。

そう思った時、いきなり思いついた。


 「おい、金属あるだろ。ナイフでもコッフェルでもなんでもいい。出せ。周りに投げる」

おれの言葉に、尾崎聡がピンと来たらしい。

「わかった。地面に通電させるんだな。じゃ、川村、投げるぞ。3~4メーター離すんだ」

「え?避雷針か?、効果あるかな」

川村勇人は半信半疑だ。

「さぁな。いいから、財布の小銭も全部投げろ。10円は銅だから電導いいんじゃね?」

こんなときにケチってはいられない。

おれの言うままに、全員がコインを洗いざらい放りだす。

ヤッケも金属ジッパーだったから、丸めて投げた。

あとは体を出来るだけ小さくちぢめて、岩の裂け目やくぼみで丸まる。

それでも身体は強い雨足でびしょ濡れだ。


 ゴロゴロという雷の音が、ガラガラという至近に変わる。

「金属に、地面に落ちてくれ。頼む」

願望を口に出して言っていた。

そうは思うものの、今にも自分たちを直撃しそうで怖い。

焼きつくような閃光と鼓膜が引っちゃぶけそうな轟音に激しくビクつく。

生きた心地がしないってのは、このことだ。


ギャリッ、ピッシィャァ~ンン、グァラガララララ。

落雷。

一瞬の鞭の音だ。

目の前が白紫の反転画像に変わる。

「やったっ。落ちたっ」

心底縮みあがりながらも希望で生き返った気がした。



          ◇ 21 ◇



 その後も雷は4回くらい落ちて遠ざかった。

川は増水はしていたが、おれたちのいる岩までは来ていない。

濡れ鼠のまま、そうっとあたりをうかがう。

「アレっ。トクメイじゃね?」

尾崎聡が目ざとく見つける。

「あっ、そう。徳永くんよ」

放っとくわけにはいかない。

一応、棒きれや石で武装しながら、みんなで用心深くそばに寄って行く。

トクメイは電撃ショックのせいか、半分地中から飛び出た形でボーッとしている。

どうやら無害そうだ。

服は泥やジャリにこすれてヨレヨレだが、本人にはそれほど傷がない。

「こういうことだったのか。…八岐神ぃ、思ったよりアタマいいじゃん」

川村がやっと納得してくれた。


 「こんなにうまくいくと思わなかった。寄生菌のほうが人間より電気に弱いんじゃないかと思ったんだよね。電気は地表を走って、地中にはあまり深く潜らないから、人間ならちょっとした感電ですむんじゃ?ってさ。でも、悪くしたら徳永もアボ~ン

だったかも」

「ま、運が良かったんだな」

「そうね。でも、大丈夫かしら?徳永くん、電気ショックで頭変になっていたりして…」

心配する木村に川村が、「え?最初からヘンじゃん」と返事するのが聞こえた。



          ◇ 22 ◇



 徳永明に関しては、すべて杞憂だった。

「あ…え~とぉ」ぼんやりしていたトクメイがのん気に口をきく。「お腹空いたぁ」

あの鼻がつまったような変な声ではない。

熱っぽい感じもなく、元に戻っている。

「お…菓子取ってぇ、ねぇ~」

良かった、本当に良かった、いつもの彼のセリフだ。

これには全員が安堵とバカらしさで、泣き笑いになった。

寄生されていた時の記憶は全くないらしい。


 「なんだよ、徳永ぁ。それっきゃねぇのかよぉ~。コイツ、いっつも自分のことだけ」

尾崎聡があきれ返った声を出すが、怒る気にもなれないようだ。

「はいはい。え~と、もう残り少ないけど、カステラとかあるわよ」

木村さつきがザックを探って面倒を見てやっている。 

「あ~あ、これでやっと帰れるな。ったく、お騒がせじゃん」

ホッとした声は川村勇人だ。


 なごやかにあたりを見回す。

そこには平和な川原の風景が…。

「ま、良かったよ。めでたし、めでたし。ホント、ど~なることかと思った。…え?ちょっ、あ?あれっ?」

おれの明るい返事が途中で止まる。


 待て。

そういえば、なにか違和感。

川村に問いかけようとしてためらう。

この谷は何かが違う、なにかがおかしい。

それに気づいてしまった今、ゾワゾワとなにかが背筋を伝って来る。

容易ならない不安と予感に脳が急速に働きだす。



          ◇ 23 ◇



 この風景には見覚えがある。

ほら、あそこのガケ。

川村がトクメイに引きずられて落ちた跡が、雷雨にも消されずに残っている。

15メートルくらい岩の途切れたこの地形。 

そして極めつけは、あのバンザイ形の枯れ木。

おれたちは川を下ってなんかいない。

1日半前のこの場所から、移動なんかしていない。


 もっと早くに気付けるはずだったのだ。

救助要請に行った尾崎と木村が、なぜ合流したのか?

1本道ではあり得ない事実がなぜ起こったか?

そしてスマホがなぜ不能だったか?

電波など、ここには存在していないのだ。


 パラレル・ワールド?

いや、違う。

ここは最初から閉塞しているのだ。

一難去ってまた一難どころではない。

この閉じた空間から、おれたちはたぶん、もう帰れないのではないのか?

あれほど歩いたのに、最初と全く変わらない風景がそれを示しているのだ。


 自分たちの未来がシミュレーションできる気がする。

食料を食いつくし、飢えればやがて仲間同士で共食いを始める。

食い物を巡って友達同士、恋人同士で凄惨な殺し合いを始める。

人間なんかそんなものだ。

そして最後に残った者も永久に下山することなく、死んで朽ち果てるのだろう。

動く生き物の気配が全くない事実が、雄弁にそれ物語るのだ。

 


          ◇ 24 ◇



 こんな世界が身近に存在しているなんてだれも知らない。

だれも信じていない。

知りようがないからだ。

伝えようかないからだ。


 あの世は案外、こんな所かも知れなかった。

行ったら最後、戻った者はいないからだ。

たぶん、いや、きっとここも同じだ。

堕ちこんだが最後、もう、帰ることがない。

昔から多く言われる神隠しは現実だったのだ。

忽然と消えた人々は閉塞した世界で、ひっそりとその命を終えるのだ。

事実を訴える術もなく…。

 

 恐怖は寄生菌ではなかった。

本当の恐怖はこれから始まる。

おれたちがバケモノ山の化け物になるのだ。

今、気付いているのはおれだけだ。

だが、その戦慄の事実を、もうすぐみんなが知ることになる。

ダメだ、耐えられない。


 ああああああああああああああああああっ!


つんざくような狂気じみた悲鳴が、あたりの木立にこだました。



    

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「バケモノ山異聞 その2」(遭難は絶対するな、おま~ら) 上松 煌(うえまつ あきら) @akira4256

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